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May 10, 2017

LJF2017を振り返る、さらにおかわり、公式本「ダンスと音楽」

●LFJでは昨年から日仏共通オフィシャルブックが発売されている。前回のナチュール 自然と音楽」(エマニュエル・レベル著)に続いて、今回は「ダンスと音楽 躍動のヨーロッパ音楽文化誌」(クレール・パオラッチ著、西久美子訳/アルテスパブリッシング)。これは音楽学者がその年のテーマについて広範な視点から見渡した音楽書であって、プロモーションを兼ねた入門者向けガイドブックなどでは決してない。だから、音楽祭が終わっても本の賞味期限は切れない。ただ、読めば「なぜその曲が今年のプログラムに入っていたか」といったようなことはわかる。帯にある「踊れない音楽はない!」という惹句がなかなか刺激的だが、これは著者の考えを述べたものというよりは、20世紀以降のダンサーや振付師たちが本来舞踊のために書かれていない楽曲までも踊りの音楽に用いるようになったことを引いている。実際、LFJでも以前に勅使河原三郎がシェーンベルク等で踊っていたっけ。
●いくつか興味深かったところをメモ。
●ワーグナーがベートーヴェンの交響曲第7番に対して「舞踏の神格化」と述べた有名な言葉があるけど、その文脈について。前段として、ワーグナーはハイドンの交響曲第82番「熊」終楽章を挙げて、この田舎風のダンスを評価しなかった。これは低級な音楽だって言うんすよね。神格化されていない、ただのダンス。でもベートーヴェンは違う。「ハーモニーを付けられた舞踏は近代の交響曲というもっとも豊かな芸術作品の基礎だ」と説いて、交響曲第7番を「舞踏そのものの神格化」であると讃えている。
●モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の第1幕のフィナーレ、祝宴の場面で「招待客」が社会階層ごとに3つのグループに分かれて、異なるダンスを踊るという話もおもしろかった。つまり貴族階級のドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィーラ、ドン・オッターヴィオはメヌエットを踊るけど、村娘ツェルリーナはドン・ジョヴァンニに誘われて一般市民を象徴するコントルダンスを踊る。そして農夫マゼットとドン・ジョヴァンニの従者レポレッロが躍るのは田舎風のドイツ舞曲。こういったニュアンスは今のわたしたちが舞台を見てても、なかなかピンと来ないっすよね。ていうか、ツェルリーナとマゼットの階級差を意識してこのオペラを見たことなんてなかった。
●バッハの「パルティータ」を「フランス組曲」や「イギリス組曲」と並べて「ドイツ組曲」と呼ぶことがある、という話。その理由として、アルマンド、クーラント、サラバンドが対位法的にあつかわれていて、対位法はドイツ的な書法の代表格だから、とされていた。そう、かな。
●ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」について、さらっと「ベラスケスの絵画『マルガリータ王女』にちなむ曲のタイトル」と書いてあった。これは俗説だろうと思ってたんだけど、そうでもないのか。
●あと、ダンスの音楽全般について思ったこととしては、踊りの音楽は案外すぐに踊られなくなる、ってことかな。シャコンヌやパッサカリアであれ、サラバンドやジーグであれ、あるいはポルカやワルツでさえもそう。おおむねどの舞曲も、最初は踊るための音楽だったのが、すぐに踊りの性格が薄れて、聴くための音楽になるという経緯をたどっているのがおもしろい。

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