●この週末はブルックナーの交響曲第5番祭。もしその気になれば金土日と三日連続ブルックナーの5番を聴くことも可能ではあったが、私が参戦したのは二日間で読響と東響を一公演ずつ。
●19日(金)は東京芸術劇場でゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮読売日本交響楽団。プログラムは一曲のみ。ブルックナーの交響曲第5番、まさかのシャルク版。原典からの逸脱という点で悪名高いシャルク改訂版を生で聴ける貴重な機会とあって、全席完売。しかもロジェストヴェンスキー。「今しか聴けない」の問答無用の訴求力。ただ事じゃ済まないだろうと思ってはいたが想像を超えていた。
●まず、長い。原典からカットして短くなっているはずなのに、なぜか終演時刻は特に早くなかった。そして、圧倒的な過剰さ。シャルク版以前にまずロジェストヴェンスキーと読響の剛直で重量感のある響きがすごい。そしてオーケストレーションに特盛感があって、なんでそこでティンパニが入るのとか、あちこちで初耳であるという以上の違和感を感じるのだが、最後の最後にお祭り騒ぎの一大スペクタクルが用意されていて、それまでのあれこれがすべてがぶっ飛んだ。バンダの金管あり、シンバルあり、トライアングルありの大音響で、とてつもない高揚感。予想外の方向性からサービス精神を発揮してくれるシャルク。少し笑うが、真摯な感動には笑いがつきもの。
●で、芸劇のお客さんたちは、たとえこんなにド派手に終わる曲でもブルックナーには違いないので、余韻を味わおうと一瞬、完璧な静寂を作り出した。が、その静寂を打ち破ったのが指揮者本人。指揮棒で(たぶん)楽譜をピシャリと叩いた。それが合図となって場内は大喝采に。あのピシャリに「は? もう終わったぞ、はよ拍手せい!」というニュアンスを感じたのはワタシだけじゃないと思う。実際の当人の意図は知らないけど、儀式的な沈黙をありがたがるわれわれ聴衆の態度をフッと鼻で笑うようなところが感じられて、楽しさ倍増。客席の雰囲気は最高。楽員が去っても拍手は鳴りやまず、ロジェストヴェンスキーのソロ・カーテンコール。なんか「お前ら、まだいたのぉ、しょーがねーなー」みたいな雰囲気(想像)でザクッと登場。で、シャルク版のスコアを讃えるマエストロ。
●指揮している最中に、パタンと音をたてて指揮棒が床に落ちてしまったんすよ。あっ、どうするんだろう?と思った次の瞬間、マエストロの右手を見たらちゃんと指揮棒を持っていた!? えっ、これってなにかの手品?……指揮棒の魔術師ロジェストヴェンスキーってそういうこと?(違います)
May 22, 2017