●ソニー・ミュージックエンタテインメントが日本国内でのアナログレコードの自社生産を29年ぶりに再開するとか。これまでは東洋化成や海外企業に外注していたのが、今後は自社にアナログレコード用のプレス機を導入して、いずれは外部レーベルからの受注生産も考えているという。レガシーメディアとはいえ、アナログレコードは趣味性の高さで完全に生き残っている。つい最近、ベルリン・フィルもラトルとのベートーヴェン交響曲全集をLPレコード10枚組で発売したばかり。結構なお値段なのだが、なぜかCDよりも高級感が漂っていて、そんなものかと思ってしまう。この調子だとCDのほうがLPよりも先に絶滅するんじゃないだろうか。たとえストリーム配信がどんなに広がろうとも、LPの愛好家には無関係だろうし。
●ところで、ワタシはCDが初めて登場したころの興奮を今でも覚えている。それまでずっとLPレコードには悩まされてきた。いちばん困ったのはスクラッチ・ノイズ。曲のいいところで「プチッ!プチッ!」とか鳴って、せっかく音楽に没入していたのに現実の世界に引き戻されるのが嫌でしょうがなかった。しかも高価だったんすよ、LPレコードは。そのノイズが一過性のものなのか、恒久的な傷のせいなのか、いったん気になるともう音楽なんて聴いてられない。盤面をきれいにするためのいろんなクリーナー類を買ったりしたけど、あんまり本質的な解決に至ってなかった気がする。あと、片面の収録時間が短いから、A面の終わりで楽章の途中でフェイドアウトして、続きを裏返してB面の頭から聴き直すみたいなのも勘弁してくれよって感じだった。そんなときに登場したのがCDだ。
●すごいと思ったね。レコード屋さんに行くと、CDとLPの聴き比べイベントなんかやってて、いかにCDが高音質かをアピールしている。今でも忘れられないのだが、ベルリオーズの幻想交響曲で、同じ録音をLPとCDで聴き比べるっていうのをやってくれたんすよ、近所のレコード屋さんで。もう、これは頭にガツーンと来た。うわ、CD、なんてクリアなサウンドなの! ぜんぜん違う。
●でも今になったら、LPのほうがCDよりも音がいいんだみたいな話になってたりして、あのときの頭ガツーンはなんだったんすかね。レコード屋でみんな呆然としながら幻想交響曲のCDを聴いてたはずなんだけど。記憶の捏造?
2017年6月アーカイブ
ソニーがアナログレコードの国内生産を29年ぶりに再開
DAZNでマリノスvsヴィッセル神戸、J1 J2入れ替え戦復活
●もう先週の話題だが、めったにないことなので書いておくと、マリノスがリーグ戦で4連勝したんである。清水、川崎、FC東京、神戸を相手に4連勝、これで6試合負けなし。マリノスはオーストラリア代表のミロシュ・デゲネクがコンフェデ杯、マケドニアU21代表のダビド・バブンスキーがU21欧州選手権でチームを離れていたにもかかわらず、代わって入った選手たちが活躍してくれた。神戸戦ではセンターバックのパク・ジョンスが今季初出場して完封。DAZNで一部セルフハイライトにしつつ見たが、1点取ったらあとは堅く守るという姿勢がはっきりしている。ここまでリーグ最少失点。マリノスのメンバーだけを書いておくと、GK:飯倉-DF:金井、パク、中澤、山中(→下平)-MF:中町、扇原-齋藤、天野純、マルティノス-FW:ウーゴ・ヴィエイラ(→富樫)。扇原は先発に定着できるだろうか。
●で、それでJ1の順位はどうなったかというと、柏、セレッソ、鹿島、ガンバに続いて5位。ただしACL組の4チームは試合数が1試合少ないので追い風参考記録くらいの感じ。そもそも4連勝したといっても、9勝5敗2分と負け数も多い。ぬか喜びもほどほどにしておかねば。
●ところで先日Jリーグから発表があって、2018年以降はJ1とJ2の入れ替え戦を復活させるのだとか。J1の下位2チームとJ2の上位2チームは自動降格・昇格することにして、J1の16位と、J2の3位~6位までのチームの合わせて5チームがプレイオフを戦うという。この5チームのトーナメント図を見ると、実質的にはJ2の3位~6位の4チームでJ1の16位への挑戦権を獲得するような二重のプレイオフになっているのだが……煩雑すぎないすか? 入れ替え戦をやるなら、なにもJ2の3位~6位までを参戦させる必要はないのでは。シンプルにJ2の3位を入れ替え戦に出場させか、あるいは経営面からプレイオフが必要ならせめてJ2の4位までに留めてほしかった。J2でワンシーズン戦って5位とか6位に終わったチームをJ1に引き上げる仕組みが、はたしてリーグ全体にプラスに働いているのかどうか。
コンサートで手荷物検査
●明日、6月29日に開催される「東京芸術劇場ナイトタイム・パイプオルガンコンサート Vol.18」では来場者への手荷物検査が実施される。これは「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に向け、セキュリティ対策を更に充実・強化させていくため」に試行的に実施されるのだとか。ほかにも東京都美術館や東京都写真美術館などでもそれぞれ日時を決めて試行される。演奏会関係だと、少し先だが8月2日の東京文化会館での「響きの森コンサート」も対象になっている。
●さて、手荷物検査と聞くと抵抗を感じる人もいるかもしれないが、サッカー・ファンであれば「へー、やればいいんじゃないの」くらいの感じだろう。Jリーグや代表戦ではずっと昔から原則として手荷物検査が実施されていて、入場口での手荷物検査は共通観戦マナー&ルールのひとつとしてすっかり定着している。スタジアムの入場ゲートに近づくと、ほとんど条件反射的にカバンの口を開けてしまうくらい、われわれファンは飼い馴らされている。自分のところで時間がかかって後に続く人に迷惑をかけたくないという心理が働いてか、係員さんから少しでも見やすいようにとガバッとカバンを開ける。で、まあ、大して中身のチェックもされずにゲートを通れてしまうという認識。
●だからコンサートで手荷物検査が実施されても、特に驚きはない。何万人も入るスタジアムでやってるくらいなんだから、2000人のコンサートホールならスムーズにできちゃうんじゃないかな……と思いつつ、一抹の不安があるとすれば、クラシック音楽ファンはサッカーファンほど従順ではないんじゃないかという点か。どういうわけか、スタジアムよりコンサートホールのほうが荒ぶるお客さんを見かけることが多い気がする。クラシック音楽には人の心を荒ませるなにかがあるのかも。コンサートでキレそうになったときは、ぜひサッカー観戦で心の平安を取り戻してほしい。
現世ファースト
●オペラの登場人物って、主にワーグナーなんだけど、すぐに救済されたとかされないとか言うじゃないすか。たとえば「タンホイザー」だったら、エリーザベトの犠牲によってタンホイザーが赦される、とか。でもそれってタンホイザーもエリーザベトも死んじゃうっていう結末なんすよね。あの世で救われたって言われてもなあ。むしろ現世が大事。死後の魂よりも、今をどう生きるか。オペラにはもっと現世ファーストの姿勢を望みたい。
●で、バイエルン国立歌劇場が新演出「タンホイザー」を無料でストリーミング配信してくれるんだけど、これってキリル・ペトレンコ指揮、ロメオ・カステルッチ演出で、秋に来日するプロダクションを一足先に観れるんすよね。配信は7月10日(月)午後7時から。オンデマンドではないので平日夜はなかなか大変だが、チャンスがあれば。視聴URLは http://www.staatsoper.de/tv-asia なのだが、配信当日にならないとつながらないという謎仕様。予告だけでも置いてほしい気がする。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響、河村尚子のサン=サーンス
●24日はNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響。フランス音楽プロで、デュティユーのメタボール、サン・サーンスのピアノ協奏曲第2番ト短調(河村尚子)、ラヴェルの「優雅で感傷的なワルツ」と「ダフニスとクロエ」組曲第2番。このコンビのフランス音楽プロを聴くのは初めてか。バラエティに富んだ選曲が吉。白眉はサン=サーンス。サン=サーンスのピアノ協奏曲はどれも好きなのだが、この第2番は気まぐれ度の高さが魅力。いきなり独奏ピアノのカデンツァで始まるという幻想曲風の第1楽章、洒脱なスケルツォ風の第2楽章、スリリングなタランテラ風の第3楽章と、とりとめがないというか、作曲者のなんでも書けます感が全開。かなりピアノに名技性を発揮させる曲だと思うんだけど、そこに焦点が当たってほしくない感じ。この日は気迫のこもったソロが作品の奥行きを感じさせてくれた。力強い打鍵、終楽章の煽るようなスピード感も痛快。ソリストのアンコールがプーランクの「バッハの名による即興ワルツ」で、意表を突かれる。かなり可笑しい、曲が。
●後半のラヴェルは、パーヴォならではの輪郭のくっきりした引きしまったサウンドが印象的。「ダフニスとクロエ」組曲第2番では終曲「全員の踊り」が壮麗。クライマックスに向けて疾風のように駆け抜けるラヴェル。
●自分メモ。メタボールはデュティユー、メタポールはアルミ材。
佐藤卓史シューベルトツィクルス 第7回 人生の嵐 4手のためのピアノ曲
●22日は東京文化会館小ホールで佐藤卓史シューベルトツィクルス第7回「人生の嵐 4手のためのピアノ曲」。ツィクルスなんだけど足を運んだのは初めて。この日は佐藤卓史とゲスト川島基のふたりで4手のための作品を中心としたプログラム(ふたりは第11回と第10回のシューベルト国際コンクール優勝者)。プログラムは前半に序曲ト短調 D668、12のドイツ舞曲D420、8つのエコセーズD529、12のレントラーD681より現存する8曲、「序奏、創作主題による4つの変奏曲とフィナーレ」変ロ長調D968A、後半にアレグロ・モデラートとアンダンテD968(ソナチネ)、アレグロ イ短調D947「人生の嵐」、ロンド イ長調D951(大ロンド)。演奏会で4手ピアノを聴く機会が少ないので、なじみのない曲を一網打尽にできた感。演奏は見事の一語。歌心にあふれた自然体でのびやかなシューベルトを満喫。
●最初の序曲はオーケストラ版が現存していないのだが、本来あったのかどうかもよくわからず。オーケストラ版があったのかどうかはともかく、オーケストラ前提で書かれた曲なんだろなとは思う。ただオーケストラで演奏したとしても、もうひとつ起伏に富んだ展開が欲しいというか、楽想のサイズが足りていない気も。アレグロ・モデラートとアンダンテ(ソナチネ)は、普通に聴けば第1楽章と第2楽章だけで未完成の曲。未完成交響曲と同じように、数ある未完のままになった曲のひとつ、ということでいいんだろうか。シューベルトらしい抒情性はあるものの、やや簡潔すぎて存在しないフィナーレへの渇望感は薄い。
●やはり作品的にはおしまいの2曲が断然おもしろい。「人生の嵐」というベタすぎるほどベタなタイトルが付いたアレグロはたしかに冒頭から嵐なんである。この葛藤と焦燥感。普段はウジウジしている感じの人があるとき突然思い立ったかのようなテンションの高さがシューベルト風味。で、普通に聴けば、これはソナタの第1楽章なのかなって思う。だったらこのイ短調のアレグロに、続けて演奏されたロンド イ長調(大ロンド)がセットになっていてもおかしくない。間に緩徐楽章が入って3楽章のソナタになるとか? 「人生の嵐」と「大ロンド」がセットで2楽章のソナタだっておかしくはないんだろうけど、もし続けて演奏するとなんだか「つながってない」感がするんじゃないだろうか。嵐がいきなり解決してるよー的なすっ飛ばし感が残りそう。
●成立の経緯のよくわからない曲とか、もっと大きな曲の一部かもしれない作品が多めだったので、謎解き要素のたくさんある公演だった。謎はあっても答えはない。ないから楽しい。
DAZN、ヨーロッパチャンピオンズリーグ全試合の独占放映権を獲得
●うっかりとこの大ニュースを見逃していたのだが、先日、髪を切った際にサッカー好きの美容師さんから教えていただいた。DAZNが2018/19シーズンから3年間、ヨーロッパチャンピオンズリーグ全試合の独占放映権を獲得。マ、マ、マジっすかー! Jリーグやスペイン・リーグに続いて、チャンピオンズリーグまで。あっという間にサッカー・ファンには必須サービスとなったDAZNだが、ついに最強コンテンツを獲得してしまった。しかも独占放映権……。スカパーの最後の砦がこんなにもあっさりと。サッカーファンが大量にスカパーから離れてしまうことは確実。というか、こうなってくると、CSとかBSってなんだ?ってことになりかねない。スポーツ中継は急激にテレビ放送ではなくネット配信で見るものになりつつある。DAZNのような全試合を生中継するというスタイルは、チャンネル数の限られたテレビではまねできないし、いったんオンデマンド配信を当然のものとして受け入れてしまうと、もはや「わざわざ事前に録画設定しておかないと見られない試合」が不条理に思えてくる。
●で、その若い美容師さんと話していたら、「でも、ウチは回線がモバイルしかないんすよねー」。そう、いまどきは家に固定電話がないんである。独身時代はもちろんのこと、家庭を持っても新たに固定電話を導入する理由がないので(あっても迷惑電話しかかかってこない)、ずっとモバイルで済ませてしまうそうで、DAZNを使うとなったら容量無制限の高速通信サービスが必要になるのだとか。なるほどね。ネット配信サービスというものは、固定電話と光回線を当然のように導入するオッサンと親和性の高いサービスなのだと実感。ベルリン・フィルやN響が動画やハイレゾ音源を配信するのは筋が通っているのか。
山下達郎「拍手のタイミングがおかしい」事件について
●少し前にSNSですごい勢いで拡散していたのが、この話題。大宮ソニックシティでのライブで、山下達郎がひとりのお客さんに対して「あなただけさっきから拍手のタイミングがおかしい。2500人の観客のうち、ひとりのために2499人が迷惑する。ライブは生き物。ひとりのために壊したくない」といったようなメッセージを述べて、「潮騒」をもう一度演奏したのだという。
●最初はずいぶん手厳しいなと思ったのだが、いろいろ読むと、なるほどそのお客さんの態度は常軌を逸したもので、その後のライブが台無しになってしまうのを防ぐために、山下達郎が熟慮のうえで注意をしたということのよう。なぜその客が異常な拍手をし続けたのかについては思うところもあってなんともいえないのだが、大半のお客さんが山下達郎に感謝したであろうことはわかる。
●それにしても、「拍手のタイミングがおかしい」と来たら。このフレーズから甘美な妄想が止まらなくなる。今まさにブルックナーの交響曲第8番で神のような名演がくりひろげられている。コンサートホールは大聖堂になり、聴衆は敬虔な信徒になる。見える、見えるぞ、オレには神の姿が! 「ミレド!」。その最後の一音が鳴り終わらないうちに盛大な拍手とフライング・ブラボーを放つひとりの客がいた。オーマイガッ! だがマエストロは客席を振り向いて、言い放った。「あなただけ拍手のタイミングがおかしい。どうかライブを壊さないでほしい。だから、もう一回、最初から演奏します!」。ウォオオオーーー!
シモーネ・ヤング指揮読響とネマニャ
●17日は東京芸術劇場でシモーネ・ヤング指揮読響へ。ワーグナーの「さまよえるオランダ人」序曲、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ネマニャ・ラドゥロヴィチ)、ブラームスの交響曲第2番というドイツ音楽プロ。シモーネ・ヤング、豪快。推進力にあふれ、オーケストラが気持ちよく鳴る。指揮ぶりはエネルギッシュだが明快で、後ろから見ていてもそこでどんなサウンドを求めているのか、よく伝わってくる。テンポは心持ち速めだが、ためるところではしっかりとため、鳴らすところでは鳴らす伝統的なドイツ風のスタイルというか。ブラームスの終楽章で急にテンポを落として強調する部分があったりして、うっすらと巨匠風味も漂うのが吉。巨匠と呼ばれる爺指揮者は大勢いるが、将来、巨匠と呼ばれる初の婆指揮者はきっとシモーネ・ヤング。
●ネマニャ・ラドゥロヴィチは最強に強まって髪型が大爆発していた。足細。スターのオーラを発散して登場。舞台に姿を見せるだけでみんなネマニャに目が釘付け。鮮烈で喜びにあふれたブルッフに場内大喝采、さらにアンコールでのパガニーニのカプリース超絶技巧特盛バージョンではこれでもかというくらいのテクニックで客席を沸かせた。単にうまいだけでなく、客席ものせて一体となってヒートアップするのがネマニャならでは。ソリストのアンコールでオーケストラの楽員たちがあんなに喜んでいる様子を見るのもめったにないこと。人をハッピーにする異才というしか。
ラザレフ指揮日本フィルのグラズノフ&プロコフィエフ
●16日はアレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルへ。サントリーホール休館中ということで珍しく東京文化会館での開催。都響以外の日本のオーケストラをここで聴くのは久しぶりか。「ラザレフが刻むロシアの魂 Season IV グラズノフ2」と題され、グラズノフの珍しいバレエ音楽「お嬢様女中」が演奏されたのが貴重。グラズノフは前半だけで、後半はプロコフィエフのピアノ協奏曲第1番変ニ長調(若林顕)、プロコフィエフのスキタイ組曲「アラとロリー」。後半もそうそう聴けない曲で、ありがたいかぎり。こんなプログラムでも客席は盛況。
●グラズノフの「お嬢様女中」はバレエの情景が浮かんでくるような洗練された音楽。優雅で美しい。バレエのあらすじは気恥ずかしいくらいのプリンセス・ストーリーで、高貴な姫は侍女に身分を偽ってもやっぱり魅力的だという話。逆に姫に身分を偽った侍女には魅力がないという話でもあって、現代的視点では問題ありって気がするが、19世紀だからしょうがない。以前、ラザレフは記者懇談会でグラズノフのオーケストレーションを絶賛していた。「チャイコフスキーはすばらしい音楽を書いたが、オーケストレーションはもうひとつだなと感じることがある。リムスキー=コルサコフにもやはりもうひとつだなと感じることが少しだけある。でもグラズノフにはまったくない。彼は音楽的教養に恵まれ、オーケストラを知悉していた」って言うんすよね。この視点はなかなかワタシらには持てない。でも、このグラズノフ、リムスキー=コルサコフ、チャイコフスキーというオーケストレーションの巧みな順番って、裏を返すと完璧であればあるほど、なにか刺さってくる「ひっかかり」が少なくなるのかな、と思わんでもない。
●後半のプロコフィエフのピアノ協奏曲第1番はこの日、最大の聴きもの。くらくらするほどカッコいい。若林顕のダイナミックなソロが熱い。鼻持ちならないほど自信と野心にあふれた若き作曲家像が伝わってくる。プロコフィエフはピアノ協奏曲も交響曲も若いときほど楽しいんじゃないだろか。スキタイ組曲「アラとロリー」は、古代の異教という題材といい曲想といい、先に初演されたストラヴィンスキーの「春の祭典」によく似ている。冒頭の巨大管弦楽の咆哮とか、まさに。終曲では文化会館の広大な空間が飽和しそうなほどの大音響が轟いた。
●ラザレフはますます客席とのコミュニケーションを盛んにとるようになっていて、グラズノフでも演奏中にこちらを向いて「ほらほら、このヴァイオリンのメロディ、美しいでしょう!」と言わんばかりのゼスチャー。プロコフィエフのピアノ協奏曲第1番では客席のだれよりも早く手を叩いたのがラザレフだったというまさかのセルフ・フライング拍手。先日ロジェストヴェンスキーが読響とのブルックナーの第5番で終わるやいなや指揮棒でスコアをぴしゃりと叩いたのを思い出した。すまん、いつでも余韻を味わいたい族で。
塩谷司がUAEアルアインへ。アジアの海外組
●これはびっくり。サンフレッチェ広島のディフェンダー、塩谷司がUAEの強豪アルアインに完全移籍。これまでにも中東に移籍した日本人選手はいなくもなかったが、塩谷は今代表に呼ばれてもおかしくないレベルの選手。28歳。これは英断。報道によると年俸は4倍になるうえに、広島にもしっかりと移籍金が入るそう。アルアインにはUAEのエース、オマル・アブドゥルラフマンも所属している。ACLでJリーグのクラブと対戦することになればおもしろい。
●で、このニュースを機に知ったのだが、鹿島などで活躍した元日本代表の増田誓志も現在UAEでプレイしているのとか。所属はアル・シャールジャ。韓国の蔚山現代から移籍していた。ひょっとするといつの間にかアジアの海外組が大勢いるのかも……と思って調べてみたら、想像以上にたくさんいる。気になる前を拾ってみると、清水やマリノスで活躍した青山直晃がタイ、元マリノスの深澤仁博がカンボジア、元ジュビロのカレン・ロバートがインド(日本、オランダ、タイ、韓国を経てのインド)。安田理大が韓国。あと、ほとんどだれも知らないと思うが、かつてJFLの横河武蔵野FCの中盤で華麗なテクニックを披露していた高松健太郎がミャンマーにいる。以前紹介した「アジアの渡り鳥」こと伊藤壇はミャンマーにいたが現在は無所属の模様。アジア海外組代表チームを組んでエキシビションマッチとかできないものだろうか。
マリオ・ヴェンツァーゴのシューベルト「完成」
●SONYからリリースされているマリオ・ヴェンツァーゴ指揮バーゼル室内管弦楽団によるシューベルトの交響曲第8番「未完成」(ヴェンツァーゴ補筆完成版)を聴いてみた。「未完成」の補筆完成版はこれまでもいくつか録音があって、たとえばNaxosのジョアン・ファレッタ指揮バッファロー・フィルの録音では第4楽章にまさにそのヴェンツァーゴの完成版が使われていた。今回はさらにそれより一歩進めた補筆完成版ということで、ヴェンツァーゴ自身がバーゼル室内管弦楽団を指揮している。一瞬、「第3楽章から聴いちゃおうかな~」と思ってしまうわけだが、ぐっとこらえて頭から聴いてみたのだが、これは演奏が抜群にすばらしいっすね。第1楽章アレグロ・モデラートがきびきびとしている。第1楽章と第2楽章は「緩─緩」ではなく、一般的な4楽章制の交響曲と同様に「急─緩」であると認識を改めさせられる。単にテンポが速いだけではなく、生命力にあふれスリリングな演奏になっているのが大吉。
●で、第3楽章と第4楽章。第3楽章にはシューベルト自身が残したわずかなスケッチが残っているので、これに肉付けをしているのだが、トリオが2つに拡大されていて、スケルツォ─トリオ1─トリオ2─スケルツォの形になっている。第4楽章は従来の補筆版と同じように、「ロザムンデ」間奏曲第1番が活用されている。ロ短調という調性や作曲時期の近さに加えて、この間奏曲には交響曲のフィナーレを飾れるだけのドラマ性があるということなのだろう……と思ったら、ヴェンツァーゴの見解としては、もともと交響曲の第4楽章として書かれた音楽が「ロザムンデ」に転用されたのだとか。独自の工夫もあって、のけぞったのはコーダの直前に「未完成」第1楽章冒頭を一瞬回帰させているところ。これはいい! というかずいぶん控えめな再現で、もっと思い切ってやってくれてもよかったくらい。これで大作交響曲らしくなった。
●この種の未完の作に対しては、いろんな立場がありうると思うけど、個人的には「復元」じゃなくて、「外挿」を期待したいところ。つまりもともと完成した作品があってそれが失われたのなら資料に基づく忠実な復元をしてほしいが、もとからないものだったら「復元」など端からありえないわけで、補筆者の創意は大歓迎。なんならシューベルトが残した第3楽章のスケルツォ主題も使わなくてもいいんじゃないかな、なんだか前の2楽章に比べるとパッとしないし。事実、ボツ素材でもあるわけで。
●ところで完成されたバージョンのこの曲はなんと呼べばいいのか。交響曲第8番「完成」か。あるいは「既完成」か。アルバムのジャケットには The Finished "Unfinished" と記されている。
イラク代表対ニッポン代表@ワールドカップ2018最終予選
●ワールドカップ出場を賭けた長い戦いもいよいよ終盤戦に。前にも書いたようにニッポンは最後の3戦が厳しくて、アウェイのイラク戦、ホームのオーストラリア戦、アウェイのサウジアラビア戦と続く。いずれもアジア王者級の相手で特にアウェイゲームは難関。ただし、実はこのイラク戦はイラク国内での開催が困難なため、イランで開催されることになった。スタジアムはガラガラで、アウェイといっても実際には中立地。もしイラク内で開催されていれば6万人の野太い声を相手にすることになっていたわけで、ホーム&アウェイの原則からするとイラクは一方的に不利な立場で最終予選を戦っている。
●ニッポンはケガ人が多く、香川は離脱、山口は控えに。4-2-3-1のフォーメーションで中盤に遠藤航と井手口のリオ五輪組を並べるという新鮮すぎる布陣に。懸案の吉田の相棒はシリアとの親善試合通り昌子。GK:川島-DF:酒井宏樹(→酒井高徳)、吉田、昌子、長友-MF:遠藤航、井手口(→今野)-久保、原口(→倉田)、本田-FW:大迫。電力供給に不安があって夜のゲームが無理ということで、40度近くまで温度が上昇するピッチで試合をする、しかもピッチはデコボコとあっては、普段通りの試合ができるはずもない。相手のイラクはシンプルでフィジカルの強さを前面に出して戦うチーム。
●前半8分、本田のコーナーキックから大迫のバックヘッドであっさりとニッポンが先制。しかしこの後はチャンスの少ない膠着した展開に。前半28分に大迫がペナルティエリア内にドリブル突破を図り、後ろから倒される。通常ならまずPKだが、中国人主審はなぜか笛を吹かず。前半を1点のリードで折り返したのは悪くない。酷暑のなかで、後半途中からむしろ中東のチームの足が止まり、ニッポンがゴールを決めるという展開はこれまでになんども見た形なので今回もそれを期待していたのだが、ルーズボールをイラクに奪われがちで、予想以上にタフな展開に。シンプルに縦にボールを入れられるとボディブローのように効いてくる。後半27分、アブドゥルザフラにペナルティエリア内での競り合いからボールがゴール前にこぼれる。すると吉田とキーパー川島が一瞬「お見合い」になってしまい、詰めてきたカミルがシュートして同点。吉田が思い切りクリアすればよかったのだが、暑さもあって一瞬の迷いが出てしまったか。川島は「クリア!」と叫んでいたそうだが。
●ここからは消耗戦。お互いに足をつる選手が続出。交代枠がなくなって久保が動けなくなったところからは失点も覚悟したが、最後まで耐えきった。交代出場した選手たちに期待したほどのダイナミズムが感じられず。もっとも3人中2人は負傷交代なので、ゲームプランとは無関係に交代せざるを得なかった。交代枠があれば終盤に乾なり浅野なりを投入して前線でスピード勝負させるプランがあったのだろう。灼熱の中東でのゲームはフィジカル勝負の消耗戦を避けるためにも、相手の足を先に止める展開に持っていきたいのだが、追加点をとりたいところで失点してしまったことから相手を勢いづけてしまった。内容に乏しいゲームだったが、前線で大迫があれだけボールを収められるのは立派。久保はシリア戦に続いて持ち味を発揮できず。この環境だと本田の強さは貴重。遠藤航、井手口のコンビには可能性を感じる。
●勝点3がほしかったところだが、アウェイの勝点1という結果は悪くない。最初にホームでUAE相手に負けて出だしでつまずいたニッポンだが、残り2戦でグループ首位に立っている。1位ニッポンが勝点17、2位と3位のサウジアラビアとオーストラリアがともに勝点16。この3強で1位と2位の座を争う。UAE戦を残すサウジアラビアやタイ戦を残すオーストラリアと比べると、ニッポンは残り2戦ともに上位直接対決なので山場が続く。実質的には3チーム横一線くらいの感じか。
●一方、グループBではイランが独走して早くもワールドカップ出場権を獲得。1位イランが勝点20、2位韓国が勝点13、3位ウズベキスタンが勝点12、4位シリアが勝点9と続く。ニッポンがグループ3位になればグループBの3位とプレイオフに回るので、こちらも気になるところ。もっとも、プレイオフに勝ってアジア5位になったとしても、さらに北中米カリブ海4位とのプレイオフに回るという長い道のりが待っている。
METライブビューイング 「ばらの騎士」新演出
●12日はMETライブビューイングでリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」。ロバート・カーセンの新演出。元帥夫人のルネ・フレミング、オクタヴィアンのエリーナ・ガランチャ、ともにこの役からは本公演をもって卒業する。「時の移ろい」がテーマのこのオペラにあって、主要キャストふたりが身をもってそのテーマを体感するという特別な公演になった。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ。
●開映に先立ってこの日は特別にトークショーが開かれ、7月に二期会「ばらの騎士」公演で元帥夫人役を歌う森谷真理さん(写真)が登場。森谷さんはメトロポリタン・オペラでも「魔笛」で夜の女王を歌っている。「元帥夫人は33、34歳くらいの役柄。女性がいやがおうでも感じる老いに対する恐怖心と愛情が描かれている。時の移ろいを鏡からではなくオクタヴィアンから思い知らされる。これは東西、人種を問わず、女性が感じること」(森谷さん)。司会は林田直樹さん。
●さて、ロバート・カーセン演出の「ばらの騎士」だが、舞台を18世紀ではなく、20世紀初頭の第1次世界大戦前夜に置き換えている。つまり作曲当時の時代に置き換えて、より直接的に当時の人々が感じていたであろうことを伝えている。一段とはっきりとハプスブルク帝国の終焉、血縁がものをいう貴族社会から個人の才覚が求められる市民社会への変化が表現され、そこに元帥夫人個人の時の流れが重ね合わされる。ホーフマンスタールの演劇として鑑賞可能な綿密で普遍性の感じられる台本に、リヒャルト・シュトラウスの壮麗で官能的なスコアがついて、歌手、衣裳、舞台、オーケストラとありったけのリソースを注ぎこんだぜいたくなMETのプロダクション。もう完璧なオペラ。これを見て感動しないことは不可能だと思うほど。
●で、主役はもちろんルネ・フレミングの元帥夫人で、ピークを過ぎる前にこの役から退きたかったというだけあってクリーミーボイスは健在だが、それ以上の強烈な存在感を放っていたのがオックス男爵のギュンター・グロイスベック。名門に生まれたという「血」しか誇るものがない野卑で乱暴なオックスであるが、しかし太ってはいない。マッチョなオックスなんである。この説得力はすごい。というのもこのオペラ、男性が見ても基本的に元帥夫人に共感可能な作品だとは思うが、一方でどこかでオックスに対しても共感を抱けないとおもしろくない。いや、オックスは100%、イヤなヤツなんすよ。男はだれもあんなふうになりたくない。そこは元帥夫人とは違う。でも、イヤなヤツなんだけど、真実味はあるし、彼が未来のオクタヴィアンであることは明らかで、男の側にも「時の移ろい」があるんだと思い知らせる役でもある。だから幕間のインタビューでも言われてたけど、オックスはセクシーでもある。これはともに滅びゆく体制側にある元帥夫人とオックスが性別をたがえて合わせ鏡の関係にあることを示すためにも納得の表現。
●エリーナ・ガランチャが歌うオクタヴィアンの「青年感」もすごい。ズボン役が女装するというアクロバティックなストーリー展開になんの無理も感じさせない。ゾフィー役はエリン・モーリー。彼女のゾフィー像も興味深い。一見、気立てのいい近所のおばちゃん感があってゾフィーにはどうかなと思ったら、はっきりと主張をする女性、自分の意志で生きる女性としてのゾフィーが描かれていて、これも自分で生き方を選びようがない元帥夫人との鮮やかなコントラストをなしていた。ゾフィーの父、ファーニナルが武器商人であることを明確に描いているのも吉。第1次世界大戦前夜に置き換えられて前景化しているが、もとからこのオペラは「元帥」夫人の話であるわけで、隠れがちなミリタリー・オペラの側面に光が当てられていたともいえる。
●第1幕、元帥夫人のお屋敷がめちゃくちゃ豪華じゃないすか。あんな立派な屋敷に住んでいて、元帥夫人にもオックス男爵にもお付きの者が何人もかしずいている。いわんとすることはわかる。こんな非生産的な階級、早々に滅びなきゃおかしい。この間にもファーニナルはせっせと社会の需要を満たしているんだぜー。
●このオペラって、見るときの年齢でずいぶん受け取り方が変わってくるんすよね。自分が最初に舞台で見たときはまだ大学生だったので、元帥夫人もオックスも別の惑星の生物くらいの遠さだった。第1幕で元帥夫人が美容師に「あら、おばあちゃんみたいな髪型にしちゃったのね……」ってつぶやくとき、「あー、あるある、美容師がダメだとババアになっちゃうよな! ハハハ」みたいな。これって、そうじゃないんすよね。鏡を見て、おや今日は老けて見える、髪型がおかしいからかな、それとも睡眠不足で疲れてるからかな、目の下にクマができてるかな、(男性だったら)ヒゲをきちんと剃ってないからかな……とあれこれ思った末に悟る。老けて見えるんじゃない。実際に老けたんだって。
N響 Music Tomorrow 2017
●9日は東京オペラシティでN響のMusic Tomorrow 2017。開演に先立って、尾高賞授賞式とプレトークあり。プログラムは前半にN響委嘱作品である岸野末利加のオーケストラのための「シェイズ・オブ・オーカー」世界初演、ターネイジ(タネジ)のピアノ協奏曲の日本初演(独奏は反田恭平)、後半に第65回尾高賞受賞作品である二作、一柳慧の交響曲第10番「―さまざまな想い出の中に―岩城宏之の追憶に」と池辺晋一郎のシンフォニーX「次の時代のために」。たまたま「交響曲第10番」がそろってダブル受賞したことになる。指揮はローレンス・レネス。
●全体に共通するのは「追憶」というテーマか。「シェイズ・オブ・オーカー」では作曲者が学生時代に訪れた南仏のオーカーの鉱脈の豊かな色彩が題材となり、タネジのピアノ協奏曲では第2楽章でヘンツェが追悼され、一柳作品には打楽器奏者でもあった岩城宏之の思い出が投影され、池辺作品は武満徹没後20年公演で初演され、過去の自作からの引用も含まれる。Tomorrow = Memorial というのが示唆的。しかし池辺作品は「次の時代のために」というだけあって、輝かしくポジティブなエネルギーに満ちていた。
●タネジはもともと超絶技巧で知られるアムランの独奏のために書かれた作品。多彩で気まぐれで、エンタテインメント性は高い。反田さんのソロは作品がしっかりと手の内に入っている感が伝わってきて、見事の一語。スリリングで楽しい。とてつもない人気ピアニストとなって多忙をきわめているはずだけど、こんなふうに新作にも取り組んでくれるのがうれしい。超名曲もぜんぜんいいんだけど、人気があるからこそいろんな作品に光を当ててくれれば、と願う。
●しかし交響曲第10番が2曲も誕生してしまって、「第九の呪い」は旗色が悪い。関係ないけど、今年生誕200年を迎えたデンマークの作曲ニルス・ゲーゼは交響曲第8番までしか書いてないんすよ。惜しい、なぜあと一曲書いてくれなかったのかと。シューベルトの「グレート」も最近は第9番じゃなくて第8番って書かれることが多くなってきたし、「第九の呪い」はそろそろ賞味期限切れかも。
ニルス・メンケマイヤー ヴィオラ・リサイタル
●8日は渋谷区のさくらホールでニルス・メンケマイヤーのヴィオラ・リサイタル。前半は無伴奏で、サント=コロンブの「哀しみの墓」より「涙」、コンスタンティア・グルズィの「新しい世界のための9つの子守り歌」、バッハの無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調、後半は松本和将のピアノとともにシューマンの「おとぎの絵本」op113、ヒンデミットのヴィオラとピアノのためのソナタop.11-4。圧倒的な技術の高さ、熱量と集中力、音色の美しさで、あっという間の2時間だった。最強レベルの独奏ヴィオラ。アンコールにブラームスのF.A.E.ソナタ~スケルツォ。
●プログラムの多彩さも吉。前半は当初発表から曲順を変更して、最初にサント=コロンブで始めて、そのままつなげてコンスタンティア・グルズィへ入るという流れが効果的。グルズィは現代ギリシャの作曲家で、この作品はメンケマイヤー自身が委嘱した作品。疑似民俗音楽風のテイストをうっすらと漂わせる。しかし前半の白眉はやはりバッハ。ゆったりとしたモノローグ風のサラバンドを別とすれば、各舞曲が本当に踊れそうな生き生きとした音楽になっていたのが印象に残る。後半はヒンデミットが聴きもので、終盤の畳みかけるような白熱した高揚感がすばらしい。アンコールでクールダウンするのかと思いきや、ブラームスのF.A.E.ソナタ~スケルツォで熱気を帯びた雰囲気のまま公演を終えた。
●メンケマイヤーって、ソニーからリリースされているバッハの無伴奏チェロ組曲集のジャケットの印象が強くて、なんとなくツンツンと尖がったクールなオシャレさん的なイメージを思い浮かべていたんだけど、実物はもっと親しみやすそうな雰囲気の人だった。だって、ジャケットでは波打ち際をズボンの裾をめくって楽器を持って歩いているし、なんとなく。
ニッポンvsシリア@キリンチャレンジカップ2017
●来週にワールドカップ最終予選の対イラク戦(アウェイ)を控えて、仮想イラク的な相手としてシリア代表との親善試合。場所は味スタ。録画観戦。ハリルホジッチ監督はかなりメンバーを入れ替えているのだが、特にセンターバックでずっと吉田とコンビを組んでいた森重を外したのが驚き。じゃあ、相棒はだれになるのかと思ったら、昌子が抜擢された。GK:川島-DF:酒井宏樹、昌子、吉田、長友-MF:山口(→井手口)-今野(→浅野)、香川(→倉田秋)-FW:原口(→乾)、久保(→本田)-大迫(→岡崎)。
●前線は大迫、久保、原口。ハリルホジッチ体制の新しいレギュラー選手たちというべきか。本田も岡崎もベンチからのスタート。キーパーは西川が代表から漏れているので、川島が正キーパーだろう。山口をアンカーに置き、インサイドハーフを香川とケガから復帰したばかりのベテラン今野が務める布陣。が、開始早々に香川がケガで倉田秋と交代。結果的にこの中盤がうまく機能せず、前半は苦しい展開に。シリアは予想以上にモチベーションが高く、アグレッシブ。相手の強さに耐える前半だった。中盤でボールを奪えず、攻撃面でも久保は孤立気味。ほとんど有効な攻撃が見られず。
●後半、ハリルホジッチは久保をあきらめ、本田を投入。しかし後半早々にショートコーナーからマルドキアンの頭で決められて失点。マーカーは昌子だった模様。とはいえ、全体を通して見れば昌子と吉田のコンビは悪くなかったのでは。その後、山口と井手口が交代。こうなると中盤は井手口、今野、倉田秋というガンバ大阪コンビがずらりとそろう。ガンバの人材が豊富なことはまちがいないんだけど、一方でかつて層の厚かったはずの代表の中盤がJリーグ勢で組まれることをどう受け止めるべきなのか。後半13分、左サイドの長友にいい形でボールが出て、キーパーとディフェンスラインの間にきれいなクロスボールを入れ、飛び込んだ今野が蹴り込んでゴール。またも今野のゴールが生まれるとは。1-1の同点。
●ここから原口に代えて乾、今野に代えて浅野を入れてから、ニッポンはボールがスムーズに回り出した。浅野が前に入って、代わって本田が中盤に入ったのだが、これで格段に中盤でボールが落ち着くようになった。本田のインサイドハーフは大いに有効かと。乾の足元の技術の高さは、上手い選手が多いニッポンのなかでも頭一つ抜けている感じ。ロングパスをぴたりと吸い付くようなトラップで足元に収め、小気味よいドリブルでペナルティエリア内に侵入する。ああいうプレイを見るともっと代表で活躍してなきゃおかしいと思うんだけど、でも実際にはなかなか定着できないんすよね。それもわからなくもないんだけど……。後半はシリアの運動量が落ちたこともあって、次々とニッポンがスペクタクルな攻撃を展開、しかしゴールには至らず、ドロー。結果に大した意味はないのだが、前半のように中東勢のアグレッシブさに受け身に回ると厳しいということがよくわかった試合。立ち上がりがうまくいけば、これがそのままイラク戦の先発メンバーになったと思うが、機能しなかったのでどうしたものか。香川が使えないなら、本田をそこに入れるかも。
Windows 10と「フォト」、そして懐かしのIrfanView
●Windows 10はとても快適なOSで気に入っているのだが、ひとつだけあまり好きになれないのが「フォト」というアプリ。デフォルトの設定では、jpg画像など写真をクリックするとこれが起動する。ビューアーであるのみならず簡易な編集機能も付いており便利そうに思えるのだが、なぜかしっくりこない。で、なにが気に入らないんだろうと考えてみると、たぶん、マウスのホイールで表示が拡大縮小してしまうところ(次のファイルを表示してほしい)が最大の理由で、あとは全体にキレがないこと、そして「フォト」などというあまりにも漠然とした名称とか。
●対策としては以前のWindowsで用いられていた「Windows フォト ビューアー」を使用するという手がある。まあ、それも悪くはない。しかし、あれもそんなに気に入っていたわけではないしなあ……。
●で、ふと検索して見つけたのが、懐かしのIrfanView。90年代後半からある定番の最強画像ビューアー。もう存在も忘れていたが、なんと今も着々と更新が続いていて、64bit版もあるではないの。比較的最近になってからも「窓の杜」でおすすめ記事が掲載されていて、ぜんぜん健在だった。ためしにインストールしてみると、軽快で、使いやすく、高機能。手になじむ。リサイズなど簡単な編集ならこれで済ませてしまえそう。ビューワーとは別ウィンドウにサムネイルを一覧表示できるのも吉。しばらく試してみようか。
全国共同制作プロジェクトで河瀨直美演出の古代日本版「トスカ」
●昨年の「蝶々夫人」に続いて、今秋の全国共同制作プロジェクトではプッチーニの「トスカ」がとりあげられる。新潟、東京、金沢、魚津、沖縄の全国5都市6公演で上演されるということで、東京では東京芸術劇場で開催。最大の話題は、演出がカンヌ国際映画祭審査員特別大賞グランプリを受賞するなど国際的に高く評価される映画監督の河瀨直美であること。オペラ初挑戦。思い切った読み替え演出がされるようで、舞台はローマではなく、古代日本なのだとか(弥生時代らしい)。そこまで時代を遡ると、いったいなにが存在してなにが存在しないのか(農耕は? 集落は? 道具はどこまであるの?)、まるでわからないが、確実に銃は存在しなかったわけで、終幕の「空砲のトリック」はどう表現されるんだろう。ワクワク。この時代の武器ってなに?
●で、登場人物も古代日本風(?)になっていて、トス香とかカバラ導師・万里生とか須賀ルピオ(スカルピア)なんすよ。ほかにアンジェロッ太とかスポレッ太もいて、のび太もいてもおかしくない勢い。しかし、このタイプのネーミングは一昨年の野田秀樹版「フィガロの結婚」でもフィガ郎とかスザ女(スザンナ)があったっけ。マルチェ里奈とかバルバ里奈とかもいた。どうしても男子は「~太」、女子は「~里奈」が多めになりそう。
●この調子で行くと、いずれメシアンの「アッシ寺のフランチェスコ和尚」とかが上演されるのではないか(んなわけない)。
山田和樹指揮日本フィルのマーラー「千人の交響曲」
●3日はオーチャードホールで、山田和樹と日本フィルのマーラー・ツィクルス第8回「千人の交響曲」。6月3日と4日の2公演開催。このシリーズは毎回、武満+マーラーのセットというプログラムなので、一曲目に武満徹の「星・島」(スター・アイル)。10分足らずの短い曲だが、休憩をはさんでマーラーへ。ステージ後方の高所までずらりと合唱団員が立ち並ぶ様子は壮観。武蔵野合唱団、栗友会、東京少年少女合奏隊、ソプラノに林正子、田崎尚美、小林沙羅、アルトに清水華澄、高橋華子、テノールに西村悟、バリトンに小森輝彦、バスに妻屋秀和。
●めったに聴けないようでいて案外たくさん聴く機会があるのが「千人の交響曲」。しかし、この怪物的な威容は視覚的にも音響的にも聴くたびに強烈。第1部から火を噴くような熱い演奏で、勢いが付きすぎるほどの推進力。一呼吸入れてからの第2部は、これまでに聴いたなかではもっとも合唱のニュアンスの豊かさが感じられる「千人」に。なぜか途中で消える指揮棒(客席に飛んでたみたい)。オーケストラと合唱、独唱陣、さらに客席上方のバンダも一体となって、スペクタクルと崇高さを兼ね備えた力強いマーラーが奏でられた。
●「千人の交響曲」ってまったく交響曲っていう感じがしなくて、オラトリオみたいに思ってるんだけど、でも物語的なところもほとんどないんすよね。そういう意味ではオペラ的でもない。なにしろ第1部と第2部がつながっていない。言語すら違う。第1部はラテン語の「来たれ、創造主である聖霊よ」ということで、ミサ曲とかレクイエムとかを聴くときと同様のスタンスでストーリー性はないものとして聴くわけだけど、第2部がいきなりゲーテの「ファウスト」の終幕の場になるのが圧倒的にヘン。
●だって「ファウスト」にはもちろんストーリーがあるわけだけど、この第2部って、ファウストが「時よ止まれ」のキーワードを口にして、悪魔メフィストフェレスに魂を持っていかれそうになるんだけど、そこに天使が舞い降りて、悪魔を退けてファウストの魂を天に導く……っていう結末からさらに「後の部分」を描いているんすよ、終幕の場だから。なんでそこを音楽化するのかなー。たとえるなら「スターウォーズ」旧三部作の物語を交響曲で描こうというときに、反乱軍とデススターの決戦とか、ベイダーとオビワンの対決とか、ルークとヨーダが沼地でXウィングを引き上げる修行の場面とか、カチコチになったハン・ソロとか、ベイダーがルークに正体を明かす場面とか、そういうのを一切描かずに、最後の祝福のセレモニーの場面だけを取り出してえんえん1時間くらいかけて表現しているようなものじゃないっすか。それで「スターウォーズ」って言われても……みたいな感じ。
●しかし、マーラーにすればそこを描きたい、魂の救済という核心だけを描ければいいのだっていうことなんすよね、きっと。R・シュトラウスがマーラーについて語った「わしゃ、あいつがなにから救済されたいって言ってるのかさっぱりわからんよ」(←記憶頼みの雑な引用)っていう即物的な一言を思い出す。
ショーソンと「アルテュス王」とワーグナーと
●「アルベニスとマーリンとワーグナーと」に書いたように、アルベニスはワーグナーの強い影響のもと、オペラ「マーリン」を書いた。マーリン、すなわちアーサー王の魔術師。作品は「マーリン」「ランスロット」「ギネヴィア」からなる「アーサー王伝説」三部作の一作として構想されていたが、計画は頓挫してしまい、結局「マーリン」が完全な舞台上演として初演されたのは2003年になってから。
●で、アーサー王関連のオペラといえば、アルベニスよりは知られていると思われるのが、ショーソンの「アルテュス王」(アーサー王)。登場人物名がフランス語になるととたんにわかりづらくなるので、以下英語からのカナ表記を原則として書くけど、王妃ギネヴィア(ジェニエーヴル)を巡るアーサー王(アルテュス)と騎士ランスロットの対立、ふたりの和解とアーサー王の死までが描かれる。ショーソンといえばワグネリアン。やはりこの作品もワーグナーの強い影響下にあり、「トリスタンとイゾルデ」や「パルジファル」との近さはよく指摘されるところ。ちなみにショーソンは自分で台本も書いていて、そのあたりもワーグナー的だ。もっともショーソンは「脱ワーグナー化」を標榜していたのだが。便利なもので、今はこんな珍しい作品でも聴こうと思ったら即座に配信やダウンロードで聴ける。アルミン・ジョルダン指揮フランス放送フィルの録音がある。いま途中まで聴いているところなのだが、たしかにワーグナー的というか「トリスタンとイゾルデ」的で、サービス精神旺盛なアルベニス「マーリン」に比べると、こちらは格調高いというのが第一印象。
●ここのところ立て続けに書いているブルフィンチ著の「中世騎士物語」関連エントリーで述べてきたように、トリスタンとイゾルデやパルジファルといった登場人物もアーサー王伝説の大きな枠組みのなかに取り込まれており、その意味ではアルベニスもショーソンも題材から音楽までワーグナーとともにゆるかに結ばれた一大サーガをなしているといえるのかもしれない。あと、現代イギリスの作曲家ハリソン・バートウィスルのオペラ「ガウェイン」が以前ザルツブルク音楽祭で上演されていて、こちらの内容はぜんぜん知らないんだけど、円卓の騎士ガウェインの話なんすよね?
●先日のアルベニスの記事に対してfacebookページで吉田光司さんから「アーサー王伝説万華鏡」(高宮利行著/中央公論社)を教えていただいたのだが、ここにあるショーソンの「アルテュス王」上演史に関する記述がおもしろい。「アルテュス王」の初演を実現しようといろんな劇場に話を持ちかけるのだがうまくいかなかったところ、同じころにアーサー王のオペラを書こうとしていた友人アルベニスが「アルテュス王」をプラハに売り込むのに成功したというんである。ところがショーソン自身がパリから遠く離れた地での初演を嫌ったために、これは実現しなかった。で、そうこうするうちに、ショーソンは不運な自転車事故によって急逝してしまう。ようやく死後4年経ってから「アルテュス王」はベルギーのモネ劇場で初演され、これは大成功を収めたという。作曲者の生前に初演が実現しなかったという点では、ショーソンの「アルテュス王」もアルベニスの「マーリン」も同じ運命をたどっているわけだ。
U-20ワールドカップ決勝トーナメント ベネズエラvsニッポン
●U-20ワールドカップは決勝トーナメントへ。ニッポンはベネズエラと対戦。この大会ではかつてトルシエ時代に決勝まで勝ち進んだことがあるだけに、つい期待を大きな期待を抱いてしまうのだが、相手のベネズエラはグループステージで3連勝を果たした強豪(ドイツ相手に2-0で完勝している)。まったくどうでもいい話だが、ベネズエラの監督はドゥダメルっていうんすよ。なんだかエル・システマなフォーメーションを操りそうな名前だが(←意味不明。言ってみただけ)、風貌を見たらあのドゥダメルとはぜんぜん違ってて、むしろネゼ=セガン風だった。
●キックオフ直後から攻めるベネズエラに、守るニッポンという構図に。ベネズエラは個の力が高くてたじろぐ。この年代でありながらフル代表経験のある選手が何人もいるのにびっくり。特に7番の選手。ペニャランダっていうの? 君、本当に20歳以下なの? しかしU-20ニッポンも大したもので、落ち着いた組織的守備から次第にペースをつかみ、前半の後半からはパスがよく回り出して、ニッポンのペースに。決定的チャンスもなんどかあったが得点できず。堂安のフリーキックは紙一重で入らなかった。
●後半は拮抗したゲームに。次第にラインが間延びしてスペースが出来てくる。日程的にコンディション面で不利なニッポンとしては早いうちにゴールを奪いたかったのだが、スコアレスのまま延長戦へ。そして、延長に入ってしばらくすると、なな、なんと、驚いたことに録画が途中で終わっていた! わ、今どきそんなことってあるんだ。ハードディスクの録画一覧を表示し、続きが入っていないか確認してみたが、入っていない。延長戦になったのに、どうして録画は追随して延長されなかったんだろ。よくわからないが、しょうがないので結果をネットで確かめたら、ニッポンは負けていた。延長後半でコーナーキックから失点。ふーん、そうなんだ……。なんだか釈然としないが、もうニッポンは敗退したんである。見えないところでステルス敗退。負けて悔しい気分を十分に味わえなかったことが悔しいという、メタ悔しさにさいなまれる。いや、もし勝ってたらもっと悔しかったのか。得なんだか損なんだか、ぜんぜんわからん!