●3日はオーチャードホールで、山田和樹と日本フィルのマーラー・ツィクルス第8回「千人の交響曲」。6月3日と4日の2公演開催。このシリーズは毎回、武満+マーラーのセットというプログラムなので、一曲目に武満徹の「星・島」(スター・アイル)。10分足らずの短い曲だが、休憩をはさんでマーラーへ。ステージ後方の高所までずらりと合唱団員が立ち並ぶ様子は壮観。武蔵野合唱団、栗友会、東京少年少女合奏隊、ソプラノに林正子、田崎尚美、小林沙羅、アルトに清水華澄、高橋華子、テノールに西村悟、バリトンに小森輝彦、バスに妻屋秀和。
●めったに聴けないようでいて案外たくさん聴く機会があるのが「千人の交響曲」。しかし、この怪物的な威容は視覚的にも音響的にも聴くたびに強烈。第1部から火を噴くような熱い演奏で、勢いが付きすぎるほどの推進力。一呼吸入れてからの第2部は、これまでに聴いたなかではもっとも合唱のニュアンスの豊かさが感じられる「千人」に。なぜか途中で消える指揮棒(客席に飛んでたみたい)。オーケストラと合唱、独唱陣、さらに客席上方のバンダも一体となって、スペクタクルと崇高さを兼ね備えた力強いマーラーが奏でられた。
●「千人の交響曲」ってまったく交響曲っていう感じがしなくて、オラトリオみたいに思ってるんだけど、でも物語的なところもほとんどないんすよね。そういう意味ではオペラ的でもない。なにしろ第1部と第2部がつながっていない。言語すら違う。第1部はラテン語の「来たれ、創造主である聖霊よ」ということで、ミサ曲とかレクイエムとかを聴くときと同様のスタンスでストーリー性はないものとして聴くわけだけど、第2部がいきなりゲーテの「ファウスト」の終幕の場になるのが圧倒的にヘン。
●だって「ファウスト」にはもちろんストーリーがあるわけだけど、この第2部って、ファウストが「時よ止まれ」のキーワードを口にして、悪魔メフィストフェレスに魂を持っていかれそうになるんだけど、そこに天使が舞い降りて、悪魔を退けてファウストの魂を天に導く……っていう結末からさらに「後の部分」を描いているんすよ、終幕の場だから。なんでそこを音楽化するのかなー。たとえるなら「スターウォーズ」旧三部作の物語を交響曲で描こうというときに、反乱軍とデススターの決戦とか、ベイダーとオビワンの対決とか、ルークとヨーダが沼地でXウィングを引き上げる修行の場面とか、カチコチになったハン・ソロとか、ベイダーがルークに正体を明かす場面とか、そういうのを一切描かずに、最後の祝福のセレモニーの場面だけを取り出してえんえん1時間くらいかけて表現しているようなものじゃないっすか。それで「スターウォーズ」って言われても……みたいな感じ。
●しかし、マーラーにすればそこを描きたい、魂の救済という核心だけを描ければいいのだっていうことなんすよね、きっと。R・シュトラウスがマーラーについて語った「わしゃ、あいつがなにから救済されたいって言ってるのかさっぱりわからんよ」(←記憶頼みの雑な引用)っていう即物的な一言を思い出す。
June 5, 2017