●1日はすみだトリフォニーホールでピーター・ゼルキンのピアノ・リサイタル。デビュー以来くりかえし演奏し続けているバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を中心としたプログラム。前半はモーツァルトでアダージョ ロ短調とピアノ・ソナタ第16番変ロ長調K.570(プログラム上の表記は第17(16)番になっていて、もう大変)。
●この前半の選曲からしてそうなんだけど、すっかりと枯れた孤独なモノローグ。最初のアダージョも、ソナタ第16番の緩徐楽章も、ともに気が遠くなりそうに遅い。といってもあざとい感じは皆無。推進力とか躍動感から解き放たれたアンチ・クライマックスの音楽であり、心地よい停滞空間。このソナタ第16番って、モーツァルトの全ピアノ・ソナタのなかでも、たぶん2番目くらいに簡潔な曲で、いちばん寂寞とした曲だと思う。第1楽章、アレグロなのに手触りはとても静的。第2楽章はほとんど独り言で、第3楽章で不思議なはじけ方をする。一見、溌溂とした音楽なんだけど、中間部のところで風変わりな同音反復の信号風主題が出てくるじゃないすか。あそこって、オペラの一場面みたいな雰囲気で入ってくると思うんだけど、自分のイメージとしてはふたりの人物が要領を得ない会話をしている感じ。モーツァルトなりの「控えめなギャグ」だと解している。ウィーン時代の最初の頃のような晴れやかさはどこにもない。今のピーター・ゼルキンにとってこれしかないという選曲なのかも。
●チラシにお知らせがはさまっていて、ピアノの調律は「1/7シントニック・コンマ ミーントーン」。調律師による平均律との違いについての親切な説明まで入っていた。これは前回の来日リサイタルでも採用された調律法なんだっけ。
●前半が予想外に長くなったので、後半のゴルトベルク変奏曲はどうなることか心配していたのだが、極端に遅いということはなく、リピートも基本はなし。それでも大長篇には変わりない。時の流れとは隔絶されたなかで、一章一章の物語が淡々と紡がれてゆくかのよう。さすがに70歳ということで年齢を感じさせるところも多々あるんだけど、今だから聴けるゴルトベルク変奏曲を味わい尽くしたという感。アンコールはなし。前回聴いたリサイタルでのアンコールがこの曲のアリアだったので、今日その続きを聴いたという錯覚を覚える。
August 2, 2017