●11日は横浜みなとみらいホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響のモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」(演奏会形式)。これはすばらしかった。パーヴォ&N響の小気味よくメリハリの効いた緻密なモーツァルトに、みずみずしく清新な歌唱を聴かせる芸達者ぞろいのキャストたち。こんな演奏を聴いてしまうと、並の公演に足を運べなくなってしまう。ドン・ジョヴァンニにヴィート・プリアンテ、レポレッロにカイル・ケテルセン、ドンナ・エルヴィーラにローレン・フェイガン、ドンナ・アンナにジョージア・ジャーマン、ドン・オッターヴィオにベルナール・リヒター、騎士長にアレクサンドル・ツィムバリュク、ツェルリーナに三宅理恵、マゼットに久保和範。
●ステージ手前に長椅子を並べただけ、それに照明の演出が付くという、これだけ簡素な演出が付くだけで、こんなにも生き生きとした舞台になるとは(ステージ演出は佐藤美晴)。衣装、演技あり。演奏会形式という不足感はまったくなく、一方で音楽的な充実という点で得られるものは大。あと、カッコいいんすよ、ほとんどの歌手が。単にルックスということじゃなく、演技というか所作がスタイリッシュ。舞台はこうでなくては。そしてどの役柄にも現代人から見たときの真実味がある。レポレッロは卑屈なだけの従者じゃないし、ドンナ・エルヴィーラは「被害者の会」を結成しそうな小うるさい女ではない。それぞれに確かな自尊心を持ったキャラクターとして描かれている。あと、このドン・ジョヴァンニとこのレポレッロなら、服装をとりかえてまちがえられるのも納得。レポレッロが主人のカタログを帳面ではなく電子デバイスで管理するのは現代の演出としては当然だと思うが、スマホやタブレットではなくノートPCを使ってるあたりに、ワタシはぐっと来る。ドン・ジョヴァンニとレポレッロのスマホでの会話シーンとかもかなりおかしい。細かいけど、画面をタップしてからハンズフリー通話をするあたりとか。
●でも、なにがいちばんすごいかといえば、モーツァルトの音楽だ(そりゃそうだ)。「ドン・ジョヴァンニ」って恐ろしいほどの名曲だと改めて実感。奇跡。そして「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロ」「コジ・ファン・トゥッテ」「魔笛」、どれを聴いても共通して感じるのは、音楽は空前絶後の天才っぷりなのに、ストーリーは最初のヒキが強い割に、進むにつれてグダグダになって途中からどうでもよくなる。どう考えてももっと整理整頓できたと思うんすよ。ホントのところ、この脚本でいいと思ったのか、モーツァルトは。優秀な編集者に脚本に赤字を入れてもらいたい。あの場面とあの場面はカットして、代わりに別の展開を用意してほしいとか夢想する。でも、どうにもならないんすよね。天才の音楽が付いてしまっているから。
September 12, 2017