●24日は東京オペラシティでバッハ・コレギウム・ジャパンのモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」。鈴木雅明指揮BCJによる18年ぶりの再演。あらゆる煩悩がぎっしり詰まってそうなパーヴォ&N響のスクリャービンの交響曲第2番からうってかわって、モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」というジェットコースター的な急展開を体感する。物理的音響として大編成のはずのスクリャービンがその作品世界に比してむしろ控えめなくらいに感じられたのに対して、少人数のはずのモンテヴェルディが作品内容に対してむしろ十分に大きく壮麗であると感じさせるパラドックス。祈りの音楽であるにもかかわらず(いや、だからこそ?)モンテヴェルディからも官能性が漂ってくるということを発見。ソプラノにソフィ・ユンカー、松井亜希、アルトに青木洋也、テノールに櫻田 亮、谷口洋介、中嶋克彦、バスにシュテファン・フォック、加耒 徹、コルネット&トロンボーンはコンチェルト・パラティーノ。磨き抜かれたみずみずしい祈りの音楽、圧巻の独唱陣。
●ところで宗教音楽である以上、非キリスト者にはなにかしら疎外感が残されないとウソだと思うのだが、この作品であればワタシらにとっての「聖母マリアの不在」ということになるだろうか。聖母っていないんすよね。地母神ならいなくもないけど、意味合いがぜんぜん違う。あと、聖母がいるなら聖父はいないのかというと、いない。お母さんはいるけど、お父さんはいないっていうんすよ、「スターウォーズ」のアナキン・スカイウォーカーに父親がいないように。じゃあ、聖母マリアにお父さんはいるのだろうか(いるみたい)。あるいは聖母マリアのお母さんは聖婆なのか。と、気になる異教徒。
September 26, 2017