●増補版となって新書化されたのを機に読んでみた、「爆走社長の天国と地獄 大分トリニータv.s.溝畑宏」 (木村元彦著/小学館新書) 。後に観光庁長官も務めることになる溝畑宏氏が大分トリニータを一から立ち上げ、J1昇格、ナビスコカップ優勝を果たし、そしてクラブを去ることになるまでを取材したノンフィクション。大分トリニータって、Jリーグのクラブのなかでもすごく例外的な存在で、自治体が作ったクラブなんすよね。というか溝畑宏という官僚が作ったクラブ。当時、自治省から大分県庁に出向していた氏が並外れた熱意と行動力、そして営業力でクラブを立ち上げた。大分出身者ですらない。前からよく言われてたんすよね、もともとはトリニータって地元のサッカー熱から生まれたクラブじゃないって。メインスポンサーも大分とは関係のない、そして他のクラブではあまり目にしないような業種の企業が付いたりする。ほとんど孤立無援みたいなところからひとりの人間の志によりクラブが誕生して、やがてJ1昇格を果たして本物のサッカー熱を生み出していくというのは奇跡を見るかのよう。
●で、すごいんすよ、溝畑氏。県庁からトリニータに出向していたのに、結局自治省を退職して、自分がトリニータの社長になってしまう。で、クラブ経営の最大の仕事はお金集め。このあたりはクラシック音楽業界と似たところもあるわけなんだけど、入場料収入だけではクラブは成立しない。スポンサーを集めなければいけない。県庁時代からの泥臭い営業スタイルぶりを読むと、サッカークラブの「経営」ってなんなのかと考えさせられる。
繁華街都町では伝説になっているが、宴席では毎回、裸で踊りまくった。「溝畑さんの得意な宴会芸として、陰毛を燃やすのがあるんですが、あのころは生えてくるひまがなかった」。キャリアのプライドはそこになかった。(中略) 明け方までトリニティ(現トリニータ)の仕事をして2時間ほど仮眠して県庁に出勤するという日が続いていた。
●そんな宴会芸、見せてもらっても嬉しくないと思うかもしれないが、現に機能したんすよ! でもこの経営手腕をもってしても苦境に立たされ、結局巨額の私財まで投じることになってしまい、さらにクラブの私物化が問題化する。おまけにクラブが弱体化するとサポーターから暴言を浴びせられ、自宅のFAXにまで「溝畑やめろ」「東京に帰れ」とかすごい量が送られてくる。サッカーって最終的に勝ち負けがあるから、どんなに経営者やスポンサーが尽くしていても、負けるとこうなるという悲しさ。
●あと、シャムスカについての話がおもしろかった。他クラブのサポから見ると、シャムスカ監督時代の大分ってマジカルな強さがあったじゃないすか。まさに名将。でも最後は負け続けて解任される。そのシャムスカが内側からどう見えていたのかというあたり。後任のポポヴィッチへの評価の高さも印象に残る。