●今年の「全国共同制作プロジェクト」は新潟、東京、金沢、魚津、沖縄の全5都市での開催。演目はプッチーニの「トスカ」。映画監督の河瀨直美がオペラ初挑戦ということで話題を呼んだ。27日、東京芸術劇場へ。会場ごとにオーケストラや指揮者が異なるのがこのプロジェクトの特徴だが、東京公演は広上淳一指揮東京フィル。こんなに盛大に鳴らすのかというシンフォニックな「トスカ」。歌手陣は各地共通で、トスカにルイザ・アルブレヒトヴァ、カヴァラドッシにアレクサンドル・バディア。スカルピアの三戸大久が出色。強烈な存在感。
●で、今回の演出、事前に舞台がイタリアではなく古代日本風に設定され、トスカはシャーマン的な存在だというように聞いていた。でも始まってみると、読み替え演出という感じでもないような? 役名はトス香、カバラ導師・万里生、須賀ルピオ、アンジェロッ太と和風になり、第1幕の舞台は教会ではなく神社風ではあるものの、一方で銃はライフルのようだったし、第2幕では無印良品に置いてありそうな普通のテーブルが出てくる。衣装も古代風ではない。なので、和風であるけど、どこでもなくいつでもない架空世界といった様子。以前の野田秀樹版「フィガロの結婚」が必然性があって「フィガ郎」に置き換えられていたのとは意味が違う。
●背景の映像は舞台セットを補うというよりは、山、水、ロウソクなどイメージがシンボリックに投影されたもの。第2幕で水中のような映像が投影されたので「ん、これはこの街が水没するという未来か過去を暗示してるのかな?」などと考え込んだのだが、そうではなかった。通常とは大きく異なるのは結末で、普通であればトスカはサンタンジェロ城から飛び降りる。でも河瀨演出では飛んでも落ちない。空を飛ぶ。不死身のトスカ。なぜそうなるのだろう。よくわからなかったので、こんどだれかに尋ねてみよう。演出は賛否がわかれるはず。カーテンコールでは複数個所から強烈なブーも出た。
●この演出から離れるけど、一般論として「トスカ」について思うのは、スカルピアというもっとも共感しがたい人物像の特異性。作品中でスカルピアが「ハンカチではなく扇によってヤーゴになるのだが」的なことを言っているが、同じ悪役でもヤーゴのほうはまだ共感可能だと思う。なぜなら絶対悪だから。どこか悪に身をささげたかのような潔さがある。でもスカルピアは卑劣なだけで、まるでカッコよくない。どういう人物像だったらスカルピアとして説得力があるかなと思いを巡らせてみたんだけど、スカルピアってコワモテの強くて堂々とした男とは違うのかも。そうじゃなくてひょろっとして虚弱なモヤシみたいな男で、フィジカルな弱さが権力の強さを身にまとったゆえの恐ろしさを具現した存在なのかなという気もする。サインひとつでいくらでも人を殺せる。でも自分の肉体は弱い。だからいざ物理攻撃で襲われると、歌姫の細腕にも負けてしまう……のかな、と。
●トスカがスカルピアを刺すときに使うナイフって、食卓用の先の丸いテーブル・ナイフじゃなくて、キッチン・ナイフ(包丁)状のものなのかなと思ってるんだけど、本来のイメージはどうだったんすかね。
October 30, 2017