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December 1, 2017

新国立劇場「ばらの騎士」 ジョナサン・ミラー演出、ウルフ・シルマー指揮

nntt_rosenkavalier2017.jpg●30日は新国立劇場で「ばらの騎士」。2007年のプレミエ以来たびたび上演されているジョナサン・ミラー演出の再演。ウルフ・シルマー指揮東京フィルで、元帥夫人にリカルダ・メルベート、オックス男爵にユルゲン・リン、オクタヴィアンにステファニー・アタナソフ、ゾフィーにゴルダ・シュルツ、ファーニナルにクレメンス・ウンターライナーという布陣。ジョナサン・ミラー演出は時代設定を初演当時に置き換えるというものだが、オーソドックスで、初めてこのオペラを見る人にも安心の舞台。つい最近、METライブビューイングで見たロバート・カーセンの新演出が同様の設定を採用して、よりはっきりと未曽有の世界大戦前夜の気配を打ち出していたのに比べると、こちらはぐっと控えめ。軍服姿のオクタヴィアンに、まもなく彼に訪れるであろう暗い運命を想像することはできる。なんど見ても心動かされる名作。序盤はぎこちなさも感じたが、次第に熱を帯び、幕切れは陶酔的でしみじみ。歌はゴルダ・シュルツのゾフィーがすばらしい。アタナソフのオクタヴィアンはいかにも青年貴族らしい。
●このオペラで味わい深い登場人物がファーニナル。最初、この人は貴族社会に踏み込んできた成金で、娘を有力貴族と結婚させて自分の地位を確固たるものとしようと思っているだけの利己的な人物に見える。でも、だんだん違う見方があると気づく。元帥夫人にも男爵にもお付きの者が何人もいて、彼らのやっていることといえば、廊下でただ椅子に座って待っているとか、それが仕事。この社会、まったくもって生産性が低い。そして、身分のある男性以外はだれもが他人の人生を生きている。元帥夫人も含めて。古き良き時代ではなく、古き悪しき時代。でも平民生まれのファーニナルは自分の才覚で地位を築いた男なんすよね。軍需産業なんだろうけど、社会の実需にこたえて財を成した。しかしファーニナルには大きな弱みがある。第1幕で男爵がいうように、彼は健康ではない。妻に先立たれ、子供は娘のゾフィーだけ。財を成したけれど、男子の後継ぎはおらず、自分がいつまで元気でいられるか自信がない。だから一刻も早く、ゾフィーを貴族に嫁がせたい。なのにゾフィーはこんな相手はイヤだと言い出すものだから、もう頭がカッとなってお前の顔なんかもう二度と見たくないみたいな心にもないことを口走ってしまう。父性の描かれ方で「椿姫」のジェルモンなんかと通じるところがあると思う。