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December 8, 2017

映画「ブレードランナー2049」(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)

●もう上映館も少なくなってしまっているが、滑り込みでなんとか映画館で見た、「ブレードランナー2049」(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)。カルト的な人気を獲得している前作「ブレードランナー」(リドリー・スコット監督)が1982年の作品だから、なんと35年も経ってから続編が作られたわけだ。ひえーーー。これだけ忘れられることなく語り継がれる作品も珍しいだろう。今回の「ブレードランナー2049」も語りたくなる映画に仕上がっている。そして、よくできたエンタテインメント。
●ネタバレを避けつつ、いいなと思ったところ。これが非人間同士の物語であるところ。主人公はレプリカントだし、その恋人はホログラムで投射されるAI。非人間の形態として対照的なあり方(スタンドアローンの物理実体とクラウド上に存在するデータ)のふたりをカップルにしているのが秀逸、そして切ない。旧作の主人公で今やハードボイルド爺となったハリソン・フォード演じるデッカードもレプリカントだし、戦う相手も女レプリカント、主要登場人物の多くが人間じゃない。で、人間であるはずのウォレス社の大ボスみたいなのがやたらと非人間的だったりする。主人公の幼少時の記憶をめぐるエピソードもなかなかいい。彼のしょぼくれた感じの人間像は、前作のデッカードとはずいぶん違うんだけど、おおもとの原作であるP.K.ディックの小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の主人公はむしろこんな感じの男なんじゃないだろうか。
●舞台となるロスアンゼルスが前作以上に暗く、ディストピア化している。殺伐とした雰囲気はまあしょうがないのか。いくつか引っかかるところもある。まず長すぎる。2時間40分を超えるので、映画館で予告編を見せられるとほぼ3時間コースになってしまう(なぜ課金モデルなのに広告を見なければならないのか、という映画館への根本的な不満)。トイレ退出続出。それと前作へのオマージュ要素がとても強くて、嬉しい反面、どこかリメイク的な印象も受けてしまう。これは「スター・ウォーズ」の新シリーズ1作目なんかにも言えるんだけど。オペラでいう「新演出」とまでいうといいすぎだが、同じテーマで今作り直したらこうなる的なヴィジョンというか。あと、今の自分にとってはバイオレンス成分はもう少し控えめのほうが嬉しいかな。前作を映画館で見た人はみんな35歳、年を取ってるわけで。
●だらだら雑談を続けるけど、前作「ブレードランナー」について言うと、ワタシは初見ではどちらかといえばこの映画に失望した。というのも原作を読んで頭をガツンとやられた者にとって、リドリー・スコット監督の映画には原作で重要だと思う要素がふたつほど落ちていたのが寂しかった。ひとつはマーサー教という宗教モチーフ。山登りをする教祖とか、すごくディック的な仕掛けがあるんだけど、それがない。もうひとつはオペラの要素。原作にはオペラ劇場のシーンとか、オペラ歌手のレプリカントが登場するじゃないすか。たしか「魔笛」も出てくる。そういうオペラ要素にはリドリー・スコットはあまり惹かれなかったみたい。もちろん原作と映画は別物で当然なので、そのうち映画は映画のほうで好きになったのだけれど。
●あと、デッカード本人がレプリカントだっていうのは、かなり後付けっぽい設定だと感じたんすよね。まあ、ただの人間だったら最後のロイ・バッティとの戦いで秒殺されてるだろうから、それでいいのかもしれないんだけど、この話はデッカードが人間のほうがおもしろいんじゃないかっていう点で釈然としなかった。その点、今作の「ブレードランナー2049」はもっとスマート。
●「ブレードランナー2049」を見てて思ったのは、みんなスマホ持ってないなーってこと。未来の人たちは携帯情報端末に頼ってなくて、いちいち用があると実際に出かけたり会ったりする。演出的にはわかる。スマホを眺めてる登場人物はどうやってもカッコ悪いし、スマホをスマートウォッチとかスマートグラスに置き換えたとしても、やっぱり見映えがしないもの。
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