●先日の映画「ブレードランナー2049」の話の続き。この映画とナボコフの「青白い炎」との結びつきが話題になっている。主人公のレプリカントは任務を終えて帰還するたびにメンタルテストを受けて、そこでよくわからないキーワードのようなものを連呼するシーンがあるのだが、あれがナボコフの「青白い炎」からの引用なんだとか。この「青白い炎」というのが一筋縄ではいかない怪作で、架空の詩人による長篇詩に架空の学者による膨大かつ詳細な注釈が添えられたという構成を持つメタフィクション。本編である長篇詩より注釈のほうがはるかに長い。
●ワタシは未読なんだけど、仮に「青白い炎」を読んでいたとしても、映画を見て引用に気づくなんてことは不可能だったと思う。映画での字幕と訳文は異なるが、おそらくこの部分だと思われるところを、岩波文庫の「青白い炎」(ナボコフ著/富士川義之訳)から引用しておこう。
一個の主要細胞内で連結した細胞同士を
さらに連結した細胞内でさらにそれらを連結した
細胞組織を。そして暗黒を背景に
恐ろしいほど鮮明に、高く白く噴水が戯れていた。
●ちなみにこの長篇詩、ここだけ見るとなんとも小難しそうだが、たとえば「地方紙『スター』からの珍しい切り抜き。レッド・ソックス、5対4でヤンキースをくだす/チャップマンのホーマーで」なんていう、妙にローカルな一節も出てくる。
●さて、「ブレードランナー2049」にはクラシックの名曲が一曲登場する。主人公が携帯する情報端末から、ときおり聞こえる通知音が、プロコフィエフの「ピーターと狼」の冒頭主題なんである。これは主人公の恋人であるAIのジョイの起動音みたいなもので、全編を通じてなんども聞こえてくる。この映画にはナボコフだったり、タルコフスキーへのオマージュだったり、プロコフィエフだったりと、ロシア的な題材がちらちらと見え隠れするのだが、それにしてもどうして「ピーターと狼」なんだろう。「ピーターと狼」のあまりに簡潔なストーリーに重要な意味があるとは思えないので、ひとつにはこれが動物の音楽だから、ということがあるのだろう。先日も書いたが、おおもとの原作であるディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」で描かれるように、この世界では動物はほぼ絶滅しており、超貴重品。だから羊だったり馬だったりといろんな動物モチーフが意味ありげに登場する。ロシアの動物の曲といえばこの曲。主人公ピーターが小鳥やアヒル、猫、狼たちに囲まれているという図式は、非人間だらけのこの映画と重なるところがある。
●もうひとつは、この組曲では各楽器がキャラクターを担っていて、フルートは小鳥、オーボエがアヒルで、クラリネットが猫、ホルンが狼を意味する。この情報端末が鳴らすのは冒頭主題、つまり弦楽器によるピーターの主題。だからこの情報端末という楽器 instrument にジョイという人物の役割をあてがっている、とも解釈できる。