●27日は東京オペラシティでマルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル。オール・メンデルスゾーン・プロで前半に「フィンガルの洞窟」と交響曲第4番「イタリア」、後半に交響曲第3番「スコットランド」(当初の発表から曲順変更)。いずれもホグウッド校訂のベーレンライター新版を使用とのこと。今回の来日は先立って公演が行われた金沢と、東京オペラシティでの2公演。ミンコフスキはオーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督への就任が予定されている。
●コンサートマスターが各奏者の近くまで寄ってチューニング。最初の「フィンガルの洞窟」からとても描写的で起伏に富んだメンデルスゾーン。序曲の後に拍手は起きたが、ミンコフスキは袖に向かわずそのまま「イタリア」へ。後半は最初にスピーチがあって、それから演奏へ。全般にアクセントのはっきりとした明瞭な語り口、抒情的な部分ではたっぷりと歌わせ、エネルギッシュでスケールの大きなメンデルスゾーン。特に木管楽器の響きの質感が美しくて、総奏でも埋もれることなく弦楽器と調和して、独自の色彩感を生み出す。ピカピカではなくザラリとしたタッチの美しさ。ワーグナーがメンデルスゾーンを評した「一流の風景画家」という言葉が有名だけど、メンデルスゾーンに対する「ウェルメイドなんだけど魂の奥底に届くようなパッションが足りない」という先入観があるとしたら、それを吹き飛ばすのがミンコフスキ。獰猛。
●最後、アンコールをしそうな雰囲気が一部あって、あるとしたら「イタリア」の終楽章をもう一度だろうか……と思ったら、なし。でも「スコットランド」で充足していたので、これでよかった。指揮者と楽員が全員そろって四方にお辞儀。楽員が退出しても、拍手は鳴りやまず、ミンコフスキと楽員がみんな再度舞台に登場して、盛大なスタンディングオベーション。
2018年2月アーカイブ
マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルのメンデルスゾーン
続・「巡り逢う才能 音楽家たちの1853年」(ヒュー・マクドナルド著/春秋社)
●先日当欄でご紹介した、ヒュー・マクドナルド著「巡り逢う才能 音楽家たちの1853年」を読んで印象的だったことをもう一つ。この本は1853年というわずか一年に焦点を当てて、リストやワーグナー、ベルリオーズ、ブラームス、シューマンといった音楽家の伝記を「水平的に」描いているのだが、たびたびクローズアップされるのが「書き言葉」が担う役割の大きさだ。たとえばワーグナー。チューリッヒ滞在中のワーグナーは、「途切れなく創作活動をしていたが、楽曲はほとんど書いていない」。つまり論文などは書いているし、オペラの台本も作っているが、曲は書いていない。それだけではない。ワーグナーは「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」の三作の台本朗読会を行なっている。「ワーグナーの生き生きとした劇的な朗読スタイル」は人気を呼び、回を追うごとに参加者は増えたという。オペラへの手引きとして、作曲者自身による朗読会を開くというのは秀逸なアイディアではないだろうか。もちろん、これは台本もワーグナーの「作品」だからこそ。
●ベルリオーズの新しい音楽が不評を買っていたという話は前回にも紹介したが、一方で彼がパリで文筆家として人気を呼んでいたというのも興味深い。原稿料がほとんど唯一の収入源となっており、パリではベルリオーズの音楽を聴きたいという人より、ベルリオーズの文章を読みたい人のほうが多かったのではないかというくらいの堂々たる文筆家ぶり。
●そして、なによりおもしろいのは「手紙」を読んだり書いたりすることに、ワーグナーやリストが一日のうちのかなりの時間を割いていると思われるところ。
ワーグナーには遠く離れた友もおり、彼らとの間に膨大な量の手紙を交換しあった。朝一番の郵便が届くのは11時ごろで、ワーグナーは毎朝それをじりじりと待った。
前回書いたように日に何度も手紙が届くとなると、これはもう現代のPCによるメールと感覚的にそう変わらない。11時は朝イチのメールチェックといったところか。一方、リストのほうにはこんな記述がある。
夜行列車の長旅の後でもリストは、家で短い睡眠をとるとすぐ、留守のあいだに届いた手紙に目を通し始めた。ベルリオーズが、ロンドンでの『ベンヴェヌート・チェッリーニ』の悲惨な結果について報告した長い手紙も、その中に含まれていた。カロリーネから届いていた三通の手紙を読み通すには「数時間が」かかったという。カロリーネの多弁はワーグナーをも上回り、愛や家族についての思いや、とりわけ神についての思いを、何枚もの紙にとどまることなく書き連ねた。彼女の関心は永遠性にあり、日常の出来事についてはいっさい筆を割かなかった。いっぽうのリストはカロリーネへの返信にいつも、彼女への愛の言葉のほかに、出会った人々や訪れた場所についての詳細を記した。
20世紀になって電話時代に入ると、こうした手紙のやり取りは激減したはずだが、一方でメール時代になると、デスクワークをする人々はふたたび仕事時間の多くをメールの読み書きに割くようになった(さらにSNSに)。そういう意味では19世紀の手紙ライフは現代人にも割とイメージしやすいコミュニケーション形態だともいえる。ただ、彼らの手紙は半ば保存され公開されるべくあったのに対し、メールのほうは電子の藻屑となって消えてしまう運命ではあるが。
Jリーグ開幕! ポステコグルー新監督を迎えたマリノスのハイリスク戦術
●今年はワールドカップが開かれ、ニッポン代表もめでたく出場権を勝ちとったわけだが、アジアのライバルであるオーストラリア代表がどうなったか、ご存知だろうか。新しい「つなぐ」スタイルを掲げて生まれ変わろうとしたオーストラリアは、アジア予選で苦戦した結果、アジア・プレーオフを戦い、これを勝ち抜いて大陸間プレーオフを戦い、さらにこれを勝ち抜いて苦労の末にワールドカップ出場権をもぎ取った。そのオーストラリア代表を率いていたポステコグルー監督は、出場権を得た後に辞任した。えっ、どうして?……と思ってたら、まさかまさか、来ました、ウチに! よもやのマリノス新監督に就任。サッカー界、不思議万歳! トホホ(?)。
●えっと、いや、知ってる、ポステコグルーの評価が高いことは。シティ・グループが目を付けていて、だから資本関係のあるマリノスに招聘され、行く行くは欧州への道が開かれているかもしれないんだとか。でも、あんなに強かったオーストラリア代表が、フィジカル勝負を封印して世界を見据えてポゼッションにこだわった結果、弱体化してしまったのをワタシらは見ているわけで、ポステコグルーが名将といわれてもピンと来ないんじゃないだろか。代表以前のAリーグ(オーストラリアのリーグ)での成功を知らないわけだし。
●で、注目のJリーグ開幕戦、セレッソ大阪vsマリノス。昨季コテンパ(死語)にやられたセレッソとアウェイで戦うことに。やってくれました、ポステコグルー新監督。従来のチームカラーとは一変して、ハイプレス、ハイライン、ハイリスクのスリリングすぎるモダンフットボールを展開するマリノス。きわめてエネルギッシュな戦術で、前線から精力的にプレスをかけ続けるだけではなく、ディフェンスラインを高く上げて、後ろに広大なスペースを残す。そして、両サイドバックは高い位置をとり、なおかつどんどん中に入る(ここが特徴的)。中央の厚みを増して攻撃に参加する。で、後方のスペースをスイーパーのようにカバーすべくゴールキーパーがガンガンと前に出る。キーパーは飯倉なのだが、彼の走行距離を見て驚いた。キーパーなのに6.5キロも走ってる! フォワードのウーゴ・ヴィエイラなんて80分出場で8.1キロしか走ってないのに。
●この戦術、前半はぴたりとハマったように見えた。ほとんどの時間帯でアウェイのマリノスがボールを支配。前からの守備は非常に有効で、中に絞るサイドバックに対して相手の選手が付き切れない。後ろにできたスペースも選手間の連携でカバーできていた。前半17分、左サイドバックから中に入っていた山中が鮮やかなミドルシュートで先制。マリノスはGKに飯倉、DFは山中、ミロシュ・テゲネク、中澤(40歳だ)、松原、MFは喜田、中町、天野、前線は左サイドにユン・イルロク、右サイドに遠藤渓太、中央にウーゴ・ヴィエイラ。
●ところが後半になると次第にペースダウンし、たびたびピンチを迎えるもセレッソが決定機を外し続けて救われるという展開。これは勝てるかも、と思った86分、中澤のクリアミスから柿谷に決められて1対1。最後はフラフラになりながら耐えて、勝点1を確保したといったところ。さて、ポステコグルー新監督の戦術は機能していたということになるんだろうか。
●答えはなんともいえない。というのも前半は確かに成功していたが、マリノスはラッキーなオフサイドの判定に救われて1失点を免れた。一方、マリノスの得点は相手を崩したというよりはミドルの個人技一発。一試合を通じて、セレッソにはなんどもディフェンスを崩されていたが、マリノスが相手を崩して作ったチャンスはほとんどない。多くのチャンスはプレスから相手のミスを誘って生まれていた。でもせっかく高い位置でボールを奪ってもシュートにまで結びつく確率がかなり低いのが気になる。そして、今後、同じ戦術で戦う限りなんども見かけることになると思うのだが、前半はハイプレスが効いていても、後半途中から選手間の距離が広がりラインが間延びして、それまでのゲームはなんだったのかというノーガードの打ち合いみたいな展開になる。2月でもこんな調子なんだから、暑くなったらどうなることやら。あと、今日もあわやのシーンがあったが、キーパーが極端に前に出ることから誘発される決定的なミスも頻発する予感。
●もっとも、昨季の攻撃の二大エース、齋藤とマルティノスが抜けて、個人で局面を打開できる選手がいなくなってしまったことを考えると、ある程度思い切った戦術を取るしかないのはよくわかる。肉でもない魚でもない戦い方で8位や9位くらいで終わるなら、上位も下位もありうるようなエキサイティングな戦術で戦ってくれたほうがおもしろい(と自分に言い聞かせる)。
パーヴォ・ヤルヴィとN響の武満&ワーグナー
●22日はサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィ&N響。プログラムは前半に武満徹のヴァイオリンとオーケストラのための2作品、「ノスタルジア ― アンドレイ・タルコフスキーの追憶に」と「遠い呼び声の彼方へ!」(独奏は諏訪内晶子)、後半にワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」管弦楽曲集。ふわりと空気のなかから立ち上がって、また淡く消えてゆくような武満作品と、想念で巨大世界を創出してしまうワーグナー作品という、前半と後半でがらりと雰囲気が変わるプログラム。前半は精緻で繊細な響きの芸術。
●後半のワーグナーは少し不思議な選曲と曲順。「指環」ハイライトをオーケストラの演奏会で取り上げる場合、デ・フリーヘル版にしてもマゼール版にしても、いかにオーケストラのみで元の大作のエッセンスを伝えるかという前提あってのものだと思うが、パーヴォはまったく違った発想で6曲を選んだ。順に、「ワルキューレ」から「ヴォータンの別れと魔の炎の音楽」、同「ワルキューレの騎行」、「ジークフリート」から「森のささやき」、「神々のたそがれ」から「ジークフリートの葬送行進曲」、同「夜明けとジークフリートのラインの旅」、「ラインの黄金」から「ワルハラ城への神々の入城」。元のストーリーを考慮せずに、曲想だけで起承転結を作ったということなんだろうか。一曲ずつ区切って演奏するので、「ワルキューレの騎行」も単独で演奏するときに用いる短い終結部付き。正直なところ狙いはよくわからなかったんだけど、物語性をあえて削ぎ落して並列的な6曲からなる管弦楽組曲に仕立てたといった様子。「ブリュンヒルデの自己犠牲」ではなく、「ワルハラ城への神々の入城」で終わるというのは一種のハッピーエンド化なんだろうか。
●白眉は「森のささやき」。フルート、クラリネット、オーボエのソロの応答は絶品。オーボエには今日も吉井瑞穂さん。ゲスト・コンサートマスターにロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のヴェスコ・エシュケナージ。N響にはたびたび招かれている。
エイバルvsバルセロナ@スペイン・リーグ
●乾貴士が活躍中のスペインリーグのエイバル。ホームにバルセロナを迎えた一戦をDAZNで見てみた。エイバルは残留争いをするようなチームかと思いきや、今シーズンは快進撃を続けていて7位あたりにつける健闘ぶり。乾は左のアウトサイドで先発。バルセロナにはメッシ、スアレス、パウリーニョ、イニエスタ、ブスケツ、ラキティッチらの豪華メンバー。途中交代でコウチーニョも出場。戦力的に太刀打ちできないと思いきや、ほとんどの時間帯でエイバルが主導権を握っていた。
●エイバルは引いて守ってカウンターのチームではなく、前線から激しくプレスをかけ続けるモダンなチーム。このハイテンションの守備にバルセロナは手を焼いていた。一方、攻撃の局面ではサイド攻撃命。両サイドの選手が縦に抜け出て速いクロスを入れるというのが基本パターン。大きなサイドチェンジも目立つ。左サイドでは乾のドリブルが生命線になっている。乾は守備での貢献度も高く、戦術的にもキープレーヤーのひとりといった感。
●で、エイバルの狙った通りの形になっていたんだけど、試合は0-2で完敗。バルセロナは個の力量だけでエイバルの戦術を無力化してしまった。前半16分にメッシの絶妙なスルーパスに抜け出たスアレスが落ち着いてゴール。先制されてもエイバルはペースを変えずに精力的に走り続けたが、後半には不用意な2枚目のイエローカードでひとり退場してしまい、終了直前にジョルディ・アルバに2点目を奪われてしまった。周到な戦術でついに相手を罠にかけたと思ったら、天才選手の一瞬のひらめきでするっとこちらの急所を突かれるという理不尽。まるで別の競技を戦っているみたいだ。ともあれ、エイバルの志の高さはギュンギュンと伝わってきた。
●ところで、DAZNって今年からコンテンツがさらに大幅に拡大するんだとか。日本のプロ野球は11球団の放映が決定したそうだが、サッカーでは今月からプレミアリーグとラ・リーガの毎節全試合を配信中。2018-19シーズンからは欧州チャンピオンズリーグも独占放映することに。スポーツはすさまじい勢いで放送から配信にシフトしつつある。
山田和樹 アンセム・プロジェクト記者会見
●20日は東京オペラシティで「山田和樹 アンセム・プロジェクト」記者会見。2020年の東京オリンピック&パラリンピックに向けて、世界各国の国歌、および「第2の国歌」と呼ばれるような愛唱歌(アンセム)を演奏し、さらに録音や楽譜で残していこうというのがこのプロジェクト。山田和樹が音楽監督を務める東京混声合唱団、正指揮者を務める日本フィルを中心に進めていくということで、コンサートホールのステージに設けられた壇上には山田和樹と両団、さらにジャパン・アーツ、キングレコード、全音楽譜出版社の各関係諸氏、編曲監修の信長貴富が登壇して賑やか。この日は会見に続いてさっそく山田和樹指揮東京混声合唱団のコンサートが開かれ、世界各国の愛唱歌が歌われた。
●国歌は200曲以上あって、国によって千差万別。それをぜんぶ歌おうというのこのプロジェクトの趣旨。もちろん各国の原語で歌う。山田「発音が難しいのは覚悟していたのですが、一番大変だったのは意外にも英語。このプロジェクトが終わったころには東混は世界最強の合唱団になる。合唱団のレベルアップに直結します」
●で、200曲以上の国歌から山田和樹さんがいちばん感動したという栄えあるナンバーワンが発表された。それは……コモロ連合国歌! えっ、コモロ連合って、どこ? 思わずググる、コモロ連合国歌。
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●というわけで、今後いろんな形でアンセムを耳にすることになりそうである。で、記者会見の話は以上で、ここからは雑談なのであるが、国歌といえばサッカー・ファンにとっては一言や二言では語り尽くせないいろんな思い入れがあるもの。もちろん、第一は君が代であって、代表戦のスタジアムには欠かせないわけだが、サッカー・ファンであれば君が代以外にもグッと来る国歌がいくつもあるはず。特にブラジル国歌なんて、世界中のファンにとっての憧れの曲だろう。ブラジル国歌は別格とすると、ほかに胸が熱くなるのは人によってイタリア国歌だったり、アルゼンチン国歌だったり、イングランドのGod Save the Queenだったりする。ウルグアイ国歌も萌える。チリ国歌も熱い。なかにはドイツ国歌で喜んでしまうフットボール的な文脈において風変わりな人もいるかもしれない。歌詞のないスペイン国歌(もともと歌詞が存在しない)を耳にすれば、マドリッドとバルセロナの根深い対立に複雑な思いを抱かずにはいられない。
●ブラジル国歌のなかでもひときわ感動的だったのは、2014年のワールドカップ・ブラジル大会準決勝だ。これを見てほしい。FIFAの規定だかなんだかで、国歌の伴奏が短縮版になってしまった。名曲に対する敬意のかけらも感じられない行為だが、選手たちはこの伴奏を無視して、伴奏が終わってもいつものフルバージョンを最後まで歌った。選手だけではない。一緒に入場したエスコートキッズたちも大声で必死に歌い続けた。もちろん、スタジアムもみんな歌っている。なんだこれは。この熱さはきっと奇跡を起こす。これが王国の底力だ。テレビの前でわれわれは震撼した。そして、試合が始まると、ブラジルはドイツ相手に次々と失点を喫し、1対7という歴史的敗北を喫したのであった……。ああ、ったく、ドイツ人たちと来たら。
「巡り逢う才能 音楽家たちの1853年」(ヒュー・マクドナルド著/春秋社)
●「巡り逢う才能 音楽家たちの1853年」(ヒュー・マクドナルド著/春秋社)を読んでいる。装画はおなじみIKEさん。これは1853年という一年間に起きた音楽史上の出来事を描いた一冊で、当時の音楽家たちの交流の軌跡を追った「水平的な伝記」(うまい表現だ)。1853年というと、シューマンに見出されたブラームスが作曲家としてデビューし、ワーグナーは「ニーベルングの指環」の作曲に着手したという年。ブラームス19歳、ヨアヒム21歳、シューマン42歳、ワーグナー39歳、リスト41歳、ベルリオーズ49歳。これら作曲家の生涯を年代を追って垂直的に描くのではなく、水平的に一年間を切り取るというのは実に秀逸なアイディア。そして一年間の密度の濃さにもくらくらする。これは以前にも何度か書いていることだけど、変化の緩やかな現代と違って19世紀は(音楽史的な見方でいえば)ギュンギュンと世の中が猛スピードで動いていた。
●巻頭の「はじめに」で指摘されているのは、当時の芸術家たちの活発で密度の濃い交流を可能にしたのは郵便と鉄道という二大技術の発達だということ。1853年には欧州の郵便システムは成熟しており、速く確実に郵便が届くようになったばかりか、大都市では一日に3回以上も配達が行われたという。「午前中に郵便を送れば、午後に返事が返ってくることもあった」。すげえ。ヨドバシカメラのエクストリームサービス便もびっくりの速さである。いまの東京じゃ、郵便なんて一日に1回しか配達してくれないっすよ? ていうか、一日3便なんてもうメール感覚じゃないすか。現代とは桁違いにトラフィックが小さかったからこそ可能だったのだろうけど、こういった19世紀のスピード感をワタシらは見くびりがちだと思い知る。
●ベルリオーズがかわいそうなんすよ。彼がフランスでは認められず、もっぱら外国で評価されていたという話はよく目にするが、この年、ロンドンでオペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」が上演されることになった。かつてパリの初演では散々だったオペラをロンドンで上演して巻き返そう。そんな好機が到来したにもかかわらず、客席では組織的らしき妨害行為が行われて、またしても無残な結果に終わってしまう。もう49歳にもなってて、まだこんな目に合わなければならないとは。このとき臨席していたヴィクトリア女王の言葉が強烈なので引用する。
およそこれまでに作曲されたオペラの中で、もっとも魅力がなく、もっともくだらない作品だと感じた。メロディーらしいものはかけらもなく、支離滅裂でこのうえなく混乱した音は、不安をかきたてる騒音にしか聞こえない。まったく、犬や猫のたてる騒音と比べるのがちょうどよいくらいの音楽だ!
どんな辛口批評家もここまでは書けない。っていうか、むしろある種の文才を感じる。
●じゃあ、ベルリオーズが支離滅裂だとすると、当時のロンドンで歓迎されていたのはだれかというと、シュポア。安心して聴けると評判だったシュポアの交響曲がどんなものかと、試しに本書で言及されているいくつかの曲を少し聴いてみたが、起伏に乏しくて聴き続けられない。展開力が足りないというか、いつになっても前に進まないというか……。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響のデュリュフレ、サン=サーンス、フォーレ
●16日夜はNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団。デュリュフレ、サン=サーンス、フォーレというフランス音楽プログラム。ラヴェルもドビュッシーもベルリオーズも出てこないフランス音楽プロ。一曲目のデュリュフレの3つの舞曲op6、これは存在も知らなかった曲だったけど、たいへんおもしろい。小曲かと思いきや3曲合わせると20分ほどになる。繊細で幻想的、淡く透明感のある色彩感が魅力。舞曲といいつつ1曲目と2曲目は遅めのテンポで澄ましているのに、第3曲は思いきり田舎風味のタンブーラン。どんくさく拍を刻む太鼓とファゴットがダサカッコよすぎて悶絶。一番オーボエは吉井瑞穂さん。
●サン=サーンスはヴァイオリン協奏曲第3番でソリストは樫本大進。NHKホールの大空間をものともせずに芯のある美音が客席まで飛んでくる。この曲、こんなにいい曲だったのかと再発見。第2楽章のおしまいでヴァイオリンのフラジョレットと弱音のクラリネットが重なり合う部分、ぴたりと合わせるのは難儀そうだけど、あそこはため息が出るほど美しい聴きどころ。発明。
●後半は東京混声合唱団とのフォーレのレクイエム。ソプラノは市原愛。バリトンはアンドレ・シュエンと発表されていたのだが、演奏に先立って変更のお知らせあり。アンドレ・シュエンが体調不良のためキャンセルとなり、代役に甲斐栄次郎。事前になにも発表されていなかったようなので本当に急なことだったのだろう。それで代役にこれだけの人が出てくるのもびっくり(そして翌日の同一プログラムは青山貴)。きっと舞台裏は大騒動だったと察するけど、演奏が始まればひたすら清澄流麗なフォーレの世界が広がるのみ。安らかに終曲が閉じられた後、しっかりと余韻を味わった後に拍手。客席数の多いNHKホールでこの静寂は貴重。
ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2018「モンド・ヌーヴォー ~ 新しい世界へ 」記者発表
●16日はラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2018「モンド・ヌーヴォー ~ 新しい世界へ」記者発表へ。今回より名称がラ・フォル・ジュルネTOKYOと改まり、有楽町の東京国際フォーラムと池袋の東京芸術劇場で開催されることになった。主催もこれまでの東京国際フォーラムから、KAJIMOTO、東京国際フォーラム、豊島区、三菱地所の四者からなるラ・フォル・ジュルネTOKYO運営委員会に変わることに。ロゴも一新。バージョンアップされたLFJだが、基本的なスタイルはこれまでと変わらない。これまでと同様、低料金、短時間のプログラムが朝から夜まで各会場で並行して同時開催される。開催期間は5月3日から5日までの三日間。
●で、まずなによりも有楽町と池袋の2拠点ができたのが大きな変化。両者は決して近いとはいえないが、地下鉄有楽町線一本で結ばれ、ともに駅に直結しているので交通の便はいい。駅から駅までは19分ということだが、実際に人混みのなかを移動して何分を見ればいいのかは悩みどころ。ホールtoホールでの所要時間はどれくらいだろうか。池袋では東京芸術劇場のコンサートホール、シアターイースト、シアターウエストが使用される。コンサートホールはおなじみの2000人クラスの大ホール。LFJでは音響的にもっとも条件のよいホールになるはず。シアターイーストとシアターウエストはともに約270席のコンパクトな会場。一方、有楽町の東京国際フォーラムではホールA、ホールC、ホールB7、ホールB5、ホールD7、会議室のホールG409が使用される。池袋と有楽町では客層の違いが若干考慮されているようで、池袋のほうが若いお客さん向けのプログラムが多めなんだとか。
●さて、今回のテーマは「モンド・ヌーヴォー ~ 新しい世界へ」。これはもともと「エグザイル(亡命)」というコンセプトだったものを、ポジティブな言い方に改めたもの。さまざまな理由で祖国を離れて移住した作曲家たちが主役となる。その背景には戦争だったり革命だったり、あるいはより大きな成功を求めての移住だったりと、いろんな理由がある。また精神的な意味での移住/亡命といったようなものも含まれている模様。テーマからして必然的に19世紀末から20世紀にかけてアメリカに渡った作曲家が多くなるわけだが、例年以上にクラシックにとどまることなくジャンルを超越したアーティストたちが大勢招かれており、これまでのLFJでも一二を争うほどの刺激的なプログラムが組まれていると思う。このブログでの先日からのナント・レポートでもお伝えしたように、珍しい作品や未知のアーティストがいっぱい。
●もちろん、その一方で、ドヴォルザークの「新世界より」を筆頭に、親しみやすい名曲もふんだんにある。「0歳からのコンサート」も毎日あって、ファミリーや仲間たちといっしょに万人が楽しめるフレンドリーな音楽祭であることもまちがいない。この音楽祭はカフェテリア方式の音楽祭。自分好みのメニューを作ってハシゴするのが吉。
●さて、発表されたタイムテーブルとにらめっこして作戦を練ろうか。
手作りチョコ2018
●今年のカカオ、豊作だといいなあ。
●完熟したよ、カカオ! 収穫、収穫♪
●さー、作っちゃうよ~、手作りチョコ。あたしンちのカカオ、最高においしいよ~。
CBSソニー時代の好きなジャケ
●リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」というと、まっさきに思い出してしまう「騎士ジャケ」。マゼールがクリーヴランド管弦楽団を指揮したリヒャルト・シュトラウスの交響詩集。マゼールは後にバイエルン放送交響楽団と同曲を再録音してしまったため、Apple Musicなど配信ではそちらの新録音ばかりがヒットしてしまうのだが、より聴きたくなるのはこちら。この国内盤は2枚組になっていて、DISC2には「ドン・ファン」「ティル」「死と変容」が収められている。で、ジャケットの裏表紙はDISC2のジャケット(骸骨とドン・ファン、ティルを思わせる3人の横顔が並ぶヤツ)になっているのがすばらしい。
●CBSソニー時代のジャケットには忘れがたいものがいくつもある。強烈なのはバーンスタインのストラヴィンスキー「春の祭典」。アンリ・ルソー風の密林に姿を見せる巨大なストラヴィンスキーの顔。このジャケットを最初に目にしたのは中学生か高校生くらいの頃だと思うが、最初、この巨大な顔がストラヴィンスキーであることがわからなかった。作曲家の顔なんて知らなかったので。この丸メガネのオッサン、だれ?みたいな。
●こちらはバーンスタインのホルスト「惑星」。曲名の書体に時代を感じるが、レトロフューチャーなテイストは今見てもカッコいい。抽象的な画だが、LPレコードの盤面と太陽系の図を重ねて表現しているのが巧み。SF的なイメージもうっすらと想起させる。
●いわゆる歴史的名盤、ブーレーズとクリーヴランド管弦楽団の「春の祭典」。これも後に再録音が出て存在感は相対的に薄まってしまったが、時代を伝える貴重なドキュメント。画面を分割して9コマ漫画みたいになっている。同じCBSソニーでグールドの「ゴルトベルク変奏曲」旧盤などにも見られるが、画面を細かく分割してリズミカルな柄を作り出すという手法は、LPレコードの大きなサイズだから生まれた発想で、はじめからCDだったらこのアイディアは出てこなかったんじゃないか。
●グールドはどれもこれも名ジャケットばかりだが、あえてアーティスト写真を用いていないものを選ぶとすると、好きなのはハイドンのピアノ・ソナタ集。なんというか、ハイドンっぽい。明るくて楽しげで、つい手に取りたくなる。書体もいいし、56 58 59 60 61 62 と6曲の番号が等間隔で横に並んでいるデザインも秀逸。
コードネームU.N.C.L.E.(ガイ・リッチー監督)
●先日、飛行機の機内で時間を持て余して映画を見ようと思い、あれこれと話題の大作、人気作を再生してみたのだが、どうもうまくいかない。これはどう考えても自分がまちがっているのだが、最初の5分くらいでピンと来ないともう止めたくなって、別の映画に移ってしまう。まるでテレビのようにザッピング。映画館を前提に作られているわけだから、本来最後まで見通すという強制力が発生するはずのものなのに、画面をタッチすればすぐに止められるという手軽さに負けて、やたらと気が短くなる。これってDAZNの見逃し配信でサッカーを見るときと似ていて、スタジアムなら問題なく最後まで集中して楽しめるような試合でも、ふと気が散るとハイライトで済ませてしまう。コンサートのオンデマンド配信なんかもそう。ライブか再生メディアかというよりは、場をみんなで共有するものとひとりでオンデマンドで体験するものの違いの大きさを感じる。「エイリアン:コヴェナント」だって、きっと最後まで見ていたら大傑作だったかもしれないのに、それなのに、それなのに……。
●で、結局見たのはガイ・リッチー監督「コードネームU.N.C.L.E.」。これは抜群におもしろい。最近映画事情にまったく疎くて、こんな作品があったことも見落としていたのだが、ガイ・リッチー監督の初期の名作「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」や「スナッチ」をほうふつとさせるような小気味よくてスタイリッシュなエンタテインメント。話の中身はスパイ映画でナポレオン・ソロのリメイクなんだけど、とことん表層的なカッコよさだけが追求されていて、一瞬も飽きさせない。スパイの相棒が死に物狂いで敵から逃げている背景で、主人公が逃げ込んだ車の中にワインとサンドイッチを見つけて、優雅に食べて終えてからやれやれといった感じで相棒を助けにいくみたいなバカバカしい気取った演出とか、実に可笑しい。リアリズムなんか一切問題にならないセンスのよさ。脱帽するしか。
ラ・フォル・ジュルネ2018、ナント 番外編
●番外編としてあと一回、ナントのラ・フォル・ジュルネの話題を。写真はQobuzのブース。このQobuz、比較的早くから高音質の音源をダウンロード販売しはじめたフランスのサイトで、過去になんどか使ったことがあるのだが、あるときから「あなたの国からは購入できません」表示が出るようになってしまった。まあ、今は無理にこのサイトを使う必要もなくなったのだが、会場で見かけたので記念にパチリ。このサイト名、なんて読むのか、いまだによくわからない。
●ところで客席のマナーは、東京とは著しく違う。これはナントに限った話ではないと思うが、演奏中もみんなスマホの電源など切りはしない。切るどころか、あちこちで画面が光っているし、カーテンコールはもちろんのこと、演奏中でも客席から写真を撮影する姿は珍しくもなんともない。写真どころか動画を撮影している人もなんどか見かけた。堂々と撮る。ひそひそと話し声も聞こえる。普通に客席まで電波が届いているので、たまにブルブルと振動音が聞こえたり、着信音も聞こえることも。同じことを東京でやったら暴動が起きかねないが、ここでは無問題。だれも他人のことなど気にしていないし、係員が飛んでくることもない。平和だ。そしてだれも気にしていないと、自分も気にならなくなってストレスを感じないという不思議。でも、なんだったかな、協奏曲の第1楽章が終わったところで拍手が起きたら「シーッ!」とたしなめる声が飛んできた。え、そんな無法地帯なのに、そこは気になるの?
ラ・フォル・ジュルネ2018、ナントその5
●予定通りに帰国。ナントからパリに向かう飛行機が雪の影響で欠航になってしまい焦ったが、TGVでパリに向かってなんとか帰国便に間に合った。
●で、ナントのラ・フォル・ジュルネ、落ち穂拾いをあと少し。4年ぶりに訪れてみると会場内のレイアウトが微妙にいろいろ変更されていて、CDショップ(写真上)は出口すぐの目立つ場所に昇格。品ぞろえを見てみると、ラ・フォル・ジュルネのアーティスト以外のディスクもそこそこあって、東京のショップとそう雰囲気は変わらない。価格は日本で買うよりも高め。内税表示だが税率は何%なんだろうか。ちなみにナントのラ・フォル・ジュルネは東京と違って高齢層が聴衆の中心。
●どちらかといえば、物販ではCDよりも本屋さんのほうが存在感があるかもしれない。これは10年前に最初にナントを訪れたときからそう。専門書から児童書まで、音楽書がたくさん並べられていて、どんどん売れてゆく。こういった一時的な売店でも、ほとんどのお客さんがカードで決済をしているようで、自分で端末にカードを入れて暗証番号を打ち込む方式。
●聴いた公演で書くのを忘れていたのが一件。青いヴァイオリンがトレードマークのパヴェル・シュポルツルとジプシー・ウェイ。ヴァイオリン、ツィンバロン、ヴィオラ他によるジプシー音楽バンド。曲はクラシックもあればシュポルツルの自作もありいろいろだったが、ブラームスのハンガリー舞曲第5番とサラサーテのツィゴイネルワイゼンがおもしろかった。ジプシー音楽由来のクラシックの名曲をジプシー・バンド用に再変換。たとえるなら、英語を日本語に訳した文章から、もう一度英訳した文章みたいな感じ? 会場には小さな子供たちが大勢来場。割とみんなお行儀よく聴いていた。むしろ大人より行儀がいいかも。
ラ・フォル・ジュルネ2018、ナントその4
●ナントのラ・フォル・ジュルネは今日、日曜日が最終日。今回4年ぶりに訪れたのだが、以前はなかった新しい会場 CIC OUESTホールができていた。メイン会場のシテ・デ・コングレからは道を挟んだ向かい側くらいの位置で、250席。ただ、東京と違って寒い冬の時期の開催なのと、シテ・デ・コングレで手荷物検査が導入されているため、一度外に出ると戻ってくるのが億劫だなという気持ちがわいてくる。手荷物検査自体はJリーグよりもあっさりしていて、どうってこともないんだけど。
●この日も朝イチの9時半めがけて会場に到着。マタン・ポラトがリゲティの「ムジカ・リチェルカータ」、リストの「オーベルマンの谷」他を演奏。リゲティは同じ曲の抜粋を一昨日に別のピアニストで聴いたばかりだが、切れ味の鋭さは断然若いポラト。きらびやかな響きで、さっそうと。前回ナントを訪れたときはこの人でアイヴズのコンコード・ソナタを聴いたのだった。日本のLFJにも地方を含めて何度か来てるはず。バッハだとかロマン派だとかなんでも弾いてるイメージだが、20世紀作品をもっと聴きたい感じ。
●ボリス・ベレゾフスキーはドミトリー・リス指揮ウラル・フィルとの共演で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第4番を演奏。この曲、最近演奏頻度が増えてきているんじゃないだろうか。もっとも、今回のラ・フォル・ジュルネのテーマは「新たな世界へ」(亡命/エグザイル)なので、ラフマニノフもアメリカに渡ってからの作品に焦点を当てるということで、第4番が選ばれるのは必然。ベレゾフスキーは譜めくりを従えての演奏だが、なにを弾いても余裕を感じさせる人ではある。パワフルかつブリリアント。しかし、予定通りとはいえ、この一曲で終わってしまうとは。正味30分もないわけで、自分史上最短のコンサートだったかも。終わって客電が付いてもお客さんがなかなか立ち上がらなかったのがおかしかった。
●その後、フランス・メディア向けの記者会見直前に、ルネ・マルタンと日本プレスの懇談会が設定された。といっても、ごくごく少人数で、ざっくばらんに感想を話し合うみたいな感じ。ワタシはラ・フォル・ジュルネの多様性のあるプログラムが好きだし、特に今回はテーマの設定上、20世紀音楽や古い時代の音楽が増えて、知らない曲をたくさん聴けたのが嬉しかったというようなことを伝えた。日本で東京以外のラ・フォル・ジュルネがなくなってしまったこと、一方で世界各地でまた新たなラ・フォル・ジュルネが誕生しつつあるということも話題に。来年のテーマについても尋ねた。このあたりはまた別の機会に。
●東京でのラ・フォル・ジュルネもそうなのだが、最終日の午後、記者会見が終わると急にお祭りが終わったという気分になる。気がつくともうぐったり疲れ果てていて、店じまいモードに。この3日間でなじみのない曲や刺激的なプログラムをたくさん聴けたので、最後は安心の名曲で中和するかのように、エル・バシャのショパンとラフマニノフ。ショパンのバラード第1番、舟歌、幻想即興曲、ラフマニノフの有名な前奏曲等。ピアノ・ソロには珍しく、800席というナントでは2番目に大きな会場があてがわれていた。でも満席。終わると客席からエル・バシャへの敬意が伝わってくるような温かく力強い拍手。
ラ・フォル・ジュルネ2018、ナントその3
●ナントのラ・フォル・ジュルネ、会場の真ん中の目立つ場所に設置されているarteのブース。日本からネット配信でお世話になっている方も多いはず。さて、ナント3日目。書いておかないと光速でなんでも忘れまくるので、即日メモする。
●まず朝イチはルネ・マルタン一押しのヴァイオリニスト、アレーナ・バエヴァ。今回のテーマ「新たな世界へ」(亡命/エグザイル)にふさわしい作曲家のひとり、コルンゴルトのヴァイオリン・ソナタを演奏してくれた。バエヴァは別の公演でコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲も弾いていた。協奏曲のほうは近年ヴァイオリニストたちが盛んに取り上げるようになったのに対し、ソナタを弾く人はあまりいないと思う。なにしろ大曲で、45分ほどかかった。4楽章制の交響曲のような楽曲構成で、第2楽章がスケルツォ、第3楽章がアダージョ。作品番号は6。響きは後期ロマン派スタイル。バエヴァは技術が高くて、しかも思い切りのいいダイナミックな表現ができる人。遠からず人気アーティストになる予感。ピアノはヴァディム・ホロデンコ。
●コルンゴルトのヴァイオリン・ソナタだけで十分のはずだったが、プログラムにはさらにブロッホの「バール・シェム」組曲の3曲が残っていた。どうやら演奏中に時間がなくなってきたようで、係のおばちゃんがあわやあと一曲残して止めに入りそうになってハラハラ。事なきを得たけど、この音楽祭ではいろんなことがありうる。過去にこの音楽祭で、アンコールを弾き出したピアニストを係員が制止して大ブーイングをもらったことがあったことを思い出した。
●続いて、コンチェルト・ケルンへ。エグザイルな作曲家として彼らが選んだのはイタリア・バロック期の作曲家ダッラーバコ。バイエルン選帝侯の音楽家としてミュンヘン、ブリュッセル、フランスで活動した人なんだとか。その協奏曲集作品2、5、6から5曲を選んで演奏。生き生きとしたヴィヴァルディ風の協奏曲だが、多彩でまったく飽きさせない。コンチェルト・ケルンは切れ味鋭く爽快。客席は大喝采。
●まったく未知の団体との出会いもこの音楽祭の楽しみ。なんの予備知識もなく足を運んだのが、エマニュエル・バルドン指揮カンティクム・ノヴム。民族楽器にヴォーカルが加わったアンサンブル。ぱっと聴くとトルコ風?と思うが、「アララト」と題されたプログラムで、資料によれば「オスマン・トルコによるアルメニア人大虐殺から100年にあたる2015年のプログラム」。アフガニスタン、トルコ、ペルシャ、アラブ、アルメニア、キプロスなどで13世紀から17世紀までに発展した音楽文化を探求しているのだそう。
●せっかくフランスまで来たんだから、フランス・バロックも聴きたい。そこでヒューゴー・レーヌ率いるラ・シンフォニー・ドゥ・マレへ。エロディ・フォナールのソプラノとともに、リュリをとりあげるプログラム。なんだけど、行ってみたら、ただリュリの曲を演奏するんじゃなくて、ヒューゴー・レーヌががんがんとフランス語で語りつつ演奏する。で、それがどうやらワタシのカンでは、おっさんくさいギャグっぽくて(想像)、客席はどっと笑っている。く、くやしい……ワタシは笑えない。笑いのテイストとしてはドリフくらいのノリだと思うんだが、小芝居とか入れながら音楽が進む。「町人貴族」の「トルコ人の儀式のための行進曲」の最後で、ヒューゴー・レーヌがリコーダーでうねうねとくどい即興的なパッセージをさしはさんで、そこからドヴォルザークの「新世界より」第4楽章の一節につなげて笑いを取っていた。これなら笑える、ワタシも。愉快なオッサンになっていたヒューゴー・レーヌ。
●東京だったら絶対こんなに聴けないんだけど、ウチからナントまで24時間以上もかけてせっかく移動してきたんだから、さらに聴く。昨日に続いてクレーメルとクレメラータ・バルティカ。一曲目は昨日と同じカンチェリで、2曲目はクレメラータ・バルティカによるベートーヴェン~マーラー編の「セリオーソ」弦楽合奏版。この音楽祭でマーラーを取りあげるとなれば、こんな形になる。気迫のこもった名演。カンチェリの後で聴くと、ガラッと世界が一変したような効果があるわけだが、さらにこのベートーヴェン~マーラーの後に、カンチェリの「エクシール」から「詩篇23」。痛切かつ内省的な音楽。「セリオーソ」の両側にカンチェリを置いた構成が効果抜群。
●最後にもうひとつ。東京のラ・フォル・ジュルネでウクライナ生まれの作曲家ヴィクトロワという人の曲が何回か演奏されていたと思う。そのヴィクトロワの新作オラトリオ「エクソダス」が演奏された。ドミトリー・リス指揮ウラル・フィルとエカテリンブルグ・フィルハーモニー合唱団というエカテリンブルク勢が演奏。ナレーターがふたり。今回の音楽祭のテーマに応じて題材が出エジプト記。これがもうスペクタクル大作といった感じの音楽。作風としては難解でもなければ新しくもなく、かなり「春の祭典」風味の原始主義を漂わせつつ、細かな特殊奏法なども繰り出してくるのだが(カウベルをナレーターからヴァイオリン奏者に手渡していくリレーがおかしかった)、やたらと山場が続く音楽。山の次に谷じゃなくてまた山が来る。そんな息切れしそうな音楽を、リスが煽りに煽って最後は力技の大音響で聴衆をねじ伏せたといった感。この曲の前に、ラフマニノフの交響詩「死の島」(これまたプログラムが変更になっていた)も演奏されていたのだが、ラフマニノフの記憶がきれいさっぱり吹き飛んだ。
●体力と精神力が無尽蔵にあったら夜遅くの時間帯にゲニューシャスがヒンデミットの「ルードゥス・トナリス」を弾くのを聴きたかったのだが、不可能なのであきらめた。東京で聴くチャンスはないのだろうか。
ラ・フォル・ジュルネ2018、ナントその2
●はるばるやってきました、東京国際フォーラム……じゃない、ナントのシテ・デ・コングレ。ホントに建物の雰囲気が似ている。一瞬、有楽町にいるのかと錯覚を起こしそうになる。羽田から深夜便で出発して、到着初日は会場に足を運んだものの、時差で一日が異様に長くなってて、体力的に公演は聴けず。代わりに2日目は猛烈な勢いで聴いた。以下、順に。今回のテーマはエグザイルあらため「新たな世界へ」。
●9時半の朝イチはチェンバロのフランソワ・ゲリエによるスカルラッティのソナタ集。ナポリに生まれイベリア半島に渡ったスカルラッティもまたエグザイルな作曲家だったのであった。ほとんどのチケットが売り切れるというナントだが、さすがに平日朝イチは空いている。官能性、ユーモア、メランコリー、パッション、すべてがバランスよく盛り込まれ、雄弁だが過剰ではないスカルラッティ。
●続いてはこの音楽祭の現代曲担当みたいになってるピアノのフローラン・ボファール。リゲティとストラヴィンスキーを組み合わせたプログラム。リゲティは「ムジカ・リチェルカータ」と「練習曲集」からそれぞれ抜粋で。以前、ナントで聴いたときもそうだったのだが、この人は演奏前に簡単なレクチャーをしてくれる。フランス語なので意味はわからなかったが、これが聴衆と作品の距離を縮めているのは明らか。おそらくお客さんの大半はリゲティになじみのない方だったと思うのだが、終わってみると大ウケ。演奏中にたびたびクスクス笑いが漏れるのがいい感じ。
●続いては、まったく未知の団体だったんだけど、アンドレイ・ペトレンコ指揮エカテリンブルク・フィルハーモニー合唱団。ペトレンコといってもキリルでもない、ヴァシリーでもない、第3のペトレンコ、アンドレイが登場だ。エカテリンブルクからやってきた合唱団のロシアの合唱曲集。ラフマニノフの「晩祷」および「聖ヨハネ・クリソストムの典礼」からほんの少しだけ抜粋、ペルトのアヴェ・マリア、シュニトケの3つの合唱曲抜粋、グレチャニノフの知らない曲、スヴィリドフの知らない曲等々、宗教曲が続いて、最後にロシア民謡集で大爆発。男声の低音の深みがすごい。土の香りのする合唱。声量も豊か。グレチャニノフとかスヴィリドフとか、ローカルなレパートリーほど客席の反応がよくて、最後の民謡集は自分ラ・フォル・ジュルネ史上最大級の大ウケ。スタオベ多数。アンコールにまさかのリムスキー=コルサコフ「くまんばちの飛行」合唱バージョン。笑いが漏れつつも大喝采。
●この音楽祭の顔のひとりが、ピアニストのケフェレック。プログラムを見たら、ケフェレックがリオ・クオクマン指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアとの共演で、ヒンデミットの「4つの気質」とバルトークのピアノ協奏曲第3番を弾くというのがあって、ケフェレックってそんな曲も弾くんだ、と驚く。で、行ってみたら、なぜかステージにピアノがなくて、ヴィオラ奏者が出てきてヒンデミットの「葬送音楽」が始まった。んん?と思うが、プログラムが変更になっていたよう。続いてケフェレックが登場して、バルトークは予定通り弾いてくれた。先鋭さがぐっと控えめになったバルトーク。第2楽章が白眉。
●この日の最後はクレーメルとクレメラータ・バルティカ。プログラムではカンチェリの「エクシール(亡命)」を演奏することになっていて、時差ボケで聴くには集中を保つのが大変な曲だからとコーヒーをがぶ飲みして行ってみたら、曲目が変更になってた。といってもカンチェリは変わらず。ヴァイオリンと室内オーケストラのためのV&V、サイレント・プレイアーズの2曲。録音した声を用いるという点で共通した2曲。痛切な祈りの音楽。後者では子供の歌声が使われるんだけど、演奏中に客席からむずかるようなリアル子供の声が一瞬聞こえて、微妙な共鳴現象を起こしていた。
●ナントの会場は前回行った4年前と比べて少しずつあちこち変化していた。最大の違いは入場口。入口の手前に一か所ゲートを設けて、手荷物検査をすることになっていた。この一か所以外からは入れないように、ほかの道は封鎖。Jリーグでもおなじみ、手荷物検査。どうだ見てくれとばかりにガバッとカバンを開ける。
ラ・フォル・ジュルネ2018、ナントその1
●ふー。というわけで、フランスのナントに到着。街のシンボルともいうべきブルターニュ公爵城。空がやたらと真っ青だが、補正をしたわけではなく、そのままの青。ずっと天気が悪くて雨が降っていたのだが、急に晴れてきて空が真っ青になった。
●ナントに来るのはこれで4回目。街のあちこちにこんな風にポスターが掲げられている。このビジュアルは東京でも共通のデザインを使うのだろう。今年のテーマは「新たな世界へ」。これは以前からルネ・マルタンが「エグザイル(亡命)」にすると言っていたテーマを、ポジティブな言い方に変えたもの。なんらかの理由で祖国を離れて新天地に渡った作曲家たちが主役となる。
●メインとなる会場のシテ・デ・コングレ。東京で開催するときもいつもそうだが、ナントでもホールごとに毎年違った名前を付けている。上の写真だと左がシュテファン・ツヴァイク、下がトーマス・マン。どうやらエグザイルな文学者たちの名前が付いている模様。ナントだとこの趣向は機能しているようなのだが、東京ではぜんぜん受け入れられていなくて、凝った名前が付いていてもみんな「ホールA」とか「ホールC」と呼んでしまう。だって、同じ場所の名前が毎年変化しても覚えられないもの。
●ルネ・マルタンが日本からのツアー参加者を迎えてくれて、各ホールの案内をしてくれた。ナントの会場のなかでは唯一のコンサートホールといえるシュテファン・ツヴァイクには、普段は入ることのできないバックステージ側から潜入。ドミトリー・リス指揮ウラル・フィルがリハーサル中だった。今やすっかり音楽祭に欠かせないオーケストラになっているウラル・フィル。開演直前だが熱のこもったリハーサル。
ナントへ移動中
●パリ。早朝のガランとしたシャルルドゴール空港。ナントで現在開催中のラ・フォル・ジュルネに向かっている。羽田を深夜に出たら、12時間かけて早朝のパリに着いた。地球は丸かった。たぶん5時間くらい空港で過ごしてナント行きの飛行機に乗る。
●ナントのラ・フォル・ジュルネに行くのは4年ぶり。現地の様子もお伝えできれば。