●先日当欄でご紹介した、ヒュー・マクドナルド著「巡り逢う才能 音楽家たちの1853年」を読んで印象的だったことをもう一つ。この本は1853年というわずか一年に焦点を当てて、リストやワーグナー、ベルリオーズ、ブラームス、シューマンといった音楽家の伝記を「水平的に」描いているのだが、たびたびクローズアップされるのが「書き言葉」が担う役割の大きさだ。たとえばワーグナー。チューリッヒ滞在中のワーグナーは、「途切れなく創作活動をしていたが、楽曲はほとんど書いていない」。つまり論文などは書いているし、オペラの台本も作っているが、曲は書いていない。それだけではない。ワーグナーは「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」の三作の台本朗読会を行なっている。「ワーグナーの生き生きとした劇的な朗読スタイル」は人気を呼び、回を追うごとに参加者は増えたという。オペラへの手引きとして、作曲者自身による朗読会を開くというのは秀逸なアイディアではないだろうか。もちろん、これは台本もワーグナーの「作品」だからこそ。
●ベルリオーズの新しい音楽が不評を買っていたという話は前回にも紹介したが、一方で彼がパリで文筆家として人気を呼んでいたというのも興味深い。原稿料がほとんど唯一の収入源となっており、パリではベルリオーズの音楽を聴きたいという人より、ベルリオーズの文章を読みたい人のほうが多かったのではないかというくらいの堂々たる文筆家ぶり。
●そして、なによりおもしろいのは「手紙」を読んだり書いたりすることに、ワーグナーやリストが一日のうちのかなりの時間を割いていると思われるところ。
ワーグナーには遠く離れた友もおり、彼らとの間に膨大な量の手紙を交換しあった。朝一番の郵便が届くのは11時ごろで、ワーグナーは毎朝それをじりじりと待った。
前回書いたように日に何度も手紙が届くとなると、これはもう現代のPCによるメールと感覚的にそう変わらない。11時は朝イチのメールチェックといったところか。一方、リストのほうにはこんな記述がある。
夜行列車の長旅の後でもリストは、家で短い睡眠をとるとすぐ、留守のあいだに届いた手紙に目を通し始めた。ベルリオーズが、ロンドンでの『ベンヴェヌート・チェッリーニ』の悲惨な結果について報告した長い手紙も、その中に含まれていた。カロリーネから届いていた三通の手紙を読み通すには「数時間が」かかったという。カロリーネの多弁はワーグナーをも上回り、愛や家族についての思いや、とりわけ神についての思いを、何枚もの紙にとどまることなく書き連ねた。彼女の関心は永遠性にあり、日常の出来事についてはいっさい筆を割かなかった。いっぽうのリストはカロリーネへの返信にいつも、彼女への愛の言葉のほかに、出会った人々や訪れた場所についての詳細を記した。
20世紀になって電話時代に入ると、こうした手紙のやり取りは激減したはずだが、一方でメール時代になると、デスクワークをする人々はふたたび仕事時間の多くをメールの読み書きに割くようになった(さらにSNSに)。そういう意味では19世紀の手紙ライフは現代人にも割とイメージしやすいコミュニケーション形態だともいえる。ただ、彼らの手紙は半ば保存され公開されるべくあったのに対し、メールのほうは電子の藻屑となって消えてしまう運命ではあるが。