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March 1, 2018

「ウィーン・フィル コンサートマスターの楽屋から」(ウェルナー・ヒンク)

●ウィーン・フィルのコンサートマスターとして長年活躍したウェルナー・ヒンクの語り下ろし本「ウィーン・フィル コンサートマスターの楽屋から」(小宮正安構成・訳/アルテスパブリッシング)を読んだ。往年の名指揮者たちとのエピソード(クライバー、ショルティ、ベーム、カラヤン、バーンスタイン等々)、ウィーン国立歌劇場とウィーン・フィルでの多忙の日々、ウィーン弦楽四重奏団をはじめとする室内楽活動の喜び、自らの生い立ちなど、さすがにこれだけのキャリアを誇る人だけあって逐一おもしろい。ヒンクの語り口は古き良き時代を振り返るといった趣きで、暖かく、決して攻撃的にならない。センセーショナルな要素には乏しいのだが、心地よく読書の楽しみにふけることができる。有名なエピソードもあれば、ここで初めて知ったことも。クライバーやバーンスタインとは対照的にショルティがレコーディング・セッションで才能を最大に発揮する指揮者だったという話などは、よくいわれることかもしれないが、コンサートマスターという当事者だからこその説得力がある。まったく別の本で、ショルティが「ウィーンでいちばん好きな場所は(帰るときの)空港だった」と語っていたことを思い出すと、一段と味わい深い。
●印象的なエピソードはたくさんあるのだが、ニューイヤー・コンサートの舞台裏についての話を読んで納得。ニューイヤー・コンサートって、中継だとよくバレエが入るがじゃないすか。あれって、バレエは生じゃないっぽい(と、見てるとわかる)。でも演奏はぴたりとバレエに合っている。どうやってるのかなーと思ってたんだけど、演奏はあらかじめ早い段階で録音しておいて、それに合わせてダンサーが踊った別録をテレビで流しているんだとか。つまり、バレエが入る曲では、常にテレビの視聴者は会場での実際の演奏を聴くことができないんである。会場では別の演奏が流れている……。すると疑問がわく。そんなことはめったにないだろうけど、もしも指揮者が本番で事前の録音とぜんぜん違うテンポで指揮したら、曲が終わるタイミングが映像と合わないのでは? まさにそんなアクシデントが起きたのが2008年のジョルジュ・プレートル。事前収録よりもずっと遅いテンポで指揮をしてしまい、実際の演奏のほうが1分以上長くなってしまったんだとか。ということはテレビ中継では、バレエが終わった後もカメラが会場に「戻る」ことができなかったわけだ(まだ演奏が続いているんだから)。あれはどう処理したんだろうか。
●1982年にマゼールがウィーン国立歌劇場の総監督に就任して「ブロックシステム」を導入したことについての話もおもしろかった。従来はレパートリー公演をリハーサルなしのぶっつけ本番でやっていたのを、マゼールは数週間のスパンで3~5演目を固定化して日替わりに舞台にかける方式を採用した(今もそうなっていると思う)。これをヒンクは大変ありがたかったと回想している。なにせこれなら練習時間も取れるし、ぶっつけ本番のリスクもなくなるし、コンサートマスターならずともオーケストラの楽員にとっては負担が軽くなるに決まっているわけだが、ワタシのうっすらとした記憶では当時この「ブロックシステム」に対しては批判の声が大きくて、マゼールが強引に主張を通したかのような印象すら受けた。あれはなにをもめていたんだろうか。
●短い記述だけど、存命中のショスタコーヴィチに会った話も興味深い。自身がソ連を訪れたときの聴衆の冷たく異様な無反応ぶりから、ショスタコーヴィチの面従腹背ぶりをただちに理解して、ウィーン弦楽四重奏団の主要レパートリーにショスタコーヴィチ作品を加えたという。伝えられるべき時代の証言のひとつ。