●26日はサントリーホールでヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団。プログラムはベートーヴェンの交響曲第8番と第7番。ブロムシュテットはついに90歳。さすがに以前に比べれば動作も緩やかになり足元に慎重さを感じさせるが、それでも驚異的な壮健さ。しかも音楽には生気と推進力がみなぎっている。純度の高いみずみずしいサウンドを満喫。第8番と第7番、どちらも第1楽章と第2楽章をほとんど続けて演奏して、第2楽章の後に間をおくのがおもしろい。あたかも両作品の相似性を強調するかのよう。ブロムシュテット指揮のベートーヴェンの第7番は以前、別のオーケストラでも聴いたはずなんだけど、そのとき感じたのは、決して中庸の美ではなく、特異な解釈も見られるということ。今回は記憶とはまた別の第7番になっていた感。いちばん特徴的だったのは第3楽章で、トリオからスケルツォに戻る直前の部分で極端にリタルダンドして、ほとんど止まりかけてから、スケルツォが勢いよく飛び出すという趣向。全般にストイックな熱狂とでも呼ぶべきベートーヴェン。
●第7番、終楽章が幕切れに近づくと、興奮や陶酔以上に、ああ、もう終わってしまうのか、残念だなーという気持ちがわき上がる。ブロムシュテット、次回は10月なので、すぐといえばすぐ。Bプロにステンハンマルの交響曲第2番がある。
2018年4月アーカイブ
ブロムシュテット指揮NHK交響楽団のベートーヴェン
コンサドーレ札幌vsマリノス、「負けるための高度な戦術」というポストモダン・フットボール
●うわわ、また負けた! 今年はワールドカップ・イヤーということでウィークデイにも試合が開催されてハードスケジュールが続くJリーグ、水曜日はアウェイでコンサドーレ札幌vsマリノス戦。ポステコグルー監督のハイライン、ハイプレスのハイリスク戦術はまだまだ続く。この札幌戦はこれまでの試合のリプレイかと錯覚するような展開だった。つまり、マリノスがひたすらボールをつなぎまくる。ボール支配率で相手を大幅に上回る。パスの本数は相手の倍以上。キーパーはペナルティエリア内よりも外にいる時間のほうがずっと長くて、1試合に7キロも走る。いつもゴールにキーパーがいないので、相手はやたらと超ロングシュートを狙う、しかもそれが本当にヤバイ。マリノスが先制する。相手が追いつく。相手が逆転する。最後はノーガードの打ち合いみたいになる。負ける。以上!
●さて、本気で残留争いに参加してしまっているマリノス、ここまでの戦績は2勝3分5敗で15位。前節からすでに15位で、これ以上沈むと降格ゾーンに入るところだったが、なんと下のチームがそろって負けてくれたおかげで、15位をキープした。ふー、助かった~。……じゃないっ! なんだ、この順位は。あのさ、今のメンバーのマリノスでフツーのサッカーしたら、4-4-2だろうが4-5-1だろうが3-5-2だろうが、どんな戦い方をしても中位くらいには留まるよ? なんで残留争いをしているかといえば、どう考えても、このスペクタクルな特殊戦術のおかげ。選手への要求度が高い最先端の戦術を必死で身につけた結果、負ける。いうならば、負けるための戦術。これをポストモダン・フットボールと言わずしてなんという。今日も試合後のインタビューで、ポステコグルー監督は「結果は伴っていないが、このままの戦術を続ける」と断言した。この監督はどこまで負け続けても、同じことを言い続けると思う。降格ゾーンに入っても、J2に落ちても、やっぱり「結果は伴っていないが、このままの戦術を続ける」と言うのではないか。そう言ってほしい。長年サッカーを見てきたが、こんな見ものはそうそうない。ポステコグルー監督と選手たちはこれからもこのクレイジーな戦術を信じ続けて戦ってほしい。これは伝説のはじまりだ。
「ハロー、アメリカ」(J.G.バラード著/東京創元社)
●J.G.バラード著の「ハロー、アメリカ」(東京創元社)を読了。かつて「22世紀のコロンブス」(1982年)の題で刊行されていた小説が、ネットフリックスで映像化決定ということで、原題そのままに「ハロー、アメリカ」として復活。これはかなりヘンなテイストの小説だと思う。前衛とコメディの融合とでもいうべきか。
●舞台設定はすこぶる魅力的だ。22世紀の未来、すでにアメリカ合衆国は資源の枯渇と気候変動で崩壊し、無人の砂漠の大陸となっている。一方、ヨーロッパには配給制で人々が静かに暮らす退屈な世界が残っている(いかにも少年時代を上海で過ごしたイギリス人バラードらしいヨーロッパ観)。しかし、そんなヨーロッパからアメリカを目指す若者がいた。イギリスを出港してアメリカを目指す探険隊に密航者として乗り込んだ若者が主人公。それぞれに思惑を持ってマンハッタン島に到着した探検隊のメンバーは、砂漠にアメリカン・ドリームを夢見て、西を目指す。
●夢と狂気は紙一重、滅んだアメリカを西へと旅する人々を描くタッチはバラードの真骨頂。「ハイ-ライズ」で描かれた高層マンションのリッチな住民たちが次第に狂って野蛮になってゆく姿と共通するものがある……と思っていたら、途中から予想外の展開を見せて、シニカルなコメディに変わってしまって唖然。でも、これは笑えるし、ある意味でバラードらしからぬ明るい話ともいえる。バラードの長篇としては70年代の「ハイ-ライズ」や「コンクリート・アイランド」より後、90年代の「楽園への疾走」や「コカイン・ナイト」よりも前。後に書かれる「洗練された終末感」を予告しながら、華やかなパーティを開いてみせたというか。廃墟となったアメリカへ向かう探検隊の船がアポロ号って名付けられているのとか、相当おかしい。
もうすぐラ・フォル・ジュルネTOKYO
●はっと気がついたら、もう来週にはラ・フォル・ジュルネがやってくるではないの。今年は有楽町と池袋の両エリアで開催されるとあって、昨年までとはなにかと勝手が違う。特に池袋。東京芸術劇場の有料公演は一通りチェックしていたが、公演と公演の合間の過ごし方をぜんぜん考えていなかった。で、関連プログラム一覧を見てみると、池袋側にも無料公演やワークショップ系の関連イベントがいろいろある模様。池袋西口公園にキオスクステージやケータリングカーが配置されるみたいなので、ここでのんびり快適に過ごせるとなにかと便利。もうひとつ南池袋公園にもキオスクステージがあるようなのだが、そっちは駅の反対側だから心理的には遠い。
●三日間の公演全体を見てみると、自分の場合は4日の有楽町に特に聴きたい公演が集中気味で、しかも同時刻で重なっている公演がいくつかあって悩んだ。今年はナント取材があったので、現地で聴き逃した公演(ゲニューシャスのヒンデミットとか)と、日本でしか聴けないアーティスト(ラルス・フォークトとノーザン・シンフォニアとか)を中心に聴く予定。3日は有楽町→池袋、4日は有楽町でがっつり、5日は池袋スタートというプラン。
●初出展「俺のフレンチ」の「牛フィレとフォワグラのソテー トリュフソース」をハンバーガーにアレンジにした「ロッシーニ」は、少し気になってる。ジャンクなんだかグルメなんだか、どっちなんだ。
マリノスvs湘南ベルマーレ、全力で逆走するウワサの超モダン・フットボール
●どーん! 沈んでます、マリノス。今季、ポステコグルー新監督のハイリスクすぎる戦術で脚光を浴びるマリノス、話題性は抜群だが、これがもう笑ってしまうほど勝てない。4/8の川崎戦で引き分けた後、広島戦、神戸戦と連敗。そして、ホームでの湘南戦。なんと、4対4というわけのわからない打ち合いで引分け。そーっと薄目で順位表を見てみると(ドキドキ)うわっ、降格圏が目の前に!
●過激なハイライン、ハイプレス、両サイドバックがあがるわ中に絞るわで攻撃参加、ゴールキーパーがもうひとりのディフェンス・ラインとなって走るわ、つなぐわ、ゲームを組み立てるわ、前に出るわの大活躍。おかげで毎試合、超攻撃的なフットボールを堪能できるのだが、なにせゴール前でも危なっかしいパスを連発するので、相手はこちらのミスを待っていれば勝手にチャンスが転がってくる。
●この日もやられた。1失点目はクロスに体を張った中澤のオウンゴールだが、2失点目はキーパーの飯倉が思いきり前に出てボールを前にパスしたら(ここでボーンと蹴り出すことは禁止されているっぽい)、相手にボレーでロングシュートを打たれて、それがゴールに吸い込まれた。うん、こういうサッカーやってたら、だれが見てもそうなる。高いラインの裏も簡単にとられる。前半で4失点するというムチャクチャなサッカーなんだけど、それでも4対4で引き分けられたのはよかった……わけないじゃん! 5点目をとらなきゃ。ウチは5点取らないと勝てないのか。攻めて攻めて攻めまくって、そして対戦相手が口をそろえて「今年のマリノスさんは強いねえ」と讃えるなかで、親指を立てながら降格圏という名の溶鉱炉に沈んでいくのであった。
トーマス・ヘルのアイヴズ「コンコード・ソナタ」
●19日はトッパンホールでトーマス・ヘルのリサイタル。シューマンの「クライスレリアーナ」とアイヴズのピアノ・ソナタ第2番「マサチューセッツ州コンコード 1840~60年」という2作を並べたプログラム。2曲を並べた狙いとしては後述のトークコーナーで、文学由来の2曲でヨーロッパとアメリカを並べたと語られていた。つまり「クライスレリアーナ」はE.T.A.ホフマン由来、「コンコード・ソナタ」は各楽章の題に掲げられたエマーソン、ホーソーン、オルコット、ソローにちなんで。ヘルのピアノ、音色は重厚でマッシブ。前後半ともにすばらしいんだけど、やはり後半に圧倒的な感銘。50分にもわたりもっぱら不協和音が鳴り響く大曲でだが、作品に挑むというよりは、古典作品を弾くといった趣きで、骨太の大きなドラマを描き出した。
●事前に何のアナウンスもなかったのだが、前半のシューマンの後にアーティストのトークが入った。ヘルとは旧知の間柄という野本由紀夫氏がステージに上がって通訳を務め、アイヴズの「コンコード・ソナタ」をピアノを弾きながら簡潔に解説。これがとても有益なガイドになっていた。(ベートーヴェンの)「運命」の動機などが引用されること、第2楽章で14インチ半の長い板を使って鍵盤を押さえるためにお手製の板が用意されていること、本日はピアノのみで演奏されるがこの曲にはヴィオラとフルートがわずかに参加する部分があって、会場売りのヘルのCDではヴィオラもフルートも入っているので買ってね、とか。で、トークの入る場所として、休憩前というのは最高の選択なんじゃないだろうか。開演前とか後半の演奏前なんかだと、いちばん「音楽を聴きたい」という気分になっているところにトークが入って客席のテンションが下がってしまう。その点、休憩前なら無問題。
●「コンコード・ソナタ」って、長大な割には比較的親切な曲だと思う。まず、楽章構成が古典的な4楽章構成になっているところ。第2楽章がスケルツォ相当で、調性音楽になっている第3楽章が歌謡風の緩徐楽章の役割。それと、引用でマーチングバンド風だったり、ラグタイム風だったり、賛美歌風だったりと、極端に大きなコントラストが付く部分が出てくるのがアクセントになっている。あとはなんといっても「運命」の動機。全編にわたって登場する。たとえば徒歩30分とか1時間の長い道のりを歩くとして、風景がずっと無個性なオフィスビルとか住宅地の連続だったりするとすごく長く感じるけど、途中でコンビニが点在していて、あ、このお店は駐車場付きの広いお店だとか、このお店はイートインがあって揚げ物メニューが充実しているとか、そういうエピソードが挿入されると、道のりが短く感じる。この曲の「運命」の動機にはそんな点在するコンビニ効果があって、50分の道のりを短く感じさせてくれるんじゃないだろか。アンコールにコープランド「真夏の夜想曲」。
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●今週末の「題名のない音楽会」(関東は土曜朝10時~)は、2月にナントで開かれた「ラ・フォル・ジュルネ」ロケ。これを見ると、ナントの会場の雰囲気がわかると思う。日本には来ないんだけど、クレーメル&クレメラータ・バルティカのカンチェリとか(こういうのも満席になる)、チョ・ソンジンのショパンの演奏シーンもあり。客席がフランス人という点を除けば、かなり東京に似た雰囲気だとワタシは思うんだけど、どうでしょ。
LINNのダウンロード販売、WQXRのCarnegie Hall Live、キリル・ペトレンコ
●LINN Recordsってレーベルがあるじゃないすか。あのレーベルは自社サイトでダウンロード販売をしていて、しかもそれがハイレゾ(2段階)のStudio Master、CDクォリティ、MP3から選んで購入できるようになっているのであった。同レーベルからリリースされたロビン・ティチアーティ指揮スコットランド室内管弦楽団のブラームス/交響曲全集をダウンロード購入しようと思ったら、Presto Classicalとかいつも使っているサイトに音源がなくて(CDはある)、検索したら自社サイト販売が見つかった次第。無事ゲット。
●なお、聴くだけだったら、Apple Music契約者であれば Ticciati Brahms あたりで検索すれば聴けるので、なにもダウンロード購入する必要はない。ダウンロード購入というのは、ハイレゾで欲しいとか、オフラインでも聴きたいとか、特別な理由がある人向けのサービスになった感。
●ニューヨークのFM局WQXRのサイトにあるCarnegie Hall Live、ここはラジオ音質ではあるけど無料でいろんなライブをオンデマンドで聴ける。今あるのだと、キリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団のカーネギーホール・デビュー公演。メイン・プログラムがチャイコフスキーのマンフレッド交響曲というあたりに軽く羨望を覚える。ほかにはドゥダメル指揮ウィーン・フィルのオール・ブラームス・プロとか。
●キリル・ペトレンコといえば、先日ようやくベルリン・フィルに登場して、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(独奏はユジャ・ワン)とフランツ・シュミットの交響曲第4番を指揮したのであった。もうしばらくしたらベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールのアーカイブに公開されるはず。楽しみ。
東京武蔵野シティFC対FC今治@JFL
●15日はムサリクこと武蔵野陸上競技場で、JFLの東京武蔵野シティFC(旧横河武蔵野FC)対FC今治。JFLとはJ1、J2、J3の下のカテゴリーで、日本サッカー界の4部リーグ(別の言い方をするとアマチュアの最高峰)。東京武蔵野シティFCというネーミングはなんだかかえって田舎っぽい感じだが、かつての横河電機サッカー部がクラブチーム化されたもの。監督はクラブOBの池上寿之。
●一方、FC今治はサッカー界に旋風を巻き起こしているチームで、オーナーは元ニッポン代表監督の岡田武史。理想のサッカーを求めて、四国リーグからスタートしてJリーグを、さらには世界を目指すという、岡田武史だけが挑戦可能なリアル「サカつく」。現在、JFLに昇格して2シーズン目。以前、岡田オーナーは「JFLは1シーズンで通過する」と豪語していたが、そうは問屋が卸さない。昨シーズンは通算6位。そして、昨シーズン、ホームで武蔵野は今治をコテンパにやっつけた(←死語)。アウェイではやられたような気もするが、それはまあいい。世間的には岡田オーナーの夢実現プロジェクトは共感と期待をもって応援されていると思うが(というかワタシだって応援している)、いざJFLで同じ土俵に立てばこのクラブの見え方はまるで違ってくる。JFLなのにスポンサーには超大手企業がずらずらと名前をそろえ、監督には元U-17日本代表監督の吉武博文がいて、選手にはJリーグ経験者が何人もいる。そりゃあ、いい選手も獲ってこれるだろうよ。くらくらするほど恵まれたクラブで、こちらとは条件が違いすぎるんじゃないかという気分にはなる。
●で、試合だ。昨季とはお互いにメンバーも変わっているが、やはり今治の選手は質が高い。ボールを止める、蹴るという基本的な動作から差を感じる。案の定、ボールポゼッションは圧倒的に今治。武蔵野は体を張って守るが、せっかくボールを奪っても、そこから前線にボールを収められないので、すぐに奪い返されてまた守るという厳しい展開。なんども決定機を作られる。こちらの決定機は1回かせいぜい2回。それなのに0対0で試合がずっと進んだ。そしてアディショナル・タイム、もう笛が吹かれるだろうというタイミングでまさかの事態が。今治のディフェンスの選手がバックパスをミスして、キーパーの頭上を越える痛恨のオウンゴール。1対0で、またも武蔵野が勝ってしまった。内容的に完敗だっただけにいくぶん後味は悪いのだが、なにせ相手はJFL離れしたリソースを誇る今治だから、これくらいのラッキーがあっても許されるかもしれない。ハハハ、また勝ったぜー。岡田武史のリアル「サカつく」はますますエキサイティングになったのではないか。応援してます、岡田さん(対武蔵野戦以外は)。
●この試合、実は今治のディフェンダーにツエーゲン金沢から移籍してきた太田康介選手がいた。彼は元武蔵野の主力選手。かつて武蔵野ではボランチとして中盤で活躍していて、JFL離れした選手だなあと思っていたら、町田ゼルビアに移り、さらにツエーゲン金沢へと移籍した。こんなふうにJFLからステップアップしてJリーガーになれる選手はかなり少ない。で、今季は今治の選手になってJFLに帰ってきた。35歳で現役は立派。
●さて、ムサリクには電光掲示板みたいなものは一切ないので、見逃したプレイはもう見られない。テレビのニュースでもやってくれないから、現場で見たものがすべて……だったのだが、なんと、FC今治はハイライト映像を収録して公開してくれているではないの! すごい、うらやましすぎる。ワタシはホーム側からしか試合を見ていないわけだが、アウェイ側からはこんなふうに見えるんだ。でも、すばらしい雰囲気だと思わないっすか。これが4部リーグなんすよ。Jリーグが発足した当時、地域に根差したクラブの大切さが理念としてうたわれていたと思うけど、それは着実に現実のものになっている。観客数は1000人強で盛況。ハリルホジッチがどうとか西野朗がどうとかいう話も大切なのだが、実際にいつでも生で見れるのは近場のクラブ。その裾野の広がりがどれほど大きくて豊かであるかを、この映像は伝えてくれる。
ブロムシュテット指揮N響のベルワルドとベルリオーズ
●14日はNHKホールでヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団。このプログラムは貴重。ベルワルドの交響曲第3番「風変わりな交響曲」とベルリオーズの幻想交響曲を組み合わせたベル・ベル・シンフォニープロ。ベルワルド、生で聴けるチャンスはめったにない。
●ベルワルドはスウェーデンの作曲家。「風変わりな交響曲」は1845年作曲で、初演されたのは1905年になってから。初演時に指揮を担った作曲家トゥール・アウリンが曲に手を加えていることから、今回はより作曲者の意図に沿ったブロムシュテット校訂版での演奏なんだとか。作曲年代からも察せられるように、大枠としてはメンデルスゾーンやシューマンなどロマン派作曲家の交響曲のスタイルを参照してはいるものの、型にはまらない独自性があって新鮮。第1楽章がインパクト大。雄大で田園的というか自然賛歌というか。全3楽章で第2楽章がアダージョ~スケルツォ~アダージョみたいな感じで、通常の交響曲の緩徐楽章とスケルツォ楽章を合体させたような構成になっている。こういった緩徐楽章とスケルツォ楽章の合体はラフマニノフの交響曲第3番とかフランクの交響曲にも見られるけど、ベルワルドのほうが先。もっと前の例はあるんだろうか。第3楽章は嵐のようなフィナーレで、力技のエンディングが印象的で、微妙にユーモラスな気も。珍しい曲を高水準の演奏で聴けて大満足。後半の「幻想交響曲」は極彩色の乱痴気騒ぎとは一線を画した、推進力にあふれる格調高いベルリオーズ。これも聴きごたえあり。
●ベルワルドの交響曲第3番、「風変わりな交響曲」っていうタイトルがすごい。「わたし、よく少し変わってるって言われるんですよねー」っていう自分語り系標題。原題の「サンギュリエール」って呼び名もよく使われているみたい。サンギュリエールは銘菓の名前とかにありそう。外はカリッ、中はふわっのサンギュリエール、みたいな。
カンブルラン指揮読響の「くるみ割り人形」&「春の祭典」
●13日はサントリーホールでシルヴァン・カンブルラン指揮読響。チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から4曲、モーツァルトのクラリネット協奏曲、ドビュッシーのクラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲、ストラヴィンスキーの「春の祭典」。クラリネット独奏はポール・メイエ。ソリスト入りの曲が2曲もあるので見えにくいが、新旧二大バレエ音楽プロでもあり。メイエのモーツァルト、過去にも何度か聴いていると思うが、細部まで入念に表情付けされた快速モーツァルト。より印象深かったのは休憩をはさんで後半に演奏されたドビュッシーの第1狂詩曲のほう(第2が存在しないのになぜか第1と呼ばれる謎)。ふくよかなクラリネットの音色にカラフルなオーケストラ。「牧神の午後への前奏曲」を連想させるなあと思っていたけど、「海」や「夜想曲」も入っているような気がして、セルフパロディ感というか全部入り感というか。鮮麗。
●ストラヴィンスキーの「春の祭典」は色彩の饗宴、精密な音の彫像。ファゴットのソロはほとんど甘美といっていいほど。異教の儀式ではなく、洗練された都市の祝祭。曲以上にカンブルランの指揮姿に舞踊性を感じる。これだけ磨き上げられた「ハルサイ」を東京のオーケストラで聴けるなんて、喜び以外のなにものでもない。
東京・春・音楽祭 エリーザベト・レオンスカヤ ~ シューベルト・チクルス5
●12日は東京文化会館小ホールでエリーザベト・レオンスカヤのシューベルト。東京・春・音楽祭での6日間にわたるシューベルト・チクルスからの一公演。この日のプログラムはピアノ・ソナタ第7番変ホ長調、同第14番イ短調、同第20番イ長調。上野はすっかり桜も散って、前回訪れたときよりもぐっと落ち着いた雰囲気に。レオンスカヤのシューベルトはベテランの枯れた味わいなどとはほど遠く、いまだ力強く、ベートーヴェンばりの剛悍さ。こうして3曲のソナタが並ぶと、第20番の飛躍的な完成度と独自性に圧倒されるばかり。この第20番とか第21番で描き出される大きくて閉じたシューベルトの世界って、いつ聴いても心動かされるし、同時になんだか気恥ずかしい。シューベルトが人並みに長生きしていたら、これらに続いてどんな曲を書いていたんだろう。同じく早世したモーツァルトの「ジュピター」なんかを聴いても感じるけど、これに続く世界がぜんぜん想像できない。もっとも、仮にベートーヴェンが交響曲を3曲書いた時点で世を去っていたとしても、やっぱり同じようにそこが終着点だと感じただろうけど。
●ソナタ第20番終楽章の冒頭主題(第4番第2楽章でも使われている)って、いかにも歌詞がついていそうな曲に聞こえるけど、歌曲では使われていないんすかね。あるいはなにか元ネタがあったりするんだろうか。
「クラシカロイド」コンピのジャケット 元ネタ集
「亡命」の音楽文化誌 (エティエンヌ・バリリエ著、西久美子訳/アルテスパブリッシング)
●今年のラ・フォル・ジュルネTOKYOの日仏共通オフィシャルブック「『亡命』の音楽文化誌」(エティエンヌ・バリリエ著/アルテスパブリッシング)を読んだ。とてもおもしろい。昨年の「ダンスと音楽 躍動のヨーロッパ音楽文化誌」や一昨年の「ナチュール 自然と音楽」と同様に、今回も音楽祭のテーマと連動したテーマで書かれた読み応えのある音楽書。音楽祭の実用的なガイドブックでもなければ初心者向けの入門書でもなく、「亡命」を切り口にした音楽史の本であって、音楽祭が終わった後もまったく価値が減じることのない一冊。でも、これをあらかじめ読んでおけば、LFJをいっそう深く楽しめることはたしか。過去2年の公式本と比べても、今回の本がいちばんリーダビリティが高く、ページをめくる指が止まらない。
●リュリやスカルラッティといったバロック期の「幸せな故郷喪失者」たちから、ショパンやワーグナー、さらに20世紀の数多くの作曲家たちを巡る亡命をキーワードにした作曲家論で、ざっくりとした大枠でいえば、祖国を去った作曲家たちの運命は案外悲劇的なものばかりでもないし、亡命が作風に与える影響というのも不確かなことが多いというあたりが印象的。でもそれ以上に個別の作曲家のエピソードが興味深い。ハリウッドでのシェーンベルクのスピーチにある「私が祖国を追われたのは、神の恩寵です。私は楽園へと追放されたのです!」の一言はなかなか味わい深い。スペインに渡ったスカルラッティが、法的な文書に「ドミンゴ・スカルラッティ」と署名していたこと、アメリカに渡ったクルト・ヴァイルがもう英語でしか話さないと決意し、やがて「英語でしか夢を見なくなった」と誇らしげに述べたこと、シェーンベルクがMGMからパール・バックの映画「大地」の作曲を依頼された際に、あえて5万ドルの報酬をふっかけて断念させたこと(そのくせ映画のためのテーマをいくつか下書きしていたというのがおかしい)等々。アメリカに渡ったラフマニノフがピアニストとして経済的に成功し、多くの同胞たちを助けていたことは知られているが(グラズノフとか)、そのなかにナボコフの名前もあったとは。
●プロコフィエフのストーリーはほかで読んだことのある方もいると思うけど、ソ連に帰国後に外国人である最初の妻が強制労働収容所に送られることになった経緯や、いったんは祖国を離れながら最悪とも思えるタイミングで帰国してしまった事情などを読むにつけ、この人の創作者としてのエゴイストぶりと政治に対する危険なほどの軽視が伝わってくる。彼が「自伝」で描いた自画像と重ね合わせると吉。
●アメリカ楽壇からの無反応ぶりにシェーンベルクがコープランドをスターリン呼ばわりして非難していたというのも相当におかしい。
日本サッカー協会、ハリルホジッチ監督を解任、後任に西野朗技術委員長
●ニッポン代表のハリルホジッチ監督が解任されるという耳を疑うようなニュースが。ワールドカップまで2か月、事実上あとは本番を戦うのみとなった今の段階で、まさか監督を解任するとは思わなかった。サッカー協会田嶋会長の会見でのコメントを読んでも、言っていることがまだるっこしくて解任理由がさっぱりわからない。「選手からの信頼を失った」みたいな言い方ってどうなんだろ。まるで選手側にも責任を背負わせているようで落ち着かない。縦に速いサッカーが日本に合ってない? でもそれが典型的なモダン・フットボールだし、その戦術は最初からわかっていたこと(というかアギーレを招いた段階からそっちを目指していたはず、ザッケローニ時代の反省から)。現にワールドカップ予選で結果を出した監督を切るのだから、メディアには載らないよほどのことがあったのかとヘンに想像力を刺激されてしまう。
●で、後任は西野朗技術委員長が務めることになった。現実的な選択肢として、今から知らない人を招くのは無理な話なわけで、内部から監督を出すのはしょうがないのかもしれない。でもなー、それって「ピンチヒッター、オレ!」みたいな感じじゃないすか。西野さんがガンバ大阪で好成績を収めていた頃には、次に日本人で代表監督になれる人がいるとしたらこの人だろうという期待はあった。でも、その後ガンバが不調に陥り監督の座を降りると、続いて就任したヴィッセル神戸で失敗し、さらに名古屋グランパスでも冴えない結果に終わって、もう代表監督どころじゃない状態に。それがサッカー協会を経由して、よもやの内部からの代表監督就任。こんな形でチャンスが巡ってくるなんて、本当に人の運命はわからない。
●アトランタオリンピックでブラジルに勝った「マイアミの奇跡」というのは、20年以上も前の話で、ちなみにそのブラジル戦というのはズタズタにディフェンスを切り裂かれてシュートを雨あられと打たれ続けたのに鬼神と化した川口能活がスーパー・セーブを連発して、一方こちらがポーンと山なりのボールを相手陣内に放り込んだら相手キーパーとセンターバックが衝突してしまいこぼれたボールを伊東輝悦が蹴り込んで1対0で勝ったという、見ていて辛いゲームだった。なので、「マイアミの奇跡をもう一度」というのは悪い冗談にしか聞こえない。
マリノスvs川崎フロンターレ、隙だらけの構えでどこからでもかかってこいと啖呵を切ってみたら
●ポステコグルー監督のハイリスクすぎる戦術を続けるわがマリノスに、試金石となる一戦が到来。マリノスvs川崎フロンターレをDAZNで観戦。マリノスの戦術はこうだ。ディフェンスラインを思いきり上げる。後ろの広大なスペースはゴールキーパーが走り回ってスイーパーのようにカバー。キーパーはディフェンスラインとともにボール回しに参加し、よほどのことがないかぎり前に蹴り込まず、ショートパスをつないで組み立てる。両サイドバックも高い位置を取るばかりでなく、中に絞って中盤に参加する。必然的にパスの本数は劇的に増える。そして、キーパーは毎試合7キロくらい走る。で、広大なスペースを相手に与える隙だらけ戦術だが、川崎はこういったスペースを突くのが猛烈にうまい。ディフェンスの裏に抜ける動き、後ろから追い抜く動き、細かいパス交換から抜け出る動き。足元の技術が高く、視野の広い選手がそろっている。そんな川崎を相手にしたらマリノスの今の戦術なんて、持ってけ泥棒と言わんばかりにゴールを献上しそうに思えるじゃないすか。
●そしたら、事実、そうなりかけたんすよ! やっぱり。前半は好き放題に川崎に崩された。あきれるほどきれいに裏を取られる。次から次へと決定的ピンチがやってくる。そして、こちらのチャンスはほとんど来ない。なにをやってるんだか。これ、足元の技術でかなわない相手には通用しない戦術なんじゃないの? ポステコグルー監督時代のオーストラリア代表がニッポン代表と戦ったときがまされにこの展開じゃん!……でも、なぜかゴールポストが助けてくれたり、飯倉のファインセーブとかで、奇跡的に前半を耐えた。前半だけで3点くらいは失点しててもおかしくなかった。
●しかし後半13分、ついに失点。家長のシュートがゴールポストに当たって、一瞬またラッキーかなと思ったら、跳ね返ったボールが飯倉に当たって、ゴールのなかに吸い込まれた。トホホ。ワタシの感覚ではこれはオウンゴールなんだけど、家長のゴールになった模様。わかった、ポステコグルー監督の戦術は通用しない。そうあきらめかけた後半16分、コーナーキックから中澤(40歳)が頭で合わせたボールがエウシーニョに当たってコースを変えて同点ゴール。これもオウンゴールだと思うんだけど、記録は中澤のゴール。不思議な展開で1-1になった。
●後半の後半は川崎の足が先に止まり、マリノスが押し気味に。途中からラインが間延びしてノーガードの打ち合いになったが、両者ギリギリのところで耐えてドロー。マリノスは勝点1という微妙な結果を手にしたわけだが、どうかな、正直言ってこの戦術、ぜんぜん機能していたとは思えない。むしろお家芸の守りの堅さで耐えた気がする。川崎は後半途中からケガ明けの齋藤学(元マリノス)を投入してきたのだが、そんな因縁話などまったく霞んでしまうほどポステコグルー監督の戦術は妖しい光を放っている。エキサイティングすぎる。これで2勝2敗2分。戦術は派手だが、結果はいたく平凡だ。
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●音楽之友社の新ウェブマガジン、ONTOMOで連載を始めることになった。本や映画、スポーツ、身近な話題など周辺的なテーマをきっかけとしたクラシック音楽コラム。よろしければ。→ 飯尾洋一の音楽夜話 耳たぶで冷やせ 第1回。
東京・春・音楽祭「ローエングリン」
●5日は東京文化会館で東京・春・音楽祭「ローエングリン」。この音楽祭のハイライトとなる演奏会形式によるワーグナー・シリーズ、今回はウルフ・シルマーの指揮でNHK交響楽団(コンサートマスターは今年もライナー・キュッヒル)、東京オペラシンガーズの合唱、ローエングリンにクラウス・フロリアン・フォークト、エルザにレジーネ・ハングラー、テルラムントにエギルス・シリンス、オルトルートにペトラ・ラング、ハインリヒ王にアイン・アンガー、王の伝令に甲斐栄次郎という充実のキャスト。歌手陣ではなんといってもフォークト。新国立劇場での「ローエングリン」もそうだったが、これだけ甘美な声のローエングリンがありうるとは。この人なら白鳥といっしょに出てきても納得できるかもという騎士感あり。オルトルートのペトラ・ラングは存在感抜群。演奏会形式にもかかわらず、キャラクターの描出力が並外れている。逆にレジーネ・ハングラーのエルザはストーリー性よりも歌唱に集中した感。声はまろやか。オーケストラは昨年までのヤノフスキの印象が強いが、また違ったタイプで、明快で歯切れのよいワーグナー。これもすばらしい。3階かな、左右中央に陣取ったバンダが効果的で、スペクタクルを堪能。
●背景のスクリーンは昨年に比べるとぐっと控えめになってしまった。じゃまにはならない分、拒否反応も出にくいとは思うんだけど、ワタシはもっと積極的に表現してくれたほうがうれしい派。いずれにしても、ないよりはあったほうがずっといいと思ってる。
●で、「ローエングリン」だ。どこもかしこも臆面のないくらいカッコいい音楽にあふれている。特に第1幕のおしまいのカッコよさはやり切った感がある。一方、ストーリー的には微妙なところもあって、神明裁判なんてものを持ち出されたら、心情的にはオルトルートに味方したくもなる。ヴォータンとかフライアとかいにしえの神々も大事にしてほしいじゃないすか。ローエングリンって第2幕まではひたすら超越的で、内面の見えないキャラなんだけど、第3幕に入ったとたんにひとりの人間になる。エルザも第2幕までは心配無用な感じだったのに、第3幕になるととたんに心の弱さを見せるようになる。いったい彼らになにがあったのか……といえば、それはずばり結婚だ。結婚行進曲が流れるやいなや、エルザの愚かさスイッチが入る。ワーグナーのミソジニー的な傾向を感じる場面のひとつ。エルザがトニー谷ばりに「あなたのお名前なんてェの?」 と尋ねるカタストロフの瞬間に向けて期待を高めていく。第3幕のエルザのセリフを嬉々として書くワーグナーの姿を想像してしまう。
●ローエングリンはパーシヴァル(パルジファル)の息子。もともとの伝説では、ローエングリンはエルザのもとを去った後、リザボリエの皇女ベライエと結婚するが、娘が魔法で籠絡されたと勘違いした両親の派遣した軍隊に殺されるというストーリーがある。パーシヴァルは、以前この欄で紹介したブルフィンチの「中世騎士物語」では、ほかのアーサー王の騎士たちとともに聖杯探索の旅に出かけ、ついに聖杯を見つける。しかし聖杯に選ばれたのはランスロットの息子である騎士ガラハドで、パーシヴァルは僧服を身につけて隠遁して、まもなく世を去る。いろんなパラレルワールドが広がっている。
カリタのナイスカットG
●コーヒーを豆で買う派にとって悩ましいのが、ミルをどうするんだ問題。手動にするのか電動にするのか、プロペラ式なのかグラインダー式なのか等々、やたらと選択肢が豊富にある一方で、これといった定番も見えづらい。複数の機種を比較するチャンスも少ない。自分も長年いろんなタイプを使ってきたのだが、先日、カリタのコーヒーミル ナイスカットGを導入したところ、これがよくできていて感心してしまった。
●まず、コーヒーがおいしい(とても)。前に使っていたミルでは焙煎してまもない鮮度の高いコーヒー豆を使っても、どうもぼんやりとした曖昧な味で、微妙なエグミが気になっていたのだが、これが一気に解決。いわゆるチョコレートのような甘味、ナッツのような香りがしっかりと味わえる。もうひとついいと思ったのはメンテナンス性。形状を見るとなんだか身構えてしまうような「業務用っぽさ」があるが、マニュアル通りにやってみるとぜんぜん掃除がめんどくさくない。あと挽いた粉を受ける容器がステンレス製になっていて、微粉が残りにくい。プラスチックの容器だと静電気で微粉が付きまくって苦労するんすよね。
●で、どうしてコーヒーの味は挽き方によって変わってくるのかというと、豆を均一のサイズに挽く性能が高ければ、微粉の割合が少なく、エグミが出にくいということのよう。主観の問題だけにおいしさとは思い込みだけで語られがちな話題だが、コーヒー関しては化学的なアプローチから迫った「コーヒーの科学」(旦部幸博著/講談社ブルーバックス)という名著がある。この本でも豆を挽いた際の微粉の量がコーヒーの味を変えることは指摘されていて、なにもミルを買い直さなくても確かめる方法はあって、挽いた豆を茶こしやふるいにかけて微粉を除いて粉の大きさをそろえてやれば驚くほど味が変わるという。
●この本のハイライトは「透過抽出の基本原理」の項あたりで、ドリップ式の入れ方をクロマトグラフィーとみなして、お湯の注ぎ方で味が変わる原理を説明しているあたり。
Spotifyプレミアムを試すことに
●定額制音楽ストリーミング・サービスのSpotifyがニューヨーク証券取引所に上場したというニュース。取引初日の時価総額は約2兆8000億円。現在の有料会員数は7100万を超え、1兆円以上のロイヤルティーをアーティストやレーベル等に支払ってきたとか。
●現状、定額制音楽ストリーミング・サービスの御三家は、Apple Music、Google Play Music、Spotifyということになると思う(AmazonのPrime Musicは別の種類のサービスという理解)。ワタシは当初Apple MusicとGoogle Play Musicの両方を併用していたが、どうしてもGoogle Play Musicが見劣りしてしまって解約、現状はApple Music派になっている。でもApple Musicにも不満はあるので(特にWindows版クライアントソフトの出来)、これを機にSpotifyとも契約してみることに。久々にSpotifyでクラシックのニューリリースのコーナーを見てみると、以前よりもタイトル数がそろっているような気もする(気のせいじゃないことを祈る)。しばらく併用してみて、後日ここで使用感などをお知らせするつもり。
●一応、有料会員になる前に退会方法は確認しておいた。問題ない。この種の継続型サービスって、退会にわずかでもストレスを感じさせるようなタイプ(メールしろとか電話しろとか日数がかかるとか)だと、一気に熱が冷める。
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●お知らせをひとつ。拙ナビによるラジオ番組、FM PORTの「クラシックホワイエ」に再放送の枠ができた。本放送は毎週土曜日夜10時から、再放送は毎週金曜日夜11時から。インターネットではラジコで全国から聴取可(要ラジコプレミアム)。ラジコでは「タイムフリー」機能を使えばオンデマンド再生できるので、常時複数回を聴けるようになることに。電波ラジオは新潟県内のみで受信可。
東京・春・音楽祭2018 名手たちによる室内楽の極 コルンゴルト 弦楽六重奏曲
●29日は東京文化会館小ホールで東京・春・音楽祭「名手たちによる室内楽の極」。長原幸太と小林壱成のヴァイオリン、鈴木康浩と生野正樹のヴィオラ、上森祥平と伊藤文嗣のチェロによる弦楽六重奏曲の一夜。プログラムはベートーヴェンのセレナード ニ長調op.8、シューベルトの弦楽三重奏曲第2番変ロ長調、コルンゴルトの弦楽六重奏曲ニ長調。もう猛烈にうまい。しかも対話性に富み、オープンな雰囲気で楽しげ。前半のクラシカルな演目だけでも聴きごたえ十分だったが、やはり後半のコルンゴルトが貴重。初めて聴けたけど、後期ロマン派のスタイルで書かれた円熟味すら感じる作品で、とても10代の若者が書いたとは信じられない。神童中の神童といった感じだが、同時代の人々はどんなふうに彼の存在を受け止めていたのか、後にたどる運命を思うとなんとも複雑な気分になる。弦楽六重奏という編成なので聴く機会はどうしても少ないが、そうでなければずっと人気があってもおかしくないはず。アンコールにヨハン・シュトラウス2世(佐々木絵理編)の「雷鳴と稲妻」。これがハジけまくった演奏で痛快。6人だけなのに、どんなオーケストラにも負けないほどの強烈な稲妻。
●だれだったっけ、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲は以前は限られた人だけが弾く曲だったのに今やみんながこぞってとりあげる人気曲になったと言ってたヴァイオリニストは。ルノー・カプソン?(うろおぼえ)。たしかに演奏機会はずいぶん増えたと思う。レパートリーのはやりすたりは案外あるものなので、弦楽六重奏曲だってどうなるかわからないかも。
清水エスパルスvsマリノス、今日もゴールキーパーが7キロ以上走ってる
●DAZNで清水エスパルスvsマリノスを観戦。マリノスはこの日も猛烈なハイラインを敷いて、ゴールキーパーの飯倉がスイーパーとなってピッチを駆け回る過激な戦術を敢行。バックラインの裏に広大なスペースを残すのみならず、サイドバックが中に絞りがちで左右にもスペースができてしまうという、隙だらけの布陣。「肉を切らせて骨を断つ」ようでいて、骨を切らせて肉を断っているんではないかという疑惑が拭えないのだが……な、なんと、勝ってしまった! 降格争いをするかという悲惨な開幕で始まったが、ここに来てリーグ戦2連勝。まさか、ポステコグルー監督の戦術が機能しているのか? いやいや、でも、これおかしいでしょ。これって、2点取られて3点取るみたいな戦術かと思いきや、相手もこちらもあまりゴールを奪えていない。マリノスの対戦相手は決定的ミスを待っていれば、労せずしてチャンスをゲットできる。実際、マリノスはこの日も自陣深くで危険すぎるミスを連発。なぜ、そこで失点せずに済んだのか、謎すぎる謎。
●こちらのゴールはカウンターアタックから。扇原のロングパス一本に抜け出した左サイドの山中が、キーパーとディフェンスの間に教科書通りのクロスを入れて、ファーサイドに走り込んだウーゴ・ヴィエイラがボレーでゴール。でも清水にはもっと大きなチャンスがいくつもあったはず。マリノスのキーパー飯倉にファインセーブあり。今日も飯倉は7.4キロも走っていた。メッシより走っていそう。こんな戦術なのでボール支配率はマリノスが大きく上回ったとは思うが、どうかな、強いて言えば後半の苦しい時間帯にマリノスが走り勝ったことのほうに勝因を感じる。
●マリノスだけメンバーを。GK:飯倉-DF:松原、中澤、ミロシュ・デゲネク、山中-MF:扇原、天野、大津(→吉尾海夏)-FW:ブマル(→遠藤渓太)、ユン・イルロク(→中町)-ウーゴ・ヴィエイラ。新戦力のブマルはフィジカルが強そう。大津は初出場。交代出場のユース育ちの吉尾は技術とセンスを感じさせる。大成してほしい、このチームで。