●24日はトッパンホールで山根一仁(ヴァイオリン)、上野通明(チェロ)、北村朋幹(ピアノ)のトリオ。プログラムが巧妙で、前半にベートーヴェンのピアノ三重奏曲第1番とショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第1番、後半にブラームスのピアノ三重奏曲第1番(1854年初稿)。若い奏者たちによるトリオのシリーズVol.1として、3曲の「第1番」を組み合わせたばかりでなく、各々の作曲者にとっても作品番号を持つ最初の室内楽作品であるという、まさしく第一歩にふさわしい選曲。
●こうして3作品を並べてみると、一曲目のベートーヴェンはこれが作品1-1とは思えない完成度というか、成熟度を感じる。最初の一歩からベートーヴェンはベートーヴェンだったんだな、と。やはりこの曲はピアノが主役で、北村朋幹のポエジーを堪能。この曲の終楽章、少しユーモラスというか、風変わりな(吃音風?)主題で始まるじゃないすか。これって、なにかの「ネタ」になってたのかなと想像する。この音型にぴたりとあてはまるドイツ語のフレーズがあったのか、流行していたメロディの変形なのか。自分にはわからないネタのジョークを囁かれている感じがある。
●ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第1番は17歳の作品とあって、さすがに粗削り。微妙にベートーヴェンの空気を受け継いでいるような気も。一介の十代の若者であり、「二重言語」を話す必要性のない時代の作風として聴くのも吉。
●ブラームスのピアノ三重奏曲第1番が最大の驚きで、1854年初稿を聴いたのはこれが初めて。通常版よりも長い。そして、やっぱりアンバランスだと思うのだが、そこにおもしろさを感じ取れるかどうか。第1楽章の後半で出てくるフーガの労作感も半端ない。この部分は改稿で削られてしまって惜しいと思う反面、つなぎ目をなくすためには無理もないとは思う。モーツァルトの「ジュピター」終楽章がどれだけ奇跡的なのかと。全体を覆うメランコリーやパッションはブラームスならではで、終楽章の熱量はすさまじい。
●アンコールは、北村朋幹編曲によるショスタコーヴィチのジャズ組曲第1番よりワルツ。洒脱。
July 26, 2018