●21日はサントリーホールでシルヴァン・カンブルラン指揮読響。前半にモーツァルトの「後宮からの誘拐」序曲、ピアノ協奏曲第24番ハ短調(ピョートル・アンデルシェフスキ)、後半にブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(1888年稿/コーストヴェット版)。アンデルシェフスキは今もっとも聴きたいピアニスト。抒情性と節度のギリギリのせめぎ合いから生まれてくるような清冽なモーツァルト。できれば長調の曲も弾いてほしいもの。アンコールにベートーヴェンの6つのバガテルから第1曲。自分が聴いた前回と前々回のリサイタルでもこの曲がアンコールで弾かれたっけ。簡潔で気まぐれで、独り言をつぶやくような曲想は、アンデルシェフスキのために書かれた曲であるかのよう。
●後半は問題のブルックナー。交響曲第4番「ロマンティック」(1888年稿/コーストヴェット版)というバージョンで、最近ではマーク・ウィグルスワース指揮東響でも演奏されているのだが、初めて聴いた。弟子の勝手な改竄なのか、作曲者本人も認めているのか、という真正性は自分の関心外。どちらでもいいので、既存の名曲に一貫した説得力のある別稿がもたらされる(=名曲の世界が広がる)ならありがたいこと。で、前半の2つの楽章はまだしも、後半はかなり別世界が広がっていた。基本、第3楽章も第4楽章もどちらも簡潔化しようとしていると思うのだが、それがもうひとつ効果的ではない印象。第3楽章の狩りはどこか最大の獲物を逃してしまったような物足りなさが残る。第4楽章は一般的な第2稿で冗長さを感じる楽章ではあるんだけど、むしろその大きさが魅力だったのかもと感じる。強烈なのはシンバルの追加で、シリアスな場面で笑いを誘発しかねない。あと、第4楽章コーダでシンバルを弱奏のみで使うのは、まったくブルックナー的な感じがしない。と、違和感を延々と綴っておきながらなんだが、なんどか聴いたらこれも自然に感じるのかも。ブルックナーの音楽自体、違和感の集積がおもしろさに結実している面があると思うわけで、自然さと慣れの線引きは難しい。
●版の問題はともかく、カンブルランのブルックナーは、期待通りのカッコよさ。深い森でも大伽藍でもなく、モダンなデザインの高層建築物のようなブルックナー。マッシヴな響きの塊というよりは、多層レイヤーの見通しのよさが魅力。ブラス・セクション、とりわけホルンの響きが美しい。
●ブルックナーの全交響曲で、いちばん偉大さを感じるのが第5番とするなら、いちばんラブリーなのが第4番。ぶっちぎりでラブリー。あ、マーラーも第4番はラブリーか。そもそもベートーヴェンの4番だって「北欧のふたりの巨人に囲まれた可憐なギリシャの乙女」(シューマン)だし、第4番はラブリーになりがちなのかも。
September 25, 2018