●「バーミンガム市交響楽団」の文字を目にするたびにモヤッとした気分になるのは、おそらくワタシだけではないと思う。若き日のサイモン・ラトルの躍進とともに飛躍的にその名を聞く機会が増えたオーケストラだが、なぜここだけが「バーミンガム市」と呼ばれるのだろうか。イギリスであれどこであれ、日本以外のオーケストラの名前に「市」が付く例があったか、思い出せない。City of Birmingham Symphony Orchestra をそのまま訳したといえばそうなのだが……。
●が、ある日、「翻訳地獄へようこそ」(宮脇孝雄著/アルク)を読んでいて疑問が氷解した。これは翻訳家による上質なエッセイ集で、巷にあふれる珍妙な日本語訳についての実例も豊富に挙げられていて、出版関係者なら背筋が凍ること必至の一冊なのだが、ここで「バーミンガム市交響楽団」の例が小さく取り上げられていた。「小説で知ったイギリスにおけるcityの意味」という章があって、「主教が在任する聖堂のある町をイギリスではcityと呼ぶ」のだとか。バーミンガムにも主教が在任する聖堂がある。だから、ここでのcityを「市」と訳出する必要性はない。この章ではそのcityの意味を正しく把握できずにおかしな訳に至った小説の例が挙げられていて、ついでに「バーミンガム市交響楽団」が出てきた次第。
●この本はとても楽しく読めて、なおかつためになる。誤訳の例はたくさん挙げられていても決して告発の姿勢になっていないところがいい。翻訳書を読んでいて「あれ? なんだかヘンだな」と感じることはよくあると思う。ひどい場合は、日本語なのにまったく意味がわからない文章が出てくる(担当編集者はこれを理解できたのだろうか?……と首をかしげることもたびたび)。ある翻訳小説のこんな一例が挙げられていた。
「あなたはずっと寛大でいてくれましたね。ぼくの大言壮語にも、寛大でいてくれるでしょう?」
一見、日本語としては問題がなさそうだけど、「大言壮語」が引っかかるということで原文にあたると big mouth が出てきた。ここでの正しい意味は「おしゃべり」。ほかの言葉も吟味した結果、正しい解釈はこうなるという。
「きみの負け方は実にいさぎよかった。勝ったぼくを恨んだりしてないよな。それに、よけいなことをぺらぺらしゃべったかもしれないけど、もう忘れてくれ」
なんという明快さ。この引用文だけを見ても場面が目に浮かぶようなわかりやすさがある。同時に翻訳というものがどれだけ難しいか、どれだけ多くの罠が潜んでいるかに戦慄する。
●もうひとつ、この本で膝を全力で叩いた一節があって、それは「文脈で意味合いが変わる "decent" をどう訳すか」の項。decentという言葉には悩まされたことがある。ワタシは日頃英語に接する機会はほとんどないのだが、唯一例外として、イギリス製のPC用ゲーム Championship Manager にとことんハマっていた時期がある。これはフットボール(=サッカー)クラブ・マネージメント・シミュレーション・ゲームとでもいうべきゲームで、実在するクラブのマネージャー(オーナー兼監督)になって、選手を売買したり育成したりできるというもの。日本語版がないので、必死に辞書を引きながらプレイした。ゲーム内で、自分のクラブにいる無名の若手が有名選手に育ったりすると、とてもうれしい。で、たくさんいる無名の若手に対するスカウトの評価を見ると、やたらと decent player と呼ばれる選手が見つかる。辞書によれば、decentとは「きちんとした」「感じのいい」。ワタシはこれを「まずまず見込みのある選手である」と理解して、decentな若手を積極的に試合で起用し、経験を積ませていたのだが、ちっとも能力が伸びてこない。何人もの選手で試したが、だれひとり、トップチームで活躍できないのだ。どんなにがんばっても育たないので、やがてワタシはdecentを「凡庸な」と解するしかなくなった。この本ではdecentについて、ランダムハウス英和辞典にある「非難される点がないといった消極的な意味を持つ」という説明が紹介されたうえで、文脈による訳語の変化が解説されていて、いろいろと腑に落ちる。