December 18, 2018

ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のヴァレーズ&シュトラウス

●15日はサントリーホールでジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。プログラムがすごすぎる。前半がヴァレーズの「密度21.5」と「アメリカ」(1927年改訂版)、後半がリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。ステーキの食後に鰻重みたいなハイテンション・メニュー。
●というか、一曲目の「密度21.5」は無伴奏フルートのための曲なわけで、オーケストラ曲ですらない。同楽団首席奏者の甲藤さちが演奏。どんな立ち位置で演奏するのかなと思ったら、前半2曲を拍手なしで続けて演奏するということで、最初から「アメリカ」の特大編成が舞台いっぱいに広がり、そのなかでポツンとフルートがただ一人演奏するというドラマティックな趣向。「アメリカ」冒頭がアルト・フルートで開始されるということで、フルートつながりで結ばれた2曲だが、洗練されたフルート・ソロの世界から、暴力的なほどの爆音が続く荒々しい世界へと飛躍するという、すさまじいコントラスト。山あり谷ありじゃなくて、山あり山ありで、どんどん山に対して感覚が麻痺してくる。うっすら漂うストラヴィンスキー「春の祭典」風味。苛烈。「もうそんなに食えないよ」って言ってるのに、ステーキが口の中に勝手に入ってくるくらいの飽和状態。
●「密度21.5」は初演者のフルートの材質であるプラチナの密度に由来するということなんだが、すごくないすか、プラチナ。鉄だって7.87なのに21.5もあるんすよ! 鉄パイプよりはるかに高密度なプラチナ・フルート。装備するとかなり強そう。
●後半の「英雄の生涯」、通常なら雄々しく奏でられる冒頭の英雄の主題だが、いくぶん柔和にふわりと始まった。先に巨大な「アメリカ」に接しているので、いつもは一大スペクタクルの「英雄の生涯」が相対的に小さく見える。最初から過去を懐かしんでいるかのようなノスタルジックな英雄像というか。実際に前半で消耗していた部分もあったとは思う。決して慣習的ではなく、鮮度は高い。次第に「アメリカ」での麻痺から解放されて、起伏に富んだ音のドラマに没入する。
●この日、配られていたチラシの束のなかに、本の注文書が一枚入っていた。休憩中に著者にお会いしたので勝手に宣伝しておくと、沼野雄司著「エドガー・ヴァレーズ 孤独な射手の肖像」(春秋社)がもうまもなく発刊される。全560ページからなる、日本語初のヴァレーズの本格的評伝。これはスゴそう。

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