●19日は東京文化会館でアラン・ギルバート指揮都響。プログラムはリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」、ビゼーの「カルメン」組曲より(アラン・ギルバート・セレクション)、リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」。つまりスペイン人作曲家のいないスペイン・プログラム。前半の「ドン・キホーテ」ではチェロのターニャ・テツラフ、ヴィオラの鈴木学の両ソロが冴えまくっていた。ユーモラスのようでいて毒も吐く、壮麗なのに苦々しい管弦楽絵巻。後半はぐっと軽快なプログラムで、生き生きとした演奏を楽しむのみ。前回同様、このコンビのサウンドは明瞭明快。オーケストラがきれいに掃除されたかのような気持ちよさ。土臭さよりは都市の洗練を感じさせるスペイン特集たった。
●シュトラウスの「ドン・キホーテ」といえば、プログラムノートにもあったように「英雄の生涯」と対をなす作品。ちょうど先日のノット指揮東響でその「英雄の生涯」を聴いたばかりで、自然発生的に2曲のシリーズができあがった。ドン・キホーテもまたヒーローであり、その交響詩も一種のヒーローズ・ライフを描いている。となれば、両交響詩の主人公は同一人物とも解せる。ある人生をひとつの側から描けば「英雄の生涯」になるが、別の側から描けば「ドン・キホーテ」になる。これはよくあることで、自分では「英雄の生涯」冒頭主題が雄渾に鳴っていると信じているのに、身近な他人にはそれが「ドン・キホーテ」冒頭の脱力気味のオトボケ木管主題として響いていたりする。人のやることなんて、だいたいはそんなもの。人生は色とりどりの妄想の堆積物。そう思って聴くと2曲の類似点は少なくない、きっと。
December 20, 2018