●さて、アジア・カップ準決勝のもう一試合はカタールvsUAEの中東対決。元日本代表監督のザッケローニが率いるUAEは開催国でもあり、一方的なスタジアムの声援を期待できるわけだが、それ以前に両国は2017年から断交状態にあって、いささか不穏な雰囲気に包まれるゲームになった(カタール国歌にブーイングが浴びせられるとか、観客席からペットボトルが投げ入れられるとか)。そんな逆境を跳ね返して、カタールはUAEを4対0で撃破。完全に一枚上手だったといっていい。
●なにしろカタールは次回のワールドカップ開催国。一部省略しつつ高速録画観戦した限りでは、よく鍛えられたエリート集団のチームといった印象で、一昔前の「中東といえばカウンター」のイメージからは程遠い。ディフェンス・ラインからボールをつないでゲームを組み立てる。というか、UAEにもポゼッション志向は感じられて、どちらもリアクション・サッカーではなく、自ら主導権を握ろうとして正面からぶつかった結果、地力で勝るカタールが試合を制したといった様子。UAEで悔やまれるのは前半22分の最初の失点で、遠目からブアレム・フーヒが思い切って打ったミドルをキーパーが弾けず。続く37分のアルモエズ・アリはディフェンスに囲まれながらも合間を縫ってのスーパーゴール。ザッケローニのアジアを巡る長い旅は終わった。
●さて、決勝戦のニッポンvsカタールはどんな雰囲気になるのだろう。ひょっとして反カタール感情の強いUAEサポたちがニッポンを応援してくれたりするのだろうか。あるいは、彼らにとってはもはや終わった大会にすぎず、寂しく閑古鳥の鳴くスタジアムで決勝戦が執り行われることになるのだろうか。
2019年1月アーカイブ
カタールvsUAE@アジア・カップ2019UAE大会準決勝
神さまシンフォニー
●同じベートーヴェンでも「ミサ・ソレムニス」と「第九」はぜんぜん違うのだなあ。24日、東京オペラシティで鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンの「第九」を聴いた。同じ場所、同じ演奏者で一昨年に「ミサ・ソレムニス」の記念碑的な名演があって、今回は「第九」。年中行事化されていない、一期一会の貴重な「第九」。「ミサ・ソレムニス」は宗教音楽なんだけど、「第九」はやっぱり交響曲なんだなと思う、思いきり「神」が出てくるにもかかわらず。非キリスト者であっても、受け入れ可能などこのだれでもない神さま。第4楽章の少数精鋭の合唱に圧倒されつつ、そんなことをつらつら考える。
●昨日、橋本治が亡くなった。まだ70歳とは。ずっと前にオウム真理教の事件をきっかけに書かれた「宗教なんかこわくない!」を読んで、そこで(既存の集団的な)「宗教とはイデオロギーである」と言い切られていて、これには目から鱗。「イデオロギーとは」みたいな言葉の定義論は脇に置くとして、自分のなかではこの一言がすっきり腑に落ちた。この一言は宗教音楽をどう聴くかということにも直結していて、わたしたちが偉大な傑作に対して常に異教徒ポジション(平たく言えば、潜在的な「敵」の側)にあることを前提とした聴き方があるんじゃないか、ということを意識せざるを得ないようになったのは、この本を読んだことがきっかけだったように思う。
イランvsニッポン@アジア・カップ2019UAE大会準決勝
●サッカーの醍醐味がぎゅっと詰まったような見ごたえのある試合だった。ほかの試合とはぜんぜんクォリティが違う。前半が終わった時点で、すでに「やっぱりサッカーってすばらしいな、勝っても負けてもこの試合を見ることができてよかったな」って思えたほど。
●イランを率いるのは智将ケイロス監督。アジアでは珍しい8年間の長期政権。それだけ成功しているという証拠でもあって、ワールドカップ2018ではモロッコに勝ち、ポルトガルに引分け、スペインに惜敗している。世界基準での戦いという点でニッポンとよく似た立ち位置にあるという認識。エースはロシアのルビン・カザンでプレイするアズムン。パワーも高さもスピードも決定力も突破力もある万能型ストライカー。18番のジャハンバフシュは現在ブライトンでプレイするが、オランダのAZでリーグ得点王に輝いたことも。アジアの選手が欧州の主要リーグで得点王を獲れるとは。会場にはイラン・サポが多く、ニッポンにとってはアウェイ状態。
●で、ニッポン。森保監督はレギュラーメンバーをそろって先発させた。フレッシュでパワーのある武藤を大迫と同時起用する手も考えられるところだが、森保監督の流儀としてそれはない。いったん選手を信頼すると決めたら、少々のことがあっても使い続ける。GK:権田-DF:酒井宏樹(→室屋)、吉田、冨安、長友-MF:遠藤航(→塩谷)、柴崎-堂安(→伊東純也)、南野、原口-FW:大迫。序盤、ニッポンはボールを保持するのではなく、早く前に運ぼうという攻撃的な姿勢で臨んだ。イランの強いプレッシャーを受けながらも、これを跳ね返すニッポンの選手たち。開幕時から見ればコンディションがあがっているようで、やはり決勝までを見据えた調整をしてきたのだろう。イランはフィジカルが強靭で、すべてのプレイにダイナミズムが感じられる。ゴールの近くで逐一ロングスローを放り込んでくるのが厄介。フリーキックも常にゴール前で高いボールを競り合うことになる。冨安も吉田も中央はよく跳ね返していたのだが、進むにつれてイラン・ペースに。右サイド、堂安はオフ・ザ・ボールの動きで物足りなさを感じる。左サイドの原口は守備に追われる展開。前半は0対0で五分五分の情勢。権田のパスミスから大ピンチを招いたが、自分のファインセーブで事なきを得た。今大会の権田は不安定だが好セーブも多い。
●試合が大きく動いたのは後半11分。南野がゴールに向かってドリブル突破をしかけるが、相手ディフェンスのチャージで倒れる。イランの選手たちは主審に向かって「ファウルじゃないだろう!」とアピールするが、笛は吹かれていないし、ボールはラインを割っていない。南野はすぐに立ち上がって、ゴールラインを割る前にボールに追いついた。あわててイランの選手たちがゴール前に戻るのだが、ここで南野がピンポイントのクロスを入れて、中央で大迫が頭ですらして先制ゴール。このシーン、南野の判断力にも感心するが、それ以上にノープレッシャーならあれだけ精度の高いクロスを蹴ることができることに驚嘆。
●その後、遠藤が負傷で塩谷と交代。UAEでプレイする塩谷にとって、ここはホームグラウンド。追加招集の塩谷は控え選手ながら今大会に欠かせないキープレーヤーになっている。逆に言えばこのポジションにケガ人が絶えないわけで、ついに遠藤まで欠いてしまうとは。
●後半18分、ペナルティエリア内で南野がパスを出すと、スライディングしてブロックに入ったイランの選手の手にボールが当たり、笛が鳴ってPK。その後、主審はVARで確認して、なおもPKという判定。ワタシの感覚ではこれはPKではない。ここがワールドカップでも納得できなかったところで、スライディングした選手が体を支えている手に当たっているわけで、ここにボールが飛んで来たら100%だれも避けられない。これでPKをもらえるなら、ゴールを狙うより、相手ディフェンスの手を狙って蹴ったほうが得策になりかねない。ハンドの反則の運用って、これでいいんだろうか。
●2点目が入ってからはイランの集中力が格段に落ちてしまった。イライラを抑えきれないアズムンが暴力行為を連発。レッドカードがふさわしかったはず。それとドロップボールで常識的にはイランの選手がニッポンにボールを返すべきところで、味方にパスを出して攻撃を仕掛けたのには驚いた。ゴールにならなかったからよかったようなものの、これはどうなんだろう(ルール上は問題ないのだろうが)。イランは足が止まりだし、いつニッポンが追加点を奪ってもおかしくない展開だったが、後半47分にようやく原口がドリブルで相手を振り切って、キーパーとの一対一から落ち着いてゴールを決めた。終わってみれば3対0の完勝。冨安をはじめ、ディフェンス陣がよく耐えた。メンタルの強さで相手を上回ったという試合で、アジア・カップではなんども通ってきた道でもある。
●決勝の相手はカタールまたはUEA。ニッポンはアジア・カップでこれまで4回決勝戦に進んで、4回とも勝っている。この勝負強さは際立っている。
アラビアン・ナイト・フットボール2019
●この1月から2月にかけて、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」が集中的に演奏されているという話を先日書いたが、これと並行してUAEでアジア・カップが開催されているというシンクロニシティに気づいた。というのも、アジア・カップのベスト4が出そろったところ、なんとニッポン以外はすべて中東勢になってしまったんである。準々決勝で韓国がカタールに敗れ、前回王者オーストラリアはザッケローニ率いる地元UAEに屈した。これは番狂わせといってもいいだろう。地の利を生かしてか、中東勢が大健闘。本日の深夜、ニッポンがイランに勝たない限り、中東勢がアジア・カップを手にすることが決まる。めくるめくアラビアン・ナイト・フットボール。
●で、「シェエラザード」について気になったことがあって、「アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語」(西尾哲夫著)をひもといてみたところ、冒頭の口絵にいきなり中国人風のアラジンの挿絵が載っていて、アラジンの物語の舞台は中国なのだと書いてある。そ、そうなんだ。「欧米では中国人の姿のアラジンは珍しくもなんともない」のであり、東洋文庫版「アラビアン・ナイト別巻 アラジンとアリババ」でも舞台は「シナ」の街となっているという(アラビア語の原文ではスィーン)。ヨーロッパ人たちが描く「東洋」「オリエント」はしばしばイスラム世界も中国や日本も含んでいたりするが、そもそもアラジンは原典からして中国だったんである。そして、アラジンの物語は本来の「千一夜物語」には含まれていなかったというのが定説らしい。
●そんなことも考えると、ヨーロッパ人たちが作りあげてきたフットボールの世界で、中東も中央アジアも東アジアも全部まとめて「アジア」に押し込められるのは、それなりに自然なことなのかもしれない。ニッポンもUAEも同じアジア。文化的にこんなに遠いのに。そして、2011年にニッポン代表を率いてアジアを制覇したザッケローニが、今回はUAEを率いて、ふたたびアジアの王座に近づいている。イタリアの名将はユヴェントスの監督を務めた後、日本代表、北京国安、UAE代表を巡る千一夜を超える東方への旅に赴いた。もし決勝でUAEとニッポンが対戦できれば、彼の旅はこれ以上ない美しい終着点を迎えることになると思うのだが、はたして。
ベトナムvsニッポン@アジア・カップ2019UAE大会
●アジア・カップの準々決勝は、ベトナム対ニッポン。決勝トーナメント初戦で、サウジアラビアと対戦していることを考えると、ここでベトナムが相手というのは意外な感じ。みんな口々に「近年の東南アジア勢は強くなった」と言いつつも、内心では楽観していたのでは。でも、本当に強くなっていたんすよ、ベトナムは! 若くて、勢いのあるチーム。世代交代を進めたニッポンよりもさらに若い。そして、高さはない。3バックを敷いて、守備時は5バック気味になる。相手が引いている分、ニッポンは中盤ではボールを持てるのだが、前にボールを運ぼうとすると精力的なプレスをかけてつぶしに来る。前半、ニッポンはほとんどチャンスらしいチャンスを作れず。一方、ベトナムのカウンターは鋭く、特に10番のグエン・コン・フオンが脅威。前を向いたらひとりででもシュートまで持ち込む気迫のプレイ。あとはキーパーのダン・バン・ラムの好セーブも光っていた。
●ニッポンは次の準決勝で今大会最強の相手、イラン戦が見込まれることから、選手をターンオーバーするという予想もあったようだが、森保監督は継続性を優先してレギュラーの選手をそろえてきた。ただしトップは大迫が復帰できず(途中交代で出場)、武藤が出場停止なので、北川が先発した。GK:権田-DF:酒井宏樹、冨安、吉田、長友-MF:遠藤航、柴崎-堂安、南野(→塩谷)、原口(→乾)-FW:北川(→大迫)。
●この大会、どういうわけか準々決勝からVAR(ビデオアシスタントレフェリー)を導入することになっている。先のワールドカップで物議をかもしたVARだが、さっそくこの試合でも大活躍してくれた。まず、前半24分、ニッポンのコーナーキックに吉田が頭で合わせて先制ゴール。しかしVARにより吉田のハンドがあったとしてゴールは取り消し。後半8分、堂安がペナルティエリア内でドリブル、倒されるが笛は吹かれずに試合は継続。しかししばらくしてから、VARで検証されることになり、主審はPKと判断。堂安自身がゴールを決めた。ニッポンはVARで1点を取り消され、その後、1点を返してもらったことになる。判定自体は正当なもので、たしかに吉田の手にボールは当たっていたし、堂安の足に相手ディフェンスの足がかかってはいた。でも、サッカーってこれでいいのかな……というのはワールドカップで散々議論になった点であって、それをそのまま踏襲しているというのは「これでいい」という判断なんだろう。VAR、基本的に肯定的にとらえてはいるのだが、なにか運用面で腑に落ちないところが残る……。ホントに、これでいいの?
●で、ニッポンはなんとか1点を守り切った。失点してもおかしくない場面はいくつもあって、特に権田のパスが相手にさらわれた場面は冷や汗もの。終盤、ベトナムはパワープレイに出たが、空中戦になるとそれほど怖くはない。ニッポンは北川がチャンスを生かしきれず。堂安と南野はなんどか華麗なコンビネーションを披露してくれたが、ゴールには遠い。毎試合、一点差で苦しい試合を乗り切って勝ち進んでいる今大会、いいほうに考えれば、ジーコ監督で優勝した2004年中国大会を思い出す。レギュラーメンバーの固定、選手交代への慎重さという点でもジーコ・ジャパンと似ていなくもない。で、次の準決勝は中三日でイランが相手。ニッポンとは対照的にイランは向かうところ敵なしの強さで、中国を3対0で一蹴して勝ち上がってきた。攻撃力も高いが、ここまで1失点もしていないのがすごい。これまでとはまったくレベルの異なるパワフルな相手。最近、イランとは公式戦であたっていなかったので、久々の対戦では。楽しみ。
バッティストーニ指揮東フィルの「おとぎ話」プロ
●23日はサントリーホールでアンドレア・バッティストーニ指揮東フィル。デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」、ザンドナーイの「白雪姫」、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」という、一種のおとぎ話プロ。こういうテーマ性のある選曲だと、がぜん聴きたくなる。ザンドナーイの「白雪姫」はまったく初めて聴く曲。録音でも聴いたことがなく、存在すら知らなかった。よく考えてみると、「白雪姫」のストーリー自体がうろ覚えで(毒リンゴが出てきて、あとは継母が「鏡よ鏡よ」って言うんだっけ?←なげやり)、曲と場面の対応を想像するのも難しいのだが、それでも曲は楽しめた。明快で朗らか。もともとはバレエ用で1939年作曲なんだとか。レスピーギを思わせるところも。モダンな成分は感じられないが、冒頭のクラリネット・ソロ(白雪姫の主題?)は、白い「春の祭典」って感じもしなくはない。
●リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」は快演! これぞ「シェエラザード」という語り口の豊かさで、バッティストーニの面目躍如。芝居っけがあるのが吉。エキゾチックで猥雑なアラビアン・ナイトの世界。この曲の理想形にはいろんなスタイルがあるとは思うが、自分のイメージにぴったりなのは、こんなふうにけれん味があって、聴かせどころのソロが「オレがオレが」の腕自慢大会になるような演奏。クラリネットの大活躍ぶりが印象的だった。
●ところで大人が「千一夜物語」を読む場合、バートン版にするか、マルドリュス版にするか等、ブルックナーさながらの「版の問題」があると思う(あるいは一種の原典版としての東洋文庫版とか)。自分が読んだことがあるのは、かつて入手容易だったマルドリュス版のごく一部と、国書刊行会の「バベルの図書館」で出ていたガラン版くらいか。で、ちくま文庫のマルドリュス版は長期品切状態になっていたようなのだが、いつの間にかKindle版で復活している模様。一方、同じちくま文庫から現在はバートン版が刊行されていて、こちらは紙の本で購入できるが、Kindle版はない。紙かKindleかで入手できる版が違っているという不思議な状況になっている。リムスキー=コルサコフが手にした「千一夜物語」はどの版だったのだろうか。
METライブビューイング「マーニー」
●METライブビューイングでニコ・ミューリー作曲の「マーニー」MET初演を観る(東劇)。演出はマイケル・メイヤー、指揮はロバート・スパーノ。偽名で職を得て、勤め先で盗みをしては姿をくらますという美しい女詐欺師マーニー(イザベル・レナード)が主人公。しかし新たな獲物として狙いをつけた印刷会社の社長(クリストファー・モルトマン)が、とんでもなくイカれた男で、マーニーの正体を見破ったうえで、半ば脅迫するかのようにマーニーに求婚する。盗癖を止められないマーニー、それを承知で結婚する社長、そして社長と反目する気色の悪い弟(イェスティン・デイヴィーズ)と、主要登場人物全員が病んでいるサイコ・サスペンス・オペラ。それなのに音楽は明るく軽快で、衣装も舞台もシャレていて、演出はスマート。脚本はオペラ向きによく練られている。METの才人たちが工夫を凝らして作りあげた万人向けの現代オペラといっていい。ちなみにウィンストン・グラハムの原作小説は、ヒッチコックによって映画化されている。
●歌手陣では主役のイザベル・レナードが歌も演技も見事。それとカウンターテナーのイェスティン・デイヴィーズがすごく効いている。変態なんだけど共感可能、かも。
●で、こうして手のかかった現代オペラを観ると、逆説的だがオペラは作曲家のものなんだなと痛感する。幕間のインタビューを見ても、このオペラは大勢の人によるチームワークが実を結んだものであって、若い作曲家ニコ・ミューリーが自ら「スコアがオペラの舞台の全てをコントロールするわけじゃないんだ」といったことを語っている。それなのに、見ていて感じるのは正反対のこと。サスペンスを映画でも演劇でもなく、オペラで表現するのはなぜかっていえば、スコアが王様だからだと思うんすよね。音楽作品だから表現可能なドラマを目指しているはず。で、ニコ・ミューリーの音楽はとても聴きやすく、初めて聴いた曲なのにそんな感じがぜんぜんしない。終始リズミカルに短いフレーズを反復させながら、小気味よいパッセージが連続し、カラフルなオーケストレーションで飽きさせない。つまり、まるでジョン・アダムズのように。ジョン・アダムズと同じくらいカッコよくて、同じくらいパワフルで、同じくらいドラマティック。これはもうひとつの様式ってことなのかも。正当に伏線が張られたうえで最後に到達する真実にはかなりの苦みがある。そこと音楽の軽やかさのミスマッチ(?)をどう消化すべきか、というのが目下自分の課題。
ニッポンvsサウジアラビア@アジア・カップ2019UAE大会
●いよいよ一発勝負の決勝トーナメントに入ったアジア・カップ2019UAE大会。ニッポンはいきなり強豪サウジアラビアと対戦。サウジアラビアとは前回W杯最終予選で戦い、ニッポンにとっては消化試合だったこともあり敗れている。監督はフアン・アントニオ・ピッツィ。アルゼンチン出身で、チリ代表を率いてコパ・アメリカ2016を制覇した。足元の技術のしっかりした選手を好むようで、開始早々からサウジアラビアがボールを支配。これまでの対戦相手と違ってミスが少ない。一方、パワーと高さという点では従来ほどではない。にもかかわらず、セットプレイになるたびに、しつこくゴール前にボールを放り込んできたのはピッツィ監督なりのニッポン対策だったのだろう。
●ニッポンはグループリーグ第3戦を控え選手で乗り切ったので、レギュラーの選手たちが復帰。ただしケガの大迫の代役で、武藤が引き続きトップに入った。GK:権田-DF:酒井宏樹、冨安、吉田、長友-MF:遠藤航、柴崎-堂安(→塩谷)、南野(→伊東)、原口-FW:武藤(→北川)。序盤からサウジアラビアの攻撃に耐える展開になったが、前半20分、柴崎のコーナーキックに中央でマークを外した冨安が頭で合わせて先制。これは練習通りの形がぴたりとハマったのでは。しかしその後もサウジの勢いは衰えず、ひたすら守る展開が続く。リードしたのだから相手にボールを持たせて、カウンターを狙ったという面もあったとは思うが、それ以上に主審の判定が厳しかった。ニッポンのごくなんでもない当たりが逐一ファウルになってしまい、せっかくボールを奪取しても笛が吹かれる。一方でサウジ側は倒れればすぐにフリーキック。ウズベキスタンのイルマトフ主審はアジアでは名審判ということになっているらしいのだが、この人の笛には以前も苦しんだ。ニッポンはナーバスにならずに割り切った守備を貫けたのは立派。
●後半もずっとサウジが攻め続けて、終わってみればニッポンのボール保持率はわずか24%。なんとか耐えてボールを奪っても、その後、前線に収められずにまた連続攻撃に耐えるというキツい展開で、サウジが最後の決定力を欠いたおかげで守り切ることができた。1対0。ひやりとするシーンはいくつもあった。森保監督は終盤まで選手を代えない傾向にある。ようやく後半31分に南野を下げて伊東、残りの2枚は後半43分と46分という終了直前になってから。この展開でも代えないというのは驚きだった。
●さて、内容はずっと冴えないが、準々決勝に進めることになった。次は中二日でベトナム戦。森保監督はどういうメンバーを起用するのだろうか。基本的に同じメンバーを起用するタイプだろうが、武藤が累積警告で出場停止。もし大迫が復帰できないとなると、ここまでフィットしていない北川を使わなければならない。また、中盤は青山が故障で離脱。本職の選手を使うなら遠藤航と柴崎で回していくしかない。このポジションのサブは塩谷ひとりなのか、あるいは初戦のように冨安の起用もありうるのか。センターラインの選手層が薄くなっているのは気がかり。
●ベトナムはヨルダンを下しての準々決勝進出。いよいよ東南アジア勢が強くなってきた。オーストラリアはウズベキスタンをPK戦で下した。ザッケローニ率いるホスト国UAEはキルギス相手に3対2の派手な打ち合いで勝利。今のところ圧倒的に強いのはイランで、優勝候補の筆頭。
トゥガン・ソヒエフ指揮N響、山田和樹指揮読響
●17日はサントリーホールでトゥガン・ソヒエフ指揮N響。プログラムはフォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」、ブリテンの「シンプル・シンフォニー」、リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。ベルリン・フィルの首席ヴィオラ奏者、清水直子さんが客演。ソヒエフの筆圧の強いタッチで描かれる物語性豊かなプログラム。どの作品もスケールの大きな表現で、ブリテンのようなかわいい曲も大柄でドラマティックな音楽に生まれ変わる。「シェエラザード」はそんなソヒエフの特徴が生かされた壮大なスペクタクル。アラビアンナイトの幻想性や猥雑さよりも、壮麗でパワフルな音のドラマが前面に打ち出されていた。
●今月来月はなぜか「シェエラザード」がよく演奏される。すでに終わった山田和樹指揮読響に今回のソヒエフ指揮N響、これからバッティストーニ指揮東フィル、ムーティ指揮シカゴ交響楽団と続く。関西でもソヒエフ指揮N響の大阪公演があって、岩村力指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団、大植英次指揮大阪フィルが続く。日本の冬を彩る謎の「シェエラザード」現象。
●もうひとつ、18日はサントリーホールで山田和樹指揮読響。とても刺激的なプログラムで、前半に諸井三郎「交響的断章」、藤倉大のピアノ協奏曲第3番「インパルス」(小菅優独奏/共同委嘱作品/日本初演)、後半にワーグナーの舞台神聖祭典劇「パルジファル」第1幕への前奏曲、スクリャービンの交響曲第4番「法悦の詩」。聴けばわかるのだが、これはプログラム全体が官能性や陶酔感といったキーワードで貫かれた「快楽プロ」。そして前後半が微妙に相似形をなしている。諸井三郎作品ではリヒャルト・シュトラウス的な後期ロマン派風の豊麗な響きが横溢する。軽くフランク風味も。藤倉大の新作は、きらめき飛び跳ねるような独奏ピアノにオーケストラが寄り添って、脈動する。さらにソリスト・アンコールに「ウェイヴス」。これもまた脈打つような波。後半はワーグナーとスクリャービンによる宗教的な恍惚感と妖しいエクスタシー対決。スクリャービンはオケが気持ちよく鳴りきってパワフルなクライマックス。緻密な響きの彫刻というよりは、よりフィジカルな、作曲者の煩悩の実体化といった感。
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●お知らせをひとつ。ONTOMO1月特集「アニバーサリー」に「だれか祝ってほしい、スッペの生誕200年を」寄稿。ご笑覧ください。
ニッポンvsウズベキスタン@アジア・カップ2019UAE大会
●アジア・カップ2019UAE大会、グループリーグの第3戦は、ニッポン対ウズベキスタン。すでにグループリーグ突破を決めている者同士の対戦となった。勝てば1位突破だが、引分け以下なら2位で勝ち抜けになる。で、これが少々困った事態になった。というのも、決勝まで勝ち進むのであれば2位で勝ち抜けたほうが移動が楽。しかも最強国イランと決勝まで当たらずに済む。ただし、2位の場合は決勝トーナメント一回戦の相手が前回王者のオーストラリア。一方、1位で勝ち抜けると次はサウジアラビア。どっちにしてもまるで決勝戦でもおかしくない強いチームと当たる。今回、グループによっては3位でも勝ち抜けできるわけで、実際、ベトナムとかキルギスだって決勝トーナメント進出を決めているのに、なんでニッポンはいきなりそんな厳しい相手と当たるの?
●で、森保監督はチームをほぼ全とっかえして控え組を先発させた。GK:シュミット・ダニエル、DF:室屋、三浦弦太、槙野、佐々木翔-MF:塩谷、青山-伊東純也、乾(→ 原口)-FW:北川(→冨安)、武藤(→遠藤航)。塩谷を中盤の底に起用するとは。守備ならどこでもできるユーティリティ・プレーヤー。ちなみにこのスタジアムは塩谷が所属するアルアインのホームグラウンド。スタンドからはウズベキスタン・コールが聞こえてくる。ウズベキスタンの監督は名将クーペル。これにはびっくり。先日、フィリピン代表が元イングランド代表監督のスヴェン・ゴラン・エリクソンを招聘したというニュースがあったが、大監督が次々とアジアにやってくる。
●試合は思った以上にニッポンがボールをキープする展開に。序盤からずっとニッポンは細かいミスが多く、プレイの質は決して高くなかったのだが、ウズベキスタンもこちらの想定よりも低調で、技術の面でもパワーの面でもベストには遠い感じ。締まりのない試合展開のなか、前半40分、スルーパスに抜け出たショムロドフが槙野と三浦のふたりのセンターバックを交わしながら右足アウトサイドで技巧的なシュートを決めた。ウズベキスタン先制。この守備の脆さ。救いはすぐに同点に追いつけたことで、43分、室屋が右サイドを縦に抜けてクロス、中央で武藤がフリーで頭で決めて同点。前半は1対1で終了。
●後半13分、ニッポンに決勝ゴールが生まれる。こぼれ球を塩谷が思いきり蹴り込んで豪快なミドルシュートが炸裂。これは見事。さすが中東組。マルタ島でのバカンスを切り上げて追加招集に応えただけのことはある。塩谷はもっと見たい選手。
●試合はそのまま2対1でニッポンの勝利に終わったのだが、さて収穫はどうだろう。監督が我慢強く使う北川は、惜しいチャンスもあったが、やはりチームにフィットしていない。頼みの乾もベストコンディションとはいえない様子。大迫の回復が遅れているようなので、武藤はこのままレギュラーに定着するかも。伊東純也のスピードは魅力だが、この日もシュートを決めきれず。全体にどうにも調子が上向いてこないまま、決勝トーナメントに臨むことになってしまった。
新国立劇場2019/20シーズンラインアップ説明会
●17日は新国立劇場で2019/20シーズンラインアップ説明会。今回もオペラ、舞踊、演劇の三部門共通の説明会が大勢のプレス関係者を集めて行われ、その後、部門ごとにわかれて各芸術監督を囲んで懇談会として質疑応答が続けられた。写真は大野和士オペラ芸術監督。で、オペラの2019/2020シーズン・ラインアップはこちら。注目の新制作はチャイコフスキー「エウゲニ・オネーギン」、ドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」、ヘンデル「ジュリオ・チェーザレ」、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。
●以下、大野さんの言葉をさしはさみつつ紹介すると、「この劇場のレパートリーにはロシア・オペラがない。その第一弾となるべき作品」ということで「オネーギン」。モスクワ・ヘリコン・オペラのインテンダントで斬新さで知られるというドミトリー・ベルトマンの演出。それと「レパートリーとしてのベルカント作品が少ない」ことから、ドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」。こちらはダニエル・ドゥ・ニースの登場がうれしい。「彼女がいるだけで稽古場の雰囲気が一変してしまうほどの稀有な才能を持ったスーパースター」。ヴィツィオーリ演出のプロダクションは、スカラ座で94年に初演されて以来、各地で上演されている人気作。これを新国立劇場が購入した。
●昨年から発表されていたように、1年おきにダブルビルとバロック・オペラに取り組みたいということで、2019/20シーズンはバロック・オペラの年。演目はヘンデル「ジュリオ・チェーザレ」。指揮はリナルド・アレッサンドリーニ! 東フィルがピットに入る。ロラン・ペリーの演出で、11年にパリ・オペラ座で上演されて大成功をおさめたプロダクション。こちらはレンタルになるが、「次からは自前で制作したい」。
●「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は東京文化会館とともに展開する「オペラ夏の祭典 2019-20 Japan↔Tokyo↔World」の一環で、「トゥーランドット」に続く第2弾になる。新国立劇場、東京文化会館、ザルツブルグ・イースター音楽祭、ザクセン州立歌劇場の共同制作。演出はイェンス=ダニエル・ヘルツォーク。大野和士芸術監督自らが指揮する唯一の演目。
●また、来シーズンは「特に指揮者の質にこだわった」ということで、レトーニャ、レプシッチ、トリンクス、カリニャーニ、ロヴァーリス、アッレマンディ、オルミら、「今の世界の歌劇場を賑わせている人々」を選んだという。
●ということで、全体の大きな方向性としては、今シーズンから継続してレパートリーの多様化、拡充に向けて、一歩一歩前進していることを実感。なにしろオペラはオーケストラと違って、監督が変わったからといって翌シーズンからガラッとレパートリーを刷新するというわけにはいかない。新しい演目をひとつを増やすだけで大変。もっとも、再演は「椿姫」「ラ・ボエーム」「セビリアの理髪師」「コジ・ファン・トゥッテ」「ホフマン物語」「サロメ」。シーズン全体で眺めれば、意外と落ち着いたラインナップになったという感も。
●特別企画として目をひいたのは、2020年8月に新制作される「子供オペラ」。渋谷慶一郎作曲、島田雅彦台本で、演出は新国立劇場演劇芸術監督である小川絵梨子、指揮は大野和士。子供たちの合唱が主役で、これに「AIロボット」が絡む。「新しいオペラのあり方という意味でも実験的な作品と位置付けている」。この公演に関しては、また別途、発表会が開かれるそうなので、詳細はそこで。これは期待大。
「ヨーゼフ・メンゲレの逃亡」(オリヴィエ・ゲーズ著/東京創元社)
●ヨーゼフ・メンゲレといえば、アウシュヴィッツの収容所で大勢のユダヤ人たちを死に至らしめ、残虐かつ非人道的な人体実験を行った「死の天使」と呼ばれるナチスの医師。映画「ブラジルから来た少年」に出てくる狂信的医学者や、映画「マラソンマン」の拷問歯科医のモデルにもなっている。アウシュヴィッツ解放後、メンゲレは身分を偽って南米に潜伏する。最初はアルゼンチンへ。そしてパラグアイ、ブラジルへ。すぐそこまで追手が迫っていたにもかかわらず、メンゲレは30年に渡って逃亡生活を続け、最終的に捕まることなく自然死を遂げた。いったいどうやって逃げ続け、なにをやっていたのか。
●そんなメンゲレの逃亡生活を丹念に描いたのが、ノンフィクション小説なる触れ込みの「ヨーゼフ・メンゲレの逃亡」(オリヴィエ・ゲーズ著/東京創元社)。これがめっぽうおもしろい。最初の章は、仲介人に金を払って、船旅でアルゼンチンに渡ったものの、約束していたはずの迎えの者は何時間待っても来ず、港でひとり取り残されて途方に暮れるシーンから始まる。逃亡モノというのはなんであれ主人公に共感してワクワクしてしまうものだが、では主人公が史上まれに見る凶悪な人物だった場合ははたしてどうなのか。しかもこの主人公はクラシック音楽の愛好家だったりもする。
●メンゲレが最後まで逃げ切ることができたのは、ツキも大きいわけだが、大前提として資力があってこそというのはまちがいない。実家が裕福。アルゼンチンに渡った後、いったんはもう安全だろうと見計らって実名のパスポートを回復していたりもする。逃亡生活といいつつ暮らしぶりはリッチ。ところが、ナチス残党狩りが激しくなると、ふたたび別人になりすまし、ブラジルの片田舎のハンガリー人農夫の家族と同居する。この奇妙な依存関係が興味深い。農夫一家にメンゲレの正体はばれてしまうのだが、メンゲレは一家に対して横柄にふるまい支配し、一方で一家はメンゲレを金づるとして利用し、貢がせる。どちらも互いを心底嫌いながら、必要とする状況が続く。そこから年月が次第に変化を生み出し、最後には両者の依存関係のバランスも崩れてしまうのだが、はたして最晩年の姿をどう形容したらいいものやら。
オマーンvsニッポン@アジア・カップ2019UAE大会
●アジア・カップ2019UAE大会、ニッポンの第2戦は対オマーン戦。オマーン代表の監督はかつて大宮や京都を率いたピム・フェルベーク。組織的なポゼッション・サッカーを目指している、らしい。森保監督は初戦からふたりメンバーを変更、大迫が使えないために北川をワントップに抜擢、冨安をセンターバックに戻して、セントラルミッドフィルダーに遠藤航と柴崎を入れた。なお、GKの東口は腰痛でベンチにも入っていない。GK:権田-MF:酒井宏樹、冨安、吉田、長友-MF:遠藤航、柴崎-堂安(→伊東純也)、南野、原口-FW:北川(→武藤)。
●試合は珍しい展開になった。オマーン選手たちの個々の足元の技術はもうひとつ。ニッポンがボールを回し、オマーンはときおりカウンターアタックでニッポンを脅かす。前半26分、南野のシュートを相手GKが弾いて、こぼれ球を原口とアルマハイジリで競り合ったところ、オマーンのファウルの判定でPKに。原口が自分で決めて先制できたが、どう見てもPKではなかったと思う。オマーンの災難はまだ続いて、前半45分、シュートブロックに入った長友の手にボールが当たったがハンドをとってもらえず。これは手が体から離れていた状態で当たったので、一般的にはハンドでPKになる場面。前半を終えてニッポンが1対0でリードしていたが、本来のスコアは逆だったと思う。毎回のように、アジア・カップでは「中東の笛」にうんざりさせられてきたニッポンだが、よもや味方してもらえることがあろうとは。主審はマレーシア人。
●これで後半に追加点を獲れればまだよかったのだが、チームの調子は上向かない。南野、堂安の奮闘ぶりは目につくものの、幸運な一点のリードでよしとするかのように、攻撃のアイディアが不足気味に。特に柴崎の枯れたプレイというか、パッションを欠いた軽いプレイが気になる。森保監督はずっと柴崎を起用しているが、W杯ロシア大会の出来にはほど遠く、消極的なプレイが続く。柴崎問題はこのチームの鍵かと。先発起用された北川は持ち味を見せられず、武藤に交代。しかしその武藤も低調な試合に埋没してしまった。伊東純也は自慢の快速で縦に抜けてシュートを打つ場面があったが、あそこで決めきれないところが惜しい。
●幸運が味方して勝利を収めて決勝トーナメント進出は決定。今大会は出場国が増えて24か国のグループリーグから16か国が決勝トーナメントに進むという緩いレギュレーションなので、グループリーグではかなり余裕がある。このままのチーム状態では決勝トーナメントであっさり敗れてしまいそうに見えるが、ここからコンディションが上がっていくのだろうか? 第3戦、ウズベキスタン戦でターンオーバーを敷くのか、レギュラー選手で戦うのか、今のところ裏目に出がちな森保采配も見どころ。
質問のない答え
●記者会見などの質疑応答でしばしば見られる現象として、物分りの良い明快な質問より、なにが聞きたいんだかよくわからない雲をつかむような問いのほうが、よほど本質に迫る回答を引き出すということがよくある。
●すっきりした問いにはすっきりした答えしか返らない。一方、質問の体をなしていないような言葉が投げられると、壇上に「これはなにを答えればいいのかわからないけど、なにか意味のあることを言わなければならないぞ」的なムードが漂って、ついいちばん核心を突いた言葉が出てきたりする。この現象を利用して、意図的にわかりにくい質問が投げられるケースも多々あるんじゃないかと推測しているのだが、本当のところはよくわからない。
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●ONTOMO連載「耳たぶで冷やせ」の第10回は「かぜに効く名曲」。ひく前に読みたい。
ニッポンvsトルクメニスタン@アジア・カップ2019UAE大会
●アジア・カップ2019UAE大会、グループFのニッポンは大会5日目にしてようやく初戦を迎えた。ワールドカップと同じで、どのグループにいようが勝ち進めば最後は決勝戦を同じ日に迎えるわけで、初戦が早いほうが試合間隔の点でお得。当然、開催国UAEが開幕戦を戦う。ニッポンのグループFは少し損だ。そしてUAEは暑そう。
●で、相手はトルクメニスタン。未知の国でFIFAランキングはずいぶん下のほうだが、このランキングは下位ほど当てにならない(試合数が少ないとランクが下がるので)。簡単に勝てそうかと思ったら、とんでもない。前半27分に相手の7番、アマノフが目の覚めるような長距離砲をニッポンのゴールに叩き込んだ。たしかにすごいシュートではあるが、距離が30メートルくらいあったので、キーパーの権田としては痛恨の一撃。ただし、その後で権田はスーパーセーブで追加点を防いでいる。アマノフは試合を通じてなんどもこちらの右サイドを脅かした。ニッポンは後方ではボールを持たせてもらえるが、前線にくさびのパスを入れようとすると、相手の激しいチェックでボールを奪われがち。攻撃の積極性が乏しく、中盤の展開力もまるで不足。なんと、前半を0対1でリードされて終えることに。
●おっと、ニッポンのメンバーを書いておかねば。先発はいくぶん意外な人選。GK:権田-DF:酒井宏樹、吉田、槙野、長友-MF:冨安健洋、柴崎-堂安、南野(→北川航也)、原口-FW:大迫。正GKは東口と予想していたのだが権田が先発。センターバックは吉田と槙野のベテラン・コンビになった。で、本来ならセンターバックの若手である冨安が中盤の底に入った。このポジションを本職とする選手たちがケガで離脱したり発熱してコンディション不良だったりということで窮余の策。柴崎はロシアW杯以後、どうも調子を崩しているように見えるのだが森保監督からの信頼は厚い。攻撃陣は「新3枚看板」から中島が離脱したため原口が戻った。トップはコンディション不良が伝えられていた大迫。森保体制で一気に若返った代表だったが、気づいてみれば経験を積んだ選手がずいぶん戻っている。
●後半11分、左サイドの原口がグランダーのクロスを送ると、中央で大迫が足元に収めて個人技で相手を交わしてシュート、これで同点。立て続けに後半15分、またも左サイドから原口、長友と渡りクロスを入れると、相手の緩慢プレーもあって、大迫が無人のゴールに流し込んで逆転。これでガクッとトルクメニスタンの足が止まった。後半26分、ゴール前で南野からのパスを堂安が巧みにターンして落ち着いて決めて3点目。これでもう試合は終わった……と思ったら、その後、トルクメニスタンのシンプルな攻撃に手を焼いて、権田のファウルでPKを献上して失点して3対2(これは権田のミスではなく、北川が不用意にボールを奪われて縦パス1本で決定機を作られた)。さらに吉田のヘディングのバックパスがあわやオウンゴールになりそうなところを権田がセーブしたりと、なにかと権田が目立った試合になってしまう。結局、そのまま3対2で勝てたのだが、終盤はすっかりドタバタに。一枚しか切らなかった交代カードが北川だったというのも、なんともベンチが機能していない感じだが、勝点3を取れたのは幸い。
●森保体制になって、堂安、南野、中島の新3枚看板が自律的に化学反応を起こして急速にチームができ上ったようにも見えていたが、初期の反応が落ち着いて定常状態になると(あるいは一人欠けると)ここまでクォリティが下がってしまう。ここからが監督の腕の見せどころか。好意的に見れば、アジア・カップにおけるニッポンはワールドカップにおける強豪国と同じ立場であって、コンディションのピークを大会終盤に設定しているので、最初はこんなものといったところか。一方、この調子の試合が続けば森保監督解任論が噴出してもおかしくない。
山田和樹指揮読響のサン=サーンス、ラロ、レスピーギ
●年末年始は演奏会に出かけなかったので、8日にようやく聴き初め。サントリーホールで山田和樹指揮読響。サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」、ラロのチェロ協奏曲ニ短調(ニコラ・アルトシュテット)、レスピーギの交響詩「ローマの祭」という華やかで祝祭的なプログラム。読響首席客演指揮者に就任した山田和樹流ニューイヤーコンサートというべきか。
●サン=サーンスの交響曲第3番は「オルガン付き」であると同時に「ピアノ付き」でもあるんすよね。しかもピアニストがふたりも必要。なんだか鍵盤楽器奏者をぜいたくに使いすぎる曲だなーとかねてより思っていたのだが、なるほど!「ローマの祭」もオルガンとピアニストふたりを要する曲だった。この2曲を組み合わせるという効率的な妙手があろうとは。笑。もっとも「ローマの祭」はバンダのトランペットはいるわマンドリンはいるわで効率的にはほど遠い総天然色スペクタクル。やっぱりぜいたく。お正月のごちそう。
●ラロのチェロ協奏曲はなかなか聴くチャンスのない曲。ニコラ・アルトシュテットのソロは雄弁闊達。同じ作曲者のスペイン交響曲のチェロ・バージョンみたいな印象も。メランコリックな第2楽章が美しい。全体にサン=サーンス、シューマンも連想させるが、終楽章はなんだかベルリオーズ風。アンコールにサプライズがあって、コンサートマスター長原幸太が立ち上がって、チェロとヴァイオリンの二重奏によるシベリウスの「水滴」。初めて聴いたけど、ピツィカートで演奏するごくごく簡潔な曲で、初期作品のよう。
●ラロの後に聴くとレスピーギのおしゃれ感は際立つ。「ローマの祭」の洗練された乱痴気騒ぎを堪能。怒涛のクライマックスで大いに盛り上がった。全般に勢い重視の演奏ではあったんだけど、最後の最後にダメ押しをするように予想外のアンコール。2階席L側に居残ったバンダのファンファーレでロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲の「スイス軍の行進」が始まった。ここでバンダを活用できるとは。ムダがない。すっかり楽しい気分でお開き。
アジア・カップ2019UAE大会が開幕
●4年に1度、アジア王者の座をかけて戦われるAFC(アジア・サッカー連盟)アジア・カップ2019UAE大会が開幕。ニッポンの初戦は9日だが、すでに大番狂わせがあって波乱の幕開けとなった。前回王者のオーストラリアがヨルダン相手に0対1で敗北。躍進が期待されたタイ代表は、インド代表相手に1対4で大敗してさっそく監督が解任される騒動に。タイが弱かったのか、実は眠れる大国インドが覚醒したのか。ハイライト動画はAFCの公式サイトで見ることができる。
●ちなみにホスト国UAEの監督を務めるのは元ニッポン代表監督のザッケローニだ。ニッポン代表では好チームを育て上げながら、ブラジルW杯では主力選手のコンディションが下り坂に入ってしまい、最後の最後で結果が出せなかったザッケローニ。退任時には「ニッポンでの経験があまりにすばらしかったので、このまま監督業から引退する可能性もある」と語っていたのは本音だったと思う。でも名将たるもの、やっぱり最後になにかを成し遂げたいという気持ちが強かったのか、北京国安の監督に就任。結果が出ずに解任され、その後、UAE代表監督してまたアジアに帰ってきた。初戦はバーレーン相手に1対1のドロー。開催国としては勝利が欲しかったところだろう。ニッポン代表と戦うことになれば、ずいぶん盛り上がるのだが、さて。
●森保監督率いるニッポン代表は、当初の発表から3人のメンバー変更があった。浅野拓磨(ハノーファー96)、中島翔哉(ポルティモネンセSC)、守田英正(川崎)がケガのため不参加となり、代わりに武藤嘉紀(ニューカッスル・ユナイテッド)、乾貴士(レアル・ベティス)、塩谷司(アルアイン)が招集された。ロシア大会からグッと世代交代を進めた森保監督だが、結果的に武藤と乾を大切な大会に向けて急遽復帰させることになったわけだ。 堂安(フローニンヘン)、南野(ザルツブルク)といった新世代の主力たちとスムーズに融合できるかどうかが気になるところ。それと塩谷の復帰も驚いたが、なにしろ塩谷はUAEのクラブに所属する中東組なのだから、ニッポン代表ただひとりの「地元勢」。守備のユーティリティ・プレーヤーでもあり、最初から呼ばれていてもおかしくなかった。
●塩谷はバカンスのためにマルタで家族といっしょに過ごしているところに、代表スタッフから追加招集の電話をもらったって言うんすよ。マルタでバカンス! カッコよすぎじゃないすか。さすが中東組。
映画「シュガー・ラッシュ:オンライン」(リッチ・ムーア、フィル・ジョンストン監督)
●ディズニー・アニメーション最新作、映画「シュガー・ラッシュ:オンライン」を観た。シリーズ前作は未見なのだが、今作から伝わる範囲であらすじを紹介すると、ふたりの主人公はゲーセンにある昔ながらのアーケードゲームのキャラクター。ラルフは不器用だけど純真な悪役キャラ。いいヤツで、変わることのない今を愛する、古き良きゲームの世界の住人だ。一方、利発で好奇心旺盛な女の子ヴァネロペは、変化のない世界に飽き飽きしている。大親友であるふたりはひょんなことから未知の世界であるインターネットに出会う。ヴァネロペはこの広大で刺激的な世界に自分の居場所を見出す。しかしラルフは元の世界に帰ることしか考えられない。ふたりの友情の行方は……。過去の名作ゲームや映画、インターネット・カルチャーへのオマージュやパロディをふんだんに盛り込みつつも、大人も子供も安心して楽しめる上質なディズニー・アニメに仕上がっている。
●最近のディズニー映画は自分の見た限り、毎回、同じことを言っている。すなわち、女の子も自分の人生を生きるべきだ、ということ。運命とは白馬の王子様が与えてくれるものではなく、自分で切り開くべきもの。ディズニーは従来の待っているだけのプリンセス像を大急ぎでアップデイトしている最中だ。これはとても心強く、頼もしいこと。ファミリー映画はかくあるべしと思うのだが、結果的にどの映画を見ても(スター・ウォーズ・シリーズですら)似たような手触りが残る。それがディズニー映画だといえばそれまでなのだが……。さらにここではラルフを通して、男の子にも正しい振るまい方を教えてくれる。いくら大好きだからといって女の子を束縛しようとしてはいけない、彼女自身の道を歩ませるだけの勇気を持て、と。
●これが毎度おなじみとなった大きなテーマ。それに重ねて描かれるもう少し狭いテーマとしては、新旧のゲームカルチャーの対比がある。ヴァネロペが向かったのは、開かれたオンラインのゲーム。こちらが今のあり方だ。一方、ラルフはかつてのスタンドアローンの世界に留まる。これは古い世界だが、必ずしも否定的なニュアンスでは描かれていない。スタンドアローンだからこそ可能な反復の快楽や様式美みたいなものがあって、それがゲームのエッセンスのひとつであるはず。ホットなゲームの世界がネット側からリトワクさんのゲーセン側に帰ってくることだって、ないとはいえない。そもそも映画という娯楽自体が、どちらかといえば昔ながらのスタンドアローンの世界にあるんだし。
●動画投稿サイトの人気者になったラルフが、「コメント欄」をうっかり目にして、自分への悪口雑言に傷つくシーンは秀逸。イエスが言うように、人のダークサイドがむき出しになりがちな「コメント欄は見ちゃダメ」。今のディズニーアニメはそんな真実まで教えてくれる。
「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著/創元推理文庫)
●昨年、「このミス」をはじめとする年末ミステリランキングで4冠を達成したという「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著/創元推理文庫)を読む。抜群におもしろい。主人公は女性編集者で、担当する売れっ子ミステリ小説が書いた最新作のタイトルが「カササギ殺人事件」。つまり「カササギ殺人事件」というのは小説内小説のタイトルでもあって、これがアガサ・クリスティばりの古典的なミステリ小説になっている。この小説内小説だけでも十分にひとつの作品として成立しているのだが、その外側にある主人公の世界でも事件が起きる。相似形の入れ子構造になった二重のミステリ。そのどちら側でも鮮やかな謎解きがあり、しかも登場人物たちが実に味わい深い。
●いまどきクラシックなスタイルの「物語」を綴ろうと思ったら、ただまっすぐに書くことができないのは小説も音楽も同じ。物語をそのまま差し出すという恥ずかしさにだれも耐えられないので、物語についての物語にするといったメタフィクション化が必要になる。そこで、あまりにクラシックなスタイルのミステリを小説内小説に落とし込んでいるわけだが、その外側もやはりクラシックなミステリになっている。加えて、これは「書くという行為について書く」小説でもある。登場人物の売れっ子ミステリ作家の人物像がいかにも「こじらせてしまった売れっ子」で、その歪みっぷりが痛々しくも生々しい。作家と編集者の関係は、そのまま創る人とファンの関係でもある。編集者が作品のファンだけど作家のことは嫌っているという設定がすごく効いている。
謹賀新年2019
●賀正。何年ぶりかにFM PORTの年越し生放送「Goodbye2018 Hello2019」出演のために新潟を往復したので、元旦が(昨年の)仕事納めみたいな感じ。今週は人並みにお正月らしく過ごす予定。お雑煮2019とか初詣2019とか。
●写真は元日の新潟の万代橋から。ちらちらと雪が舞い始めていて、いい感じだなと思ってスマホで撮った。でも雪がはっきりと写っていない。そうかあ、雪までは写らないかあ……と思ったが、写真の編集機能のなかに「スノウ」みたいなフィルタがあって、適用したらそれらしく雪が降っているように見えたのであった。そうそう、こんな感じ、イメージ的に。
●ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート、今年はティーレマン。ウィンナワルツであっても、ティーレマンはティーレマンなのか。2020年の指揮者はアンドリス・ネルソンスと発表されている。ベルリン・フィルのデジタルコンサートホールで、ネルソンス指揮のマーラー「復活」をチラ見したら、ネルソンスがすっかり巨漢指揮者の系譜に仲間入りを果たしていて驚く。
●今年は1月から早々にアジアカップが開催される。開催地はUAE。ニッポン代表の初戦は9日のトルクメニスタン戦。ニッポン代表とはつまるところワールドカップとアジアカップを戦うために編成されるチームなのであって、最大限に注目したい。優勝祈願。
●今年もよろしくお願いいたします。