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February 12, 2019

パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団のシュトラウス&ロット

●9日はNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響。プログラムはリヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調(アリョーナ・バーエワ)とハンス・ロットの交響曲第1番ホ長調。どちらもめったに聴けない曲だが、受けた印象は対照的。シュトラウス作品は作曲時17歳とは思えない完成度。定型から出発して、どんどん自由度を増し、独創性を身につけていったという感。特に第1楽章は堂々たるもの。一方、ロット作品はすこぶる粗削りで、いくら先進的でもこの段階では先を行く大巨匠たちにダメ出しされるのももっともだとは思う。ここを通過点として、改稿を経て偉大な名曲へと至ったかもしれない途中過程を聴くという「もしも……」のおもしろさと、それでも舞台上に乗せる以上は完結した音のドラマを築くのだというヤルヴィ&N響によるリアリズムが渾然一体となって、あまり例のないタイプの感動が生まれていたと思う。そして、こういうめったに演奏されない曲を演奏したとき、パーヴォ&N響コンビは頼もしい。ゲスト・コンサートマスターに白井圭さん、またも。
●特に第3楽章は知らずに聴けばマーラーのパクリだと思ってしまうわけだが、こちらは1880年の完成で、マーラーの側が強く影響を受けている。影響というか、オマージュなのか。マーラーによれば、自分とロットは「同じ木の2つの果実」。ところが、こうして長大な作品をライブで聴き通すと、マーラーよりもむしろブルックナー風の恍惚とした高揚感のほうを強く感じる。ブルックナーがロットに偉大な交響曲作家の未来を予見したのも無理はない。しかし25年の生涯はあまりに短すぎた。
●シュトラウスでソロを務めたバーエワは昨年、ナントのラ・フォル・ジュルネでコルンゴルトのヴァイオリン・ソナタとヴァイオリン協奏曲を弾いていた(ソナタのほうだけ聴いた)。今回のシュトラウスのヴァイオリン協奏曲でもそのときと同様、珍しい作品であっても、あたかも自分のために書かれた曲であるかのように、エモーショナルで集中度の高い演奏を聴かせる。アンコールのイザイも鮮やか。出身はカザフスタンのアルマトイなんだとか。つまり、サッカー地理学的には同じアジアの仲間だ。アルマトイといったらもう、フランス・ワールドカップ予選でカザフスタン戦に引き分けて加茂監督が解任されて岡田武史コーチが後を継いだあの日を反射的に思い出すしかない。
●奇妙なことに、この日、川瀬賢太郎指揮神奈川フィルもハンス・ロットの交響曲第1番を演奏した。場所は横浜みなとみらいホール。時間帯が違うので、先に神奈川フィルを聴いてから後でN響を聴くというハシゴも可能だった。一日に2回、別のオーケストラでハンス・ロットの交響曲を聴けるなんてことが、いったい世界のどこで起きるだろうか。さらに、今年は9月にはヴァイグレ指揮読響もこの曲を演奏することになっている(プフィッツナーのチェロ協奏曲イ短調との組合せ)。幻の交響曲どころか人気作になろうかという勢い。