●27日はミューザ川崎の市民交流室でフェスタサマーミューザKAWASAKI 2019の記者発表会へ。2005年よりスタートした同音楽祭は今年で15回目(東京・春・音楽祭と同じだと気づく)。7月27日から8月12日にかけて、オーケストラ公演を中心に、オルガン公演、こどもフェスタなど全20公演が開かれる。秋山和慶チーフ・アドバイザーは「あっという間の15年だった。その間に日本のみならず世界にミューザ川崎の名が広まった。今年は仙台フィルが参加するが、今後も地方のオーケストラを招いて、首都圏のみなさんに聴いてほしいと思っている」と語った。写真は左より秋山和慶、ホール・アドバイザーを務める小川典子、福田紀彦川崎市長、ホール・アドバイザーの松居直美、日本オーケストラ連盟の名倉真紀、大野順二東京交響楽団楽団長の各氏。
●ミューザ川崎シンフォニーホールを舞台に首都圏のオーケストラが競演する同音楽祭だが、今年の大きな話題は仙台フィルの招聘。高関健指揮でストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(郷古廉)と交響曲第4番というプログラム。入室したら記者発表の各席に「萩の月」が一個ずつ置かれていて、そういうわけだったのかと合点。遠慮なくいただく。うまっ!
●ファミリー向けもあれば本格派もあって、各オケでまったく違ったプログラムを用意するのがこの音楽祭。公演ごとに客席の雰囲気もずいぶん異なる。特に目をひいた公演を挙げると、開幕はジョナサン・ノット指揮東響。なんと、バリー・グレイの「サンダーバード」で幕を開ける。リゲティのピアノ協奏曲(タマラ・ステファノヴィッチ)、ベートーヴェンの交響曲第1番とノット流全開。川瀬賢太郎指揮神奈川フィルのロドリーゴ「アランフェス協奏曲」では、渡辺香津美がソリストを務める。エレクトリック・ギターを使う、みたい。藤岡幸夫指揮東京シティ・フィルは芥川也寸志の交響曲第1番がメイン・プロ。あとは一昨年に続いてゲルギエフ指揮PMFオーケストラが招かれ、ショスタコーヴィチの交響曲第4番を演奏する。
●フィナーレは尾高忠明指揮東響。シューマンのピアノ協奏曲のソリストに、浜松国際ピアノコンクールで優勝したジャン・チャクムルが抜擢される。同コンクールの審査委員長でもある小川典子さんによれば「指の回る典型的なコンクール・ピアニストではなく、音楽的な素養の高いピアニスト。こういったピアニストに第1位を与えることができたコンクールを誇りに思う」。
●あとは、音楽祭とは別に10月のミューザ川崎開館15周年記念公演、シェーンベルクの「グレの歌」についても案内あり。ノット指揮東京交響楽団で2公演。すでに当欄でもお伝えしているように、今年は「グレの歌」を3つのオーケストラが演奏するというありえないような偶然が重なっているのだが、「解像度の高いミューザ川崎は巨大編成のこの作品にぴったり」と力強くプッシュ。
2019年3月アーカイブ
フェスタサマーミューザKAWASAKI 2019 記者発表
親善試合から南米へ、ニッポンvsコロンビア代表、ニッポンvsボリビア代表
●さて、今週のサッカー界はインターナショナル・マッチ・ウィークということで、各国リーグ戦はお休み。ニッポン代表はコロンビアとボリビアと親善試合を行った。例によってヨーロッパでよくわからない大会が始まってしまったため、親善試合はやたらと中南米やアジアの国を相手にすることが増えてしまった。ニッポンは6月にコパ・アメリカ(南米選手権)に招待されているので、ここで南米のチームと予行演習をする意味もあるにはある。
●で、森保監督が招集したチームは、新戦力や久々に呼ばれる選手が多めの混成軍になっていた。吉田麻也をはじめとする主力を欠き、アジア・カップ組とロシアW杯組と新戦力組からなるまだら模様の代表。なにしろコパ・アメリカに呼べる選手は限られている。シーズンオフの公式戦ではあるが、ニッポンはこの前アジア・カップの期間に主力選手を招集したばかり。欧州組の選手にはチームから引き留められる選手が多いはず。一方、Jリーグはシーズン中なのでやはり選手を出したくない。先発だけ記しておくと、コロンビア戦はGK:東口-DF:室屋、昌子、冨安、佐々木翔-MF:山口、柴崎-堂安、南野、中島-FW:鈴木武蔵。これが今回のAチーム。そしてボリビア戦では完全に選手を入れ替えてBチームが先発。GK:シュミット・ダニエル-DF:西大伍、三浦弦太、畠中槙之輔、安西幸輝-MF:橋本拳人、小林祐希-宇佐美、香川、乾-FW:鎌田大地。かなり新鮮。
●コロンビア戦は0対1で負け、ボリビア戦は1対0で勝ったわけだが、あまり結果に意味はなくて、どちらも同じようにスピーディによくボールが回る試合になった。こういったまだら模様のチームでも南米のチーム相手にスムーズにボールが回るのが感慨深い。もちろん、ホームゲームだからこそではあるんだけれど。経験も立場も異なる選手がいっしょになっても同じサッカーができるのは、チーム内のコミュニケーションがしっかりとれている証拠か。このあたりは森保監督の得意とするところなんだろう。
●ポジション別に見ると、両サイドバックは長友と酒井が不在だと、かなり選手層が薄くなる感は否めず。そんななかで西大伍は健闘。なんと8年ぶりの代表戦だったとか。裏を返せばもうベテランの域(31歳)。センターバックは急に人材豊富になってきたが、今回は追い風参考記録といった感も。中盤は久々に山口が復活。小林祐希も久しぶりで、頼もしいプレイぶり。攻撃陣はやはり堂安、南野、中島の三銃士が図抜けていて、3人そろうと一気にクォリティがあがる。香川や宇佐美、乾は彼らを起用できないときの保険みたいになってきた。しかし乾は好調で、体がキレていた。前線は鈴木武蔵がデビュー。しかしインパクトは残せず。国際試合でフィジカル面の優位がなくなったとき、なにで勝負するかが課題。鎌田大地はベルギーで抜群の決定力を見せているようだが、今回は不発。ベルギーではどういうプレイスタイルで売り出しているんだろう。本来ワントップの選手ではないようだが、センスを感じさせる。
●で、コパ・アメリカにはだれが呼ばれるのか、というか、だれなら呼べるのか。今回の代表自体がA代表ともB代表ともつかないチームだったが、それ以上の混成軍が生まれそうな予感。
クシシュトフ・ウルバンスキ指揮東京交響楽団のショスタコーヴィチ
●25日の夜はサントリーホールでクシシュトフ・ウルバンスキ指揮東京交響楽団。久々に東響にやってきたウルバンスキは、相変わらず若々しくてカッコいい。滑らかなんだかぎこちないんだかわからない独特の指揮姿、指揮台での小刻みなステップは健在。プログラムはモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴェロニカ・エーベルレ)とショスタコーヴィチの交響曲第4番。小編成による端正なモーツァルトも悪くはないんだけど、後半が強烈すぎてぶっ飛んだ。特大編成のショスタコーヴィチ。木管楽器を見ると、首席オーボエの位置がぐぐっと右に寄っている。なぜならフルート属が6人もいるから。フルート4にピッコロ2。持ち替えじゃなくてピッコロだけでふたりっすよ。フルートと約分できないのかね、と心の中のミニマリストが悲鳴を上げる。しかしウルバンスキが振ると、ホールの天井が震えそうなくらいの轟音でも響きのバランスが保たれて見通しがよいのが吉。恐ろしくて、美しい。コーナーギリギリを猛スピードで走り抜けるかのような第1楽章のフガートは爽快。
●ショスタコーヴィチの交響曲第4番を聴くと、これが続く第5番のパロディであるかのように感じる。未来の作品に対するパロディというありえないポジション。しかもより真実味を感じるのはパロディのほう。
●演奏後、客席が明るくなりいったん拍手が止んだ後、退出する楽員に向けてふたたび拍手が起きた。あれ?と思ったら、退団する首席フルート奏者甲藤さちさんへの拍手。プログラムノートにお知らせが載っていた。後半の頭で起きた拍手もそういう意味だったのかとようやく気づく。苛烈きわまりないショスタコーヴィチの後で、ステージと客席の間に生まれる温かい空気。
●ニッポン代表は親善試合でコロンビアとボリビアと対戦。両試合についてはまた改めて。
東京・春・音楽祭2019 ミュージアム・コンサート「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ」展 記念コンサート vol.1 佐野隆哉
●25日の昼は上野の国立西洋美術館へ。東京・春・音楽祭のミュージアム・コンサート「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ」展 記念コンサートvol.1として、佐野隆哉のピアノによる1920年代のパリをテーマとしたプログラム。この音楽祭ならではの美術展と連動した企画で、まず国立西洋美術館の村上博哉副館長によるル・コルビュジエ展についてのレクチャーが20分ほどあった。続いて、佐野隆哉によるピアノ演奏へ。プログラムはサティの「ジュ・トゥ・ヴ」ではじまり、「6人組のアルバム」よりオーリックの前奏曲、デュレの無言歌、ミヨーのマズルカ、タイユフェールのパストラール、続いてオネゲルの「ショパンの思い出」、プーランクの「ナゼールの夜会」。使用ピアノはベヒシュタインで、ブリリアントすぎず、マットな質感の美音。ニュアンスに富み、色彩感豊かな洗練された演奏を堪能。「6人組のアルバム」は前奏曲で始まって、舞曲様の小曲が続くバロック風の組曲仕立て。全6曲からオネゲルとプーランクのふたりを抜いた4人分だけの抜粋だが、その後で両者の作品を演奏しているので合わせ技で6人組全員を聴けるという趣向。アンコールにプーランクの「愛の小径」。企画展示ロビーという小ぢんまりとした空間で、奏者の間近で聴ける実にぜいたくな時間だった。
●このミュージアムコンサート、同じチケットで「ル・コルビュジエ」展も鑑賞できるというのが大きな魅力。本来ならそちらに行くべきだが、この日は思うところあって、上野の森美術館のVOCA展を訪れることに。こちらはこちらで別の公演と連動している展覧会なのだが、40歳以下の有望作家による平面作品を集めている。とても刺激的で見入ってしまう作品もあれば、なにがいいのかさっぱりわからない作品もあってたいへん楽しい。撮影禁止なので写真は入り口だけ。
●同美術館のギャラリーでは「内海聖史展ーやわらかな絵画ー」が同時開催中。こちらは入場無料で撮影も可。桜の季節にふさわしい清爽な大型作品。
東京・春・音楽祭2019 リチャード・エガー - Plays BACH
●第15回目を迎えて絶賛開催中の「東京・春・音楽祭2019」、遅ればせながらようやく一公演目を。23日、東京文化会館小ホールでリチャード・エガーのチェンバロによるオール・バッハ・プログラム。前半にパルティータ第1番変ロ長調と第4番ニ長調、後半にフランス組曲第5番ト長調とパルティータ第6番ホ短調。小ホールとはいえ、それでもチェンバロ一台には空間が広大で、最初は音楽が遠いと感じたんだけれど、次第にそれが気にならなくなってくるのが不思議なところ。最初のパルティータ第1番はやや生真面目で抑制的にも思ったが、続く第4番からは一段開放的で遊戯性や官能性を感じさせるバッハ。後半、フランス組曲は曲集全体としても軽やかさが勝っているが、特にこの第5番は華やかで祝祭的。最後のパルティータ第6番はこの日のプログラムでは唯一シリアスな曲調だが、エガーのバッハは深刻になりすぎず、音楽の愉悦をまっすぐに客席に届けてくれた。この曲の前に軽く奏者のトークが入ったのは客席の睡魔対策なんだろうか。アンコールにヘンデルの組曲HWV428からアルマンド。
●ペラ一枚の当日配布プログラムに曲目解説がないな……と思ったら、QRコードが印刷されていてスマホで読める仕様になっていた。なるほど、そういう手もありか。スマホの電源を落とす前にアクセスするのが吉。
●宣伝。「東京・春・音楽祭」春祭ジャーナルに「Spark Joy! ときめきのシェーンベルク 第2回 ビヴァリー・ヒルズでテニスに夢中」公開中。今回は2回でおしまい。同音楽祭のために書いた過去コラムと合わせて「作曲家の横顔 ~脇道コラム集~」にまとめられています。
グスターボ・ドゥダメル指揮LAフィルのジョン・アダムズ&マーラー
●20日はサントリーホールでグスターボ・ドゥダメル指揮LAフィル。LAフィル100周年アジア・ツアーとして、ソウルに続いての東京公演。前半はユジャ・ワンのソロを迎えてジョン・アダムズの Must the Devil Have All the Good Tunes? (日本初演。今後のためにも日本語表記がほしかった)、後半がマーラーの交響曲第1番「巨人」。ジョン・アダムズの新作はこの超豪華メンバーで今月世界初演したばかりのピアノ協奏曲。LAフィル委嘱作品。30分弱の切れ目のない単一楽章の作品だが、協奏曲の伝統に従って急緩急の三部構成になっている。ピアノはほとんど弾きっぱなし。冒頭は独奏ピアノと各弦楽器のソロのみによるアンサンブルで始まって、楽譜上の指示は「Gritty、funky」。ファンキーなアメリカン「死の舞踏」みたいなコンセプトがあるようで、ジョン・アダムズの練達のオーケストレーションは輝かしいんだけど、ソリストの活躍が求められる協奏曲という形態が足枷になっているような気もしなくはない。本当はホンキートンク・ピアノとかがもっと目立つような猥雑な雰囲気の曲なのかなと想像。カーテンコールで客席からジョン・アダムズが登場。
●後半のマーラー「巨人」はLAフィルの性能の高さが生かされた華麗な演奏。アクセルを軽く踏んだだけで猛スピードで爆走するスポーツカーのようなオーケストラ。音色は非常にブリリアントで、強奏時の抜けるような爽快な響きはさすが。管楽器はもちろん、弦もパワフルで余裕を感じさせる。このスーパーオーケストラにドゥダメルがパッションを注ぎ込み、ときには大胆なテンポの操作で粘り気のある濃厚なドラマを演出する。第2楽章冒頭の弦の切れ込みの鋭さは強烈。第3楽章のコントラバスはソロで。最近の一流オーケストラはどこもそうだけど、コントラバスであっても流麗なソロで、朗々と歌い上げ、決して朴訥さなど感じさせない。終楽章は壮麗。ドゥダメルの芸風が前面に出たマーラーだった。アメリカのオーケストラだと客層もそちら側に寄るということなのか、サントリーホールでは珍しくカーテンコールの早いうちからスタンディングオベーションが目立ち、一方でこれだけ沸いたにもかかわらず拍手はすんなり止んでソロ・カーテンコールはなし。
読響アンサンブル・シリーズ特別演奏会 カンブルラン指揮「果てなき音楽の旅」
●19日は紀尾井ホールでシルヴァン・カンブルラン指揮による読響アンサンブル・シリーズ特別演奏会。プログラムは前半にヴァレーズ「オクタンドル」、メシアン「7つの俳諧」、後半にシェルシ「4つの小品」、グリゼー「音響空間」から「パルシエル」。常任指揮者として最後の一連の公演のなかで、こんなプログラムが実現するとは。大ホールではなく紀尾井ホールが会場、そしてピアノにピエール=ロラン・エマールまで招くというぜいたく仕様。客席は満席。
●前半の2曲はエキゾチシズムつながり。ヴァレーズ「オクタンドル」、実演で聴いてみると妖しく秘境的という以上にカラッとした楽しさも感じる。「春の祭典」も連想せずにはいられない。この日はコントラバスが活躍するプログラム。メシアン「7つの俳諧」は偏光フィルタを通して見た不思議ニッポン。そして「鳥のカタログ」極東出張編でもある。この一曲のためにエマール登場。エマールの透明感あふれるピアノにすっきりと心が洗われて、やっぱりエマールの洗浄力は抜群。
●後半は対照的な発想から生まれた響きの探究がどこかで一脈つながったかのようなおもしろさ。シェルシ「4つの小品」は一音だけで曲を作るという着想から、多種多様な音色と奏法、音程のゆらぎが駆使されて、移ろいゆく響きのなかから微妙な文脈が浮かび上がる。グリぜー「音響空間」から「パルシエル」では倍音の重なりが生み出す精緻な響きが、次第にノイズへと変貌していく。終盤はパフォーマンス入りのかなり意外な展開になって、カンブルランが真っ赤なハンカチを取り出して汗を拭いてみせたり、最後にシンバルにスポットライトが当たって、今にも打ち鳴らしそうなポーズだけを見せて暗転したりと、客席からは笑いも起きた。場内は大喝采、盛んに飛ぶブラボーの声。この日もカンブルランのソロ・カーテンコール。壮行会を何度もやってるかのよう気分だが、それにふさわしいプログラムとクォリティ。カンブルランはあともう一プログラムあるけど、自分はこれでおしまい。常任指揮者として9年間にわたって、数々のエキサイティングな名演を読響と聴かせてくれたことに感謝。
Jリーグ第4節 大分トリニータvsマリノス、肝心の戦術で力負けしている編
●こんなに律儀にマリノス戦を追いかけていられるのも、開幕直後の今だからこそ。週末はアウェイで大分トリニータと対戦。いよいよポステコグルー監督の超攻撃的なハイライン戦術が逆噴射した感。一応、マリノスだけでも先発を記しておくと、GK:飯倉-MF:広瀬、畠中槙之輔(祝、初代表選出)、チアゴ・マルチンス、ティーラトン-MF:喜田-三好康児、天野-FW:仲川、マルコス・ジュニオール-エジガル・ジュニオ。
●マリノスは4バック、大分は3バックという違いはあるものの、お互いにゴールキーパーからボールをつないでゲームを組み立てる似たタイプのチーム同士の対戦になった。大分は一度J3まで落ちて、そこから片野坂知宏(かつての名選手だ)を監督に招いて、J2、J1へとステップアップしてきた。マリノスほど理想主義的ではなく、対戦相手に応じて現実的なスタイルをとりながらも、志は高い。しっかりとマリノス対策を講じてきたようで、ボールを持たせても決定的な仕事はさせない効率的な守備。前線からのプレスも効いていた。キーパー飯倉からどちらかのセンターバックにボールを出すと、そこに2トップがプレスをかけて蹴らせて、そのボールを狙おうという約束事があった模様。
●大分は後半に見事すぎる2ゴールを立て続けにゲット。右サイドでティティパンが絶妙のタイミングで追い越してきた松本怜(元マリノス)にパスを出し、松本がマイナス方向に折り返して、売り出し中の藤本憲明が鮮やかに蹴り込んでゴール。さらにその直後、今度も右サイドから、岩田がいったん右サイドの松本に預けると、内側を追い越してゴール前でボールをもらってクロス、これに藤本憲明がニアからおしゃれヒールでワンタッチゴール。屈辱の美しすぎるゴール。なにが悔しいって、この内側から前の選手を追い越していく「インナーラップ」って、ずっとマリノスがやろうとしている戦術なのに、逆に大分にきれいに決められてしまったという事実。いやー、完璧にやられた。2対0。やれやれ。
●試合後のインタビューでもポステコグルー監督は強気一辺倒でやってるサッカーにまちがいはないって言いたげなんだけど、なんだか似たようなことをやってる大分のほうが一段と洗練されてない? むしろ片野坂がマリノスの監督になってほしい。でもマリノスって、こういう下から伸びてきた人を監督に呼ばないんすよね。4節を終えてマリノスは7位。大分は3位。
「シャーロック・ホームズの冒険」(コナン・ドイル著/石田文子訳/角川文庫)
●先日、アンソニー・ホロヴィッツの「シャーロック・ホームズ 絹の家」を読んだら、コナン・ドイルの原典を無性に読みたくなった。で、シャーロック・ホームズ・シリーズで最初に刊行された短篇集「シャーロック・ホームズの冒険」(コナン・ドイル著/石田文子訳/角川文庫)を読むことに。この短篇集が書かれたのは19世紀末。すでに著作権は切れていることもあって、日本語訳は新旧さまざまな訳で出版されている。どれにしようか迷った末に、せっかくなのでなるべく新しい訳にしようと思って、この石田文子訳を選んだ(表紙も今風だし)。
●古い物語なのに、日本語は新しい。すると、どうなるか。まず、とても読みやすい。かび臭さが皆無で、すきっとリフレッシュされたシャーロック・ホームズに再会。ホームズはいつも辻馬車とか汽車で移動していて、急ぎの要件は電報で伝えるような社会に生きている。19世紀末の時代が描かれているけど、言葉はまったく古くない。これってなにかに似てるなと思い当たったのは、名作オペラの新演出。中身は古いのに、演出のおかげで最近作られた物語として味わえる。
●英語圏のひとたちはシャーロック・ホームズを100年前の言葉でしか読めないのに、日本語圏のわたしたちは新旧さまざまな日本語訳で読むことができる。何パターンもの「シャーロック・ホームズの口調」があるという不思議な豊かさ。
シルヴァン・カンブルラン指揮読響の「グレの歌」
●今年はシェーンベルクの「グレの歌」を3つの在京オーケストラが演奏するという不思議な年。14日、恐るべき「グレグレグレの歌スタンプラリー」の幕開けとなる、シルヴァン・カンブルラン指揮読響へ(サントリーホール)。合唱は新国立劇場合唱団。ヴァルデマルにロバート・ディーン・スミス、トーヴェにレイチェル・ニコルズ、森鳩にクラウディア・マーンケ、農夫・語りにディートリヒ・ヘンシェル、道化師クラウスにユルゲン・ザッヒャー。日本語字幕付き。
●前半(第1部と第2部)が特盛なら、後半(第3部)は超特盛の巨大編成作品。後半になって合唱が入るのだが、それ以上に管弦楽の拡大が強烈でフルート8とかトランペット6+バストランペット1とか、舞台上がぎゅうぎゅう。チェーンって本当に鎖のチェーンなんすね。さすがにこれだけ巨大な作品になると、カンブルランが指揮しても緻密さよりはパワフルな厚塗りの響きが前面に押し出される。
●後期ロマン派スタイルで書かれた作品で、ストーリーも含めた手触りをざっくりと一言でいえば、拡張機能版ワーグナー。前半は「ラインの黄金」+「トリスタンとイゾルデ」、後半は「タンホイザー」+「さまよえるオランダ人」+「ジークフリート」+「ニュルンベルクのマイスタージンガー」……といった連想が働くんだけど、後半途中から妖しい独自の輝きが放たれて、最後は前人未踏の地にたどり着く。物語はかなり暗いトーンで、動きは少なく、説明的ではない。トリスタンとイゾルデと違うのは、ヴァルデマルとトーヴェが許されざる愛に至る前史が描かれていないのと、トーヴェの死後のヴァルデマルに焦点が当てられているところ。ヴァルデマルは途中から死んじゃってるんすよね。死んだ後、家来たちと狩をしながらさまよってる。つまり、これはゾン……あ、いや、なんでもないっす。最後、音楽からして救済されたっぽいんだけど、どうしてそうなったんだろう。ヤコブセンの原詩は日本語で読めるんだろうか。
●独唱者入大編成作品の宿命として、どんなにオーケストラの編成を大きくしても、歌手ひとりは一人分の声しか出せない。特にヴァルデマルは容赦のない響きの洪水と戦うことになる。これはどこまで聞こえる前提で書かれているんだろう。後半の序盤がかなり過酷なんだけど、ここは物語の進行に寄り添ってヴァルデマルの非力さを表現していると解するべきなんだろうか。
●最後の場面「見よ太陽よ!」は眩暈がするほどの壮麗さ。ほぼ満席の客席は大喝采。カーテンコールを繰り返した後、オーケストラが退出しはじめても拍手は鳴りやまず、カンブルランのソロカーテンコールに。この日の公演に加えて、2010年以来常任指揮者を務めたカンブルランへの感謝の念が込められたブラボーの声が飛ぶ。互いに別れを惜しむような、たっぷりと時間をとったソロカーテンコールだった。
●休憩中に某誌編集長が「前半だけで帰ったら半グレの歌だ」って言ってた。うん、後半聴かないと意味ないし。
ダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ
●13日はすみだトリフォニーホールでダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ。すみだ平和祈念音楽祭2019と銘打たれた公演で、プログラムはエルガーの変奏曲「エニグマ」より「ニムロッド」、シューベルトの交響曲第3番、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。チェンバー・オーケストラでありながら、ブルックナーがメイン・プログラム。ハーディングは新日本フィル時代にたくさん登場したすみだトリフォニーホールに久々に帰還した。311当日にこの場所にいたハーディングだけあって、最初の「ニムロッド」は鎮魂の音楽。演奏が終わっても客席は沈黙し、ハーディングも微動だにせず、うんと長い静寂が続いた。その後、拍手があって、一転して小気味よく軽快なシューベルトへ。
●後半のブルックナー、弦楽器は12型、コントラバス5。ハーディングのブルックナーは新日本フィル時代にも聴いたが、同じ設計思想をより徹底した実践で聴いたという印象。外枠で音の大伽藍や宗教的恍惚感を作り出すのではなく、内側から緻密にデザインされ、ディテールの積み上げから全体像を再構築するような音楽。うっそうとした深い森というよりは、庭師の手入れがよく行き届いた名庭というか。シューベルトと地続きの音楽であることも感じさせる。編成の小ささにまったく不足感を覚えないのは、奏者のクォリティの高さあってこそか。前回、パリ管弦楽団との来日で足を骨折したハーディングだが、足を気にしつつも、すでに杖は使っていない。早めにカーテンコールが切り上げられ、客席は明るくなったが拍手が鳴りやまず、最後はソロ・カーテンコール……ではなく、ハーディングと首席ホルン奏者のふたりが一緒に登場してのカーテンコール。珍しいシーンだけど、ホルンの大活躍を思えば納得するしか。
「シュトックハウゼンのすべて」(松平敬著/アルテスパブリッシング)
●やっと読み始めた、話題沸騰の一冊、「シュトックハウゼンのすべて」(松平敬著/アルテスパブリッシング)。先日の「エドガー・ヴァレーズ 孤独な射手の肖像」に続いて、また強力な音楽書が登場した。シュトックハウゼンが残したほぼ全作品を作曲順にたどるという作品解説本の体裁をとりつつも、合間合間に伝記的な内容もさしはさまれていて、これが実に興味深い。また、冒頭には第0章として、シュトックハウゼンの創作史概観が記されており、これがコンパクトなシュトックハウゼン入門者向けガイドになっているという親切設計。なので、読み物として前から順に読んでいくこともできるし、興味のある作品を思うがままに選んで、読みたいところから読むこともできる。シュトックハウゼン作品について網羅的に解説が読めるという圧倒的な心強さ。
●著者の松平敬さんは、先日の新国立劇場「紫苑物語」の平太役で超人的な歌唱を聴かせてくれたばかりだが、歌手としての活動のかたわら、よもやこんな力作が書き進められていたとは。シュトックハウゼンと間近に接し、指導を受けたこの著者にしか書けない入魂の一冊。
Jリーグ第3節 マリノスvsフロンターレ川崎、王者との一戦
●さて、ポステコグルー監督率いるマリノスの第3節は王者川崎が相手。なぜか開幕2連勝できたマリノスだが、高い技術を持つ川崎相手のこのゲームが試金石となる。マリノスは左サイドバックが高野ではなく、タイ代表のティーラトンがリーグ戦初先発。また中盤は三好が契約上の理由で出場できず、大津が先発。三好は札幌から移籍してきた選手だが、札幌でもマリノスでも扱いはローンで、所属は川崎。所属先の川崎相手の試合では出場できないという契約のよう。一方、川崎はウィークデイにACLがあったため、主力選手を何人かローテーションさせている。
●お互いに攻撃的、お互いに前線からプレスをかけるチーム同士であり、ダイナミックな試合になるとは思ったが、前半4分にいきなりキーパー飯倉のパスミスから失点。マリノス相手にはどのチームも飯倉のリスキーなパスを狙ってくる。その狙い通りに、レアンドロ・ダミアンに軽々と決められてしまった。どう見ても、キーパーからのパスがつながったことでゴールが生まれる確率よりも、キーパーがパスをミスして失点する確率のほうが高そうなものだが、ポステコグルー監督はここのところで譲歩するつもりはないようだ。先に戦術ありきなので。
●一方、マリノスは前半24分に見事な同点ゴール。右サイドを抜け出した仲川が深い位置から折り返して、逆サイドのマルコス・ジュニオールがゴール。これは練習通りの形のようで、仲川が突破したときに逆サイドのマルコス・ジュニオールがペナルティエリア内まで入ってくるという約束事がある模様(逆に守備時はマルコス・ジュニオールはしっかり戻ってくる)。ポステコグルー監督の高笑いが聞こえてきそう。マルコス・ジュニオールはゴールセレブレーションとしてブラジルでも披露していた「かめはめ波」を仲川、エジガル・ジュニオと並んで3人一緒にやってくれた。よかったね、本場ニッポンでかめはめ波ができて。だが、ワタシの心のなかでのアテレコは「波動拳!」だ(指に昇竜拳ダコができたストII派としては)。
●互いにオープンに攻め合う展開が続き、終盤に試合が動く。後半43分、川崎は長谷川のアーリークロスにファーサイドで小林が競り勝って頭で中に落とし、マークを振り切ったレアンドロ・ダミアンが頭で決めて2点目。これで勝負あったかと思ったが、アディショナルタイムの後半50分、マリノスは飯倉を前線に上げて天野のコーナーキック。これに途中交代の扇原が田中碧に競り勝って頭で豪快に決めて同点ゴール。ゴールが決まったところで笛。2対2。終わってみればボール支配率も枠内シュートもパス成功率もほぼ互角。妥当な結果だが、川崎は勝点2を失ったという意識だろう。
●さて、これでマリノスは2勝1分。劇的同点ゴールでうやむやになった気もするが、最初の失点のように、キーパーからのビルドアップで不用意なパスをさらわれて失点するという展開は相変わらず。昨シーズンは、対戦相手が口々に「今年のマリノスさんは強いですねえ」とほめたたえて、気がついたら泥沼の残留争いをしていたという奇妙なほめ殺し展開にハマっていったのだが、はたして。
国立音楽大学音楽研究所「模索から浸透へ:花開くアメリカ音楽」 アンタイル、グローフェ、「オズの魔法使い」他
●10日は国立音楽大学講堂大ホールで、20世紀前半アメリカ音楽研究部門コンサート「模索から浸透へ:花開くアメリカ音楽」。工藤俊幸指揮クニタチ・フィルハーモニカーの演奏で、前半にアンタイルの「ジャズ・シンフォニー」(1955年改訂版)、スティルの「アフロ=アメリカン・シンフォニー」第1楽章、グローフェの「ミシシッピ組曲」、後半はアーレン/ストサートのミュージカル「オズの魔法使い」。大学主催の公演なので堅いタイトルが付いているが、内容はいたって楽しく開放的な気分にあふれたもの。未就学児も入場可で入退場自由、未就学児には後半の「オズの魔法使い」からの来場をおすすめするという大変すばらしい方式。前後半でがらりとムードが変わる、一粒で二度おいしいプログラム。
●前半は一曲目のアンタイル「ジャズ・シンフォニー」が断然おもしろい。当初はポール・ホワイトマンの「現代アメリカ音楽の実験」コンサートの第2回のために書いたが、採用されなかったという曲。このホワイトマンのコンサート企画は、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」を世に出したことで知られている。第1回でのガーシュウィンの成功を受けて、柳の下の二匹目のドジョウを狙ったのかもしれないが、ティン・パン・アリー育ちのガーシュウィンと欧州帰りのアンタイルという出自の違いがそのまま曲に現れているといった感。キャッチーなメロディがこれでもかというくらいに注ぎこまれたガーシュウィン作品と違って、アンタイルのほうはヤンチャで野心的で理知的というか。ジャズ+シンフォニーではあるけど、「春の祭典」風味も。
●後半のミュージカル「オズの魔法使い」は、オーケストラをステージ上に乗せた演奏会形式ながら、演技も衣装もダンスもしっかりと入ったもの。セリフ部分は日本語歌唱、歌は英語歌唱。ステージ上にスクリーンを置いてわかりやすいイラストを映写する。歌とダンスは学生、プロの演出と振付、ナレーションが入り、聴きごたえも見ごたえも十分。オーケストラは要所に教授や講師陣、主体は学生と若いフリー奏者たち。ドロシーやかかし、ブリキ男など主要キャストは、ミュージカル・コース履修生のダブル・キャストになっていて第1幕と第2幕で交代するのだが、その交代の様子をしっかり演出に組み込んで客席にも明快に伝えるなど、とてもスマート。あと、ミュージカルでは当然のことかもしれないんだけど、カーテンコールもショーの一部といった感じで、このあたりはオペラにはない文化。
●「オズの魔法使い」って、決してわかりやすい話でもないと思うんだけど、どうしてこんなにアメリカでポピュラリティを獲得しているのか、というのがかねてよりの疑問。ドロシーが旅の途中で、かかし、ブリキ男、ライオンと順に出会って仲間にする。桃太郎が犬、猿、キジをお供にするのとよく似ている。ドロシーがカンザスでおじさんとおばさんと住んでいて、お父さんとお母さんについての言及がないというのも昔話の定型という感じで、桃太郎もおじいさんとおばあさんと住んでいる。そういえば「スター・ウォーズ」の第1作(エピソード4/新たなる希望)でも、ルーク・スカイウォーカーはおじさんとおばさんと住んでいて、旅の途中でR2-D2やC-3POをお供にするのであった。最初に「スター・ウォーズ」を見たとき、アメリカ人たちはみんな「オズの魔法使い」を連想していたのだろうか。日本人が「桃太郎」を連想したように(ってのはウソ)。「オズの魔法使い」って、「おウチがいちばんだねっ!」っていうテーマはいいんだけど、プロットがすんなり飲み込めないような気がする。
●このミュージカルの名曲といえば「虹の彼方に」(オーバー・ザ・レインボウ)。自分は初めてこのミュージカルを通して見て気づいたんだけど、この曲が第1幕で歌われるときは「虹の向こう側=見知らぬ国」への憧れとして歌われるのに対して、第2幕のオズの国で歌われるときは「虹の向こう側=生まれ故郷のカンザス」への思いが込められるっていうことなんすよね。
カンブルラン指揮読響のイベール&ドビュッシー
●7日はサントリーホールでシルヴァン・カンブルラン指揮読響のイベール&ドビュッシー・プログラム。前半にイベールの「寄港地」とフルート協奏曲(サラ・ルヴィオン)、後半にドビュッシーの前奏曲集(ツェンダー編曲の5曲)と交響詩「海」。色彩感豊かで、壮麗。海にちなんだ名曲は数あれど、「寄港地」と「海」ほど海への憧憬を呼び起こす曲もない。イベールはフルート協奏曲の初演時に新聞記者に「もし音楽家にならなかったら、きっと船員になっていた」と語っていて、まったく同じことをドビュッシーも言っているのはなんという偶然。イベールのほうは実際に第一次世界大戦で海軍士官を経験しているので、それほど「もしも」の話でもなかったのかもしれない。サントリーホールで座って体験する船旅。
●今月で読響常任指揮者を退任するカンブルランに対しては名残惜しい気持ちでいっぱい。こういったフランス音楽プログラムやストラヴィンスキーなどで聴かせてくれた洗練された華やかな響き、ブルックナーやベートーヴェンなどドイツ音楽での軽快さ、小気味よさなど、ほとんどのレパートリーにおいて共感できる演奏を披露してくれた。こんなにたくさん日本に来てくれていて、それでも毎回ワクワクしながら会場に足を運べるのは稀有なケース。もう十分に務めてくれたのだからしょうがないことではあるのだけれど、このコンビが一区切りつくことが寂しい。って、まだこの後に「グレの歌」等も控えているのだが。
●ツェンダー編曲のドビュッシーではおびただしい数の打楽器が使用されていて、音色のコントロールがとてつもなく細密。モノクロームの世界を管弦楽で着色するとはいうけれど、ひとつの面を一色で彩色するのではなく、逐一グラデーションをかけたり、明暗の変化を付けたりするかのような凝ったオーケストレーション。ミュージカルソーなんかも出てきて、結果的にコミカルなテイストが強調される傾向があって、そこにいくぶんとまどいを感じなくもない。ちなみに、この編曲は弦楽器がソロでもトゥッティでも演奏できるということになっている。3曲目の「風変わりなラヴィーヌ将軍」は、ツェンダー自身が指揮した録音では曲の途中にフランス語のセリフのやりとりが聞こえるが、スコア上の指定ではセリフは弦がソロのときのみ発声されるとなっている。今回はトゥッティによる演奏なので発声されないという理解。
●前半のソリスト・アンコールはドビュッシーの「シランクス」。これしかない。
-------------
●宣伝をひとつ。「東京・春・音楽祭」春祭ジャーナルに「Spark Joy! ときめきのシェーンベルク 第1回 頑固店主と正直すぎるお客たち」を寄稿しました。
「シャーロック・ホームズ 絹の家」 (アンソニー・ホロヴィッツ著/角川文庫)
●先日、「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著/創元推理文庫)を読んだ際に、これだけ見事なミステリ小説を書けるのならほかにも傑作があるはずと思い、同じ著者の本を検索してみた。すると、なんとこの人、シャーロック・ホームズものを書いているではないの。しかもコナン・ドイル財団公認というふれこみ。まあ、別に財団が公認してようがしてなかろうが、ホームズの続編はだれが書いたっていいはずだが(著作権は切れている)、「カササギ殺人事件」のクラシカルなスタイルを思い出せば納得の人選という気がする。で、読んでみた、長篇「シャーロック・ホームズ 絹の家」(アンソニー・ホロヴィッツ著/角川文庫) 。ずばり、期待通りのおもしろさ。ホームズものの設定を生かしてはいるけど、これに過度に依存せずに、読ませる話になっている。技巧的で擬古的。
●BBCの「シャーロック」みたいに、原作が有名すぎるゆえにぶっ飛んだ演出を加えるのも悪くないんだけど、ホロヴィッツはその点では抑制的。で、やっぱり映像の持つ力というのは侮れないもので、小説を読んでいてもホームズのセリフになると、つい頭のなかにはグラナダTV「シャーロック・ホームズの冒険」のジェレミー・ブレットのホームズが浮かんでくる。セリフを語る声は露口茂だ。じゃあ、ワトソンはどうかというと、なぜかそっちのほうはBBC「シャーロック」のマーティン・フリーマンが出てくる。ジェレミー・ブレットのホームズとマーティン・フリーマンのワトソンという、キメラ的共演が脳内で勝手にくりひろげられるのであった。
今井信子・夢 第6回 ハンガリアン・スケッチ
●5日は浜離宮朝日ホールで「今井信子・夢」第6回「ハンガリアン・スケッチ」。ヴィオラの今井信子が近年バルトークについてリサーチするなかで、ハンガリーの民俗音楽に造詣の深いヴァイオリニスト、ミハーイ・シポシュと出会って実現したというプログラム。バルトークの44の二重奏曲から、ジメシュ地方の農民音楽、バルトークのヴァイオリン・ソナタ第2番(ヴィオラ版)、ルーマニア民俗舞曲、コダーイのアダージョ(ヴィオラ版)、最後にブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番という構成。ピアノはマールタ・グヤーシュ。
●で、名前だけを見ても気づいていなかったんだけど、ヴァイオリンのミハーイ・シポシュってムジカーシュの人じゃないの! 特徴的な白髪白髭の風貌で思い出した。以前、ラ・フォル・ジュルネで来日して大盛り上がりだったハンガリーの民俗音楽アンサンブル。なるほど、バルトークの民謡由来の作品を弾くのにこの人以上の共演者もいない。「ジメシュ地方の農民音楽」なんて、バルトークとどう違うのかわからない。「ルーマニア民俗舞曲」では、各曲でまずシポシュが自在のソロを弾いてから、その後、今井信子とグヤーシュでバルトークを弾くという趣向になっていたんだけど、あそこでシポシュが弾いていたのは元ネタの民謡ということなのか、それともバルトークを民謡風に還元したものなんだろうか。ともあれ、シポシュのヴァイオリンから漂う土の香りと来たらもう。
●コダーイのアダージョ(ヴァイオリン用の原曲を作曲者が編曲)は、ヴィオラの深みのある音色が生かされた佳品。こうして並べると、メインプログラムであるブラームスでは、晩年の作曲者の心情をうかがわせるような玄妙な味わいが際立っていて、ハンガリーとの親近性みたいなものは感じない。と思っていたら、アンコールにヴィオラでハンガリー舞曲第5番できれいに着地。
●でも本当のハイライトは、最初に登場した桐朋学園大学付属子供のための音楽教室の子供たちだったかも。今井信子と子供たちのハンガリー音楽をめぐるワークショップの成果として、大勢の子供たちが舞台に登場して、バルトークの44の二重奏曲から第32番、ハンガリー民謡「ドナウからの風」、中山晋平「黄金虫」を演奏。年齢はまちまちだけど、多くは小学校1、2年生くらいだろうか。みんなのびのびと弾いている様子で、なんだかグッときてしまった。
エンリコ・オノフリ/イマジナリウム・アンサンブル
●3日は神楽坂の音楽の友ホールで、「エンリコ・オノフリ~輝くヴァイオリン、イタリアバロックの栄光」。バロック・ヴァイオリンのエンリコ・オノフリと杉田せつ子、チェンバロのロゼッラ・ポリカルドによる初期イタリア・バロック中心のプログラム。前半にサラモーネ・ロッシ、カステッロ、メールラ、フォンターナ、ヴィルジリアーノ、ファルコニエリ、後半にウッチェリーニ、ホセ・デ・カストロ、コレッリの作品。おおむね前半が17世紀前半、後半が17世紀半ばから末にかけての作品で、約100年にわたるイタリア・バロックの旅といった趣き。プログラム全体が流れを持っていて、ひとつの大きな作品のように聴いた。冒頭にロッシの「新しいソナタ」第1番、続いてカステッロの「新しい様式によるソナタ集」第2巻より第4番といったように、「新しい」作品で始めて時代を切り取る。この「新しさ」を実感するためには「旧さ」を知らなければわからないという、はるかなる17世紀……。
●オノフリの鮮烈なヴァイオリンに杉田せつ子さんがぴたりと寄り添って、2台のヴァイオリンによる対話と歌、踊りの音楽がくりひろげられる。そこに交じる描写の音楽がユーモアを添える。ファルコニエリの「サタンの義息バラバスの戦い」では甲冑の戦士たちが剣を振り回して戦うのだが、戦いではあっても牧歌的なおかしみを感じずにはいられない。ウッチェリーニのアリア第9番「ヘルマプロディートス(両性具有)、雌鶏とカッコウによる麗しき奏楽」では、ニワトリ(コッ、コッ、コッ……)とカッコウの鳴き声が共演する。17世紀の田園交響楽。ホセ・デ・カストロのソナタ第1番に至って、ようやく序曲、アルマンド、コレンテ、メヌエットというなじみのある序曲+舞曲群の組曲スタイルが登場。そしてこの流れで聴くと、最後のコレッリは創造の火花を散らして爆発的な進化を遂げたといった感がある。アンコールにウッチェリーニの「ラ・ベルガマスカ」によるアリア。爽快な幕切れ。
●この後、オノフリは3月9日に金沢でオーケストラ・アンサンブル金沢を指揮する。こちらはウィーン古典派プログラム。地元の方はぜひ。
-------------
●宣伝をひとつ。ONTOMOの連載「耳たぶで冷やせ」の第11回は「スピード狂の時代」。乗り物にまつわる名曲コラム。読んで、聴くが吉。
Jリーグ第2節 マリノスvsベガルタ仙台戦、よもやの連勝
●さて、Jリーグ第2節、マリノスはホーム開幕戦ということでベガルタ仙台と対戦。第1節で結果が出たこともありマリノスの先発は同じメンバー。左右のサイドバックが高野と広瀬という布陣は開幕前から予想外だが機能している(補強したタイ代表ティーラトンはケガ)。センターバックはチアゴ・マルチンスと畠中のコンビで、ドゥシャンがベンチ。札幌からやってきた三好康児は一気にチームの柱になりつつある。彼のエレガントなボールさばきを見ていると、かつての上野良治を思い出す。
●で、試合だが、ポステコグルー監督のポゼッション戦術が最良の結果につながった。66%のボール支配率でゲームをコントロール。走行距離でも相手を上回っていたが、これは攻撃時にボールを受けるたための動きの多さのあらわれでもあって、特に両サイドバックのスプリント回数はかなりのもの。どんどん前の選手を追い越していく。前半27分、エジガル・ジュニオがPKを決めて先制、さらに39分、三好のスルーパスに右サイドから仲川が低いクロスを入れ、ファーサイドで走り込んだエジガル・ジュニオが決めて2点目。その後もピンチらしいピンチをほとんど迎えなかったが、後半43分に微妙なPKをとられて2対1。しかし、落ち着いてゲームをコントロールして内容的には完勝。
●これでまさかの開幕2連勝となったわけだが、しかしポステコグルー監督の戦術面での進化があったかどうかはなんともいえない。この日は仙台が積極性を欠いてこちらの戦術にはまってしまったのが大きい。多くのチームはマリノスが自陣ゴール近くで危険なボール回しをすることを見越して前線からアグレッシブなプレスをかけてくるのだが、仙台は受けて立ってしまった。次戦、マリノスは王者川崎との対戦。相手の個の力が高い時こそ戦術的優位性が求められるわけで、次戦がポステコグルー監督にとっての試金石となる。
リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」と「千一夜物語」
●かねてより抱いていた疑問に、リムスキー=コルサコフが「シェエラザード」の各楽章で題材としたストーリーは「千一夜物語」のどの物語なのか、というものがある。第1楽章の「海とシンドバッドの船」はあきらかに「シンドバッドの冒険」由来だろうとして、後はどうなのか。
●第2楽章は「カレンダー王子の物語」。固有名詞のように思われがちだが、カレンダー(カランダール)とは人の名前ではなく、家族や財産を捨てた托鉢僧のこと。「千一夜物語」には托鉢僧になった王子の話がいくつかある。ひとつ有力候補になりそうなのが、「荷かつぎ人足と乙女たちとの物語」(マルドリュス版第9夜~第18夜)に出てくる「第三の托鉢僧の話」かもしれない。というのは、この話にはカランダールの回想として、漂流してたどり着いた島で、頂上の銅の騎士を弓で射って救われるという話が出てくる。この話は第4楽章は「バグダッドの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲」の「船は青銅の騎士のある岩で難破」の物語のことだろうから、つながりがある。まあ、だからといって確実ともいえないんだけど。第3楽章に至っては「若い王子と王女」だから、いくつも該当する話がありそうで、探す気にもなれない。
●で、そもそもリムスキー=コルサコフが読んだ「千一夜物語」はどの版なのか、という問題がある。「シェエラザード」の初演は1888年。もちろん、リムスキー=コルサコフはアラビア語ではなく、フランス語とかロシア語の翻訳で読んだに違いない(最初にヨーロッパに「千一夜物語」が紹介されたのはフランス語翻訳)。「千一夜物語」の主要翻訳版にはガラン版、レイン版、ペイン版、バートン版、マルドリュス版とあって、今ワタシらが容易に読めるのはバートン版かマルドリュス版。で、そのあたりの事情がなにかわかるかなと思って、「アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語」(西尾哲夫著)を拾い読みしてみたところ、マルドリュス版は「シェエラザード」作曲より後だし、バートン版はほぼ同時期だが英語出版なので可能性は薄そう。ペイン版はその少し前だけどやはり英語なので、ロシアにいて容易にアクセスできたとも思えない。一方、最初に欧州に大ブームを起こしたガラン版は早くも1704年からフランス語で刊行されて、その後、すさまじい勢いで欧州各言語に翻訳されている。1763年にはロシア語翻訳も出ていたとあるので、リムスキー=コルサコフの時代にはすでにガラン版はロシア語翻訳で古典扱いだったとして不思議はない。だったら、素直にガラン版を読んだってことでいいんじゃないの。そんな気もするのだが、同書によればガラン版が大ヒットしたため、多数の偽写本が次々と出現したそうで、なかには中東出身者がアラビア語の知識を悪用してありもしない偽写本を作り上げるなど相当にカオスな状況にあったらしく、当時のロシアの状況となるとなんともいえない。