●30日はサントリーホールでアンドリス・ネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。恰幅もよくなって、ますます巨匠然としてきたネルソンス。まだ40歳とは。曲はブルックナーの交響曲第5番のみ。まずオーケストラの音色の美しさに感嘆。冒頭のニュアンスに富んだ弦からゾクッと来る。そして本当に豪快に鳴る。サントリーホールでこんなに鳴らすオーケストラは珍しい。伝統の重厚なサウンドというイメージよりも、もっと鮮烈で壮麗。おかげで宗教的な恍惚感というよりは、スペクタクルが前面に出た感。楽員が指揮者と一体となって攻める演奏だったので、精密さはやや犠牲になったかもしれないが、めったに聴けない凄演。終楽章は速めのテンポで驀進する対位法モンスター。
●ブルックナーの交響曲、第7番以降の磨かれた完成度に比べると、第5番はゴツゴツした手触りや労作感、人工美が前面に出ていて、工事中の教会っぽいというか、神さま外出中なところが共感できる。
●終楽章の最後、盛り上がりに盛り上がって、ネルソンスがびしっとポーズを決めて終わったところで、ブラボーが飛んでくるかと思いきや、客席全員ぐっとこらえて静寂。ネルソンスが虚を突かれたような表情に見えたのは気のせいだろうか。その後、大喝采、楽員が退出しても拍手が鳴りやまず、ネルソンスのソロ・カーテンコールへ。盛大なブラボー。
2019年5月アーカイブ
アンドリス・ネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のブルックナー
ふたつのニッポン~コパ・アメリカ・ブラジル2019とキリンチャレンジカップ2019
●サッカー日本代表のメンバーが不思議なことになっている。6月5日からのキリンチャレンジカップ2019に向けての代表と、6月14日からのコパ・アメリカ・ブラジル2019に向けての代表と、2種類の代表メンバーが立て続けに発表されたんである。両方選ばれている選手もいれば、片方だけ選ばれている選手もたくさんいて、わけがわからない。おまけにメンバーには知らない選手がたくさん。大学生までいる。これはいったいどういうメンバーなのよ?
●以前にも書いたように、ニッポンはコパ・アメリカに招待参加するものの、諸事情あってこの大会に強制的に選手を招集できない。シーズン中のJリーグは選手を出したくないに決まっているし、シーズンオフの欧州クラブにしても、貴重な休養を削って日本の選手を南米にまで送りたくない。選手の供出を拒否したクラブは相当多かった模様。で、いろんな大人の事情が交錯した結果、キリンチャレンジ用の2試合限定の代表と、南米に行く代表ができてしまった。前者には香川や長友、酒井宏樹、大迫、原口、南野、堂安といったスター選手がいるが、彼らはコパ・アメリカには行かない。集客やテレビ中継など、いろんな事情もあるのだろうが、強化試合としての意味はほとんどなくなった。森保監督にしても苦渋の決断だろう。
●大事なのはコパ・アメリカのほうだ。栄えある大会で南米の強豪と真剣勝負できる貴重な機会。これにニッポンはミステリアスなメンバーで臨む。各チームと交渉の末に、ようやくそろった23人。なんと23人中、13人が初選出だ。こんなに顔と名前が一致しない代表チームはかつてなかった。勇者たちの名前を記しておかねば。*は初選出。
GK
川島永嗣(RCストラスブール/フランス)、小島亨介(大分トリニータ)*、大迫敬介(サンフレッチェ広島)
DF
植田直通(セルクル・ブルージュKSV/ベルギー)、板倉滉(FCフローニンゲン/オランダ)*、岩田智輝(大分トリニータ)*、立田悠悟(清水エスパルス)*、原輝綺(サガン鳥栖)*、杉岡大暉(湘南ベルマーレ)*、菅大輝(北海道コンサドーレ札幌)*、冨安健洋(シントトロイデンVV/ベルギー)
MF
柴崎岳(ヘタフェCF/スペイン)、中島翔哉(アルドゥハイルSC/カタール)、中山雄太(PECズヴォレ/オランダ)、三好康児(横浜F・マリノス)*、伊藤達哉(ハンブルガーSV/ドイツ)、松本泰志(サンフレッチェ広島)*、渡辺皓太(東京ヴェルディ)*、安部裕葵(鹿島アントラーズ)*、久保建英(FC東京)
FW
岡崎慎司(レスター・シティー/イングランド)、前田大然(松本山雅FC)*、上田綺世(法政大)*
●東京ヴェルディから代表選手が選ばれたのはずいぶん久しぶりでは。そして2名を供出した大分は立派。マリノスの三好康児は川崎からローンの選手。ここで出した以上は完全移籍してチームに留まってもらいたいもの。法政大学の上田綺世は9年ぶりの大学生選出なんだとか(2010年の永井謙佑と山村和也以来)。
キリル・ペトレンコとベルリン・フィルの2019/20年シーズン記者会見
●先日、ベルリンで開かれたキリル・ペトレンコとベルリン・フィルの2019/20年シーズン記者会見の模様が公開されている。ありがたいことに日本語字幕付き。新シーズン、さらには今後のプランについて、ペトレンコは雄弁に語っている。一昨年にバイエルン国立歌劇場とともに来日した際に記者会見で見せたシャイな様子とはぜんぜん違う。
●8月の就任記念演奏会のプログラムはベートーヴェン「第九」。日本でも2020年の生誕250周年に向けてベートーヴェンがとりあげられる機会が増えそうだが、もちろんベルリンだってそう。ペトレンコは「第九」「フィデリオ」「ミサ・ソレムニス」の3つの大作を指揮する。いわく、歓喜 Freude を表現した「第九」、自由 Freiheit を表現した「フィデリオ」、平和 Frieden を表現した「ミサ・ソレムニス」で、「3つのF」。これが今のわたしたちにとってアクチュアルなテーマだと語る。なんともキャッチー。
●ベートーヴェン以外では、東欧・ロシアの音楽に対する力の入れようが目をひいた。特にスークの音楽にはかねてより思い入れがあるようで、交響曲第2番「アスラエル」を振る。スーク作品があまり知られていないのは演奏が難しいから、でもベルリン・フィルなら大丈夫、といった話。ラフマニノフの「交響的舞曲」については作曲者の最高傑作であるとも。
●また、ペトレンコの日本語特設サイトが公開されており、ベートーヴェンの交響曲第7番や、チャイコフスキーの「悲愴」、エルガーの交響曲第2番など、ベルリン・フィル・デジタルコンサートホールで配信されている映像が無料で公開されている。これだけでもかなり聴きごたえがあって、気前がいい。
ボンクリ・フェス 2019 記者会見
●27日、東京芸術劇場で「ボンクリ・フェス 2019」の記者会見へ。「ボンクリ」とは Born Creative、すなわち人は生まれながらにして創造的という意味。9月28日(土)、東京芸術劇場の館内で開催される「新しい音」を聴ける1dayフェスティバル。アーティスティック・ディレクターは作曲家の藤倉大(写真右)。アンサンブル・ノマド音楽監督の佐藤紀雄(左)も登壇。
●3回目となる「ボンクリ・フェス」だが、今回はこれまで夜に開催されていたスペシャル・コンサートが14時開演の昼の時間帯に移ることに。これによって、ファミリー層にもぐっと足を運びやすくなった。子供も大人も楽しめるというのがこのフェスティバルの趣旨。スペシャル・コンサートの曲目は、モートン・フェルドマンの「サムシン グ・ワイルド・イン・ザ・シティ~マリー・アンのテーマ」、挾間美帆「颯(はやて)」、テリー・ライリー「In C」、坂本龍一の新作、大友良英の新作、藤倉大のホルン協奏曲第2番(アンサンブル版)。佐藤紀雄指揮アンサンブル・ノマド、福川伸陽(ホルン)、ヤン・バング(エレクトロニクス)、萩原麻未(ピアノ)、大友良英他が出演。
●ほかに「ノマドの部屋」「電子楽器工作の部屋」「トーンマイスター石丸の部屋」「プンクトの部屋」「箏の部屋」他のデイタイムプログラムが開催される。また、スペシャル・コンサートが昼の開催になったことで、夜のコンサートホールを活用しようということで、「大人ボンクリ」として入退場自由で電子音楽を聴ける場にするそう。
セバスティアン・ヴァイグレ指揮読響の「英雄」
●読響の新常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレがいよいよ登場。3プログラムを指揮して、さらには二期会の「サロメ」も続くという活躍ぶり。就任披露の定期演奏会は聴き逃したが、24日、サントリーホールでの名曲シリーズへ。曲はワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、シューマンのチェロ協奏曲(ユリア・ハーゲン)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。名刺代わりの3プログラムはいずれも独墺系のレパートリー。前任のカンブルランとはまた違った方向性が指示されている……といっても、カンブルランもかなり独墺系の音楽を取りあげていて、それがまた刺激的だったのではあるが。
●シューマンのチェロ協奏曲でソリストを務めたユリア・ハーゲンは、チェロのクレメンス・ハーゲンを父に持つ新星。ヴァイグレのやさしいサポートのもと、潤いのある美音を披露。鬱々とした情念渦巻くシューマンではなく、すっきりさっぱり。アンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第1番よりサラバンド。メイン・プログラムの「英雄」は、重々しいベートーヴェンになるのかと思いきや、予想外に明快ではつらつとしたベートーヴェン。冒頭の鋭く打ち付けるような和音連打からきびきびと音楽が進み、歯切れがよい。全体としては古風な要素も今風の要素も入ったハイブリッドといった感。コンビとしてはまだスタート地点に立ったばかりなので、これからさらに成熟度を高めていくにちがいない。客席の反応は上々。新時代への期待の高さを感じる。NHKの収録あり。
ネーメ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団のフランス音楽プログラム
●23日はサントリーホールでネーメ・ヤルヴィ指揮N響。膨大なレパートリーを持つパパ・ヤルヴィのフランス音楽プログラム。イベール「モーツァルトへのオマージュ」、フランクの交響曲、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(オルガンは鈴木優人)。イベールの「モーツァルトへのオマージュ」を生で聴けて感激。この曲、今ワタシがお手伝いさせていただいているANAの機内オーディオプログラム「旅するクラシック」のオープニングテーマでもある。オープニングにはぴったりだと思って番組スタート時にテーマ曲候補のひとつとして挙げたもので、今ではすっかり愛着がわいている。涼しげな軽やかさはイベールならでは。
●フランクの交響曲はかなりの高速テンポ。鬱々とした情念が渦巻く曲だと思っていたが、この曲にこんなスピード感とスリルがありえたとは。速いテンポはサン=サーンスの交響曲でも同様で、前へ前へとどんどん進む。ネーメの持ち味はパーヴォとはまったく違って、豪放磊落な鳴りの良さ、爽快な開放感。まったく深刻ぶらない。オルガンは絢爛として鮮麗。鈴木優人さんは12月に指揮者としてN響定期デビューが予定されているが、その前にオルガニストとして登場する珍しいパターン。カーテンコールではオルガン席からステージに降りてきて、ネーメとともに喝采を受けていた。ネーメは客席からブラボーがわくと耳に手を当てて「えっ、なになに?」みたいなポーズをとるのがお茶目。まもなく82歳。
充電速度の謎
●スマホを使っていて、もっとも挙動が謎だと思うのが充電速度。充電器やケーブルの種類によってずいぶん違ってくる。本体付属の充電器&ケーブルだとすごい速さで急速充電できるのに、他社製のものを使うと何倍も時間がかかったりする。しかも充電器によっては「急速充電」と謳われていても、方式の違いなどで実際には急速充電にならなかったりする。あと、最近気がついたのだが、マイクロUSBケーブル側が急速充電に対応しているかどうかという罠も。そして、充電が「遅い」にも何段階もあって、「少し遅い」から「ものすごく遅い」までさまざま。面妖だ。
●で、最近、Android用の Ampere なる電流計測アプリを知って、使ってみた。アプリをインストールするだけで、充電時の電流を計測してくれる。そんなのソフトウェア的に測れるものなんだろうかとも思うが、試してみるとそれっぽい数値が出てきた。手元にある充電器やケーブルを組合せを変えながら片っ端から計測して、使えるものと使えないものに分別する。ぜんぜん速度が出ない怪しげなケーブルとか、いったいどこから紛れこんだのか。ついでに常時カバンに忍ばせておく用に、短くて急速充電できるケーブル(0.2mのマイクロUSBケーブル)を導入。このケーブルにもいろんな規格が入り乱れているうえに、スマホ側の挙動も一様ではないのが厄介なのだが、試してみるとまずまずの速度が出た。USB Type-Cが普及すればもっとすっきりした話になるのだろうか。
J1リーグ第12節 マリノスvsヴィッセル神戸 スタンドで頭を抱えるイニエスタ
●前節、最悪の内容でセレッソ大阪に敗れたマリノス。ボールを保持してもシュートできないのでは、なんのためにリスキーなハイラインを敷いているのかさっぱりわからない。さすがにこのままでは戦術の自己否定になるということか、ポステコグルー監督はヴィッセル神戸戦に向けて先発メンバーを入れ替えてきた。主力の天野、三好、広瀬をそろってベンチに置き、扇原、ティーラトン、ケガから復帰のエジガル・ジュニオを先発起用。GK:朴一圭-DF:ティーラトン、チアゴ・マルチンス、畠中、和田拓也-MF:扇原、喜田-マルコス・ジュニオール(→天野)-FW:仲川輝人(→三好)、エジガル・ジュニオ(→李忠成)、遠藤渓太。
●一方、神戸は泥沼の6連敗中。リージョ前監督の退任には驚いた。昨季に続いて吉田孝行監督(元マリノス)で急場をしのいでいるが、調子は上向かない。年俸33億円のイニエスタをはじめ、ポドルスキ、ダビド・ビジャを擁し、それ以外にも外国人選手が4人ほどいるリッチな布陣だが、この日、イニエスタはベンチにも入らずスタンド観戦。ポドルスキもベンチ外。元バルセロナのセルジ・サンペールはベンチ・スタート。かろうじてダビド・ビジャは先発。
●試合が始まって、相手もこちらと似たような問題を抱えていることに気づく。ボールを持ちたい、つなぎたい。でもボールをつなげば失点リスクも高まる。同じ課題に少し違った角度から向き合っているチーム同士の対戦という感じ。序盤からマリノスはいつものように自陣で危険なミスを連発し、これはまたもや早々に自滅のパターンかと思いきや、神戸が決定力を欠いていて救われる。前半31分、遠藤がカウンターからボールを敵陣に持ち込んでスルーパス、これをマルコス・ジュニオールがワンタッチで蹴り込んで見事なゴール。後半22分にはまたも遠藤がドリブルで切れ込んで、マイナス方向のクロスを入れてフリーの李がゴール。後半38分と後半45分には途中交代の三好が立て続けにゴールを決めて4点。その後、ウェリントンに一点返されるが、4対1で完勝。遠藤大活躍。
●ポゼッションはマリノスのほうが高かったが、たぶん、そこはあまり重要ではなくて、マリノスがうまく戦ったというよりは神戸が空中分解を起こしている。神戸はこれで7連敗。球際などでのプレイが淡白。インテンシティ、運動量、スピードなどで本調子にはほど遠いよう。ダビド・ビジャは体にキレがなく、往年の魔人ぶりを思い出すと切ない。
●神戸はイニエスタひとりの年俸だけでこちらのチーム全員分を軽々と上回っている。楽天マネー恐るべし。これだけの予算があれば常勝チームを作れそうなものだが、15位まで落ちて降格圏間近。いったいなにをまちがったらこうなるのか。
ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のヤン・ロバン&ベートーヴェン他
●18日は東京オペラシティでジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。プログラムはノットならではの現代ものと古典とのコンビネーションで、前半にブーレーズの「メモリアル(…爆発的ー固定的…オリジナル)~フルートと8つの楽器のための」(フルートは相澤政宏)、ヤン・ロバン(ロビン)の「クォーク~チェロと大編成オーケストラのための」(2016年初演)、後半にベートーヴェンの交響曲第7番。ありきたりの曲では満足できないお客さんも、有名曲を聴きたいお客さんも両方満足できるという意味で、これこそ真の「万人向け」プログラムなのかも。客入りは上々。
●「クォーク」は以前のシーズンラインナップ発表記者会見で「すごい曲だ」とノットが期待を煽っていたが、これはすさまじい噪音の連続体。大枠の作りとしては、強烈な打撃音を伴うパルスが数秒程度の周期で連続し、その管弦楽の轟音の海でエリック・マリア・クテュリエによる独奏チェロがほぼ休みなく超絶技巧を繰り出しながらもがき、格闘し続ける。最後は21世紀版「春の祭典」みたいな擾乱に至り、やがて静寂が訪れる。これがなぜ「クォーク」なのか。なんら素粒子的なイメージを喚起する曲ではないようにも思うが、あえていえば巨大な粒子加速器を連想させるとか? よくわからないんだけど、思わせぶりなタイトルは吉。続くベートーヴェンの交響曲第7番との関係性でいえば、パルスの音楽とリズムの音楽といった対照を見てとることができるだろうか。大音響の音楽の後に、クテュリエはアンコールとして静かなモノローグの音楽を聴かせてくれた。クルタークの「チェロのためのサイン、ゲーム、メッセージ」から「ピリンスキー・ヤーノシュ:ジェラール・ド・ネルヴァル」(たぶん)、バッハの無伴奏チェロ組曲第5番の「サラバンド」をつなげて演奏。
●しかし真の驚きは後半のベートーヴェンの第7番。この曲、「のだめ」以降に演奏機会がすさまじく増えてしまって新鮮な感動を覚えるのが難しくなっていたが、この日ほどエキサイティングな第7は過去にさかのぼっても思い出せないほど。第1楽章の再現部でオーボエが独自の小カデンツァを入れたり(第5番「運命」で記譜されているみたいに。ハッとする)、第2楽章でクラリネットが装飾を加えたりと即興的な趣向も効果抜群。第1楽章から第2楽章へは緊張感を緩めずアタッカで。終楽章で吹き荒れる熱風は「クォーク」の狂宴すらかすませるほど。エネルギッシュだが、決して雑ではなく、潤いのある東響サウンドあってこその大名演。客席の反応は熱くて暖かい。スタンディングオベーションの大喝采のなかでノットのソロ・カーテンコールに。近くに座っていたあまり慣れていないと思しきご婦人が、戸惑いながら「えっ、これはいつもこういうものなのかしら? 違うわよね。きっと今日はよかったのよね」と口にしていたが、なんという引きの強さ。最強です。
アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルの「カヴァレリア・ルスティカーナ」
●17日はサントリーホールでアレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィル。前半にメトネルのピアノ協奏曲第2番ハ短調(エフゲニー・スドビン)、後半にマスカーニのオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」(演奏会形式)という、まったく普通ではない組合せのプログラム。メトネルは初めて聴いたが、自分はうまく音楽的な文脈を追えず迷子になってしまった。しかしこの長大で、難度の高そうな曲をスドビンはすっかり手の内に入れているよう。脱帽するしか。アンコールのスカルラッティはみずみずしく、情感豊か。
●で、後半は一気に雰囲気が変わってマスカーニ。オーケストラ、独唱陣、合唱団が一体となって熱気にあふれた好演に。けっこうな人数の日本フィルハーモニー協会合唱団がステージ上に乗って、ほとんど隙間なし。演技の余地もない本当の演奏会形式だったが、十分に雄弁なドラマが紡ぎ出された。オーケストラの壮大な響きを真正面から体感できるのが演奏会形式の魅力。おかげでこの曲にはピッコロがふたりもいることに気づく。つんざくような高音が強調される。歌手陣は声量豊かで、まったくオーケストラに埋もれない。トゥリッドゥにニコライ・イェロヒン、サントゥッツァに清水華澄、アルフィオに上江隼人、ローラに富岡明子、ルチアに石井藍。
●「カヴァレリア・ルスティカーナ」は一幕物にぴったりの話だと改めて思う。説明的な場面、つなぎの場面がほとんどなく、オペラでは珍しくキビキビと話が進み、核心だけで成り立っている。で、この話で自分がいちばんぐっと来るのは、決闘を前にしたトゥリッドゥが酒に酔った体裁で、母親にそれとなく別れを告げるところ。トゥリッドゥの破滅は自業自得ではあるんだけど、その背景にはいろんな社会環境もあるだろうからと、トゥリッドゥに同情して見ていた。でも、この日の配役だと、トゥリッドゥのほうが強そう。演奏会形式ゆえに衣装や演技で役を作れないから体格だけで見てしまうわけで、これだとトゥリッドゥは決闘で勝つんじゃないの、と思う。ホントは勝つ気マンマンだったのに、番狂わせで負けた。そう思うとトゥリッドゥよりもアルフィオに共感したくなる。アルフィオ側から見れば悪人を成敗したわけで、「スター・ウォーズ」にたとえると(なんでだよ)、フォースの暗黒面に落ちたトゥリッドゥをジェダイのアルフィオが倒した、という結末。
「モリアーティ」(アンソニー・ホロヴィッツ著/角川文庫)
●ようやく読んだ、アンソニー・ホロヴィッツ著の「モリアーティ」。モリアーティとはシャーロック・ホームズの宿敵として登場する悪の親玉。「最後の事件」でライヘンバッハの滝にホームズとともに転落する。実はオリジナルの「シャーロック・ホームズ・シリーズ」では、モリアーティは唐突に出てきて、あっという間に消える。というのも、このキャラクターは、もうホームズ・シリーズを書きたくなくなった作者コナン・ドイルがホームズを死なせるためにひねり出した人物。まったく投げやりに出てきたキャラなんである。ところが、コナン・ドイルはホームズ人気に負け、「実はホームズは生きていた」ということにして、結局シリーズの続きを書いてしまう。一方、モリアーティは原典での言及が少ないことがかえって想像力を刺激するのか、後世の人々が再創造したホームズ・シリーズで大活躍している。このホロヴィッツ著の「モリアーティ」もそんな一冊。ストーリーは「最後の事件」の直後から始まる。なんと、コナン・ドイル財団公認作品だ。
●ワタシは同じ著者の「カササギ殺人事件」に感銘を受けて、この「モリアーティ」を読もうと思ったのだが、だったら原典となるホームズも読んでみようとしたところ、すっかり原典のほうにハマって全部読むことになってしまったんである。やたらと長い迂回路を通って、やっと本来の目的地にやってきた。
●で、これが期待にたがわぬ傑作。「カササギ殺人事件」と同様にアイディア豊富で、構成は巧緻。さらに原典に登場するスコットランドヤードの警部たちが勢ぞろいするというサービス精神も吉。もちろん、原典を読んでいなくても楽しめる。ただし、amazonのレビューは一切読まないことを強く、強くお勧めする。
ロナルド・ブラウティハム ― ワルトシュタインを弾く
●15日はトッパンホールで「ロナルド・ブラウティハム ― ワルトシュタインを弾く」。ブラウティハムがフォルテピアノを演奏。楽器はポール・マクナルティ製作のワルター1800年頃モデル。プログラムが実に魅力的で、前半にハイドンのピアノ・ソナタ第49番変ホ長調とベートーヴェンのピアノ・ソナタ第3番ハ長調、後半にハイドンのピアノ・ソナタ第52番変ホ長調とベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番ハ長調「ワルトシュタイン」。やはりハイドンのソナタはこの2曲が最強では。そして、前後半ともに変ホ長調のハイドンとハ長調のベートーヴェンを並べての師弟対決。両者の類似性も対照性も伝わってくるようなプログラム。
●前半のハイドンの第49番とベートーヴェンのソナタ第3番はほとんど作曲年が変わらない。ハイドンのほうが3、4年ほど早いくらい。両曲の時点ではハイドンは円熟の巨匠、ベートーヴェンはいくぶんトリッキーな野心家といった感じだろうか。ベートーヴェン作品は師ハイドンに献呈されている。ハイドン作品は凝縮されていて、まったく隙がない。師の圧勝だ。しかし後半になると立場が逆転する。「ワルトシュタイン」は未来の音楽。ハイドンの第52番の終楽章、同音連打の主題が特徴的だが、これに「ワルトシュタイン」冒頭の連打が続くという流れが鮮やか。そして、「ワルトシュタイン」ではフォルテピアノの音域ごとの音色変化が効果を発揮する。第2楽章の色調の移ろい、第3楽章で高音域で飛翔する主題の神々しさ。モダンピアノであればごくおとなしい選曲が、フォルテピアノでは超越的な選曲として提示される。どんな人間もモダンピアノを屈服させることはできないが、ベートーヴェンはフォルテピアノを軋ませ、悲鳴をあげさせる。
●ブラウティハムのベートーヴェンは凛々しく、剛健、端正。楽譜あり、譜めくりなしのハッピー仕様。自分でめくるが吉。アンコールにベートーヴェン「悲愴」第2楽章。
キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルの「悲愴」がCD化
●ベルリン・フィルの新シェフに決まったのに、一般的なレパートリーの録音がほとんどないと嘆かれていたキリル・ペトレンコだが、ようやくベルリン・フィルからチャイコフスキーの「悲愴」のCDがリリースされた。これ一曲のみの収録。首席指揮者選出後初の客演となった2017年3月の公演のライブ。3回の演奏会とゲネプロをもとにした録音とのこと。ベルリン・フィル・デジタルコンサート(DCH)ではこの「悲愴」はもちろんのこと、その後のペトレンコのライブも毎回オンデマンドで提供されているので、もはやペトレンコ指揮ベルリン・フィルの録音に対する飢餓感みたいなものはなくなっているが、本質的にライブ中継であるDCHと、念入りな編集を経たCDとでは別ジャンルの音楽の楽しみ方というべきか。
●で、これまでのベルリン・フィル・レコーディングスの録音では、いずれも音楽CDよりも、むしろハイレゾ音声のほうが主役だったと思うが、今回の商品は音楽CD(SACDハイブリッド)+ハイレゾ・ダウンロード・コード(24bit/192kHz)という形態になっている(DCH7日間無料視聴のオマケ付き)。これまでのような 24bit/96kHz のBlue-rayディスクは付いていないけど、192kHz/24bit のダウンロード・コードは付いているわけだ。中間がなくなって、両端が残ったという感じ? 一般的な音楽ファンがどこまでハイレゾを求めているのかは気になるところなので、ダウンロード率を知りたいものである。
「いらすとや」素材に見る作曲家ヒゲ進化論
●図1 黒ひげ種
左よりビゼー、ドヴォルザーク、スメタナ。次第に退色してゆく様子が観察できる。ひげと頭髪のボリュームに負の相関がうかがえる。
●図2 白ひげ種
左よりリムスキー=コルサコフ、ブラームス、サン=サーンス。白ひげの色調に個体差は見られないが、形状の変化が観察できる。丸形の第一形態、尖角を持つ第二形態、先端が二方向に分岐した第三形態。
●図3 かつら種
左よりバッハ、ヴィヴァルディ、ヘンデル。バロック期に多く観察されたが、生態環境の激変により短期間で大きく個体数を減らした。白色かつらのボリュームが増えるにともなって、権勢を増したという説あり。
J1リーグ第11節 セレッソ大阪vsマリノス 尊師ポステコのサイコロ博打
●DAZNで試合中継をオンデマンド再生しながら、屈辱的な試合展開に耐え切れずにちゃぶ台をひっくり返して、途中からハイライト再生に切り替えた。な、なんだこの試合は。セレッソ大阪vsマリノス、いきなり前半2分にディフェンスラインの裏にボールを放り込まれたと思ったら、和田が水沼宏太に競り負けて、距離のあるところから技巧的なシュートを打たれてあっけなく失点。水沼の恩返しゴール。こういった序盤のイージーな(と見える)失点をなんど繰り返すのか。その後、後半にも高木俊幸、ふたたび水沼に決められて3失点で完敗。
●この試合のなにがよくないかといえば、いつものように63%の高いボール支配率、652本ものパス(成功率は88%!)という見映えの良い数字を達成しながらも、枠内シュートはたったの2本で終わっている点。そんなのアタッキング・フットボールとはいえない。ポステコグルー監督の特殊戦術が本当に「攻撃的」なのかどうか、ひっくり返したちゃぶ台をもとに戻しながら冷静に考えてみる必要がある。セレッソ大阪はマリノス対策がきれいにハマって、してやったりだろう。
●11試合終わって、順位は7位だが、得失点差は-1。なんとマイナスだ。つまるところ、今のマリノスは毎試合派手に打ち合っていても、実力的にはプラマイほぼゼロのチームなんだろう。リスクの大きな戦い方をしている分、成績の振れ幅が大きく、運が良ければ上位に顔を出すが、へたをすると降格ゾーンに落ちる(昨季)。マリノスの規模を考えれば、ポステコグルー監督の戦術はチーム力を引き上げたとはいえない。しかし、試合をおもしろくしているとは断言できる。大分や札幌が上位に食い込むのは監督の戦術的成功だけど、マリノスの戦術は成績的には成功しておらず、興行的に成功している(たぶん)。それが現時点での自分の理解。
●マリノスのメンバーのみ記録。GK:朴一圭-MF:和田拓也、畠中、チアゴ・マルチンス、広瀬陸斗(→扇原)-MF:喜田、三好(→エジガル・ジュニオ)、天野-FW:仲川、マルコス・ジュニオール、遠藤渓太(→李忠成)
「㋿」(令和)がWindows 10にやってきた!
●新元号が決まる直前に、ユニコードの U+32FF に合字の新元号が入るという話を書いた。合字というのは㍾、㍽、㍼、㍻という変則的な文字のこと。で、ついに昨日、わが家のWindows 10で、その合字が見えるようになったのだ! さあ、これが新元号だ。㍾ → ㍽ → ㍼ → ㍻ → ㋿ (来ました!)
●え、見えない? 豆腐になってる? そう、たしかにまだ見えない環境の人も多いだろう。実は昨日、手動でWindows Updateをかけたところ、「㋿」(令和)が正しく表示されるようになったのだ。一刻も早く合字で改元を体感したいというWindows者は、スタートメニューの設定→更新とセキュリティ→Windows Update「更新プログラムのチェック」を選択するが吉。なお、ウチのAndroid環境ではいまだ「㋿」は豆腐のままである。Androidにもいつか令和がやってきますように。
●しかし改元するたびにユニコードにこんなややこしい文字が一文字ずつ増えていくのかと思うと、なかなか難儀な話である。たまたま「令和」だからなんとかなったが、たとえば「慶長」だったら一文字に収めるのが大変。もし新元号が4文字の「タピオカ」に決まっていたらずいぶん困ったことになった……いや、そうでもないか。意外とカタカナは収まる。たとえば「㌠」みたいに。新元号が「サンチーム」になったら、「㌠」が最初からあるのでこれを使えばいい。
●いったいなぜ「㌠」なんていう合字が用意されているのか、訝しく思う方もいるかもしれないが、この「㌠」はなかなか便利で、たとえばこんなふうに使えばよい。
ブタ㌠ vs ゾウ㌠
●ほら、こんなに便利。ウソ。
シャーロック・ホームズとヴァイオリン
●当欄でなんどか話題にしているが、しばらく前からコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズを新訳でちびちびと読み進めている。ドイルが書いた「正典」は案外少なく、短篇集が5冊、長篇が4冊しかない。本領が発揮されているのは短篇集のほうで、長篇はむしろ番外編的な雰囲気がある。長篇でもたしかにホームズは登場するのだが、むしろサイドストーリーのほうが主になるパターンが多いので。たとえば、「緋色の研究」では、荒野で遭難した男とその養女が、初期のモルモン教徒の集団に救われるも、年月を経て今度はその集団から逃れられなくなるというストーリーが描かれる。一夫多妻制のモルモン教が支配するソルトレイクシティで起きた悲劇が話の柱であって、ホームズとワトソンははるか遠くのロンドンで幕引き役を引き受けたに過ぎない。
●ところで、この「緋色の研究」にはホームズがヴァイオリンについて蘊蓄を傾けるシーンが出てくる。
ホームズはひどく上機嫌で、クレモナ製のヴァイオリンの話、特にストラディヴァリウスとアマティの違いなどについて、とめどもなくしゃべり続けていた。一方わたしのほうは、うっとうしい天気と、陰鬱な事件現場に向かっているせいですっかり気が滅入り、黙りこくっていた。(日暮雅通訳/光文社文庫)
ワトソンにとってはストラディヴァリウスとアマティの違いなど、まったくどうでもいい話にちがいない。一方、ホームズがこの話題に熱心なのは当然のことである。なにしろホームズのヴァイオリンはストラディヴァリウスなのだ。
●とうわけで、ホームズとヴァイオリンの関係について、ONTOMOの連載で「シャーロック・ホームズの音楽帳 その1〈ヴァイオリン篇〉」として書いた。ホームズがどうやってストラディヴァリウスを手に入れたのか、気になる方はご笑覧ください。
ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019の開催報告
●閉幕の翌日、ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019の開催報告(PDF)が発表された。来場者総数はのべ42万5千人、チケット販売数は124公演で12万枚強、販売率にすると84.7%。と、数字を並べてもなかなかピンと来ないので、過去数年と比較してみると以下のようになる。体感的な賑わいが数字で裏付けられた感。前回は池袋と有楽町での分散開催だったので、二会場を合わせた来場者総数は多かったものの、販売率はぐっと低くなってしまった。今回は集中開催に戻って、販売率は一気に回復した。のみならず、一昨年と比べても、来場者総数、チケット販売数、販売率すべてにおいて今回が勝っている。
[2019年 ボヤージュ 旅から生まれた音楽]
来場者総数(のべ人数)425,000人
チケット販売数 120,650枚(有料チケット総数 142,390枚)
販売率 84.7%
[2018年 モンド・ヌーヴォー 新しい世界へ](丸の内+池袋)
来場者総数(のべ人数)432,000人
チケット販売数 119,177枚(有料チケット総数 182,007枚)
販売率 65.5%
[2017年 ラ・ダンス 舞曲の祭典]
来場者総数(のべ人数)422,000人
チケット販売数 115,778枚(有料チケット総数 141,574枚)
販売率 81.8%
●今回は十連休効果が大きかったと予想。多くの家庭が連休の前半に旅行に出かけ、終盤ほど外出は近場で済ませる傾向にあったのでは。過去この数字を眺めてきてたびたび感じるのは、テーマがなにかということ以上に、天気とか休日の並びのほうが集客に強い影響を及ぼしているんじゃないかなーということ。あと、チケット販売数/販売率は、5千席のホールAの数字に大きく左右されるので、これはホールAがどれだけ人気を呼んだかという数字に近い。
ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 最終日
●ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019閉幕。最終日から、印象に残った公演を振り返っておこう。
●シュトラウスの交響的幻想曲「イタリアから」連弾版を聴くために朝イチのG409へ。演奏は久々のビジャーク姉妹。この曲、若きシュトラウスの勢いとある種の過剰さがあって妙に惹かれるのだが、オーケストレーションを差し引いて聴いてみると、意外とすっきりとした見晴らしの良いイタリアへの旅。オーケストラにはできない伸縮自在の呼吸感、そしてキレのよさ。終楽章のフニクラ・フニクリは痛快。世界三大姉妹は、こまどり姉妹、叶姉妹、ビジャーク姉妹と認定したい。
●ホールD7で、ショーソンの「ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲(コンセール)」。演奏はシャルリエ、ダルベルト、モディリアーニ弦楽四重奏団。いったいどういう狙いでこんな不思議な編成なのか。ピアノ五重奏でもなく、弦楽五重奏でもない。弦楽四重奏に第一ヴァイオリンがいて、別にヴァイオリンのソリストがいるという謎の重複感。この曲、以前にもLFJで聴いたが、ステージからの距離が遠かったせいかまったくピンと来なかった。今回はもっと狭い空間だったので、ずっと楽しめた。もしもワーグナーが室内楽を書いたら+もしもワーグナーがフランス人だったら的な、ifの世界を連想。
●ホールCは、今回の「旅」テーマの個人的ハイライトとでもいうべき、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」+ミヨーの「ニューヨークのフランス人」。スラドコフスキー指揮タタルスタン国立交響楽団。ミヨーの曲はRCAレーベルに依頼されて書かれたレコード会社発案の作品。ガーシュウィン作品に対する返歌であり、カップリングにも最適……のはずだが、人気はない。それもわからなくもないのだが、ともかく初めて生で聴くことができて感激。最初のガーシュウィンからして、オーケストラは軽快とも洒脱とも無縁の剛直豪快なサウンドを鳴り響かせて独自ワールドを展開。もうこれはパリでもなければニューヨークでもなく、ひたすらタタルスタンに逗留している感。「ニューヨークのフランス人」の終曲では「ヤンキー・スタジアムの野球」の場面がフーガを用いて描かれる。といっても、ミヨーは野球をまったく見たことがないまま曲を書いたそう。まあ、見たところでルールはさっぱりわからないだろう。知らないなりにチームスポーツの選手の動きをフーガにたとえたのかもしれないが、聴いてみるとむしろラグビーとかサッカーとかフットボール系競技を思わせる。
●日中に、ルネ・マルタンとプレス関係者の懇親会が開かれた。以前より、来年のナントはベートーヴェン・イヤーにちなんだテーマになると発表されている。ベートーヴェンといっても、LFJらしくありきたりではないプログラム、ふだんは聴けないような作品をたくさん含んだプログラムを期待できそう。いろんなアイディアが披露されたが、詳細は11月の発表を待ってほしいとのこと。
ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 開催中
●東京国際フォーラムでラ・フォル・ジュルネTOKYO2019が開催中。初日と二日目を終えて、備忘録的に。
●3日の「0歳からのコンサート」はミハイル・ゲルツ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアの演奏でチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。これは自分史上、過去最高の「0歳からのコンサート」だった。司会の塚本江里子さんがすばらしい。「くるみ割り人形」が一種の音楽物語として再構成されていて、塚本さんの語りで進行するのだが、ところどころ客席といっしょに音楽に合わせてジェスチャーを入れたり、一部では歌ったりする。なにしろオペラの勉強を積んだ「歌のおねえさん」なので、このコンサートには最強最適。一般的なアナウンサーの語りでは決してここまで伝えることはできない。「0歳からのコンサート」は始まったばかりの頃からいろんな議論を呼び、一時は縮小されたこともあったが、回を重ねてここまで練れてきたのかと感動。どんなに曲や演奏がよくても、ただ演奏するだけではうまくいかないことは明らか。ちなみに全席完売。
●ホールB7でチャイコフスキーのピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」は、「出演者はルネからのサプライズ」とされていた公演。当日発表があるものと思いきや、なにも発表がない。会場まで行っても、掲示がないし、アナウンスもなくて、本当に出演者が袖から出てきて初めてだれが演奏するかを知った。「きっとフランスの若手奏者たちがトリオを組むのかな……」と思いきや、チェロにクニャーゼフ、ピアノにベレゾフスキー、ヴァイオリンにニキータ・ボリソグレブスキーという豪華布陣でびっくり。貫禄のトリオ。
●フロレンツ作曲の交響詩「クザル・ギラーヌ(赤照の砂漠)」という未知の曲を聴くためにウラル・フィルハーモニー・ユース管弦楽団の公演へ。指揮は代役のリオ・クオクマン。ウラル・フィルじゃなくて、ウラル・フィルのユース。これはアカデミー的な存在なんだろうか。曲が目当ててあってオーケストラはどこでも、という感じで足を運んだのだが、ユース・オーケストラを呼ぶのは妙手だと目から鱗。なるほど、ユースならどんな曲でもしっかり練習して、新鮮な気持ちで作品に取り組んでくれる。ぜんぜんこれでいい。合わせて演奏されたブルッフのスコットランド幻想曲では梁美沙の精彩に富んだヴァイオリンを堪能。
●ホールB7の「グランド・ツアー:ヨーロッパをめぐる旅」は、音楽祭のアンバサダーを務める別所哲也が語りを務める公演。演奏はアンサンブル・マスク、オリヴィエ・フォルタンのチェンバロと指揮。「グランド・ツアー」とはなにか等、いろいろと説明しないと一般的な日本人にはわからないハイブローな題材なんだけど、あえて説明的にせずに、わからないことがあってもわからないなりに楽しめるような構成になっていたと思う(ていうか、ワタシ自身がよくわかってない)。今回、LFJにしては古楽系の公演(特に器楽)が少なめなので、その点でも貴重。
●4日のホールCでは、フォーレのピアノと管弦楽のためのバラード(ペヌティエ)と、ドビュッシーのピアノと管弦楽のための幻想曲(ジョナス・ヴィトー)というなかなか聴けない2曲を一度に聴けた。ミハイル・ゲルツ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア。といっても、ドビュッシーのほうはつい先日、ヌーブルジェとノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団で聴いたばかり。受けた印象はずいぶん違っていて、ヴィトーは雄弁。この曲、すごく「海」に似ている。ピアノと管弦楽のための「海」というか、「海」のピアノ協奏曲バージョンというか。華やか。
●会場は盛況。昨年よりずっと賑わっていると感じる。十連休効果?
J1リーグ第9節 マリノスvs鹿島 罠にハマって高笑い
●もしこの日、負けたら海に向かて「バカヤロー!」って叫んでしばらくJリーグのことを忘れようと思っていたのだが、なんと、天敵の鹿島相手に逆転勝利するとは。おもしろいじゃないか、Jリーグ! と手の平を返す。
●とはいえ、この試合、実はあまり喜んではいられない。ポステコグルー監督の特殊戦術では、内容の良し悪しと結果が結びつかない試合が多いのだが、鹿島戦もそんなゲームだったと思う。マリノスはこの日もリスキーなハイラインを敷いて、徹底的にポゼッションを高めて、パス交換の回数を増やし、攻撃の選手のスプリント回数の多いサッカーを展開。鹿島相手に69%ものボール支配率。スペクタクルだ。前半11分、あっさり安西に先制点を奪われたが、その後は攻め続け、後半24分、仲川が右サイドから細かいステップでカットインして左足を振り抜いてファーサイドへシュートを打って同点ゴール。これは得意の形。さらに後半37分、後方からの浮き球のパスに抜け出したマルコス・ジュニオールが非常に浅い角度からキーパーのクォンスンテのニアサイドをぶち抜いて逆転ゴール。スーパーゴールだ。
●が、これは2点とも個の力で奪ったゴール。これらゴールが生まれる前は、これだけ支配率が高いにもかかわらず、枠内シュートがどれだけあったのか、思い出すのが難しいほど。とにかくシュートまで持ち込めない。同点に追いつくまでは完全に鹿島のポステコグルー対策にはめられた形で、強固な守備ブロックに跳ね返されては、ボールを奪われてカウンターからピンチの連続。結局のところ、ボール支配率が高いということは長時間ボールを持っているということであって、それは等しく相手の守備ブロックが完全にできあがっているということ。それを破れないのなら、ボールを保持する意味がない。本質的にこの戦術は矛盾を内包しているのでは……と疑心暗鬼になったところでの同点ゴール、および逆転ゴールだった。
●いいようにポステコグルー監督の実験台にされている感もあるのだが、まあ、勝ててよかった……ホントに(ウルッ)。ありがとうー、ポステコグルー!(←好きなのか嫌いなのかどっちなんだ)。マリノス側のみメンバーを書いておくと、GK:朴一圭-DF:和田拓也、チアゴ・マルチンス(→ドゥシャン)、畠中、広瀬-MF:喜田、天野、三好(→ 扇原)-FW:仲川、マルコス・ジュニオール(→李忠成)、遠藤渓太。
●平成が終わり、元号は令和に。といっても街は特にいつもと変わらず、言われなければ元号が変わることにも気づかないほど。昭和から平成に変わったときと違って、崩御による改元ではないので、世の中が自粛ムード一色に染まることもない。平成になったときに妙に記憶に残っているのは、ウエディング企業が展示していた新郎新婦のマネキン人形が喪服に変わったこと。