May 7, 2019

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 最終日

ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2019
ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019閉幕。最終日から、印象に残った公演を振り返っておこう。
●シュトラウスの交響的幻想曲「イタリアから」連弾版を聴くために朝イチのG409へ。演奏は久々のビジャーク姉妹。この曲、若きシュトラウスの勢いとある種の過剰さがあって妙に惹かれるのだが、オーケストレーションを差し引いて聴いてみると、意外とすっきりとした見晴らしの良いイタリアへの旅。オーケストラにはできない伸縮自在の呼吸感、そしてキレのよさ。終楽章のフニクラ・フニクリは痛快。世界三大姉妹は、こまどり姉妹、叶姉妹、ビジャーク姉妹と認定したい。
●ホールD7で、ショーソンの「ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲(コンセール)」。演奏はシャルリエ、ダルベルト、モディリアーニ弦楽四重奏団。いったいどういう狙いでこんな不思議な編成なのか。ピアノ五重奏でもなく、弦楽五重奏でもない。弦楽四重奏に第一ヴァイオリンがいて、別にヴァイオリンのソリストがいるという謎の重複感。この曲、以前にもLFJで聴いたが、ステージからの距離が遠かったせいかまったくピンと来なかった。今回はもっと狭い空間だったので、ずっと楽しめた。もしもワーグナーが室内楽を書いたら+もしもワーグナーがフランス人だったら的な、ifの世界を連想。
●ホールCは、今回の「旅」テーマの個人的ハイライトとでもいうべき、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」+ミヨーの「ニューヨークのフランス人」。スラドコフスキー指揮タタルスタン国立交響楽団。ミヨーの曲はRCAレーベルに依頼されて書かれたレコード会社発案の作品。ガーシュウィン作品に対する返歌であり、カップリングにも最適……のはずだが、人気はない。それもわからなくもないのだが、ともかく初めて生で聴くことができて感激。最初のガーシュウィンからして、オーケストラは軽快とも洒脱とも無縁の剛直豪快なサウンドを鳴り響かせて独自ワールドを展開。もうこれはパリでもなければニューヨークでもなく、ひたすらタタルスタンに逗留している感。「ニューヨークのフランス人」の終曲では「ヤンキー・スタジアムの野球」の場面がフーガを用いて描かれる。といっても、ミヨーは野球をまったく見たことがないまま曲を書いたそう。まあ、見たところでルールはさっぱりわからないだろう。知らないなりにチームスポーツの選手の動きをフーガにたとえたのかもしれないが、聴いてみるとむしろラグビーとかサッカーとかフットボール系競技を思わせる。
●日中に、ルネ・マルタンとプレス関係者の懇親会が開かれた。以前より、来年のナントはベートーヴェン・イヤーにちなんだテーマになると発表されている。ベートーヴェンといっても、LFJらしくありきたりではないプログラム、ふだんは聴けないような作品をたくさん含んだプログラムを期待できそう。いろんなアイディアが披露されたが、詳細は11月の発表を待ってほしいとのこと。

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