●21日はミューザ川崎でジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。毎回趣向を凝らしたプログラムを用意してくれるジョナサン・ノットと東響だが、今回は最強に凝ったプログラム。なんと、ヨハン・シュトラウス2世の「芸術家の生涯」、リゲティのレクイエム(ソプラノ:サラ・ウェゲナー、メゾソプラノ:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー)、タリスの「スペム・イン・アリウム」(40声のモテット)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容」。リゲティとタリスの難曲を見事に歌い切った東響コーラスは、ほとんど主役級の大活躍。両シュトラウスが同一プログラムに並ぶのも珍しい。ひとまずプログラム全体の大きなテーマとしては「生と死」。同じものでも背景が違うとぜんぜん別にものに見えるという現象はよくある。後にリゲティが控えていると思って聴く一曲目の「芸術家の生涯」は、なんだかただならぬ雰囲気で、優雅なワルツにはとても思えない。リゲティの「レクイエム」はこの日の白眉。生で聴くと、こんな編成の曲だったんだ……と実感できるのが吉。複雑なポリフォニーから浮かび上がる叫び。しかし自分はこれを死者のためのミサ曲だとして受けとれない。連想させるのはずばり、月面。もはやキューブリックの映画「2001年宇宙の旅」とこの曲を切り離して聴くことなどできない。
●後半はタリスで始まるが、ステージ上には最後の「死と変容」に備えてオーケストラが陣取っている。合唱は前半と同じく2P席側の客席にいて、高い位置から歌う。降り注ぐ声の文様。豊麗な音響体が波打つ。もしかして、そのまま続けて「死と変容」を演奏するのかなとも思ったが、そうはならず。「死と変容」の中二病感が好きでたまらないのだが、このシリアスな流れで聴くと、いくぶん唐突な感じもする。
●が、これは納得の選曲。このプログラム全体が映画「2001年宇宙の旅」へのオマージュになっているとしか思えなかった。つまりリゲティの「レクイエム」はそのものずばりだが、あとの両シュトラウスが少しずつずらしてある。オープニングの「ツァラトゥストラはかく語りき」は「死と変容」に、続く宇宙船の場面の「美しく青きドナウ」は「芸術家の生涯」に対応する。というと、あの映画にはリゲティの「ルクス・エテルナ」と「アトモスフェール」も出てきただろうとなるわけだが、そちらがタリスの「スペム・イン・アリウム」に変換されたと見ればきれいに収まる。実際、当日配布プログラムのインタビューで、ノットはタリス作品を「パワフルで、複雑な対位法からなる作品。部分的に、リゲティのミクロポリフォニーのようにも感じられます」と形容していて、これはヒントなのかなと思った。それに「2001年宇宙の旅」はノット母国のイギリス映画なんだし!
●キューブリックとアーサー・C・クラークが創作した「2001年宇宙の旅」のテーマは、知的生命体の進化。猿人が人類となり、人類がスターチャイルドとなって、進化の階梯をのぼる。サブプロットとして、コンピュータHALが人間的感情を獲得するのも進化の一側面ともいえる。そう思うと、プログラムの最後に置かれた「死と変容」は、ボーマン船長が超越的な存在に姿を変容する様子にぴたりと重なる。
July 23, 2019