●プレス向け試写会で映画「レディ・マエストロ」。9月20日、Bunkamuraル・シネマ他で公開されるオランダ映画で、実在の女性指揮者であるアントニア・ブリコ(1902~89)の半生を描いている。ブリコはオランダに生まれ、移民としてアメリカで育った女性指揮者の草分け。ベルリン・フィルやニューヨーク・フィルも指揮していて、シベリウスに招かれてヘルシンキ交響楽団を指揮したこともあるのだとか。録音も残っている。
●女性の指揮者など考えられなかった時代に、主人公はなんとしても指揮者になりたいと願い、露骨な偏見にさらされながら、指揮者への道を歩む。女は早く結婚して子供を産め。そんなことを公然と言われる時代。個人の幸福とキャリアを天秤にかけるような決断も求められる。登場人物にウィレム・メンゲルベルクとかカール・ムックといった大指揮者が出てくるのが音楽ファンにとっての見どころ。
●ただし、この映画に「指揮者への道のり」の描写を期待すると肩透かしを食らう。いくら音楽的才能に恵まれていても、指揮者として成功するのは恐ろしく難しいわけだが、ブリコにはどんな才能や資質があったのか、どんな指揮者だったのか、そのあたりのことはほぼ描かれていない。せっかくオーケストラとのリハーサル・シーンがあるのだから、フィクションでかまわないので、なにかブリコの才能や個性を見せつける場面があれば、と思わなくもないのだが、たぶん、この監督の興味は音楽面にはない。その代わり、人間ドラマの描写は秀逸。音楽家への道のりよりも、恋人とのロマンスに力点が置かれている。その男女の在り方に一抹のほろ苦い真実があるのはたしか。そして、親子関係の描き方も胸に刺さるところがあって、よく練られたドラマになっている。なるほど、監督がブリコに魅せられたのもわかる。
●エンドロールのテロップで、「いまだに世界トップレベルのオーケストラで音楽監督を務める女性指揮者はひとりもいない」みたいなことが書かれていて、記述としてはまちがっていないのかもしれないけど、なんだか落ち着かない感じ。むしろ今の時代の女性指揮者たちの活躍について一言触れて、エールを送ってくれてもいいんじゃないのとは思った。スザンナ・マルッキ、シモーネ・ヤング、マーリン・オルソップ、エマヌエル・アイム、ジョアン・ファレッタ、ジェーン・グラヴァー等々……。最近話題の人だとバーミンガム市交響楽団の音楽監督に就任したミルガ・グラジニーテ=ティーラとか。
August 20, 2019