●29日はBunkamura オーチャードホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響のベートーヴェン「フィデリオ」演奏会形式。一足早いベートーヴェン生誕250周年記念公演。歌手陣がすごい。どの役も高水準で、だれもがその役柄として納得できるという稀有なキャスト。レオノーレにアドリアンヌ・ピエチョンカ、マルツェリーネにモイツァ・エルトマン、フロレスタンにミヒャエル・シャーデ、ドン・ピツァロにヴォルフガング・コッホ、ロッコにフランツ=ヨーゼフ・ゼーリッヒ、ジャキーノに鈴木准、ドン・フェルナンドに大西宇宙。合唱は安定の新国立劇場合唱団。影の主役。パーヴォとN響は、期待通りのシャープで推進力あふれるベートーヴェンを披露。
●演奏会形式ながら最低限の演技は入るので、十分に感情移入できる。改めて、自分はこのオペラが大好きなんだと思った。ピエチョンカはどこからどう見ても男前のレオノーレ。こうして衣装なしで見ると、現代ではレオノーレが男装しなくてもこのストーリーは成立するのだと納得できる(そういう演出もあるようだし)。性別とは無関係にマルツェリーネはレオノーレに惚れた。でも最後は失恋する。レオノーレは既婚者であり、命がけで愛するパートナーがいたのだ……。そう考えるとレオノーレが性別を偽ったことよりも、パートナーがいることを黙っていたことのほうがよほど悪辣な話だと思える。ああ、マルツェリーネ、純真な恋心を弄ばれてしまって、なんてかわいそうなんだろう。真の犠牲者は彼女だ。
●えっ、このオペラをマルツェリーネの視点で見るヤツなんていないって? いやいや、モイツァ・エルトマンのマルツェリーネはそれくらい「実在する女子」感があるから。レオノーレによるフロレスタンの救出劇のほうがよっぽど荒唐無稽だ。だって、あそこで大臣到着のラッパが鳴らなかったらどうするのよ。レオノーレは女ひとりで武器も持たずに、どうやってナイフを持ったドン・ピツァロと戦うつもりだったのか。実は銃を隠し持っていたとか? それとも武術の達人だったとか?
●そんなことを考えると、どうしたって新国立劇場でのカタリーナ・ワーグナーによる地獄演出を思い出さずにはいられない。そう、あの演出ではレオノーレはあっさり刺されて死ぬ。フロレスタンも死ぬ。そして、ニセ・レオノーレとニセ・フロレスタンがあらわれて高らかに勝利を歌い、最後は囚人とその妻たちを全員閉じ込めてみんなサヨナラという鬱展開が続いた。この日の演奏に感動しながらも、頭の半分くらいはカタリーナの呪いにとらわれていた。ああ、これがオペラの醍醐味って気がする。同じ大胆演出でも、カタリーナ・ワーグナーの反則技は懐かしんで思い出せるけど、オリエの「トゥーランドット」はぜんぜん懐かしくない。なにが違うのかなというと、たぶん、前者には笑いがあるけど、後者にはないということかな。真摯な芸術には笑いが必要。ベートーヴェンの交響曲のように。
●休憩後、第2幕の頭で「レオノーレ」序曲第3番が演奏された。なるほど、そんな手もあるのか。第2幕への序曲。どこに入れても浮くけど、演奏しないのはもったいなさすぎる名曲。
●龍角散プレゼンツということで、来場者に龍角散ダイレクトスティックミントの試供品が配られていた。試してみるしか。
August 30, 2019