●25日はサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響。前半にトゥールの「ルーツを求めて~シベリウスをたたえて」、ニールセンのフルート協奏曲(エマニュエル・パユ)、後半にシベリウスの交響曲第6番と第7番という北欧音楽プログラム。
●トゥールはパーヴォがくりかえし取り上げるエストニアの作曲家。シベリウス生誕125周年に書かれたという先人への賛歌。リズミカルですばやく短いパッセージの連続から、やがてゆったりとしたハーモニーの海が現れ、繊細に移ろいゆくというワン・ストーリーの小曲。ニールセンのフルート協奏曲、実演で聴いたのは初めてか。独奏フルートに加えて、トロンボーンやティンパニ、ヴィオラなどがソロ楽器的に活躍するところもあって、フルート協奏曲であると同時にコンチェルト・グロッソ的な発想がある。そして終楽章は思った以上にユーモアの要素が強い。パユは入魂のソロ、音楽の化身。ソリスト・アンコールもニールセンで、劇音楽「母」より「子供たちが遊んでいる」。素朴な味わいで、しみじみ聴き入る。
●後半、シベリウスの交響曲第6番と第7番は最近流行の2曲をつなげる方式。会場内にも2曲続けて演奏すると掲示されており、パーヴォは第6番の後、腕をおろさずに、そのまま第7番へ移行、拍手も起きずにスムーズに曲が連結された。ラトル&ベルリン・フィルをはじめ、この2曲をつなげるアイディアはずいぶん受け入れられているようだけど、だれが始めたんすかね。同時期に書かれた2曲、共通する世界観を持つ姉妹作ということなのか。作曲者はそんな演奏をまったく期待していなかっただろうか、後世の聴衆による作品の再定義みたいな話で興味深い現象だと思う。第6番にしても第7番にしても、音楽的な密度の高さ、余韻からすると演奏会の最後に置きたい曲だけど、単独で演奏会の後半を満たすには尺が足りない。だったら、両方をくっつけてしまえばちょうどいいのでは? そんな実際的な利点があるのだろう。大作化するシベリウス。あるいは儀式化するシベリウスとでもいうか。N響は磨き抜かれた最高度に美しい響きを実現し、清澄にして壮麗。緻密でありながら、音楽の力強く大きな流れが保たれていて、自分にとっては先週のマーラーの第5番よりも大きな喜びを得られる音楽だった。
September 26, 2019