January 27, 2020

飯森範親指揮東京交響楽団のラッヘンマン、アイネム、リーム、シュトラウス

●25日はサントリーホールで飯森範親指揮東京交響楽団。とても攻めたプログラムで、前半にラッヘンマンの「マルシェ・ファタール」、アイネムの「ダントンの死」管弦楽組曲 op.6a(日本初演)、リームの「道、リュシール」(日本初演、ソプラノに角田祐子)、後半にリヒャルト・シュトラウスの「家庭交響曲」。冒頭にマエストロと角田さんが登場して、本日のプログラムについてラフなトークあり。本当はラッヘンマンの「マルシェ・ファタール」も日本初演のつもりだったが、カンブルランが西のほうのオーケストラでアンコールに演奏して先を越されたというお話(広島交響楽団のことみたい)。
●前半は破滅プロ。「マルシェ・ファタール」はラッヘンマンの名から想像するような特殊な奏法満載の曲ではなく、本当にその名の通りマーチ。諧謔的な喧噪が続き、やがて同じ場所を壊れたレコードのように(という比喩が死語!)なんども反復する。その間、指揮者は客席に降りてくるなどの演出付き。最後にオチが付いて笑い。直前のトークのネタバレ感がなければもっとウケたはず。曲名は日本語にしづらいところではあるか。PCでのfatal error 致命的なエラーを連想するか、ファム・ファタールを連想するか。でも続く曲を聴くと、「破滅への行進」という文脈が浮かんでくる。アイネムの「ダントンの死」とリームの「道、リュシール」は続けて演奏され、どちらも共通の題材を扱っていて、フランス革命の立役者ダントンの処刑、そしてダントン派のデムーランの処刑を目にしたその妻リュシールの絶望が描かれる。最初にラッヘンマンを聴いた後だと、続く両曲が真摯な曲であるにもかかわらず、どこかパロディ的に聞こえてくるのがおもしろい。
●後半はぐっと日常的な題材になって夫婦や親子の日々の生活を描いた「家庭交響曲」。「ベルサイユのばら」を見てたら次に「サザエさん」が始まったみたいな流れ。この曲、何年か前にも同じコンビで演奏してなかったっけ。たしかマエストロ飯森の「家庭交響曲生オケ付き楽曲解説トーク」があって、「これがリヒャルトで、このテーマが妻パウリーネ、ここは息子のフランツ……」と実際に音を出して説明してくれたような。でもなんど聴いても、この曲は楽しい。なにがスゴいかって、そういった標題性抜きに、なんにも知らずに音だけ聴いても、壮麗なスペクタクルとして堪能できるところ。威勢のよい「家庭」。偶然だけど、同じ週に「英雄の生涯」(ルイージ&N響)も聴けて、「シュトラウスの自画像」シリーズができあがった。

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