●ニュースを見てどんよりした気分になったので、美しく力強いものを載せる。東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「白髪一雄 a retrospective」(~3/22)。思った以上にボリューム感があって、初期から晩年までの絵画約90点を中心に展示されている。足で直接描く「フット・ペインティング」の様子はちらりと映像でも見たことがあったが、作品そのものも凄まじい迫力。絵の具の盛りが強烈で、平面にとどまらない3次元のダイナミズムにあふれている。これは写真では伝えようがなく、実物を見るしかない。一部作品のみ撮影可。
●作品タイトルも強烈。上は「天異星赤髪鬼」(1959)。下は「地暴星喪門神」(1961)。字面からしてイメージ喚起力に富んでいるが、出典は「水滸伝」の登場人物のよう。
●と書いていたら、アートギャラリーが明日から3月16日まで臨時休館するという本日付のお知らせが。そ、そんな。混雑する場所だったっけ……?
2020年2月アーカイブ
東京オペラシティアートギャラリー 白髪一雄 a retrospective
パンデミックとその後
●新型コロナウィルスの影響によるJリーグの試合延期決定から一夜明けて、政府が「多数が集まる全国的なスポーツ・文化イベント等については今後2週間は中止・延期または規模縮小等の対応を要請する」と発表。すると、次々とコンサート等の中止や延期が決まってしまった。自分がプログラムノートを書いた公演や、取材予定だった公演、記者会見なども中止に。「多数が集まる全国的な」という規模感はどれくらいなんだろう。なかには公演の決行を発表した主催者もいる。中止になれば、だれかが経済的な負担をしなければいけない。そして、2週間で状況が良いほうに向かうことを願っているが、もしそうならなかった場合、あるいは解釈が分かれる状況になったときに、どうなるのかを気にしている。
●ある意味タイムリーすぎて話題にならなさそうなのが、3月公開予定のデビッド・フレイン監督による映画「CURED」。ゾンビ・パンデミックの終焉後を描いた作品で、画期的治療法により元感染者たちが社会復帰するが、心の傷に苦悩したり、回復者を恐れる市民たちからの理不尽な差別にあったりするという物語。多くの作品がパンデミックの経緯を描いているのに対し、パンデミックを制圧した後に焦点を当てているのが興味深い。
●東京・春・音楽祭の短期連載「友達はベートーヴェン」第3回が公開中。今回でラスト。ご笑覧ください。
マリノスとJリーグと新型コロナウィルスと
●週末にJリーグが開幕したと思ったら、新型コロナウイルス対策で2月28日から3月15日までの3週間、試合が延期になると発表された。Jリーグによれば、一昨日の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議で「これから1~2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際となる」と見解が発表されたのを受けての決定だとか。
●で、開幕戦をホームで迎えたマリノスはガンバ大阪に対して1対2で敗れてしまったんである。しかし、まずは言いわけをさせてほしい。Jリーグはこの日が開幕戦だったが、マリノスにとってはもう4試合目なのだ。2月8日に早々に神戸とのスーパーカップを戦って(引分け、PK戦負け)、12日にアジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)で韓国の全北現代戦アウェイ(2対1で勝利)、19日もACLでシドニー戦ホーム(4対0で勝利)と来て、23日にガンバ大阪戦だったのだ。一足早くタフなスケジュールをこなしている。慣れないACLに出てよくわかる、ACLとJリーグを同時に戦ってきた鹿島ら常連クラブの偉大さ。逆に言えば、今季はJリーグに専念できる鹿島や川崎が優勝争いの主役になりそう。両方とも開幕で勝てなかったけど。
●対ガンバ戦のマリノスのメンバーを書いておく必要がある。GK:朴一圭、DF:松原健、伊藤槙人、チアゴ・マルチンス、ティーラトン(→高野遼)-MF:喜田拓也(→エリキ)、扇原貴宏-マルコス・ジュニオール(→エジガル・ジュニオ)-FW:仲川輝人、オナイウ阿道、遠藤渓太。浦和から大分に期限付き移籍していたオナイウ阿道を完全移籍でゲット。ACLでも先発して活躍、なんとエリキやエジガル・ジュニオをベンチに置いやって開幕スタメン。なお、ACLではキーパーに徳島から移籍した梶川裕嗣が先発していた。ガンバ戦での2失点はどちらもマリノスのディフェンスラインのミスからで、見慣れた光景ではあるが、特に朴一圭のバックパスをトラップミスして失点した場面はいただけない。昨季、足元の技術を買われての抜擢だっただけに。ポステコグルー監督のサッカーでは、こういった自滅パターンをくりかえし目にすることになる。これで昨季は優勝できたのだから、改めて驚く。
●新型コロナウィルスのニュースが続いていると、ゾンビの話がしづらくなる。感染を巡るあれこれが酷似しているので。
ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」(椿姫) 東京芸術劇場シアターオペラvol.13
●22日は東京芸術劇場でヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」(椿姫)。毎回、演出家の人選が話題を呼ぶ東京芸術劇場シアターオペラvol.13/全国共同制作オペラ。今回は矢内原美邦の演出と振付。ヴィオレッタは当初予定のエヴァ・メイからエカテリーナ・バカノヴァに変更(新型コロナウイルス問題よりもっと前に発表済、念のため)、アルフレードに宮里直樹、ジェルモンに三浦克次、ヘンリク・シェーファー指揮読響、新国立劇場合唱団。歌手陣に加えて俳優・ダンサーが5名加わる。
●映像の活用、場所を特定しない舞台設定(時代は現代)などは事前の記者会見でもあった通り。「椿姫」について、音楽はともかく、ストーリーはしんどいなと思う自分としては、大胆な演出は大歓迎。くりかえし上演される名作オペラには、パイプ椅子を持って暴れるプロレスの場外乱闘を観たいとすら思っている。が、自分にはこの演出を理解するためのなにかが決定的に足りない。ステージ上では次々と小イベントが起きるのだが(基本的に孤独感を募らせる暗鬱としたイベント)、作品内容との関連性がわからない。映像で映し出される山羊とか無関係な人物とかはシンボリックな意味合いだけなんだろうか。
●第1幕や第2幕のパーティ場面でゲストたちがスマホを使うんだけど、スマホを使うのなら使うでスマホ前提で一貫してほしかった。使いの者がアルフレードに手紙を渡す場面で、紙の手紙を渡してるのにアルフレードがスマホでメッセージを受け取るのは奇妙。どうしてもスマホで受け取るなら、使いの者はメッセンジャー・アプリ上のキャラクターとして映像で登場するみたいにして、筋を通してほしい。第2幕冒頭ではステージの端でヴィオレッタが退屈そうにテレビゲームをしている。画面に映っているのはもっとも原始的なビデオゲーム。左右にある棒状のラケットを上下に動かしてボールを跳ね返すテニス・ゲー。なぜスマホがある時代に、こんな太古のゲームが存在するんだろう。ともあれ、これは愛のためにパリを離れたものの、ヴィオレッタはあっという間に寂れた田舎の退屈さに愛想をつかした、という表現だと思うじゃないすか。ああ、これはカルメンとドン・ホセみたいに、実はもう愛が冷めているという設定で話が進むのかなと予感する。でも、そういうことではぜんぜんなかった。
●第3幕、歌手もダンサーも黒装束で列をなして、なにかを両手で持って、中央奥から手前にまっすぐゆっくりと歩く。病床のヴィオレッタをほったらかしで歩く。なにを持っているのか、2階席からはよく見えない。位牌かな? それとも砂時計? 2千席の劇場で使う小道具としてあれはどうなんだろう。そして、最後に死んだはずのヴィオレッタがすくっと立ち上がってスポットライトを浴びる。もしかして生き返った? ゾンビになってアルフレッドをガブッ!……なわけない。でもどうして立つのか。やっぱり死んでないのかな。みんなの心のなかでは生きているってこと?
●歌手陣ではエカテリーナ・バカノヴァが好演。宮里直樹は声量豊か。カーテンコールでは演出家にブーがそこそこ出た。もっと激しいブーイングなら演出家の勲章になったかもしれないけど、そこまでには至らず。
AIに文字起こしを任せたい 2020年2月現在
●取材時の録音を聴きながら文字に起こす、通称「文字起こし」。少し前までは「テープ起こし」と呼んでいて、今でもうっかり「テープ起こし」と言ってしまいそうになるのだが、「テープ」なんてもはや意味不明の死語だ(カセットテープのこと)。現在は写真のような専用のICレコーダーに録音して、PCに取り込んでいる。
●で、その文字起こし、インタビュー仕事などでは避けられない作業だが、ワタシはこれが大大大嫌いで、近年は文字起こしが必要な仕事はなるべく避けるようにしているほど。ただし、一気に状況が変化するかも、と思えるのが近年のAIを用いた文字起こしサービス。深層学習プロセスを活用した自動音声認識によって、音声をテキストに変換するサービスがすでに始まっている。英語圏では十分に実用レベルと評価されているようなので、日本語ではどうなのか、試してみることにした。使用したのはMicrosoft Video Indexer(映像でも音声のみでも使える)とAmazon Transcribe。
●結論から言えば、両方とも現時点では実用レベルにはあと一歩か二歩といったところ。よく健闘しているが、かなり条件のよい録音で試してもここから原稿をまとめるのは無理だと感じた。同じ音声を Microsoft Video Indexer と Amazon Transcribe の両方で試してみたところ、仕上がりは似たり寄ったりという印象。AWSに親しんでいる人は別かもしれないけど、とっつきやすいのはMicrosoft Video Indexerかな。
●どれくらいのテキストが出てくるか、見てみたいっすよね? 先日、ONTOMOの対談企画「音楽配信とガジェットを語る会」で自分がしゃべった部分をMicrosoft Video Indexerがどんなふうに起こしてくれたかというと、こんな感じだ。冒頭で対談の趣旨を説明した部分。
まず、今回の基地の趣旨を説明します。それはええ、みんなが普段どうやって家で音楽を聴いているかっていう話ではない。ええ、昔は音楽を聴くときに言わなかったと思うんですよ。一昔前までは。それはcdを買ってきて、家にどんなcdプレーヤーを使うかとか、そういう程度の話だったんだけれども、今cdの時代が終わったりつつあってへぇじゃあ皆今一体どうやって音楽聴いてるのっていうともう話がも千差万別でね。みなさん違ってるからじゃあ皆さん、今どんな風にして音楽聞いてるのかなっていう事をお尋ねしたいというのが趣旨です。
●すごく健闘している。本当のところ、ワタシはどう話していたか、人力で起こすとこんな感じ。もともとそのまま文字にして原稿になるようなしゃべり方はしていない(そんなことできるわけない)。
まず、今回の記事の趣旨を説明します! それは、みんなが普段、どうやって家で音楽を聴いているか、っていう話です。昔は音楽を聴くときに悩みはなかったと思うんですよ。CDを買ってきて、家でどんなCDプレーヤーを使うかとか、そんな程度の話だったんだけれども、今CDの時代が終わりつつあって、じゃあみんな今いったいどうやって音楽を聴いているの? となると話が千差万別で、みなさん違っている。だからじゃあみなさん、今どんなふうに音楽を聴いているのかなっていうことをお尋ねしたい。というのが趣旨です!
●「記事」が「基地」になるとかは、記憶でカバーできるからなんとかなるかなと思うんだけど、実際にAIが起こしたテキストだけを使って原稿を書こうと思ってもやっぱり無理で、結局、従来通り人力で起こすことになってしまった。ただ、いい線はいっているのだ。期待。
チョン・ミョンフン指揮東京フィルの「カルメン」(演奏会形式)
●19日は東京オペラシティでチョン・ミョンフン指揮東京フィル。東京オペラシティ定期シリーズの一公演として、ビゼーのオペラ「カルメン」を演奏会形式で上演。歌手陣はカルメンにマリーナ・コンパラート、ドン・ホセにキム・アルフレード、エスカミーリョにチェ・ビョンヒョク、ミカエラにアンドレア・キャロル他。合唱は新国立劇場合唱団と杉並児童合唱団。休憩は第2幕の後に1回。統率のとれたアンサンブルによる演奏会形式ならではの「カルメン」。チョン・ミョンフンと東フィルの気迫がすごい。軽快さやしゃれっ気よりも、重厚さとパッションが前面に出た「カルメン」。筆圧の強い音楽で、ヴェルディやワーグナーすら連想する。歌手陣ではミカエラのアンドレア・キャロルが聴きごたえあり。ミカエラといえば常々言うようにオペラ界の三大嫌な女のひとりなのだが、このミカエラは応援したくなる。脇役も含め全般に声量が豊かで、ホセもエスカミーリョもパワフル。
●演奏会形式とはいえ、舞台に残されたわずかなスペースのなかで、カルメン役のマリーナ・コンパラートを中心に精一杯の演技も披露してくれた。しばしばオペラでは物語的に肝心なシーン(殺人とか)に歌がないので、演技がないと「あれ?今なにがあったの?」となりがちなんだけど、終幕ではドン・ホセがカルメンにズブリとやって、カルメンが倒れるシーンまで見せた。
●カルメンって、二言目には「私は自由な女」って言うじゃないすか。あれって、逆説なんすよね。カルメンは1ミリも自由じゃない。自由な女はタバコ工場で働いて、女工同士でケンカなんかしない。放浪の民として、社会の目につかないところで悪事に手を染めながら、やっとのことで生きている。密輸団の仕事だって、ボスに言われてやっているのであって、カルメンが首謀者ではない。あっちに行けと言われれば行くしかないし、これをやれと言われればやるしかない。いいように使われている。タバコ工場の仕事だって、きっとピンハネされている。ほかに選択肢がないという意味で、カルメンは束縛された女。カード占いの結果すら覆せない。むしろミカエラのほうがよほど自由。田舎から幼なじみを追いかけて街に出てくるのも、密輸団のアジトに乗り込むのも、ぜんぶ自由意思でやっている。「あー、やっぱりホセって、めんどくさい男だな」と少しでも思ったら、密輸団なんか探さないで、そのまま田舎で暮らせる。終幕の修羅場の頃には、モラレスに乗り換えてるかも。
ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2020 記者会見
●18日は東京国際フォーラムでラ・フォル・ジュルネTOKYO 2020の記者会見。いつもは展示ホールや小さめのホールが使われるんだけど、今回の場所はおなじみのホールC。ん、まさかあの客席が埋まるほど人が来るはずはないだろうし……と思ったら、ホールCのステージが会場だった。オーケストラでいえば、指揮者のポジションにルネ・マルタンら登壇者が出て、楽員の場所にプレス関係者が座る図式。実際に譜面台も並べられていて、配布資料が載っていた。
●で、LFJ TOKYO2020のテーマはそのものズバリ、「Beethoven ─ ベートーヴェン」。日本では初回以来のベートーヴェン。5月2日から4日まで、東京国際フォーラムとその周辺で約325公演(有料公演は126公演)が開かれる。例年と変わったところをいくつか挙げておこう。まず、前夜祭が復活する。5月1日夜、スペシャル・ガラ・コンサート「ベートーヴェン・ピアノナイト」がホールAで開催され、同時に地上広場のネオ屋台村で「ベートーヴェン・ナイトフェス」も。それからマスタークラスが500円で事前予約制に。従来、あまりに人気がありすぎて長蛇の列ができていたが、せっかくの音楽祭なのに長時間行列に並んで待つのはもったいないということで、方式を変更。場所もホールB5(1)に変更されて客席数が大幅に増える。出展ブース関係では、LFJ初となる「スイーツ&デリコーナー」が登場。最終日の夜、ホールAで開かれるファイナルコンサートは「みんなで第九」。井上道義指揮新日本フィルとともに歌う聴衆参加の「第九」。事前練習も。
●あと子供の入場可能年齢について、公演ごとに「0歳から」「3歳から」「6歳から」と明確に表示されて、従来より現実的な対応になった。いろいろと思うところはあるが、公演内容に応じた年齢制限がきめ細かく設定され、より現実に即したものになったことはたしか。
●そして本公演のプログラムだが、今回もLFJならではの趣向を凝らしたプログラムが並んでいる。交響曲全9曲、協奏曲全8曲(ピアノ協奏曲第0番、ヴァイオリン協奏曲のピアノ編曲版を含む)、弦楽三重奏曲全5曲、「エグモント」全曲といった本人作品もさることながら、より貴重なのは19世紀から現代までのベートーヴェン編曲作品やオマージュ作品だろう。リースやツェルニー、フンメルら同時代人による編曲、ワーグナーやリストのピアノによる「第九」、そしてさまざまな現代作品、カーゲル「ルートヴィヒ・ヴァン」、ヴィトマン「コン・ブリオ」、アンドリーセンの「管弦楽とアイスクリーム売りの鐘のためのベートーヴェンの交響曲9曲」、アダムズ/アントンセンの「ロール・オーバー・ベートーヴェン」等々。さらには宮川彬良の「シンフォニック・マンボNo.5」まで。笑。
●この記者会見、ワタシは後に先約が入っていたため途中までしか聞けず。質疑応答はどんな様子だったのか、こんどだれかに尋ねてみよう。
「息吹」(テッド・チャン著/早川書房)
●テッド・チャンの「息吹」(大森望訳/早川書房)を読む。これはもう信じられないほど完成度の高い短篇集。一作一作が練り上げられた傑作で、読み進めるのがもったいないほど。SFとしてのアイディアのおもしろさと、人間の生き方についての鋭い洞察力があって震える。オバマ前大統領が「大きな問いに向き合い考えさせ、そして人間を感じさせる短篇集」と絶賛するのも納得。
●大雑把に言っていくつかに共通するテーマは「過去と現在/未来」。過去をもし変えられるなら、あるいは知ることができるなら、記憶を正すことができるなら……。冒頭の「商人と錬金術師の門」は千一夜物語の枠組みを借りたタイムトラベルもの。枠物語の再帰性と時間旅行を結びつけるとは、なんて洗練されたアイディアなんだろう。「偽りのない事実、偽りのない気持ち」では、人生のあらゆる瞬間を映像で記録できるようになった(そう突飛な設定ではない)ときの親子関係が描かれる。記憶のあいまいさが失われた時代というか。クリストファー・ノーラン監督の映画を少し連想させる。「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」はAIを育てるという話で、形のないソフトウェアを対象とした疑似的な子育てはどこに行く着くか、という話でもある。どれも扱っているテーマは重いはずなんだけど、読後感がいいのが特徴。ドキッとさせられるのに、イヤな感じがしない。
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル
●16日はサントリーホールでイーヴォ・ポゴレリッチ(ポゴレリチ)のリサイタル。プログラムはバッハのイギリス組曲第3番ト短調、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第11番変ロ長調、ショパンの舟歌と前奏曲嬰ハ短調、ラヴェルの「夜のガスパール」。開演前から普段着でピアノに向かうウォーミングアップ(?)はいつものことだが、今回は「影アナ」として諸注意アナウンスの英語版をなぜかポゴレリッチ本人が読んでいた。場内どよめきと笑い。
●演奏はポゴレリッチ様式とでも言うほかない、強靭な打鍵をベースとしたもの。強弱が両極に寄りがちで、基本テンポ設定はおおむね遅い。低音の強打は破壊的。一時の作品が崩壊するほどの遅さではないにしても、イギリス組曲第3番のサラバンドや、ショパンの前奏曲、「夜のガスパール」の「絞首台」などはかなり遅くて、入念。しばしば音楽が推進力を欠いて停滞してしまうのだが、そこに漂泊の美みたいなものがあって、強烈な中毒性を伴う。白眉は「舟歌」かな。崇高な高揚感があって、ただの舟歌では済まない荘厳で巨大な音楽。
●いつものように譜めくりあり、使わない楽譜はバサッと床に置く。前半、なぜかバッハの後で拍手が控えられ儀式的なムードになるかと思いきや、後半のショパンでは逐次拍手あり。ラヴェルの後は、すぐに脚でピアノの椅子と譜めくりの椅子を片付けて、アンコールなし。カーテンコールでスタンディングオベーション多数。客席の年齢層は幅広く、若い人もけっこう多いなと感じる。
山田和樹指揮読響&ポゴレッリチのシューマン他
●13日はサントリーホールで山田和樹指揮読響。イーヴォ・ポゴレリッチ(ポゴレリチ)がシューマンを弾くということで事件の予感。プログラムは前半にグリーグの「ふたつの悲しき旋律」、シューマンのピアノ協奏曲(ポゴレリッチ)、後半にドヴォルザークの交響曲第7番。開演前、ステージの片隅に置かれたピアノでニット帽と普段着のポゴレリッチがピアノを静かに鳴らしているのはいつもの光景。しかし瞑想的な即興に留まらず、ところどころさらっていた感も。
●本編は期待通りの怪演。強弱の表現が両極端に触れがちで、テンポ設定も変幻自在。打鍵は相変わらず強靭で、軽くアクセルに触れただけで爆発的に加速するスポーツカーのよう。表現のベースが強打なので、曲のイメージはがらりと変わる。流麗さや弾力性はかすんで、剛性の高い巨大建造物のようなシューマンに。自在のソロに対して、山田和樹指揮読響は献身的。例によって譜面と譜めくりあり。なのだが、めくったページがふわりと戻されがちで、無言の格闘がくりひろげられてハラハラする。楽章間にギュッと楽譜をつかんで開きぐせを付けるポゴレリッチ。極度にテンポが遅いということはなく(第2楽章などは速め)、しかし入念さ執拗さは期待通り。客席は大喝采。ソリスト・アンコールはなし。
●後半のドヴォルザークは一転して自然な音楽の流れから生まれる白熱したドラマ。ドヴォルザークの交響曲は8番と9番は完璧な名曲だけど、7番や6番が持つみずみずしさは貴重。ひなびたブラームス感というか。楽しい。よく鳴るけど、彩度は控えめ。普通ならこれでおしまいだが、予想外のアンコールがあって、アザラシヴィリの無言歌。冒頭、弦楽四重奏ではじまって、続いて弦楽合奏でノスタルジーを喚起する抒情的な楽想がくりひろげられる。これは絶品。一曲目の弦楽合奏によるグリーグとシンメトリーをなす。
手作りチョコ2020 夢の島熱帯植物館篇
●今年こそ、手作りチョコに挑戦したい! でも、チョコレートの作り方なんてよくわからないし、カカオも見たことがない……。そんなチョコレート原理主義者にとって、強い味方となってくれるのが東京・江東区の夢の島熱帯植物館だ。場所は新木場駅からすぐ。下部リーグ・フットボール・ファンには、夢の島競技場の向かい側と説明すればピンと来るだろう。真冬でも一歩足を踏み入れればそこは熱帯雨林。ムンムンとした湿っぽい空気が歓迎してくれる。新江東清掃工場の排熱ですべてのエネルギー供給を賄うというエコな熱帯植物園である。
●そして、この熱帯植物園で神々しい姿を見せるのがカカオだ。本物のカカオ。そこに生息しているカカオ。まだチョコレートになっていないカカオ。そうか、カカオってこんなふうに実がなっているんだ。ここからチョコレートへの道のりは遠い。だが、カカオの実がなるには5年以上かかるという。それを思えば、この状態はもはやチョコレートまであと一歩ともいえるのではないか。
●親切な説明も載っている。このプレートによれば、種子を発酵させて果肉を取り去りったものがカカオ豆であり、カカオ豆を炒ってすりつぶし、砂糖や香料を混ぜて練り固めたものがチョコレートだという。ああ、炒ってみたい!
グラミー賞2020のクラシック音楽部門
●以前に書いたように、グラミー賞にはすごい数の部門があり、そのなかにはクラシック音楽関連部門もある。膨大な受賞&ノミネート・リストを眺めていると、75番目の部門であるBest Orchestral Performance から82番目のBest Contemporary Classical Composition あたりがそれに該当する。日本人が受賞でもしない限り、日本のクラシック音楽界でグラミー賞が話題になることは皆無だが、たまたま2020年の受賞リストを見たところ、これがなかなかパンチが効いている。
●では、発表します! クラシック音楽部門筆頭のBest Orchestral Performanceを受賞したアルバムは~、ジャジャーン! ドゥダメル指揮LAフィルによるアンドリュー・ノーマン作曲の「サステイン」(ドイツグラモフォン)。ざわ…ざわ…。ノーマンは1979年生まれ。2018年に同じ演奏者により初演された作品なので、コンテンポラリー部門でもよかったわけだが(ノミネートはされていた)、オーケストラ部門を受賞した。
●Best Chamber Music/Small Ensemble Performance部門を受賞したのは、アタッカ・クァルテットによるキャロライン・ショウ作曲の「オレンジ」(ニューアムステルダム・レコード/ノンサッチ)。キャロライン・ショウは1982年生まれ。こちらもコンテンポラリー部門にもノミネートされていたが、室内楽部門での受賞ということに。
●他にはBest Classical Instrumental Soloはニコラ・ベネディッティが独奏を務めたウィントン・マルサリス作曲のヴァイオリン協奏曲(DECCA)、Best Opera Recordingにはトビアス・ピッカー作曲の歌劇「ファンタスティック・ミスター・フォックス」(BMOP/sound)、Best Choral Performanceにはロバート・シンプソン指揮ヒューストン室内合唱団によるデュリュフレ合唱作品全集(Signum)が選ばれた(ああ、やっと過去の作曲家の名前が出てきた)。ちなみにBest Contemporary Classical Compositionを受賞したのは、ジェニファー・ヒグドン作曲のハープ協奏曲(Azica)だ。なおこの現代曲部門では最近25年以内に作曲された作品が対象なので、たとえばジョン・ケージみたいな昔の作曲家は選ばれない。
●なんだか同じクラシック音楽界の話とは思えないくらい、選ばれる録音の傾向が違う。もちろん、アメリカの賞だからアメリカ・ローカルのものが強いのは自然なことだが、それにしても出てくる作品が新しいものばかりで、ベートーヴェンやブラームスを演奏していては受賞チャンスが少なそう。別にこれがアメリカの聴衆の傾向だとはまったく思わなくて、「録音に与える賞」としての性格を考えれば、コンテンポラリーなものが有利なのはわからなくもない。どうせ賞をあげるなら、生きてる人、若い人にあげないと。
9人連続PK失敗の珍記録誕生、ゼロックス・スーパーカップ2020 マリノスvsヴィッセル神戸
●Jリーグ王者とカップ戦王者が対戦して新シーズンの開幕を告げるスーパーカップ。今年はマリノスと神戸が対戦。ていうか、早くない? まだ2月上旬っすよ。元旦に天皇杯決勝があったと思ったら、こんな時期にまもなく開幕と言われても。冬がシーズンオフになっていない……ブツブツ。
●で、スーパーカップだが、お互い攻撃力はあるが守備が脆いチームの対戦、しかもまだチームが固まっているとはいえない状況で3対3の乱打戦になった。そしてPK戦に突入したところ「9人連続PK失敗」という珍事が起きた。そんなバカな。Jリーグの従来の最多連続PK失敗記録5を軽々と凌駕する新記録達成。連鎖反応的に次々と選手がPKを失敗する異様な光景に震える。
●このPK戦、実は最初に2巡目まではノーマルだった。マリノス先行でチアゴ・マルチンスが決め、神戸はイニエスタが決めた。続いて扇原と田中順也が決めた。3巡目から狂乱の失敗祭りが始まる。エジガル・ジュニオが止められ、小川慶治朗がポストを直撃し、水沼が上にふかし、西大伍が止められ、松原がバーに弾かれ、大崎玲央がふかし、和田拓也が止められ、フェルマーレンがふかし、遠藤渓太がバーに弾かれ……山口蛍が決めて終わった。こうして書くとわかるが、外した選手はそろって上にふかしている。芝が長くてやりにくかったという選手の証言もあるので、ミスにはミスの理由があったのかもしれない。そしてキーパーもファインセーブを見せている。マリノスのキーパーは朴一圭(パク・イルギュ)。一方、神戸は昨季途中にマリノスでその朴にポジションを奪われた飯倉大樹。飯倉は昨季までのチームメイト相手にPK戦を戦ったわけで、かなりの程度選手の傾向を把握してはいただろう。
●そんなわけでクレージーな9人連続失敗にもそれなりに背景はあるといえばある。でも9人連続失敗したことは事実なわけで、しかもこれで負けたとなれば、こんなにトホホな展開はない。途中でだれかがど真ん中に蹴ってればそれで決着しただろうに。これが今シーズンを占う一戦、なのか。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団のプロコフィエフ&ラフマニノフ
●6日はサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響。前半がプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番(レティシア・モレノ)、後半がラフマニノフの交響曲第2番というロシア音楽プログラム。強力。ラフマニノフは今月下旬からの欧州ツアーのメイン・プログラムのひとつ。
●プロコフィエフの協奏曲、この作曲家特有の棘があるのに甘いという複雑なテイストがたまらない。絶えず苛ついているハッピーな人というか。モレノのソロは巧みだけど、協奏曲としてはおとなしめ。アンコールにバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の第1曲。のびやかでウェット。
●後半のラフマニノフは濃密な名演に。パーヴォらしい引きしまったサウンドで、起伏に富んで情感豊かな音楽を作り出す。精緻かつパッションも十分。第3楽章アダージョでは深く大きな歌を描き出す。第4楽章は推進力にあふれ、最後はラストスパートをかけてゴールテープを切るかのようなアスリート的な快感あり。盛大な喝采とカーテンコールの後、退団するチェロの桑田歩さんに花束贈呈あり。オーケストラの退出時にもいったん止んだ拍手がふたたびわき起こり、感動的な光景に。
●プロコフィエフとラフマニノフを組み合わせたプログラムは、以前にも同コンビにあったと思うが、このふたりの作曲家が並ぶとリヒテルの言葉を思い出さずにはいられない。プロコフィエフはラフマニノフのことを毛嫌いしていたという。なぜなら、「影響を受けていたから」。
東京国立近代美術館工芸館はまもなく金沢市へ移転
●東京国立近代美術館工芸館はまもなく金沢市へ移転することが決まっている。現在開催中の所蔵作品展「パッション20」が最後の展覧会。3月8日まで。と知って、初めてこの工芸館を訪れることに。近代美術館にはなんども足を運んでいるんだけど、工芸館は隣接してなくて、そこからさらに400メートルくらい歩かなきゃいけないんすよね。なかなか足が伸びない。
●工芸館は広くないので、滞在時間はほどほどで十分、しかし見ごたえあり。いくつかあった印象的な作品のなかから、ひとつだけお気に入りを選ぶとすると、これかな。川口淳「箱」。カッコいい。
●ちなみに移転先では通称として「国立工芸館」と呼ばれることになるそう。場所は本多の森公園。県立美術館と歴史博物館の間で、近隣の能楽堂や金沢21世紀美術館、鈴木大拙館、伝統産業工芸館などと合わせて文化施設の集中エリアをなす。
「スパイスとカレー入門」(印度カリー子著)
●思わず買った「おもくない! ふとらない! スパイスとカレー入門」(印度カリー子著/standards)。カレーのレシピがたくさん載っているのだが、一般家庭で作れる程度のレシピで、しかもスパイス・カレーを作り慣れていない人に対しても親切な一冊。個々のレシピに先立って、「作り方のキホン」として、本当にシンプルなチキンカレーの作り方が載っているのが吉。
●これは絶対的な真実だと思ったのは「塩はカレーにとって命」。どんなスパイスを使っていても、味付けは結局のところ塩なので、塩加減が大事。「なんだか物足りないな?と感じたら、それは多くの場合塩不足です」というのは肝に銘じておきたい。あと、対談コーナーで、カレーの楽しみについて「8割は作ることにある。食べることは残りの2割」と断言しているのも説得力大。
●でも、なにがいちばんスゴいかって、著者名が印度カリー子なんすよ! 抜群のインパクト。そんな名前でカレー以外について本を書きたくなったらどうするんだろうとか、(ないけど)実際にお会いすることがあったら「印度さん」と呼べばいいのか「カレー子さん」と呼べばいいのかとか、つい余計なことを考えてしまうのだが、著者プロフィールを見ると東大大学院で食品科学の観点から香辛料を研究中と書いてあって、なおかつメディアで大活躍中の方だったのだ。
●クラシック音楽業界にも印度カリー子に匹敵する筆名があっていいかもしれない。音楽評論家・独逸クラ夫くらいの思い切りで。あるいは荒栗紺鰤雄(あらぐり・こんぶりお)大先生でもいいのか、ベートーヴェン・イヤーだし。
フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮東京都交響楽団のラモー、ルベル、ラヴェル
●3日は東京文化会館でフランソワ=グザヴィエ・ロト指揮都響。ラモーのオペラ・バレ「優雅なインドの国々」組曲、ルベルのバレエ音楽「四大元素」、ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」(栗友会合唱団)というフランス・バレエ音楽プロ。「優雅なインドの国々」はラモーのなかでも楽しさ最強。組曲はいろんな選択がありうるけど、全5曲で第4曲に「未開人の踊り」があって、最後に「シャコンヌ」で締め。今回は短めの抜粋だったのでそうでもないけど、まとまって聴くと「シャコンヌ」で旅の終わりに来たような感慨があって、高らかに鳴るトランペットにウルッとくる。楽器はすべてモダン。この曲、ラトルとベルリン・フィルをはじめ、しばしばモダンオーケストラでも取り上げられる。最近では鈴木優人指揮読響も。バッハやヴィヴァルディがモダン・オーケストラのレパートリーから消えつつある一方、こんなふうに新たに入ってくるバロック名曲もあるのがおもしろいところ。
●「ダフニスとクロエ」では柔らかさや色彩感の豊かさよりも、緻密さと明快さ、ダイナミズムが前面に押し出された感。メタリックシルバーのラヴェル。ホールの音響特性も手伝ってか、官能性は希薄だが、くっきりシャープな「ダフニスとクロエ」に感嘆。オーケストラがよく鳴っていて、ずいぶん強い音が届くのが印象的。鮮烈な幕切れに続いて、盛大な喝采、さらにロトのソロカーテンコールあり。客席の支持は絶大。
ラファエル・パヤーレ指揮NHK交響楽団のショスタコーヴィチ
●31日はNHKホールでラファエル・パヤーレ指揮NHK交響楽団。オール・ショスタコーヴィチ・プロで、前半にバレエ音楽第1番とチェロ協奏曲第2番(アリサ・ワイラースタイン)、後半に交響曲第5番。コンサートマスターはライナー・キュッヒル。
●パヤーレはベネズエラのエル・システマ育ちの新鋭。ドゥダメルのアシスタントも務めている。といっても1980年生まれなので、今年40歳。昨今の指揮者事情だとそれほど若いとも言えないか。前半の2曲はショスタコーヴィチのもっとも通俗的な面ともっとも内省的な面を対照させたような曲目。チェロ協奏曲第2番では夫婦共演。
●パヤーレのキャラクターがはっきり出たのは後半。切れ味鋭く瞬発力のあるショスタコーヴィチで、メリハリを思い切り付ける。ダイナミックで、もったいぶったところがなく、グイグイと前に進むのが吉。個人の芸術的良心と体制の抑圧の狭間から絞り出された二重言語といったショスタコーヴィチ理解が、遠く前世紀に霞んでいくかのような爽快さ。第3楽章ラルゴが大仰にならないのに好感。