●ウィルス禍の序盤ではオーケストラが無観客で公演を開催してネット配信する試みが見られたが、その後、オーケストラそのものが密集であるとして、無観客でも演奏ができなくなってしまっていた。が、ついにベルリン・フィルが5月1日、フィルハーモニーで無観客「ヨーロッパ・コンサート」を開く。いったい、どうやって?というのが最大の関心事。「感染防止のための距離の規制と衛生上の条件を守るために」、室内アンサンブルで演奏可能なプログラムが組まれた。ペルトのフラトレス(弦楽オーケストラと打楽器のためのバージョン)、リゲティの弦楽合奏のための「ラミフィカシオン」、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」、そしてマーラーの交響曲第4番(エルヴィン・シュタインによる室内アンサンブル版)。ソプラノはクリスティアーネ・カルク、指揮はキリル・ペトレンコ。
●開演は5月1日日本時間18時。デジタル・コンサート・ホールで無料配信される。もちろん演奏も楽しみではあるが、奏者間の距離はどれくらいなのか、弦楽器奏者の譜面台はひとりひとつなのか、マスクはするのか(??)等々、気になることがたくさん。ライブだとちゃんとつながるだろうか。
2020年4月アーカイブ
ペトレンコ指揮ベルリン・フィルが無観客で「ヨーロッパ・コンサート」を開催、配信へ
DAZNのeスポーツ大会をちらっと覗いてみた
●あらゆるスポーツがなくなった今、DAZNはスポーツアニメを流し続けるしかないのか……と思っていたら、あった! eスポーツが! リモートでも大会を開催できる唯一のスポーツ。「eプレミアリーグ」で本物のプレミアリーグの選手が出場しているではないの。マンチェスター・シティのラヒーム・スターリングとエヴァートンのアンドレ・ゴメスがサッカーゲームの「FIFA20」で対戦している、それぞれ自宅から。操作するチームはもちろん自分のチームだ。画面は三分割されていて、メインがゲーム画面、その脇にコントローラーを握ったスターリングとゴメスの画面がそれぞれ映し出されている。試合後にはちゃんと選手のインタビューもある。まさかサッカー選手が黙々とサッカーゲームをプレイする映像を有料サービスで観戦する時代がやってこようとは!
●元ゲーマー(バーチャストライカー派)としては「FIFA20」のリアルな選手たちの動きに驚嘆するばかりだが、しかしこのプレイ映像を見て楽しめるかというと、どうなんでしょ。なんだか「FIFA20」のCMを見ている気もしないではない(欲しくなるし)。しかし、どう考えても打つ手なしと思われたDAZNが、アニメだeスポーツだと必死にコンテンツの掘り起こしをしているのを目にすると、尊敬の念がわいてくる。いったい次はなにを始めてくれるのか。
「ウィーン・フィル・ウィーク・イン・ジャパン2020」はゲルギエフの指揮
●目先の予定はさっぱりわからないが、先の予定はどんどん入ってくる。サントリーホールから「ウィーン・フィル・ウィーク・イン・ジャパン2020」のプレスリリースが届く。今週はゲルギエフが16年ぶりにウィーン・フィルと来日。ソリストにはデニス・マツーエフ(プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番)、そして同ホール館長でもある堤剛(チャイコフスキーのロココ風主題による変奏曲)が登場する。11月9日から14日までの4公演で、メイン・プログラムにはストラヴィンスキーの「火の鳥」全曲、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。チャイコフスキーの「悲愴」は以前にもゲルギエフとウィーン・フィルで聴いた記憶がある。演奏が終わって30秒以上も完璧な沈黙が続いたが、あれはもう16年も前なのか……。「英雄の生涯」もウィーン・フィルはなんどか取り上げているが、ゲルギエフの指揮というのが意外な感じ。
●なにせ、現状では演奏会というものがひとつもなく、ウィーン・フィルの来日公演に実感がわかないが、欧州では猖獗を極めたウィルス禍もピークを打ったように見えるので、今後は段階的に日常への回帰が進んでいくのだろう。といっても以前とは少し違った日常になると思うが……。
●オーストリアは欧州のなかではドイツ以上にウィルス禍に対してうまく対処している模様。4月26日時点で人口100万人あたりの死者数(対数グラフ)を見ると、オーストリアは60人、ドイツは67人、イギリスは299人、フランスは346人、イタリアは436人。同じ欧州内でもかなり違いがある。隔離しない政策をとったスウェーデンは217人で中間的。アジア・オセアニアに目を向けると韓国は4.7人、オーストラリアは3.2人、日本は2.8人、シンガポールは2.1人、台湾は0.25人。今後どうなるかはまったく予測がつかない。
アマビエ2020
●しばらく前からなんだかヘンな妖怪みたいな絵柄をよく見かけるなと思ったら、「アマビエ」と呼ぶんだそう。江戸時代後期に海からやってきた半人半漁の妖怪で、人間に向かって「しばらく豊作が続くが疫病も流行する。私の姿を描き写して、早々に人々に見せよ」と言い残して海中に去っていったのだとか。な、なるほど、だからみんなでアマビエの絵を描いて見せ合っていたのか。こういうヤツなんすけどね。
●でも、アマビエって名前、漢字でどう書くんだろう、アマエビみたいだなと思うじゃないすか。それで検索してみたら「アマビエはアマビコ=尼彦の誤記」という説があるんだとか。たしかに「エ」と「コ」の誤記はありうる。なんだかそれって、テレーゼのために書いたのに「エリーゼのために」って誤って読まれちゃったベートーヴェンみたいな話だなと思う。
●人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移(国別)(対数)、予測された通りに緊急事態宣言の効果が2週間遅れであらわれて、ようやく傾きが直線から外れてきた。
「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命」(アルテスパブリッシング)
●刊行時にうっかり読み損ねてしまっていたが、ようやく読んだ、「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命」(アルテスパブリッシング)。聞き手はユリア・スピノーラ。ブロムシュテットのような真摯な音楽家が語る自伝がはたしておもしろいのかどうか、立派であるばかりで読み物としては刺激に乏しいのではないか……などと思うのなら、それは杞憂。実に興味深い。なによりマエストロの率直さがすばらしくて、自伝にありがちな自己顕示欲とは無縁。いい話ばかりじゃなくて、自分が過去に失敗した話とかも自然体で話せてしまう。たとえば、駆け出しの頃、チャイコフスキーの交響曲第4番でムラヴィンスキーばりの速いテンポを採用しようとしたら、オーケストラに受け入れてもらえなかった。そこで、ブロムシュテットは、他のさほど有名じゃないオーケストラと演奏したときはこのテンポで問題なかったとうっかり口にしてしまう。するとヴィオラの首席奏者がぼそっと言った。「ぼくらはこの作品を、あなたよりはるかに良い指揮者と演奏しましたよ」。なかなかこういう話はできないものだと思う。
●もうひとつ忘れられないのは、演奏水準の落ちてしまった楽団の首席指揮者を務めることになった際、首席ファゴット奏者に第3ファゴット奏者と入れ替わってほしいとお願いしたときの話。ブロムシュテットは精一杯の気づかいをしながら慎重に話をした。首席ファゴット奏者もその提案を受け入れてくれた。でも何年か経ってふたりきりになった場面で、その奏者から「あのときはあまりに辛くて自殺も考えたほどだった」と告白されてショックを受ける。職務に対する誠実さと人間的な思いやりとの間で、どれほどの葛藤があったことか。後年、ふたりは親友になったというのが救い。
●ブロムシュテットはアドヴェンティスト教会の敬虔な信徒なので、安息日は土曜日と定められ、この日はいかなる労働もできない(金曜日の日没から土曜日の日没までが安息日なんだとか)。だから子供の頃は土曜日は学校に行けなかったし、テストも受けられない。指揮者になってからもリハーサルは土曜日に行なえない。これでずいぶんいろいろな苦労があったようなのだが、師匠のマルケヴィッチとのエピソードには考えさせられた。師から指揮の機会をもらい、土曜にゲネプロをするように言われたのに、安息日だからできないと断るしかなかった。それで師は親切にもゲネプロを日曜の午前に変更してくれたのだが、そのとき「楽団員のほうが君よりはるかに立派なキリスト教徒だぞ」と言われたという。そう、日曜日が安息日のキリスト教徒の立場はどうなるのか。敬虔さと不寛容は紙一重とも感じる。
ベルリン・フィルが2020/21年シーズンのスケジュールを発表
●ベルリン・フィルが来シーズンのスケジュールとデジタル・コンサートホールでのライブ中継の予定を発表した。といっても、この世界的ウィルス禍のなかでは、なんだかリアリティが薄いような気がする……って、いやいや、ベルリン・フィルの開幕は8月29日だ。まだ時間はある。ウィルスとの戦いは何年も続くだろうけど、ロックアウトみたいな緊急事態はいつまでも続かない(続けられない)ので、社会活動の回復と感染拡大リスクのバランスをどこかで取ることになる。現在の状況に過剰適応してしまわないようにしなくては!
●で、ベルリン・フィルの来季だが、首席指揮者ペトレンコは大車輪の活躍だ。開幕はブラームスの交響曲第4番がメイン。ほかのプログラムではスーク「夏の物語」、シュトラウスの「英雄の生涯」、コルンゴルトの交響曲、マーラーの交響曲第9番など。オペラ成分も高めでラフマニノフの「フランチェスカ・ダ・リミニ」演奏会形式や、チャイコフスキーの「マゼッパ」演奏形式、ストラヴィンスキーのオペラ・オラトリオ「エディプス王」も。なかなか攻めたラインナップ。
●客演指揮者陣ではラハフ・シャニとスピノジがデビュー。ほかにハーディング、ヤノフスキ、ロト、ミンコフスキ、バレンボイム、ソヒエフ、ネルソンス、イヴァン・フィッシャー、ビシュコフ、ガッティ、ラニクルズ、ティーレマン、パーヴォ・ヤルヴィ、メータ、ミッコ・フランク、マルッキ、ラトル、ギルバート、ブロムシュテット。全体の傾向としてはロシア音楽、世紀末、オペラ/オラトリオあたりがキーワードか。ラトルはエルガーの「ゲロンティアスの夢」、マルッキがバルトーク「青ひげ公の城」演奏会形式を指揮。かなり大掛かりなプログラムが多くて、そこは少々気になるところではある。
横のものを縦にする
●アーティストの欧文プロフィールを日本語にするときにいつも悩むのは書式の違い。プロフィールに求められるものがぜんぜん違うので、書き方も異なってくる。特に年齢。いま、欧文の公式プロフィールでは生年が明記されていないケースがほとんどだと思う(男女問わず。極端に若くて年齢が売りになる場合は別)。Wikipediaとかには書かれちゃうから内緒というわけじゃないんだけど、生年は理由もなしにわざわざ書くものではないといった感じ。
●年齢だけじゃない。どの国で生まれたかも書かれていないことすらある(もちろん国籍など知りようがない)。書いてあるのは、パリを拠点に活躍、みたいな今どこで活動しているか、という情報。公式プロフィールには書いてないからと調べてみると、生地は旧ユーゴ圏など東欧のどこかだったりする。「どこで学んだか」は書いてあることが多いけど、たいてい長いプロフィールの最後に来る。ところが、一般的な日本語プロフィールだと優先順位が逆で、まずは生年、そしてどこの国の人か、続いてどこでだれに学んだか……という時系列で過去から現在へと向かう履歴書スタイルが一般的。
●生年も生地も学歴も書かないんだったら、じゃあ欧文プロフィールにはなにが書いてあるのかというと、よくあるパターンとしては「今シーズンの活動」が最初にドーンと来る。まず「今」がどうかを書いて、後で過去に遡る。ただこれも考えもので、ウィグモア・ホールでリサイタルを開いたとか、コンセルトヘボウ管弦楽団と共演したとか、そういった情報を長々と羅列して「箔をつける」のは、業界向けのセールスには向いてるけど、一般的な聴衆に関心を持ってもらえるかというと話はまた別かもしれない。
増えるジョギング姿
●週末は土曜日は雨天、日曜日は行楽日和のうららかな晴天。外にいる人がわっと増えた。といっても、外出しても娯楽は散歩くらいしか思い当たらない。緊急事態宣言が出てから、目に見えてジョギング姿が増えてきた。散歩、ジョギング、サイクリング。ウィルス禍も怖いが運動不足も怖い。ふだんは電車の乗り換えだけでも相当に歩数を稼げるし、大きなオフィスだと室内だけでもかなり歩くことになると思うが、テレワークだと極端に動かなくなる。春だからまだいいが、真夏に同じ状況になったら困る。
●どんどん状況が変化していくので、以下自分メモ。最後に聴いた演奏会は3月12日、東京オペラシティでのアンドラーシュ・シフのリサイタル。その翌週あたりは、まだ気をつけていれば外出してもOKという認識だったが、3月30日を最後に以後の打合せ、取材、会議、収録は、すべてリモートないしは中止になっている。目下は「社会全体で人の人の接触を8割減らす」ことが目標。緊急事態宣言が出たのが7日夕方、数字に反映されるまでのタイムラグが2週間だとすると、今週から結果が出てくる。はたして目標が達成されているのかどうか。現状、感染者数を片対数グラフで見ると、日本は4月5日の週の後半に傾きが急になったが、4月12日の週からは傾きがやや緩やかになっている。とはいえきれいに直線に乗っているので、指数関数に従った増加を示していることに変わりない。日本に比べると欧米は文字通り桁違いに厳しい状況だが、そのなかでもイタリアはドイツよりさらに一桁多い死者が出ている。アメリカは両者の間。そして台湾の成功ぶりは際立っている。
「ゴルゴ13 196 腐食鉄鋼」(さいとう・たかを著/リイド社)
●バッハの「マタイ受難曲」が登場すると聞いて、第196巻にして初めて「ゴルゴ13」を読んだ。すごい、ゴルゴ13。実質的に初めて読んだのに、ぜんぜん初めて読んだ気がしない! 昔からなじんでいるシリーズであるかのように、期待通りのゴルゴ。イメージ通りのゴルゴ。国際企業の諜報活動や国家の権力争いを舞台に、冷静沈着な凄腕スナイパーが活躍する。すごい安定感。
●「ゴルゴ13 196 腐食鉄鋼」に収められた「13番目の客」では、引退したCIAの職員がドイツ旅行に出かけたところ、同じツアーの客にゴルゴ13がいることに気づいて驚く(ツアー客にゴルゴ13……目立ちすぎだろっ!)。バッハ好きのその元CIA職員がホテルで「マタイ受難曲」を聴いて寛いでいたところに、ゴルゴ13が入ってきて尋ねる。「マタイ受難曲……バッハが好きなのか? ライプツィヒのバッハ博物館は行ったか?」。うおおおお、ゴルゴも「マタイ受難曲」が好きなのか! この一話はなんともいえないおかしみがあって好き。
●KING OSCARのオイルサーディンにゴルゴの絵がプリントされているのがあるんすよ。「ゴルゴサーディン」って。
「サッカー・J2論」 (松井大輔著/ワニブックスPLUS新書)
●音楽界から演奏会が消え去ったように、サッカー界からも試合がなくなった。しょうがないので本を読む。「サッカー・J2論」 (松井大輔著/ワニブックスPLUS新書) 。元日本代表で、38歳となった現在もJ2の横浜FCで現役を続ける松井大輔によるJ2論。というよりは、2部リーグ論といったほうがいいかもしれない。なにしろ松井は日本でのJ2経験だけではなく、ヨーロッパでの2部リーグ経験も豊富。彼の全盛期は欧州に移って最初のクラブ、ル・マン時代だと思うが、移籍当時のル・マンは2部リーグのクラブだった。ここで中心選手として活躍して1部リーグ昇格を果たした。その後はサンテティエンヌ、グルノーブルと移籍して、グルノーブルでも2部リーグを経験。ポーランド2部のオドラ・オポーレでもプレイしている。ワールドカップ・レベルの選手でこれだけあちこちで2部リーグを経験している選手はなかなかいないのでは。
●プレーヤー視点で見たJ1とJ2の違いは、われわれファンの感じ方と変わらない。J1ではきれいなパス回しからのゴールが好まれるのに対し、「J2は混戦から偶発性の高いゴールが生まれる傾向にある」「J2時代はロングボール中心の戦術で勝てても、J1になった瞬間にその戦術が通用しなくなるというケースは多い」。これはJFLになるともっと顕著で、中盤を省略してボールを前線に運ぶ利点はかなり大きい。それゆえにボールをつないで「きれいなゴール」が生まれたときの感動も大きいのだが。
●選手でなければわからないのはロッカールームや練習の光景。欧州の2部リーグでは「チームメイトとの会話も、だいたいがお金の話だ。移籍金はいくらなのか、年俸はどれだけ上がるのか。サッカーの理想について語る選手はいなかったと思う」。このあたりは日本とはずいぶん雰囲気が違いそう。練習も「選手たちはグラウンドで毎日のようにケンカしている。とにかくコンタクトプレーが多くて、手加減せずにぶつかり合う。だからヒートアップするのは必然で、すぐに胸ぐらを掴み合っての乱闘騒ぎが始まる。 そんな集団のなかに突然紛れ込んだ僕はひとたまりもない」。海外組の選手たちはそんな荒っぽい大男たちを相手にポジションを獲得しているわけで、改めて尊敬の念がわいてくる。
●現時点で欧州リーグ再開のめどはついていないが、無観客試合での開催が基本線となっている模様。サッカーでは観客席の密集や発声が避けられない一方で、放映権がビジネスの柱になっていることを考えれば、そういう話にはなると思う。しかし2部リーグ以下はどうなるんだろう。そして、Jリーグもおそらく無観客試合の方向に向かうのでは。2022年のワールドカップの開催地がカタールに決まったとき、中東ではスタジアムがガラガラでみんなテレビでしかサッカーを見ていないと揶揄されたものだが、なんとも予言的な選択をしたものだ。当分、サッカーは全世界的にテレビ(ネット)で見るものになる。
おうちでオペラ
●コンサートもオペラもサッカーも、ウィルス禍によりライブ・パフォーマンスがすべてなくなってしまった今、これらは過去を振り返るものになっている。音楽団体はアーカイブを公開し、DAZNは過去の名勝負とスポーツアニメ名作選を配信している。
●新国立劇場は「巣ごもりシアター」と題して、過去の公演記録映像を期間限定で無料公開中。大野和士オペラ芸術監督の第1シーズンから、モーツァルト「魔笛」、プッチーニ「トゥーランドット」、今シーズンの開幕公演チャイコフスキー「エウゲニ・オネーギン」(エフゲニー・オネーギン)の3作品を一週間ごとに配信する。現在公開されているのは「魔笛」(4月17日14時まで)。演出はウィリアム・ケントリッジ。3つとも劇場で観たプロダクションだが、もう一度見たい舞台をひとつ選べと言われたら、やはり「トゥーランドット」か。アレックス・オリエの演出にはさっぱり共感できなかったのだが、反感を覚えるのは気になっているということでもある。
●もうひとつ、ウィーン国立歌劇場のアーカイブも無料配信されていて、さっき見たらカルロス・クライバーのリヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」(1994)が配信されている。うーん、これはスペシャルすぎて気軽には見られない……と思いつつも、最初の10分だけチラ見。腕をぐるぐる回すクライバー。くらくらする。これはヤバすぎるヤツだ。閉じよう、ブラウザを閉じなければ。見てはいけないものを見てしまうことになる……。
遠くへ行きたい
●静まり返った街で、あなたはきっとこう思っているはずだ。遠くへ行きたい。つい先日まで、当たり前にできていたことが、今ではとても難しい。
●そこで、遠くに行った気になれる動画だ。ずばり、電車だ。延々と風景を映し出すだけの動画が「出かけたい」欲求を鎮めてくれる。なるべく長時間で高画質なものが吉。画面はもちろん、最大化で。心を無にして眺めたい、部屋を真っ暗にして、音量を上げて。
4K Cab Ride Mendrisio - Bellinzona - Olten - Cornaux, Switzerland
https://youtu.be/2IPcpGmaugM
Scenic train ride from Bergen to Oslo (Norway)
https://youtu.be/xisVS_DKpJg
Tirano - St. Moritz dual camera cab ride, Italy to Switzerland
https://youtu.be/Mw9qiV7XlFs
4K Cab ride Landquart - St Moritz (1250m climb) with snowfall
https://youtu.be/dKXUaXugvDQ
Führerstandsmitfahrt KBS 951 München - Salzburg in HD 60fps
https://youtu.be/TD90MTfL-54
Bellinzona - Göschenen - Wassen Gotthard cab ride
https://youtu.be/iz4Ybk8nZEw
「ラ・ボエーム」 (アンリ・ミュルジェール著/光文社古典新訳文庫)
●お出かけができないから長い本を読むチャンス!というわけでもないのだが、アンリ・ミュルジェール著「ラ・ボエーム」(光文社古典新訳文庫)を読んだ。672ページもある大著、なんだけど中身は連作短篇集スタイルなので読みやすい。原作よりもプッチーニのオペラのほうがはるかに有名になってしまったが、原作にはオペラにはまったくないおもしろさがある。というか、基本的なテイストが相当に違っていて、特にミミの人物像がずいぶん異なる。そしてオペラにおけるロドルフォとミミのストーリーは、原作中にある別の登場人物のサブストーリーから転化されたものだと知ってびっくり。そのあたりの話を ONTOMOの連載「耳たぶで冷やせ」Vol.19に書いた。ご笑覧ください。
●以前にも書いたが、シャーロック・ホームズ・シリーズの「緋色の研究」には、ワトソンがこの「ラ・ボエーム」原作を読んでいる場面が出てくる。
ZoomとSkypeが続いた一日
●たまたま昨日はZoomを使った多人数のビデオ会議と、Skypeを使ったアーティスト・インタビューが続いた。Zoomは荒っぽい作りのところもあるが、多人数で使用した際の安定感は驚異的で、ストレスがない。データの圧縮が上手にできているということなのか。モバイル用のノートPCを使ったが、参加者が十人以上になるともっと大きな画面を使いたくなる。そこでデスクトップPC用にウェブカメラを導入しようかと思ったら、こぞって品切れ。みんな考えることは同じだ。今、買えないものといえば、マスクとトイレットペーパーとウェブカメラ。
●Skype取材では、アーティストとインタビュアー(ワタシ)と編集者が3か所から集まって分割画面で進行。こちらは当初、対面での取材を予定していたが、緊急事態宣言もあってか、取材場所としていた出版社に部外者が入室できなくなってしまった。出版社は常時大勢のフリーランスが出入りする場所だけに、感染症対策としてはもっともな話。今、原則として部外者は立ち入り禁止になっているオフィスは多いのだろう。あらゆるコンサートが中止になったのに続いて、対面の打ち合わせも取材もすっかり消えた。
●今後、ZoomやSkypeといったアプリのどれが主流になるかはわからないが、ウイルス禍が一段落した後もこのようなオンライン・ミーティングはビジネス文化として定着しそう。特にインタビュー取材で撮影が不要のケースでは、オンラインが基本になるかも。
在宅収録
●昨日は自宅でラジオ番組の収録にチャレンジした。FM PORTの「クラシック・ホワイエ」(毎週土曜日夜10時オンエア。停波の6月末まで続く)だが、通常は新潟からディレクターの方が東京のスタジオに出向いて収録するという形をとっていた。しかし、現在の感染状況の中で東京と他都市間の長距離移動は難しい。そこで、収録もリモートワーク化できないかということで、局からレコーダーとマイクを送ってもらった。まず、ひとりでテストしてみたが、やはり自分だけでしゃべるとどうしても早口になるし、ミスがあってもその場でNGをもらえない。そこで、局と電話でつないで、電話でディレクションしてもらいながら、電話とレコーダーの両方で録音して、条件の良いほうを使ってもらうことにした(まあ、レコーダーのほうが高音質だとは思うが)。
●もちろん、自宅なのでスタジオのように密閉されていないから、周囲から多少のノイズは入る。あと、最初にテストすると背景に「プーン」という電気的なノイズが乗っていて困ったのだが、PCやオーディオ機器をぜんぶシャットダウンしたら乗らなくなった。どうがんばってもスタジオと同等の条件にはならないだろうが、このウイルス禍のなかでは臨機応変にできることをやっていくしかない。
緊急事態宣言が出た
●7日夕方、ついに緊急事態宣言が出た。対象は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡。「緊急事態宣言」っていう字面から想像していたのは、予想もしていないタイミングでいきなり町にサイレンがウ~~っと鳴ったり、携帯電話が不吉な和音を奏でたり、テレビの全チャンネルで一斉に指導者の演説が放映されたり(なんならテレビのスイッチが自動で入ったり)、ウェブブラウザから「スポポーーン!」と別ウィンドウが立ち上がって、赤文字が点滅しながら「緊急事態です!」と通知したり(それじゃ別の意味のウィルスだ)といった突然の展開だが、そうではなかった。日曜の夜から観測記事が出て、月曜日に「いよいよ総理が決断か」みたいな記事が出て、火曜の朝に「専門家の諮問機関に諮った」という記事が出て、その日の夕方に出る、といったように手順を踏みながら出てきた。序奏が入念、ベートーヴェンの交響曲第7番並に。
●それで、緊急事態宣言が出ると何が変わるのかというと、あれこれ読んでも予測が付きづらい。荒っぽい外出制限や移動制限があるわけではなく、職種によって通勤が法的に制限されるわけでもない。東京都からは休業要請の対象が発表されず、10日発表に持ち越し。報道によれば休業要請の対象を広げたい東京都と経済活動への影響を避けたい国との間で考え方で溝があるという。都道府県別人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移を対数グラフで見ると、東京都の爆発的な増加に怯む。感染拡大を止めるためには、まずは社会全体で人と人の接触を8割減らす必要があるそう。直感的には相当に高いハードルだなと感じている。
DeepL翻訳、みらい翻訳、Google翻訳 の比較
●最近、ドイツのDeepL翻訳が日本語にも対応して、その訳文の質が高いという評判を見かけた。Google翻訳よりもいいというウワサ。機械翻訳はドイツ語→英語とかフランス語→英語を使うことはあっても、日本語を扱うには実用レベルには遠いという認識だったが、さて、どんなものだろうか。この分野では、日本のみらい翻訳もすでにGoogle翻訳を凌駕しているという話も聞く。そこで、同じ英文をDeepL翻訳、みらい翻訳、Google翻訳の三通りに和訳してもらおう。
●ベートーヴェン・イヤーでもあるので、セイヤーのThe Life of Ludwig van Beethovenから、一節を拾ってみた。もちろん、たった一か所の文章で質を判別できるとは思わない。ただ、ある程度の傾向は見えるかもしれない。
●DeepL
11月16日の手紙の中で、ピアニストとして、また作曲家として他の都市で力を発揮しようとするベートーヴェンの強い願望と意図の表現は、読者の注意を引くに値するものであり、まだコメントの必要はないが、そこで紹介された新しい話題は、それ自体が非常に重要だからではなく、多くのペンを使ってきた巨匠の人生の中のエピソードとして、また、伝記作家や小説家が、それを最大限に活用し、最高のロマンティックな色で描くことができるかどうかを争っているように見えるからである。
参考にした文章は "私はそれ以来、より快適に暮らしています。私はより多くの男性の間で生きている...。この変化は、親愛なる魅力的な少女などによってもたらされた。" この文章について書かれているすべてのことにもかかわらず、ベートーヴェンがこの特別に魅力的な少女への情熱を他の時期に比べて、より夢中になったり、持続させたりしたと考える理由はほとんどありません。ヴェゲラー、ブルーニング、ロムベルク、リース[318]の証言が引用されており、ベートーヴェンは「愛がなくてはならなかったことはなく、一般的には愛に深く没頭していた」と述べている。
ウィーンでは(ヴェーゲラーは言う)、少なくとも私が住んでいた限り、ベートーヴェンは常に恋愛をしていたし、時折、不可能ではないが、多くのアドニスが達成するのは難しいかもしれない征服をした。私の知る限りでは、彼の恋人たちは皆上流階級に属していたと付け加えておきます。
●みらい翻訳
11月16日付けの手紙の中で、他の都市でピアニスト兼作曲家としての能力を発揮したいというベートーベンの強い願望と意志の表現は印象的で、読者の注目に値するが、コメントする必要はない。しかし、そこで紹介された新しい話題は、それ自体が非常に重要だからではなく、多くのペンを使い、伝記作家や小説家がそれを最大限に活用し最高のロマンティックな色で描くことができると主張したように思われる、師の人生のエピソードとして、ある程度扱わなければならない。[120]
言及されている文は:「私はそれ以来、より快適に暮らしています。私は男性の間でより多く生きている....この変化は、かわいい魅力的な女の子などによってもたらされた。」このテキストに書かれているすべてにもかかわらず、この特別に魅力的な少女に対するベートーベンの情熱が他の時代よりも他の時代よりも興味をそそられ、持続したと考える理由はほとんどない。ウェーゲラー、ブルーニング、ロンベルク、リースの[318]という証言は、ベートーベンが「愛がないわけではなく、概して夢中になっていました。」という点まで引用されている。
ウィーン(ウィーゲラーは言った)では少なくとも私がそこに住んでいるあいだベートーベンは常に恋をしていて不可能ではないが多くのアドニスにとって達成が困難な征服を時々行っていた....私が知っている限り彼の恋人のすべては上流社会の身分であった。
●Google翻訳
11月16日付けの書簡では、ベートーベンのピアニストおよび作曲家としての力を他の都市で発揮したいという強い意欲と意図が、印象的で読者の注目に値するが、コメントは不要である。しかし、そこに紹介された新しいトピックは、それ自体が非常に重要であるという理由ではなく、かなりの数のペンを使用し、伝記作家と小説家が主張したと思われるマスターの人生のエピソードとして、ある程度扱われる必要がありますそれを最大限に活用し、最高のロマンチックな色で塗ってください。[120]
言及されている文は、次のとおりです。私は男性の間でより多く生きています...この変化は愛する魅力的な女の子などによって引き起こされました。」このテキストに書かれていることすべてにもかかわらず、ベートーベンのこの特に魅力的な女の子への情熱は、他の期間よりも他の期間よりも夢中になったり、長続きしたりしたと考える理由はほとんどありませんが、その後、独特の状況が彼の記憶の中で生き続けました。ウェゲラー、ブルーニング、ロンベルク、リースの証言[318]は、ベートーヴェンは「愛がなくてはならず、概してそれに夢中になっている」と指摘されてきました。
少なくとも私がそこに住んでいたウィーン(ウェゲラーによると)では、ベートーヴェンは常に恋愛関係にあり、時折征服を行いました。不可能ではないにせよ、多くのアドニスにとって達成が困難だったかもしれません。私の知る限りでは、彼の恋人は全員、上位のソーシャルステーションに所属していました。
●原文
In the letter dated November 16, Beethoven’s strong expressions of desire and intention to exhibit his powers as pianist and composer in other cities, are striking and worthy of the reader’s attention, yet need no comment; but a new topic there introduced must be treated at some length, not because it is of very great importance in itself, but as an episode in the master’s life which has employed so many pens and upon which biographer and novelist seem to have contended which could make the most of it and paint it in the highest romantic colors.[120]
The sentences referred to are: “I am living more pleasantly since. I live more amongst men.... This change has been wrought by a dear fascinating girl, etc.” Notwithstanding all that has been written on this text there is little reason to think that Beethoven’s passion for this particularly fascinating girl was more engrossing or lasting than at other periods for others, although peculiar circumstances subsequently kept it more alive in his memory. The testimony of Wegeler, Breuning, Romberg, Ries,[318] has been cited to the point that Beethoven “was never without a love, and generally deeply engrossed in it.”
In Vienna (says Wegeler) at least as long as I lived there, Beethoven always had a love-affair on his hands, and occasionally made conquests which, though not impossible, might have been difficult of achievement to many an Adonis.... I will add that, so far as I know, every one of his sweethearts belonged to the higher social stations.
●さて、どうだろう。3つとも自然な日本語になっているとは到底いえないが、文意はどこまで理解できるだろうか。
打合せ、会議、インタビュー取材、レッスンはZoomへ
●最近よく耳にするようになったZoom。自分の周囲でもこの一週間ほどで一気に「できるものはなんでもZoomで」という雰囲気になってきた。これまでビデオ通話をする際には主にSkype、あるいはハングアウト(これは少数派か)を使ってきたが、なるほど、試してみるとZoomはずっと簡単だ。さっそくノートPC、タブレット、スマホにアプリをインストールした。
●Skypeよりいいところはいくつもあるだろうが、なによりいいと思ったのは、招かれる側にアカウント登録が不要なこと。URLをクリックするだけでいい。たとえば、先生がオンラインレッスンをするときに、先生の側がアカウントを登録して、ミーティング用のURLを発行して生徒に送る。すると、生徒の側はアカウント登録なしでそのURLにアクセスすればいい。インタビュー取材などでも好都合で、取材する側が一回性のURLを発行すればOK。取材を受ける側は自分のプライベートなIDを相手に教える必要がなく、気楽だ。Skypeだとどうしてもその点で取り扱いの慎重さが求められてしまう。
●対数グラフで見る人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移(国別)。4月2日あたりからはっきりと傾きが急激になって、新たなステージに入った感がある。2週間程度のタイムラグがあることを考えると、3月20~22日の三連休の楽観的なムードが反映されたということなのか? 昨晩からようやく「緊急事態宣言容認論が広まる」といった下慣らしみたいなニュースが流れてきた。
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P.S. Skypeでも「今すぐ会議」という機能を使えば、Skypeユーザーでなくてもゲストとして通話に参加できるそう。
N響は4月定期を完全に中止、東京都の学校休校は延長へ
●新年度に入ったが、依然として新型コロナウィルスの勢いは衰えていない。N響は4月定期について、当初は代役を立てたうえで無観客でFM放送の生中継とテレビ収録のみをすると発表していたが、昨日、演奏そのものを中止にすると発表。「演奏者および関係者の安全に配慮するとともに、感染拡大の予防に努めていくため」という理由。現状では、オーケストラという多人数が密集する演奏形態そのもののリスクが問われる段階になったということか。
●東京は当初、4月の新学期から学校を再開する予定だったが、都立学校の休校を5月6日まで延長すると発表。区立学校は区ごとの判断だが、現状次々とこれに追随している模様。3月2日からずっと学校は休校状態が続く。オンラインの授業などはできないのだろうか。
●ここからは自分メモ。人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移(国別)。片対数グラフで見るとイタリアやドイツで少しずつ傾きが緩やかになってきているのがわかる。日本は欧米よりもはるかに数が少なく、傾きも緩いのだが、一方で3月までのグラフを見るとおおむね直線的で、指数関数的な増加を示している。4月に入って少し勢いが衰えたかなと期待したが4月2日のデータがぐっと上がってしまい、傾向がつかみづらい。これを見てると緊急事態宣言が出ないのが不思議なくらいだが、一方で同様のグラフで人口当たりの死者数の推移を見ると、また違った印象も受ける。今はいつ緊急事態宣言が出るかと恐る恐る日々の暮らしを送る雰囲気だが(4月1日説のウワサが流れた)、実のところ緊急事態宣言が出たらどうなるのか、よくわかっていない。
FM PORTが6月末で停波、2010年から続いた「クラシック・ホワイエ」も終了へ
●残念なお知らせを。FM PORTこと新潟県民エフエム放送が6月末をもって停波することになった。これに伴って、ワタシがナビゲーターを務める「クラシック・ホワイエ」も終了となる。ネットワークに属さない独立系の民放FM局として、独自性のある番組作りを続けてきた同局だが、広告収入の減少から事業の継続を断念することになった。「クラシック・ホワイエ」の初回は2010年の11月だったので、10年にわたり500回近く、毎週末の夜にしゃべらせてもらってきたことになる(生放送じゃなくて収録だけど)。こんなに自由に楽しく番組を続けられたのだから、関係者のみなさま、リスナーのみなさまには感謝するほかない。
●といっても、6月末までは放送は続くので、まだあと3か月ある。しばらくはこれまで同様にお付き合いください。録りだめ分はさほどないので、残りの分もきちんと作らねば。毎週土曜日、夜10時から、新潟県内は電波またはラジコで、全国ではラジコプレミアムで聴取可。
日本三大海洋回文
●以下を日本三大海洋回文と定める。
軽いノリのイルカ
イカのダンスは済んだのかい
今朝食べた鮭