●3日は東劇へ。久々に都内の大移動だ。2020年銀座の旅。電車では普通にみんな詰めて椅子に座っているし、駅のホームでも対人距離はとられていない。都内の感染者が三桁に乗ったというニュースが報じられていることもあってか、マスク着用率はほぼ10割。現代のドレスコード。
●で、復活したMETライブビューイングでヘンデルのオペラ「アグリッピーナ」を観た。4時間の長丁場(休憩1回)ともなれば、いかにヘンデルの音楽がすばらしくとも、現代人にとってドラマとして楽しめるだろうか……とやや不安を抱きつつ臨んだが、これはまったくの杞憂。METの底力を見せつけるような最上級の舞台だった。演出、歌唱、オーケストラ、すべてを満喫。
●悪女として知られる主人公アグリッピーナは、ローマ帝国の皇帝となるネローネ(ネロ)の母親。息子を皇帝の座に就かせるために策略を巡らせる。史実に比べるとオペラの物語はマイルド。話の本筋はローマ皇帝という権力を巡る歴史劇だが、演出のデイヴィッド・マクヴィカーは舞台を現代に置き換えて、洗練されたコメディに仕立てた。ラブコメならぬパワコメ。これが実にセンスがいい。ネローネ(ケイト・リンジー)はパンクな若者で、中指を立てるわ白い粉を吸うわの大暴れ。皇帝クラウディオ(マシュー・ローズ)のストリップシーン(?)も巧みで練られている。恋人に見捨てられてやさぐれるオットーネ(イェスティン・デイヴィーズ)が酒場にやってきて歌うアリアで、「湧きあがる泉よ、水はさらさら流れて」(←うろ覚え)みたいな歌詞に合わせて、酒瓶を見つめてからグラスに注ぐあたりとか、なんともシャレていて笑う。
●歌手陣は驚異的。難度の高い歌を楽々と歌いながら、それぞれ演技の面でも芸達者。特にインパクトがあったのはポッペア役のブレンダ・レイ。これだけ歌えて、しかも演じられる人はそうそういないのでは。題名役ジョイス・ディドナートは貫禄。ピットの様子は一切画面に映らないが、ハリー・ビケット指揮のオーケストラはおそらく小編成の弦楽器で鋭くくっきりしたサウンド。重戦車のようなモダンオケ仕様のヘンデルではあるが、これだけ生気に富んでメリハリのある演奏をしてくれれば大吉。メトのピットからリコーダーが聞こえてくるのも新鮮。ちなみに「アグリッピーナ」はメトで上演されたもっとも古い作品なんだとか。1709年初演なので、ヘンデル(1685~1759)のなかでも初期の作品になる。
●終演後、カーテンの向こう側を見せてくれるのはMETライブビューイング名物だが、人々がみなヒシッと抱き合って健闘を称え合う様子に一瞬ぎょっとする。かつての普通もウィルス禍にあっては異様な光景に。いつもは「オペラの今」を伝えてくれるMETライブビューイングだが、今回ばかりは過去を懐かしむ気分になった。
July 3, 2020