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2020年9月アーカイブ

September 30, 2020

北村朋幹 東京オペラシティ B→C バッハからコンテンポラリーへ 224

●29日は東京オペラシティのリサイタルホールでB→C、北村朋幹のリサイタル。なんと4台の鍵盤楽器を用いるという、練りに練ったプログラム。舞台上には下手にピアノ、上手にプリペアドピアノ、中央手前にトイピアノ、中央奥にチェンバロが並べられている。演奏されるのはケージ、バッハ、マーク・アンドレ、武満徹、藤倉大の作品。柱になっているのはケージの「プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード」なのだが、これを4つに分けて、前後にほかの作品を並べるという構成。順にケージのトイピアノのための組曲、「ソナタとインターリュード」ソナタ第1~4番と第1インターリュード、バッハの「前奏曲、フーガとアレグロ」変ホ長調BWV998(チェンバロ)、「ソナタとインターリュード」ソナタ第5~8番と第2インターリュード、休憩をはさんで、マーク・アンドレの iv 11b、「ソナタとインターリュード」第3インターリュードとソナタ第9~12番、バッハ~高橋悠治編「主よあわれみ給え」BWV244(ピアノ)、武満徹の「夢みる雨」(チェンバロ)、藤倉大の milliampere(トイピアノ) 、「ソナタとインターリュード」第4インターリュードとソナタ第13~16番。
●北村さんのリサイタルはいつも全体がひとつの作品のようになっているのだが、今回はとりわけ巧緻。プログラムだけでお腹が半分満たされるくらい。実はコンテンポラリーなのは短いアンドレ作品と藤倉作品だけで、中心となるケージが1940年代の作品。BtoCというよりBach to Cageというか。ケージによるピアノのプリパレーションと並列的にトイピアノやチェンバロを眺めるおもしろさがある。しかも唯一の純ピアノ作品といえるアンドレの iv 11b は、3種類のペダルを操作しながら手で楽器本体を叩いて弦を共振させるといった曲で、通常の楽音を発しない。唯一、ピアノを普通に弾いているのが高橋悠治編のバッハ。全体のなかでここだけが強烈なドラマ性によって浮き彫りになって見える。コンセプトは尖がっているが、全体の手触りとして感じたのは、むしろ角のとれたしなやかさ。ケージの「ソナタとインターリュード」には歌謡性すら感じる、ほとんどシューベルトばりの。
●アンコールはなし。終演は21時20分くらい。久しぶりに夜が遅くなった。ウイルス禍以前と比べて、体感的に1時間以上夜が遅く感じてしまうので、すっかり深夜の気分。

September 29, 2020

ロト指揮レ・シエクルの新譜、ベートーヴェン&ゴセック

●ロト指揮レ・シエクルの新譜、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」&ゴセック「17声の交響曲」を聴く。これがおもしろい。もちろん「運命」は抜群の聴きごたえだが、ゴセックの交響曲が楽しい。1808年の「運命」に対して、ゴセックの交響曲は1809年の作曲。完全に同時代の作品。フランスで活躍した作曲家ながら、ウィーン古典派のスタイルで書いていて、ベートーヴェンにも接近している。第3楽章のメヌエットはモーツァルトの第40番を連想させるが、続くトリオの部分にはベートーヴェンに通じる笑いのセンスがあると思う。あと、かなりのところでシューベルトを予告しているという印象。
●ベートーヴェンと共通するのは、カッコよさとダサさの共存。ただし、カッコよさとダサさの天秤でベートーヴェンは前者に傾くけど、ゴセックは後者に傾いていて、終楽章の元気いっぱいのエンディングで少し笑いが残る。そこがチャーミング。もし彼らと同時代に生きていて、両者を一度聴いただけで、片方は何百年後も全世界で演奏され片方はほとんど演奏されないなどと予測できるかといえば、できないと思う。




September 28, 2020

ボンクリ・フェス 2020

ボンクリ 2020●26日は東京芸術劇場でボンクリ・フェス 2020。「世界中の新しい音が聴ける1dayフェス」と謳った音楽祭で、作曲家藤倉大がアーティスティック・ディレクターを務める。「ボンクリ」とはBorn Creativeの略で、つまり「人はみな生まれつきクリエイティブ」という意味。生まれたときはクリエイティブなんだけど、大人になるとどんどんフツーの人になってしまう。でも大人になっても子供のクリエイティビティを失っていない人、それがアーティストであり、そんな人たちの音楽を聴こうというフェス。東京芸術劇場のコンサートホールやアトリウム、アトリエイースト&ウエスト、リハーサルルームなど館内に8つの会場が置かれ、それぞれでコンサートやワークショップなど、さまざまな企画が用意される。多くの企画は子供も参加可能、とはいえ時節柄、家族連れより大人のひとり客が目立ったかな。
●メイン企画となるのはコンサートホールでのスペシャル・コンサート。藤倉大 Gliding Wings(日本初演)、八木美知依「水晶の夢」、ハイナー・ゲッベルス「サロゲイト ピアノと打楽器、声のための」(日本初演)、牛島安希子 Distorted Melody(日本初演)、蒲池愛&永見竜生[Nagie] 「between water and ray グラスハープとライブエレクトロニクスのための」、休憩をはさんで大友良英「みらい 老いては子に従え バージョン」(世界初演)、坂本龍一「パサージュ」(日本初演)、藤倉大 Longing from afar ライブ版(世界初演)。演奏者はアンサンブル・ノマドをはじめ多岐にわたる。それぞれまったく方向性の違う作品で、とても楽しめた作品からまったくピンとこない曲までまちまちだが、圧倒的にインパクトが大きかったのは大友良英作品。3歳くらいから小学校高学年くらいの子供たちが一人ずつ登場して、アンサンブル・ノマドの前に立つ。子供たちがいろいろなアクションをすると、それにノマドのメンバーが敏感に反応して運動を音として表現する。一種、原初の指揮行為とでもいうべきか。辣腕奏者たちの存在が大前提だが、子供たちの動きがおもしろすぎる。子供は幼いほど独創的で、成長するにつれ大人の発想に近くなるという原則を再確認する。そして、みんな最高にかわいい。最後の藤倉大作品は作曲者本人がロンドンの自宅からリモートで演奏に参加。
●このスペシャルコンサート以外にも行きたい場所はたくさんあったのだが、都合でアトリエイースト&ウエストの「電子音楽の部屋」と、リハーサルルームの「大友良英の部屋」のみ参加。どちらも入退室自由で、ぶらっと入って、好きなだけ録音を聴いて、ぶらっと出ていくことができる。これがいいんだ。「電子音楽の部屋」とか入り浸りたくなる。ただみんなで黙って録音を聴いているだけなんだけど、奇妙なくらい心地いい。そういう意味ではコンサートホールで夜に開かれた「大人ボンクリ」も楽しかったはずなんだけど、時間が合わず。
●このフェスって、今の音楽、同時代の音楽のお祭りなんだけど、決して「現代音楽」という言葉を使わない。わかる。

September 25, 2020

BLUOOM X SEP 2020 organized by KAJIMOTO #1 New Generations & Super Brass Stars

BLUOOM X SEP 2020
●22日はKAJIMOTOによるオンラインフェスティバル BLUOOM X SEP 2020(ブリューム・バイ・セップ2020、って読むのだそう)。TOKYO FMホールから13:30配信開始、21:30終了という8時間にもわたる大規模なライブ&トーク・イベント。ライブセッションのテーマは「クラシック新世代×管楽器界のスーパースター」ということで、出演者は豪華。アーティスト陣は外村理紗、高木凛々子、荒井里桜(以上ヴァイオリン)、小林愛実、角野隼斗、亀井聖矢(以上ピアノ)、瀧本実里(フルート)、古部賢一(オーボエ)、鈴木大介(ギター)、菊本和昭、長谷川智之、エリック・ミヤシロ(以上トランペット)、本田雅人(サックス)、中川英二郎(トロンボーン)他。トークセッションでは、真鍋大度氏、東響の辻敏氏も。配信プラットフォームは、楽天チケット配信サービス、Streaming+、PIA LIVE STREAM。アーカイブ配信は2020年10月22日まで。
●なにせ8時間もあるので、全部は見れない。ラジオのようにPCで流しっぱなしにしておいて、ところどころ気になるセッションを視聴する。今の配信イベントはどれもそうだけど、画質も音質も十分。このBLUOOM X SEP 2020、もともとは「若手アーティストとリスナーのコネクト」をコンセプトに掲げたBLUOOMと、「オープン・イノヴェーション・パーティ」をテーマとしたSUMMER END PARTY "future cider" のふたつのイベントをルーツに持つというだけあって、ノリは普通のクラシックのコンサートとはぜんぜん違う。照明やカメラワークも凝っていて華やか、衣装もみんなオシャレだし、若いアーティストたちからは普通の公演とは違った浮き立つような雰囲気が伝わってくる。
●タイムテーブルの発表が直前で、どの時間にだれが出てなにを弾くのかわからなかったんだけど、そういうものなのかな、フェスは。若者たちのパーティにうっかり迷い込んでしまったオッサンみたいな気分を味わいつつも、若手奏者たちの鮮烈さとベテラン陣の貫禄に目と耳を奪われる。特に印象的だったのは、いちばん最初に登場した外村理紗と小林愛実。こんなノリだから軽い曲を弾くのかなと思いきや、いきなりのグリーグのヴァイオリン・ソナタ第3番全曲。これは熱かった。

September 24, 2020

鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパンのロ短調ミサ

埼玉で開催 Tokyo2020
●21日は所沢ミューズにプチ遠征。鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハのロ短調ミサを聴く。BCJは神戸、東京、所沢で3日連続公演。駅からうろ覚えで会場に向かったら、うっかり所沢航空記念公園に迷い込んでしまう。航空公園最高すぎる。だが、今日はバッハだ。「埼玉で開催! Tokyo2020」という錯綜気味の看板を目にして寂寥感に浸る秋。
●ソプラノに澤江衣里、松井亜希、アルトに布施奈緒子、テノールに西村悟、バスに加耒徹。入国制限があるのでキャストはすべて国内組。なにより今は合唱をどうするのかという大問題があるわけだが、BCJはオーケストラの前に合唱を配置するという解決策を見出した。舞台後方、左右いっぱいに管弦楽が広がってチェロ以外は立奏、その前に20名ほどの声楽陣が立ち、十分に距離を取って指揮者が立つ。声楽陣の飛沫を避けるべく、指揮者の前には広いスペースができる。なるほど、こういう対策ができるのかと得心。客席は一席空け。
●オーケストラは左右いっぱいにトラヴェルソとオーボエが分かれる配置で、ステレオ効果が生まれるのかなと思いきや、むしろ残響の豊かさが勝って、全体がひとつの音の塊となって客席に届く。最初は響きのバランスに違和感を感じたが、聴き進めるうちにあっという間に慣れてしまい、ただただバッハの作品世界に没入する。仰ぎ見るような荘厳さよりも、親しみが勝った等身大のバッハ。この曲を聴くたびに感じるのは、旧作の転用を多く含むはずなのに、全体に力強い一本のストーリーが貫かれているとしか思えないということ。第1部のおしまい、 Cum Sancto Spirituの高揚感は尋常ではない。第1部の後に休憩あり。
●ロ短調ミサは「マタイ」や「ヨハネ」と違って、己の異教徒ポジションに起因するアウェイ感に苛まれることがほぼないのが吉。具体的な物語がないので、神を規定されないというか、たとえばスピノザの神のような自然界を貫く絶対的な真理への畏怖をもって信仰心と置換可能だと思って聴いている。

September 23, 2020

東京芸術劇場で広上淳一指揮N響

●18日は池袋の東京芸術劇場でN響9月公演。今シーズンのN響は従来の定期公演を休止して、代わりに同日・同会場で新たな主催公演を開催するという方式で開幕している。この日は当初予定されていたパーヴォ・ヤルヴィに代わって広上淳一が登場。ゲスト・コンサートマスターに白井圭。会場はNHKホールではなく東京芸術劇場。これはNHK放送センターの建替工事とNHKホールの改修工事に伴う変更として以前から決まっていたこと。ここでN響を聴くのはかなり新鮮というか、初めてかも。芸劇好きとしては歓迎。
●プログラムはウェーベルンの緩徐楽章(ジェラード・シュウォーツ編の弦楽合奏版)、リヒャルト・シュトラウスの「カプリッチョ」からの六重奏(弦楽合奏版)と組曲「町人貴族」。ウイルス禍の副産物として、このところどの楽団でも編成を絞った曲や弦楽器のみの曲が多くなっていて、結果として新味のあるプログラムが増えている。逆に言えば管楽器奏者によっては出番が極端に少なくなっていて、それはそれで大変そう。ウェーベルンの緩徐楽章は後期ロマン派のスタイルで書かれた官能的な音楽。濃密で耽美。シェーンベルクは無調や十二音技法で名を残しながら実際にみんなが好んで聴くのは「浄夜」や「グレの歌」という皮肉な現象があるが、ウェーベルンでもこの曲や「夏の風のなかで」で似たようなことになるのかもと思わなくもない。休憩なしで、シュトラウス作品が続く。「町人貴族」は愉快。元ネタになじみがないのでネタのわからないギャグを聞いている感はあるのだが、アンサンブルの喜びは伝わってくる。ソロの活躍の場が満載。ウェーベルンがロマンティックで、シュトラウスがクラシカルという組合せの妙。
●客席は一席空けなのだが、再開後の公演のなかでも目立って空席が多かった。いろんな理由はあるだろうが、池袋という新しい会場に移ったことも大きな要因か。客層が普段のN響定期とは違うようで、だいぶ若めの印象。常時なら新しいお客さんの開拓の余地が大いにありそう。この日もオーケストラ入場時に拍手あり。人は少なくても、客席に熱はあったと思う。

September 18, 2020

マリノスvs清水エスパルス J1リーグ第24節 ふたたび師弟対決

●サッカーでは珍しい3試合連続逆転負けを喫していたマリノスだが、水曜日の清水戦は久々の完勝。3対0。なにしろ前半13分で相手のディフェンスが一発レッドで退場してくれた。さすがにこれだけのアドバンテージがあれば勝てる。
●この試合、マリノスはまた3バックを採用したのだが、メンツはチアゴ・マルチンス、畠中槙之輔、松原健。松原はサイドバックの選手だが、今センターバックの選手が足りない。ところが開始3分で畠中が負傷退場してしまう。控えにセンターバックの選手はいない。これで従来型の4バックに戻すのかなと思いきや、ポステコグルー監督は中盤の喜田を下げて3バックの真ん中に置き、渡辺皓太を投入した。3バックで行くと決めているようなのだが、畠中までいなくなってしまうとは。なお、キーパーは梶川。ウィングバックのポジションには高野遼と水沼宏太が入り、3トップはエリキ、オナイウ阿道、仲川。3バックがどれだけ機能するかと思っていたが、早々に相手がひとり減ってしまったので、あまり参考にならない試合になってしまった。
●ところで清水の監督はクラモフスキー。以前にもご紹介したが、オーストラリア時代からコーチとしてずっとポステコグルー監督の右腕を務めてきた。戦術が同じだけではなく、なんとなく風貌も似ている。兄ポステコグルーと弟クラモフスキーみたいな感じで、師弟対決というか兄弟対決というか。しかもマリノスに合わせて3バックの同じ布陣を敷いてきた。今までクラブチームの監督経験はなく、清水が大抜擢したことになる。現在7連敗で大変に苦戦しているようだが、この戦術に付き合ってきたマリノス・ファンとしてはよく理解できる。どうしたって守備がもろくなってしまうのだ。しかもこの戦い方は選手の戦術理解度が進めば勝てるという気がまったくしない。むしろ戦術の穴を埋めるために、次々と個の能力の高い選手を補強し続けることによって機能するという、お金を溶かす戦術だと感じている。

September 17, 2020

映画「ミッドウェイ」(ローランド・エメリッヒ監督)

●気分転換したかったので、思い立って映画館へ。ローランド・エメリッヒ監督の映画「ミッドウェイ」。太平洋戦争の転換点となったミッドウェイ海戦を描く。大作ハリウッド映画そのものなので、CGがCGに見えないほどリアルな戦闘シーンが最大の見もの。山本五十六役を豊川悦司、山口多聞役を浅野忠信が演じているなど、それなりに日本市場のことも配慮した作りになっているのだが、そうはいっても8割がた米国視点で描かれるのはしょうがない。映画としては少し妙な作りになっていて、本筋は暗号解読による情報戦のはずだったのに、いつの間にか超人的なパイロットの活躍に焦点を当てたアメリカン・ヒーローの物語に着地してしまっている。
●で、軍事的なトピックスに興味のない自分は、ひたすら迫力のある戦闘機のバトルシーンに目を奪われていたのだが、途中からなんだか既視感を感じる。ヘンだな、ミッドウェイ海戦のことなんてなんにも知らないんだけどな……と思ったら、ハタと気づいた。これ、知ってる、「スター・ウォーズ」で見た! 米軍の戦闘機はレジスタンスのXウィングだし、大日本帝国海軍の空母は銀河帝国軍のデススターじゃないの。ヒーローのパイロットが弾幕のなかに突っ込んでも決して当たらないのはフォースのおかげか。クライマックスの戦闘場面って、完全にデススターの急所を襲ったルーク・スカイウォーカーだと思った。あれ、でもこれは史実なんだった。ってことは、「スター・ウォーズ」第1作のほうがミッドウェイ海戦だったのか。

September 16, 2020

オヤマダさんのこと

●一昨日、オヤマダアツシさん(山尾敦史さん)の突然の訃報を聞いて、動揺している。とても信じられない。まだ60歳になったところだと思うが、自分のなかの印象は40代くらいから変わらないまま。
●最初の出会いは90年代半ばくらいだと思う。オヤマダさんを知ったのは、パソコン通信(インターネットよりもずっと前からあったテキストベースの掲示板)で。パソコン通信の世界には音楽について造詣が深く、しかも筆の立つ人がたくさんいて、なかでもオヤマダさんの文才は光っていた。当時、月刊誌「音楽の友」編集部にいた自分は、勇気を奮ってオヤマダさんにメールを書いて、原稿をお願いした。こんなに書ける人がいるんだから、雑誌にも書いてもらえばいいじゃないか、と思ったんである。で、実際にお会いしてみたら人柄もよく、まったく偉ぶるところがなく、フットワークも軽い。しばらくすると編集部のほかの人たちもどんどんオヤマダさんに仕事を依頼するようになり、あっという間に売れっ子になった。
●あるとき、オヤマダさんは名前を筆名にしたいと言ってきた。本名をもじって、山尾敦史を名乗る、と。この名義で出版された「ON BOOKS ビートルズに負けない 近代・現代英国音楽入門 」はイギリス音楽のガイドとして評判を呼んだ。インターネット以前の時代、海外の情報に触れるためのハードルは現在よりはるかに高く、ほかのだれにも書けない一冊だった。イギリス音楽に格別の思いを寄せるオヤマダさんは、ドイツ音楽やフランス音楽に比べて、どうしてイギリス音楽はこんなにも日本での地位が低いのかということをよく嘆いていた。
●オヤマダさんは同じことをずっとやり続けることをよしとしない人だった。はたから見るとうまく行っていることでもリセットする。いつ頃だったか、山尾敦史の名前は封印され、オヤマダアツシとして再出発した。せっかく名前が売れたのに捨てるなんてもったいない……と思ったものだが、それでもどんどん活躍の場が広がっていったのはさすがだった。
●ワタシは雑誌編集部を離れてからは、いったんオヤマダさんとのご縁は減ってしまったのだが、時が経ち、思い切って会社を辞めて独立して間もない頃、オヤマダさんが声をかけてくれた。ラ・フォル・ジュルネの公式ブログ隊を始めるから、メンバーに加わってほしいという。まだ辞めたばかりで仕事の少なかったワタシを応援してくれたんだと思う。感謝するほかない。オヤマダさんはいろんな人にご縁を作ってくれる人だったので、彼に感謝している同業者や演奏家、業界関係者はものすごく多いはず。ブログ隊は優秀な若いメンバーにも恵まれ、とてもいい雰囲気で続いていたのだが、ある年、オヤマダさんは隊長を辞めて、メンバーから抜けると宣言した。うまくいったから、もうやらない、ということだったのかな……。そこで隊長役をワタシが引き継ぐことになったのだが、オヤマダさんと同じことはできないので、以後は自分がいいと思うやり方でやらせてもらった。
●その後は演奏会や記者会見などでたまに顔を合わせるといったペースだった。会う機会が減っても、SNSなどで近況は目にしていた。病気になったといっても生死にかかわるような状況には見えず、しばらく入院したら元気になって帰ってくるイメージしかなかった。ぜんぜん気持ちの整理がつかない。

September 15, 2020

山田和樹指揮NHK交響楽団の武満、モーツァルト、ブラームス

●12日夜はNHKホールで山田和樹指揮NHK交響楽団へ。本来はパーヴォ・ヤルヴィが指揮する予定だった公演。首席指揮者パーヴォの公演とあって、ぎりぎりまで可能性を探っていたようだが、やはり渡航制限のため来日できず。曲目も一部変更。武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、モーツァルトの交響曲第29番イ長調、ブラームスのセレナード第2番イ長調。このプログラムだと休憩ありかなしか微妙な線だと思ったが、休憩なし。実は正味の演奏時間でいえば休憩ありとなしの差は案外少ない。
●大編成の作品がすっかり消えた結果、どこの楽団も室内オーケストラみたいなプログラムばかりになってきて、結果的に新鮮味のあるプログラムが増えている。N響の底力を感じる公演だったが、特に印象的だったのはモーツァルト。最近ではまったく聴けなくなったスタイルのモーツァルトで、ひたすらしなやかでみずみずしく、甘美。角をきれいに丸めて、磨き上げたシルキーなサウンド。近年、自分が好んで聴く鋭利でアグレッシブなモーツァルトとは対極にある。この曲、外観は4楽章制のかっちりした交響曲だけど、こういった演奏で聴くとすごくオペラ的だなと感じる。プリマドンナがいる曲、というか。「モーツァルトのピアノ協奏曲はすべてオペラの翻訳である」と言ったのはアンヌ・ケフェレックだが、一時期の交響曲にも同じことが当てはまるのかもしれない。
●ブラームスのセレナード第2番は珍しいヴァイオリンなしの曲。シンフォニックな第1番に比べると地味な曲だと思っていたが、名手ぞろいで聴くとやはり楽しい。心地よい愉悦にあふれている。ヴァイオリンを必要としない管弦楽曲はあることはあるけど(バッハのブランデンブルク協奏曲第6番とか、ドヴォルザークらの管楽セレナード系の曲とか)、演奏会のメインプログラムでヴァイオリン不在のケースは相当珍しいのでは。こういう場合、ヴァイオリン奏者たちは先に帰宅しちゃうんでしょうか。首席ヴィオラ奏者がコンサートマスターの場所に座って、楽員に立ったり座ったりの合図を出す場面はなかなか目にできない。
●開園時に楽員が入場した際、拍手が起きた。これまで東京のオーケストラの定期公演では、オーケストラの入場時に拍手をしないのが普通だった(海外や地方など、よその土地からやってきたオーケストラに対しては拍手が出る。そういうルールが自然発生的に定着していた)。しかし、緊急事態宣言後に音楽界が再開されてからは、拍手が出るようになっている。喜びと歓迎、感謝の意思表示だろう。これが新しい習慣として根付くのか、また元に戻るのかはわからない。だれが決めるというわけではなく、わたしたちみんなで決めるわけだが……。

September 14, 2020

読響鈴木優人指揮読響のベートーヴェン

東京芸術劇場
●12日午後は東京芸術劇場で鈴木優人指揮読響。ベートーヴェン・プログラムでヴァイオリン協奏曲(郷古廉)と交響曲第6番「田園」。休憩あり。一席空け、入場時のマスク着用、体温チェック、手指消毒などは今のコンサートの標準仕様。舞台上の配置は散開配置で、特に管楽器は奏者間距離を大きくとる。この配置だとやはり響きがまとまりにくい傾向があるものの、一方で分離のよい響きとも言えるわけで、奏者側が経験を積んだゆえか、こちら側が慣れてしまったせいか、もはや違和感はない。弦楽器は対向配置でコントラバスが下手側。
●郷古廉の独奏によるヴァイオリン協奏曲はけれんのない真摯なベートーヴェン。音に芯があって、しかもよく鳴る。第1楽章のカデンツァは珍しいブゾーニ作。ふだん聴けないカデンツァは歓迎。アンコールにバッハ。後半の「田園」は清新。キレがよく躍動感にあふれている。モダンかピリオドかという二者択一の向こうにある今のベートーヴェン。第2楽章の後、袖からトロンボーン、ティンパニ、ピッコロ奏者らが入場。舞台上の密を避けるためなのかもしれないが、後半楽章でのオーケストレーションの拡大を視覚的に明示するという意味で効果的。「嵐」のティンパニはモダン楽器による痛烈な強打。これくらいのインパクトがないと、自然に対する人間の卑小さ、畏れの感情は伝わらないということか。読響の演奏力の高さ、指揮者とオーケストラの一体感を感じた公演。
●終演後はこれもお決まりの時差退場。そうはいっても池袋駅からはずっと人込みだし、電車もそこそこ混んでいるのだが。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の会合で、9月19日以降はイベント開催制限を緩めるとして、クラシックのコンサートや演劇、映画館、美術館など参加者が声を発しないタイプのものは100%の収容率が容認されることになった(asahi.com)。

September 11, 2020

ウィーン国立歌劇場の無料ライブ・ストリーミング配信

●9月7日からウィーン国立歌劇場が公演を再開した。飛沫対策で「ブラボー禁止」が掲げられたが、初日は結局多数のブラボーが飛び交ったとか(asahi.com)。ブーは禁止されていないが、ロシュチッチ総裁の「エアロゾルの排出はブーのほうが激しい」というコメントがふるっている。
●で、そのウィーン国立歌劇場が今シーズンのライブ・ストリーミング配信を無料にするのだとか。play.wiener-staatsoper.at にアカウントを登録してくれというメールが届く。直近の演目は9月12日のリヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」。ウェルザー=メスト指揮、ハリー・クプファーの演出。これってもともと72時間以内ならオンデマンドでも観れたと思うんだけど、無料でも同様のサービスが提供されると考えていいんだろか。

September 10, 2020

名古屋vsマリノス J1リーグ第15節 2試合連続の逆転負け

●最近のマリノスの試合はしんどそうで見てられない。外見上、華麗なスペクタクルは見せてくれているのだが、内側は疲労困憊というか、強気で賭け金を吊り上げたところで集中力がプツリと切れてミスを連発する、そんなイメージだ。名古屋との対戦は、開始早々にジュニオール・サントスが先制ゴールを奪って期待を抱かせたが、前半24分にガブリエル・シャビエルに同点ゴールを奪われ、後半29分に昨季のチームメイト、マテウスに逆転ゴールを決められてしまった。ボールポゼッションでは圧倒するも、ミスが多く、プレイの質にムラがある。最後は相手のプレイ強度に屈した感も。名古屋 2-1 マリノス
●実はその前の試合、川崎戦でも開始早々に先制点を奪ったにもかかわらず、1対3で逆転負け。この試合は完全に力負けで、肝心の攻撃力の点で相手にかなわなかった。ポゼッションでも劣り、川崎の完成度の高さを認めるしかないという悔しい試合。で、さらにもう一試合前のリーグ戦である神戸戦では、2点差でリードしていながら後半45分と46分に立て続けに失点して引き分け。試合が進むにつれて脆さが露見するというのがお決まりの展開になっている。日程の厳しさも暑さもお互い様、こちらは選手層を厚くしてどんどんローテーションしているのだが、それでもプレイにフレッシュさを欠く。まるで昨季の優勝でひとつの物語が幕を閉じてしまったかのよう。これで6勝7敗3分で10位。
●この試合、珍しくマリノスは3バックを採用した。チアゴ・マルチンス、畠中槙之輔、實藤友紀の3人のセンターバックが先発。ベンチにDF登録はサイドバックのティーラトンのみ。ところが前半終了間際に實藤が負傷退場。こうなると3バックを維持できないので、中盤の扇原貴宏を交代出場させて、いつもの4バックに(両サイドは松原健と高野遼)。3バックはオプションだと思うが、今後も使うのかどうかは気になるところ。

September 9, 2020

尾高忠明指揮読響のオネゲル、小曽根真とのモーツァルト

●8日はサントリーホールで尾高忠明指揮読響の定期演奏会。プログラムはグレース・ウィリアムズの「海のスケッチ」、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(小曽根真)、ペルトの「フェスティーナ・レンテ」、オネゲルの交響曲第2番。弦楽合奏+αで演奏できる小編成の曲だけを集めて奏者間距離を広めにとりながらも、これだけ多彩なプログラムが組めたのがすばらしい。休憩ありのフルサイズのプログラム。舞台上はマスクなし。客席は現在の標準的なスタイルで、一席空け、マスクあり、手指消毒あり。チケットの半券はもぎらず、プログラムは自分で取る方式。退場時は時差退場。
●グレース・ウィリアムズ「海のスケッチ」は描写性の強い海の音楽ながら、平穏なだけではなく、ドビュッシー的な「海」よりはブリテン「ピーター・グライムズ」的な海を想起させる。ウェールズの女性作曲家。モーツァルトは小曽根真ワールド全開。超名曲を初めて聴くような新鮮な気持ちで接することができるという僥倖。この曲、第1楽章のカデンツァにはモーツァルト自身のものが残っているわけだが、期待通り小曽根さんは自作を披露。楽しすぎる。終楽章にはカデンツァがないが、代わりに自由度を増してキャンバスからはみ出すような勢いのあるフィナーレに。アンコールはコントラバス首席の大槻健さんを伴って「A列車で行こう」。ペルト、オネゲルでは緊密な弦楽器のアンサンブル。全般にヴィオラの活躍度高し。オネゲルではペシミスティックな空気を最後に朗々としたトランペットが振り払うというストーリーが描かれ、現今のウイルス禍に思いを馳せずにはいられない。
●この日の報道によれば、政府は大規模イベントの人数制限について、4連休が始まる19日にも緩和するよう検討に入ったという。Jリーグやプロ野球の収容人数の緩和と並んで、「クラシックコンサートなど観客が声を出さないイベントでは、最大で収容率100%までの緩和も検討する」(毎日新聞)、「クラシックコンサートや能など観客が声を出さないイベントについては収容人数を70%や80%まで緩和することを検討」(TBS News)などと報じられている。

September 8, 2020

「1793」(ニクラス・ナット・オ・ダーグ著/小学館)

●スウェーデン産のミステリ小説「1793」(ニクラス・ナット・オ・ダーグ著/小学館)を読んだ。舞台は1793年、歴史小説の趣もあり。というのは前年の1792年、国王グスタフ3世が仮面舞踏会で暗殺されているんである。そう、あのヴェルディのオペラ「仮面舞踏会」で描かれた事件だ。未知の作者のミステリを手にとったのもこのオペラとの関連があったからこそ。ヴェルディの「仮面舞踏会」は検閲対策のために舞台をイギリス植民地時代のアメリカに変更し、主人公をスウェーデン国王ではなくボストン総督にして初演にこぎつけたわけだが、あのオペラには占い師ウルリカが登場する。このウルリカという人物は、グスタフ3世時代の実在の占い師で、この「1793」でもほんの一文ながら言及される場面がある。ほかにも当時のスウェーデンのコーヒー熱がうかがい知れる場面が随所にあったり、時代描写として興味深いところ多々。1793年に設定されているのは必然があって、この年にはマリー・アントワネットが処刑されている。
●で、ミステリ小説としての感想を一言でいえば、「おもしろいけど趣味が悪い」。舞台がこの時代なので残忍さや容赦なさが横行するのはしょうがないかもしれないんだけど、登場人物の境遇の厳しさゆえに途中で「もう読むのを止めようかな」と何度か思った。でも、筆力がやたらと高くて、結局最後まで止められなかったので、おもしろいのはまちがいない。あと、たぶん、この小説はシャーロック・ホームズへのオマージュでもある。ホームズ役とワトソン役がコンビを組むというだけではなく、第2章に入るとぜんぜん別の登場人物の話になってしまい、後で両者が合流するという構成が、ホームズの長篇とそっくり。

September 7, 2020

山田和樹指揮日本フィルのルグラン、ラヴェル他

●4日はサントリーホールで山田和樹指揮日本フィルの定期演奏会。7月の公演再開以降、すでに演奏会には何度も足を運んでいるが、平日夜の休憩入りフルサイズの公演は初めて。舞台上のオーケストラもノーマルな配置で、マスクなし。見慣れた光景が戻ってきたたことがうれしい。ただし、入り口にはサーモグラフィが設置され体温チェックあり、手指の消毒とマスクは必須、自分で半券をもぎり、自分でプログラムノートを取る。退場時は時差退場。客席は一席空け。
●プログラムは一部変更があって、ガーシュウィンの「アイ・ガット・リズム変奏曲」、ミシェル・ルグランのチェロ協奏曲(日本初演)、五十嵐琴未の委嘱新作「櫻暁」(当初発表からタイトル変更)、ラヴェルのバレエ音楽「マ・メール・ロワ」。ソリストはチェロの横坂源、ピアノの沼沢淑音。ガーシュウィンとラヴェルといえばあの有名な逸話、弟子入りを求めたガーシュウィンに対してラヴェルが「あなたはすでに一流のガーシュウィンなのに、なぜ二流のラヴェルになりたいのか」と語ったという話を思い出さずにはいられない。ガーシュウィン、ミシェル・ルグランと続くので、ジャズ・プログラムでもあるのだが、全体を通して感じるのはラヴェルとその射程距離の長さか。
●ミシェル・ルグランのチェロ協奏曲は2012年の作品のようなので、80歳で書いたことになる。本格派の協奏曲で、知らずに聴けばミシェル・ルグランの名前は思い浮かばない。焦燥感のにじむ第1楽章がカッコいい。終盤でチェロとピアノのデュオになる部分はカデンツァみたいなものか。全体としては淡々としたリリシズムがベースにあって、おしまいは寂寞として幽玄。30分強ほどで、けっこう長い。ソリスト・アンコールにフォーレの「夢のあとに」。ソリストにチェロとピアノがいると、こういったアンコールが可能に。五十嵐琴未作品は清爽。ぜひもう一度聴いてみたい。ラヴェルはカラフルというよりは抑えたグレースケール寄りの色調で、土の香りを残した民話の世界。
●休憩があると、歓談の輪が広がるということを認識。マスクは着用している。

September 4, 2020

プロローグ

●ベルギーのヴェルヴィエで噴水の改修工事を行った際に、初代市長の心臓が収められた小箱が見つかったという。初代市長は1798~1839年にかけて市政を担ったが、任期中に不慮の死を遂げ、心臓が噴水に隠されたという言い伝えがあった。伝説は真実だったのだ。このニュースを目にして、「あ、これはゾンビ映画のプロローグみたいだな」と思ったのであった。
●ブラジルのフェルナンド・デ・ノローニャ諸島で、人気観光地のビーチや島を新型コロナウイルス感染者限定で開放するという。感染していない人だけを入れるのではなく、感染したことがある人だけ入れるという逆転のロジック。全員感染済だからビーチでのびのび安心、安全、……なのか? 感染者だけのヒャッホーな楽園。このニュースを目にして、「あ、これはゾンビ映画のプロローグみたいだな」と思ったのであった。
●フロリダで遺伝子操作された7億5000万匹もの蚊を放つ計画が進行中だという。殺虫剤の代わりに、メスしか生まないように遺伝子を組み替えた蚊を放つというのだが、そう狙い通りに行くものだろうか。このニュースを目にして……(以下略)

September 3, 2020

練馬区立美術館開館35周年記念 Re construction 再構築

練馬区立美術館開館 再構築
●どうしようかな……と迷っていたんだけど、思い切って行ってみたらとても満足度が高かった、「練馬区立美術館開館35周年記念 Re construction 再構築」(~9月27日)。公立から民間まで山ほど美術館のある東京で、地域に根付いた区立の美術館が所蔵作品でこれだけの展覧会を開けるのは、すごいなと素直に感じる。ここに来るのはこれで3回目くらいなんだけど、カラフルな動物たちが出迎えてくれるのがかなり楽しい。
練馬区立美術館開館 キリン
●で、「Re construction 再構築」は既存の所蔵作品に加えて、これらに新たな視点をもたらすような新作がセットになっている。旧作と新作を合わせて展示するという方法論の効果は自分にはもうひとつピンとこなかったんだけど、青山悟、大小島真木、冨井大裕、流麻二果による新作は大いに見ごたえあり。特に印象的だったのは大小島真木作品。人体、臓器、昆虫などのモチーフに怯みつつも、一度見たら目が離せなくなる。精緻かつパワフル。
練馬区立美術館開館 大小島真木 その1

練馬区立美術館開館 大小島真木 その2
●あと、同時開催の小企画展示に「旧国立競技場の大沢昌助の壁画」があった。かつての国立競技場にノスタルジーを感じるスポーツファンはぐっと来るはず。もうあのスタジアムは歴史になった。今でも千駄ヶ谷の駅を降りれば行けそうな気がするのだが。

September 2, 2020

ムジークフェスト・ベルリン・デジタル

●ベルリンの音楽祭、ムジークフェスト・ベルリンが今年はオンデマンドで映像を配信してくれている。各公演とも3日間のみの配信なので、聴きたいものはさっさと聴かなければ。イゴール・レヴィットによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲シリーズ、ジョージ・ベンジャミン指揮アンサンブル・モデルンによるリームの「狩猟と形式」、クラングフォーラム・ウィーンによるレベッカ・サンダースとジョルジュ・アペルギスの作品、ニコラ・アルトシュテットによるバッハの無伴奏チェロ組曲ほかのラインナップ。
●まずはイゴール・レヴィットのベートーヴェン初日から聴きたい曲を聴いている。入魂のベートーヴェン。画質はデフォルトだとオート設定だが、自分で選べば最高1080pまで上げられるので、PCの全画面表示による鑑賞が吉。画質を上げれば、レヴィットが額にかく汗まではっきり見える。見たいかどうかはともかくとして。

September 1, 2020

ヴァン・クライバーンのマスク

ヴァン・クライバーンのマスク●ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールのメールマガジンを購読していたら、ザ・クライバーン・ショップ(というのがあるんすよ)から新商品発売のお知らせが届いた。じゃーん、クライバーン・フェイス・マスクだ! おなじみのクライバーン・コンクールのロゴマークをプリントしたマスクが2種類発売。色はもちろん、白と黒の二択だ、ピアノ・コンクールだけに。1枚12ドル、2枚セットなら20ドルでお得に。素材は65%ポリエステル、35%コットン。フィルター用のポケットが付いている。これがアメリカのマスクの標準仕様なのだろうか。ちなみにクライバーン・コンクールのロゴマークはヴァン・クライバーンのVとCをグランドピアノを思わせる形に並べたもの。ダサカッコいい。
●日本でもオリジナルデザインのマスクは簡単に作れそう。たとえばオリジナルプリント.jpにも「クール立体マスク」という商品があって、ノベルティとして活用可。ワタシはこのサイトでよくオリジナルデザインのTシャツなどを作っているのだが、メニューにマスクがあったとは。Beethoven 250マスクを作る手もあったか。いや、作ってどうする。どうせマスクをするならステキなマスクをしたい気がするが、なんだか「奴隷の鎖自慢」っぽくもあり。

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