●21日は所沢ミューズにプチ遠征。鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハのロ短調ミサを聴く。BCJは神戸、東京、所沢で3日連続公演。駅からうろ覚えで会場に向かったら、うっかり所沢航空記念公園に迷い込んでしまう。航空公園最高すぎる。だが、今日はバッハだ。「埼玉で開催! Tokyo2020」という錯綜気味の看板を目にして寂寥感に浸る秋。
●ソプラノに澤江衣里、松井亜希、アルトに布施奈緒子、テノールに西村悟、バスに加耒徹。入国制限があるのでキャストはすべて国内組。なにより今は合唱をどうするのかという大問題があるわけだが、BCJはオーケストラの前に合唱を配置するという解決策を見出した。舞台後方、左右いっぱいに管弦楽が広がってチェロ以外は立奏、その前に20名ほどの声楽陣が立ち、十分に距離を取って指揮者が立つ。声楽陣の飛沫を避けるべく、指揮者の前には広いスペースができる。なるほど、こういう対策ができるのかと得心。客席は一席空け。
●オーケストラは左右いっぱいにトラヴェルソとオーボエが分かれる配置で、ステレオ効果が生まれるのかなと思いきや、むしろ残響の豊かさが勝って、全体がひとつの音の塊となって客席に届く。最初は響きのバランスに違和感を感じたが、聴き進めるうちにあっという間に慣れてしまい、ただただバッハの作品世界に没入する。仰ぎ見るような荘厳さよりも、親しみが勝った等身大のバッハ。この曲を聴くたびに感じるのは、旧作の転用を多く含むはずなのに、全体に力強い一本のストーリーが貫かれているとしか思えないということ。第1部のおしまい、 Cum Sancto Spirituの高揚感は尋常ではない。第1部の後に休憩あり。
●ロ短調ミサは「マタイ」や「ヨハネ」と違って、己の異教徒ポジションに起因するアウェイ感に苛まれることがほぼないのが吉。具体的な物語がないので、神を規定されないというか、たとえばスピノザの神のような自然界を貫く絶対的な真理への畏怖をもって信仰心と置換可能だと思って聴いている。
September 24, 2020