●「シンバルの出番が一回だけ」名曲といえば、なんといってもドヴォルザークの「新世界より」が有名だが、場合によっては、チャイコフスキーの交響曲第5番もそのひとつに挙げられるかもしれない。ジョージ・セルやメンゲルベルクの録音を聴くと、第4楽章のコーダで一発シンバルがジャーン!と鳴っている。「新世界より」でのシンバルが意味ありげに(おそらくは鉄道的な文脈で)、やや控えめに鳴らされるのに対して、こちらは堂々たるクライマックスの一撃。で、これは昔の巨匠が演奏効果を狙って勝手に作り出した演奏習慣かと思いきや、そう単純な話でもないようだ。このシンバルはチャイコフスキー本人の意図を反映したものという見解があって、Breitkopf & HärtelのChristoph Flamm校訂のスコアにはad libitum(随意に)ながらシンバルが入っているという。えっ、そうなの?と思ってサイト上の見本を見てみたら、たしかに楽器編成にシンバルが含まれている(続く序文に説明あり)。
●出版譜として出たとなると、現代の指揮者にもシンバルを採用する人が出てきそうなものだが、最近の録音に例はあるんだろうか。録音で聴いた限りは「蛇足」とも感じるが、いったん慣れると「ないと物足りない」になるのかも。Spotifyで聴ける人は、以下のトラックで効果を確かめるのが吉(10分半くらいからどうぞ)。
2021年1月アーカイブ
その交響曲にシンバルは一発だけ チャイコフスキー 交響曲第5番
香川真司はギリシャへ
●香川真司が、ついにギリシャ1部のPAOKと契約。昨年10月にスペイン2部のサラゴサとの契約が解除されて以来、無所属になっていたので、プレイする場所が見つかったのはなにより。まだ31歳。もう一度、大活躍する姿を見たいもの。
●PAOKといえばギリシャではまずまずの強豪という印象。でも前からこのチーム名をどう読めばいいのかわからなかった。なんとなく、「ピーエーオーケー」みたいに認識していたのだが、今回気になってPAOKの過去の試合のハイライト動画を確認してみたら、英語中継でも現地中継でも(たぶん)「パオク」と呼んでいるっぽい。今後は自分も「パオク」って呼ぼう。
●今シーズン、欧州リーグは無観客ながら開催中ではあるわけだが、ついシーズン丸ごとエキシビションのように錯覚してしまう。今、スペインリーグでは首位がアトレチコ・マドリッドだとか、プレミアリーグではシティとユナイテッドとレスターが優勝争いをしているとか、イタリアではミランが首位だとか、いろんなことが起きているのだが、すべてが「仮のシーズン」のように感じてしまう。
●プレミアリーグのチェルシーは、ランパード監督を解任して、新監督にトーマス・トゥヘルを招聘。メディアでは新監督の候補としてトゥヘル、ラングニック、ナーゲルスマンの3人の名前が挙がっていたが、共通するのは全員ドイツ人であること、そしてプロ選手の経験がほぼないこと。サッカーではプロ選手経験のない名監督は珍しくないが、特に近年の戦術家タイプの監督を指して「ラップトップ監督」といった呼び方があるそう。だんだん指導のプロとして頂点を目指すには、30歳まで選手をやっているようでは遅すぎる、みたいな時代になっていくのかも?
「眠り展」 東京国立近代美術館
●26日、東京国立近代美術館の企画展「眠り展」へ(~2/23)。「眠り」をテーマにした展覧会で、東京国立近代美術館、国立西洋美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館など、各地の国立美術館による合同展として、約120点の絵画、版画、写真、立体、映像などが集められている。音楽の世界ではよく「ぐっすり眠れるクラシック」的な眠りをテーマにしたコンピレーション・アルバムが組まれたりするけど、美術で「眠り」っていうのはどんな切り口になるんだろう……と思いつつ鑑賞。眠っている姿を描いた直接的な表現もたくさんあるけど、たとえば河原温のデイト・ペインティングみたいにどう眠りと結びつくのか、いろんなとらえ方が可能な作品もあって楽しい。
●ぼやっとした絵が多くなるのかと思いきや、たとえば上の石井茂雄「戒厳状態」のようなパンチのきいた作品もある。戒厳と言いつつ人も動物も大騒動で、緊急事態宣言中に見るのが味わい深い、のか? 合わせて、超充実の常設展も巡って、たくさん歩き回った。この日は他の用事もあってやたらと歩いて疲れたので、帰宅してから一瞬横になる。……はっ、今うっかり眠ってた!
スタージョン「輝く断片」の「ニュースの時間です」と「マエストロを殺せ」
●新刊ではないが、シオドア・スタージョン著の短篇集「輝く断片」(河出文庫)を読んでいたら、意外にも「音楽小説」に遭遇した。ひとつはなんと、楽器のオフィクレイドが出てくる短篇「ニュースの時間です」。普通の読者はこの楽器の名前も知らないのでは。びっくりしたので、ONTOMOの連載「耳たぶで冷やせ」で取り上げることに→「魅惑のオフィクレイド——風変わりな楽器が登場するシオドア・スタージョンの小説」。
●実はこの短篇集にはもうひとつ、「マエストロを殺せ」という音楽小説の傑作がある。バンドのメンバーが憎しみのあまりにリーダーを殺してしまう。ところが、リーダーを欠いてもバンドからは変わらずそのバンドの音楽が出てくる。なぜなのか、いったいバンドの音楽のエッセンスはどこにあるのか……という話を、スピード感あふれるクールな文体で描いている。室内楽とかオーケストラにも通じる話かも。ちなみに同じ短篇の旧訳の邦題は「死ね、名演奏家、死ね」。翻訳時点で、「マエストロ」という言葉が一般的ではないと判断されたのかもしれない。「名演奏家」では硬すぎると思うが。
●緊急事態宣言発出の1月8日から、タイムラグ相当の2週間以上が過ぎて、ようやく「答え合わせ」をできるようになった。東京都の新規陽性者数を見ると、はっきりと7日間移動平均に効果が表れている。日本全体で見ても同様の傾向で、移動平均のピークが1月11日にあるのも同じ。でも緊急事態宣言を解除したらまた増えだして、すぐに3度目の緊急事態宣言なんていうことになるのも鬱。解除のタイミングに「正解」はあるのだろうか。
沼尻竜典指揮N響、辻彩奈のラヴェル、ショーソン
●22日は東京芸術劇場で沼尻竜典指揮NHK交響楽団。だんだん池袋でN響公演が開かれることになじんできた。前半はラヴェルの組曲「クープランの墓」、ショーソンの「詩曲」およびラヴェルの「ツィガーヌ」(辻彩奈)、後半はラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」とバレエ音楽「マ・メール・ロワ」。白眉はショーソン。辻彩奈のソロが問答無用のすばらしさ。芯のある強靭な美音をたっぷり響かせる。確かな技巧と濃密なロマン。こんなにスケールの大きな演奏を聴けるとは。「ツィガーヌ」も同様だが、作品に応じて一段奔放さが勝る。アンコールに権代敦彦作曲 Post Festum 第3曲。これも鮮やか。オーボエが協奏曲ばりの活躍を見せる「クープランの墓」、柔軟で精緻、いくぶん甘さ控えめの「マ・メール・ロワ」も堪能。時節柄、客席はかなり空いているわけだが、意外と雰囲気は悪くない。ぜひともこの公演を聴きたいという前のめり感あり、気のせいでなければ。
●写真は芸劇前から西口公園方向を眺めたところ。開演前の午後6時台はこんな感じで「池袋全開!」という賑々しさだが(スマホの夜景モードのせいもあるかも)、終演後ホールから出ると嘘のように街は暗くなっていた。
新国立劇場「くるみ割り人形」オンデマンド配信
●新国立劇場のバレエ「くるみ割り人形」をオンデマンド配信で楽しんだ。これは昨年12月にライブ配信された公演を、1月15日から2月14日までオンデマンドで配信しているもの。ふだん、この劇場でオペラしか観ていない者としては、同じ劇場の見知らぬもうひとつの顔に触れたわけで、もうびっくり。うわー、バレエ、すげー!と興奮しながら観てしまった。細部まで丁寧に作りこまれた洗練された舞台で実に華やか。舞台からダンサーまで、どこを見ても美しい。惜しみなくリソースがつぎ込まれている様子に軽く嫉妬するのだが、これは人気演目の「くるみ割り人形」だからってこともあるのかな。画質、音質、カメラワークも上々。
●振付はウエイン・イーグリング、音楽は冨田実里指揮東京フィル。で、有名な振付なんだろうけど、ワタシは初めてなので素直に感じたことを書くと、オペラのすぐれた演出のように、隙間なくふんだんにアイディアが盛り込まれている。全般にとても演劇的な振付で、たとえば、冒頭の小序曲の間に小芝居が入っている。オペラの序曲で小芝居を見せるタイプの演出みたいな感じ。クララは二人一役で現実の世界では本物の少女が踊り、夢の世界では大人のダンサーが踊る。一方、相手役となるくるみ割り人形/王子/ドロッセルマイヤーの甥は一人三役で大人の男性が踊る。これはE.T.A.ホフマンの原作にある「少女が大人への階段を上る」というテーマをよく伝えるものだと思った。ドロッセルマイヤーの甥は少女クララの夢想的な恋の対象であり、それが夢のなかで実体化したのが王子であることがわかりやすく描かれる。本質的に「くるみ割り人形」とは女の子が親もとから巣立つ話であるというのがワタシの理解。同じ話を少女側から見ることも、大人側から見ることもできる多層性が、名作を名作たらしめている。
●自分の知っている「くるみ割り人形」とぜんぜん違ってて驚いたのは、ネズミ軍団との戦い。本来、クララはくるみ割り人形に加勢してスリッパを投げつけてネズミの王様に勝利するはず。ところが、この振付では勝てないんすよ! クララは大砲を打つんだけど(スリッパは出てこない)、それが不発で弾がころころ転がってしまい、ネズミの王様が弾にじゃれる始末(笑える。あちこちにユーモアの要素がある)。そして、第1幕の終わり、ドロッセルマイヤーの気球に乗ってクララと王子がお菓子の国へと旅立つ場面で、なんと、ネズミの王様が気球にぶらさがって追いかけてくる。ネズミ軍団との戦いが第2幕にまで持ち越されるという驚天動地の展開!
●でも、そうするとチャイコフスキーの音楽はどうするのかなと思うじゃないすか。だって、戦いの音楽は第1幕にしかないよ? で、第2幕に突入して2曲目、クララと王子の場面の中盤に一瞬緊迫した曲想が出てくるところで、ネズミの王様を再登場させて、王子との決戦に挑む。なるほど、こんな手があるのかー。すぐに王子はネズミを倒して、曲はハッピーな調子に戻る。音楽とダンスの連動性はとても高い。なんだか巧みなオペラの読み替え演出を観たかのような気分。あと、ラストシーンにも一工夫ある。終曲「終幕のワルツとアポテオーズ」のアポテオーズをカットして、代わりに第1幕の「クララとくるみ割り人形」前半の音楽を使ってしんみりと幕を閉じる。考えてみれば、クララが夢から現実に戻るというストーリー展開なのに、派手な音楽で終わるのもおかしなこと。クララは現実の少女に戻っているのだが、実は空にはドロッセルマイヤーの気球が浮かんでいて、現実と幻想の境界はあいまいになる。これも形は違うけど、原作の趣向を踏まえている。チャイコフスキーから一歩、E.T.A.ホフマンまで立ち返るというのがこの演出、じゃないや振付のコンセプトなのかなと思った。
●配信メディアはU-NEXT、観劇三昧、vimeoの3種類。U-NEXTに入っていないワタシは、観劇三昧かvimeoの二択。迷った末に観劇三昧を使った。料金は980円でお手頃。チケットは購入後72時間のみ有効で、分割して観ようと思うとわりと慌ただしい感じ。1週間くらい有効だと気が楽なんだけど。
東京武蔵野シティFCから、東京武蔵野ユナイテッドFCへ……って?
●サッカーのJFLに不思議なことが起きた。近年、ワタシがもっとも生で観戦しているクラブは東京武蔵野シティFC(元・横河電機)なのだが、チーム名が「東京武蔵野ユナイテッドフットボールクラブ」に変更されると発表された。え、「シティ」から「ユナイテッド」へ変更すると? なんだそりゃ。冗談みたいな名称変更である。で、クラブの公式サイトを見るとまるで他人事のような案内が載っており、運営体制も変わると記されている。はなはだわかりづらいのだが、東京武蔵野シティフットボールクラブの移管申入れを受けていた一般社団法人横河武蔵野スポーツクラブが、東京ユナイテッドフットボールクラブを運営する一般社団法人 CLUB LB&BRB と連携し、トップチーム運営を行うという。
●なんだか突然、ヨソのクラブの名前が出てきたが、東京ユナイテッドフットボールクラブというのは文京区ベースの関東1部リーグのチームらしい。で、そちらのチームのサイトを見ると、ぐっと詳細なお知らせが載っていて、「武蔵野市と文京区を拠点とする二つのクラブが提携しトップチームを共同運営する」「両法人が折半出資するかたちで新会社東京武蔵野ユナイテッドスポーツクラブを設立し、両法人のトップチームを共同運営」すると書いてある。で、東京武蔵野シティFCは東京武蔵野ユナイテッドFCと名前を変えてJFLに残り、一方、東京ユナイテッドフットボールクラブは地域に根差した社会人アマチュアチームとして関東1部リーグに残るとある。えーっと、じゃあJFLに「東京武蔵野ユナイテッドフットボールクラブ」がいて、関東1部リーグに「東京ユナイテッドフットボールクラブ」がいるの? なんだか混乱しそう。これは早い話、両チームの合併なんだろうか。
●で、選手たちはどうなるのか、ホームグラウンドは武蔵野陸上競技場のままなのか、なんとも不透明で落ち着かない。だいたい武蔵野市と文京区じゃ、まるで接点がない。距離も遠い。青森と鹿児島くらい離れている。端的にいって、新チームはこれまでのチームと同一性を保持しているのかどうか。もちろん同一チームだからJFLに残るわけだが、ファンの感覚で腑に落ちるかどうかはまた別の話だ。
ヴァイグレ指揮読響のシュトラウス、ハルトマン、ヒンデミット
●19日はサントリーホールでヴァイグレ指揮読響。セバスティアン・ヴァイグレはたぶん11月下旬に来日して14日間の隔離期間をクリアしたと思うのだが、そのままずっと日本に滞在し続けて読響と共演を重ねている。しかも2月の二期会「タンホイザー」で指揮者がヴァイグレに変更になったので、さらに滞在期間が延びることに(こちらも読響)。頭が下がる。
●プログラムはリヒャルト・シュトラウスの交響詩「マクベス」、ハルトマン「葬送協奏曲」(成田達輝)、ヒンデミットの交響曲「画家マティス」。ドイツ音楽プロではあるのだが、3曲のキャラクターはそれぞれで、ロマン、モダン、新古典の3つの味がひとつになった詰め合わせのような趣向。若きシュトラウスの「マクベス」はゴージャス。昨年はほとんど小編成の曲ばかり聴いていたので、久々に壮麗で豪快なサウンドを堪能した感。エンタテインメント性に富んだいい曲だと思うんだけど、もうひとつ人気が出ないのは音楽と物語のつながりが見えにくいからか。「マクベス」の物語では王位を巡る血なまぐさい権力闘争が描かれるが、ナチス政権という現実の権力に翻弄されたのがカール・アマデウス・ハルトマン。独奏ヴァイオリンと弦楽合奏のための「葬送協奏曲」では、当初予定のツェートマイアーに代わって成田達輝が出演。この曲で変更がなかったのも驚きだが、実は成田はカヴァコスの推薦で2年前から曲のスコアを手に入れて読んでいたのだとか。鮮烈な技術に加え、作品に憑依するかのような入神のソロ。これ以上は望めない。演奏後、とても長い沈黙。後半の「画家マティス」は端正、荘厳。運動性と硬質のリリシズムがもたらす快感。ヴァイグレと読響との間に以前よりも緊密さを感じる。ヴァイグレの音色が定着してきたというか。渋めのプログラムにもかかわらず、鳴りやまない拍手に応えて最後にヴァイグレのソロ・カーテンコールあり。
●終演後は分散退場。客席は収容率50%以下の制限で販売。帰り道、平時よりずっと人は少ないが、地下鉄は余裕で座れるというわけでもない。1月8日から緊急事態宣言が発出されているが、効果が数字で見えるまでのタイムラグを2週間と考えると、答え合わせはもう数日後。
「LIFESPAN(ライフスパン) 老いなき世界」(デビッド・A・シンクレア著/東洋経済新報社)
●最近読んだノンフィクションでもっとも刺激的だったのが「LIFESPAN 老いなき世界」(デビッド・A・シンクレア著/東洋経済新報社)。現実的なテーマとして「不老」を扱っている。著者はハーバード大学医学大学院の遺伝学の教授で、老化研究の第一人者。人間、年を取ればだれもが病気にかかりやすくなるという常識があるが、著者に言わせればそれ以前に老化そのものが病気であって、人間は老化を克服できるという。老化という病を克服すれば人間はもっと長生きできるはずであり、しかも晩年を闘病で過ごすのではなく健康寿命を延ばせると主張しているのだ。もちろん、そこには裏付けとなる研究があって、酵母や動物を対象とした実験で判明した、老化を克服する手段がいくつか挙げられている。たとえば、摂取カロリーの制限。長年老化の研究に取り組み、何千本の論文を読んできた著者は、まちがいなく確実な方法として「食事の量や回数を減らせ」という。特に効果的な方法として間欠的断食が紹介されている。ほかに長寿遺伝子を働かせる手段として、適度な強度による運動や、寒さに耐えることなども挙げられている。
●このあたりは直感的にも納得しやすい話だと思う。「腹八分目」とか「適度な運動」は伝統的な健康法でもあり、それを先端研究が裏付けたとも解せる。ときには空腹や寒さに耐えたほうが、人は若さを保てるというのも、まあ、そんなものかなと思える。しかし、著者のラディカルなところはその先にある。空腹に耐えるのは大変だし、やっぱり快適じゃない。だから、薬やサプリを使おうよ、という話になるのだ。著者は「人間を対象にした臨床試験は現在進行中だが、厳密で長期的な臨床試験がなされた老化の治療法や療法はひとつも存在しない」と断ったうえで(このあたりが少しずるい感じなのだが)、自分自身や家族はこれこれの薬とサプリを毎日この分量で摂取していると具体的に述べる。おかげで老親は年齢のわりにとても活動的だといったことまで書く。このあたりから、著者が急に有能なセールスマンに見えてくる。世界的権威が実践していると知ったら、みんなその薬とサプリを飲みたくなるだろう。もしそれが人間でも有効だと明らかになったら、どれほど巨大な経済的インパクトがあることか。つい好奇心でそのサプリを通販サイトで検索してみたら、とんでもない価格で販売されているのを目にしてしまった……。
●と、後味はあまりよくなかったのだが、だからといって著者の研究を疑わしく思う理由はひとつもない。食事の量を減らしたくなることはたしか。受け止め方の難しい一冊、かな。
諏訪内晶子芸術監督 国際音楽祭NIPPON2020リモート記者会見
●昨年2月、諏訪内晶子芸術監督による国際音楽祭NIPPON2020がいったんは開幕したものの、ウイルス禍により音楽祭が中断してしまった。そこで、昨年予定されていた公演の一部を、今年2月に改めて開催することになった。15日はそのリモート記者会見。諏訪内晶子、ジャパン・アーツの二瓶純一代表取締役社長、山田亮子取締役の各氏が登壇。リモート会見はYouTubeを利用。質疑応答は事前に質問を送る方式。
●東京では紀尾井ホールでの「室内楽プロジェクト」として、Akiko Plays CLASSIC & MODERN with Friendsの2公演が開催。諏訪内晶子、米元響子のヴァイオリン、鈴木康浩のヴィオラ、辻本玲のチェロ、阪田知樹のピアノで、2月15日はドヴォルザークのピアノ五重奏曲第2番他のクラシック・プロ、16日はレオ・オーンスタインのピアノ五重奏曲、川上統の組曲「甲殻」より「オトヒメエビ」世界初演他のモダン・プロ。また、愛知では徳川美術館講堂、トヨタ産業技術記念館をそれぞれ舞台としたミュージアム・コンサートが2公演開催。ほかに釜石での東日本大震災復興応援コンサート等も。一部公演はオンライン配信も予定される。
●諏訪内「(パンデミックが起きて)世界中から演奏会がなくなってしまうという事態は初めての経験。これまで恵まれた環境にあったことが奇跡的だとも感じる。改めて自分になにができるのか、希望を持ってどう再スタートすればいいのか、原点に帰って考えるよい機会となった。その土台として、音楽祭で活動できるのはありがたいこと。音楽祭は継続しなければ見えないことがたくさんある」。
●質疑応答では最近、楽器を変えたことについての質問もあった。諏訪内「これまで20年間、黄金期のストラディヴァリウスを貸与していただいていたが、2020年で返却する契約だったので、次の楽器を探さなければならなかった。たままたパンデミック直前にワシントンで演奏する機会があって、1732年製作のグァルネリ・デル・ジェズ『チャールズ・リード』と出会った。今までのストラディヴァリウスとはぜんぜん違ったキャラクターの楽器で、これから進みたい道がイメージできつつある。すばらしい楽器に出会えたことは幸運なこと」と語った。
青森山田のロングスロー戦法
●ふだん高校サッカーは見ないのだが、青森山田高校のロングスローが猛威を振るったと聞いて、どんなものなのか、見たくなった。で、気が付いたらDAZNに高校サッカーハイライトが載っているではないの。チャンピオンズリーグが消え、ブンデスリーガがなくなり、でも全国高校サッカーハイライトと「やべっちスタジアム」はあるDAZN。うーん、それってどうなの……と思いつつも、青森山田vs帝京大可児戦のハイライトを観る。なんと、4得点中3点をロングスローから決めている。ついでに青森山田vs矢板中央も観たら、やっぱりロングスローからのゴールがあった。こんなにゴールにつながるロングスロー、プロの試合じゃ見たことがない。
●で、ロングスローの是非が議論を呼んだが、ルール上問題がないのだから是も非もないわけで、特異な戦術を機能させた青森山田をリスペクトするほかない。実際には高校サッカーではロングスローが多用されているそうなので独創的とは言えないにしても、全国レベルの試合で1試合に3得点はすごすぎる。サッカーの最大の魅力は「得点に至るプロセスが(あまり)パターン化効率化されていない」ところだと思っているので、こういった発明こそ、競技をおもしろくする。これがもし高校サッカーじゃなくてJリーグ、あるいはチャンピオンズリーグやワールドカップだったら「伝説」が誕生する。
●ただし、類似の戦術がJリーグで通用するかといえば、かなり厳しいかなとは思った。いくら強肩のロングスローでも、足で蹴ったボールのような強さやスピードはない。ロングスローからの1試合3得点も、投げられたボールに直接頭で合わせてゴールしたのはニアで後ろにすらした1点目だけで、基本的にはセットプレイでの相手守備の不慣れを突く戦術なんだと思う。
●後で気づいたけど、別にDAZNじゃなくても日テレの選手権サイトでいくらでも動画を観れるのだった、無料で。まあ、いいのだが。
ベルリン・フィルDCHの室内楽公演「クローズアップ・ベートーヴェン」
●ベルリン・フィルのデジタル・コンサート・ホール(DCH)で配信されている室内楽公演「クローズアップ・ベートーヴェン」をいくつか観た。これは昨年末12月14日から17日まで、ベートーヴェンの生誕250年を祝って弦楽四重奏曲全曲および管楽器を含む室内楽作品を一挙に演奏した特別企画。この中から、初期弦楽四重奏曲の一部と、中期から後期の弦楽四重奏曲の回をつらつらと聴き進めてきたのだが、ベルリン・フィルってホントにスゴいなと改めて驚嘆。全16曲の弦楽四重奏曲(および大フーガ)で、ぜんぶメンバーが違うんすよ。首席奏者だけじゃなくて、いろんな人が出てくる。普段のオーケストラ公演では集団のひとりとしてしか認識されない奏者たちの「個」にスポットライトが当たる。これがもう、みんな上手いんだ。わかっちゃいるけど、ベルリン・フィルがどれほどのタレント集団なのか、見せつけられた気分。というか、並のオーケストラ公演よりもよほどエキサイティングかも。
●最初に一曲聴いたときは、「あ、弦楽四重奏でもやっぱりベルリン・フィルっぽい音がする」と思ったんだけど、何曲も聴いていると4人の組合せ次第でずいぶん違ったキャラクターのベートーヴェンが生まれてくるのを感じる。大まかにいえば、獰猛さと精緻さの両極でそれぞれ振れ幅が違うというか。特に中期から後期は、神レベルの傑作がそろうだけあって、聴きごたえ満点。ラズモフスキー第1番や第3番、「セリオーソ」、大フーガ、第14番、第15番など、堪能。第15番は特に印象的で、第1ヴァイオリンはシモン・ロテュリエ。オーケストラでは第2ヴァイオリンの一員だけど、しなやかで玄妙な趣で異彩を放っていた。第3楽章の真摯な祈りの音楽は鳥肌もの。それにしても指揮者を呼ばなくても、これだけのシリーズを自前で作れてしまうオーケストラって。
●現在ロンドン交響楽団の音楽監督を務めるサイモン・ラトルが2023年からバイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任すると発表。ラトルがベルリン・フィルを離れるとき、記者会見で「家族はベルリンに留まるので、ロンドンに行ってもベルリンは自分の街であり続ける」みたいなことを話していたと思うが、ロンドンの次にミュンヘンに行く展開があるとは。イギリスのEU離脱やロンドンのコンサートホール建設問題など、いろんな憶測を呼ぶが、ベルリン・フィルの先に指揮者のキャリアがまだまだ続くということが感慨深い。ベルリン・フィルのドキュメンタリーで、去り際のラトルが「このオーケストラでは、指揮者は公の場で処刑される。でもそれがいい。今ではそのよさがわかる」と語っていたのを思い出す。
樫本大進&キリル・ゲルシュタイン デュオ・リサイタル
●12日はサントリーホールで樫本大進&キリル・ゲルシュタイン デュオ・リサイタル。19時開演で、プログラムも予定通り。現在、緊急事態宣言が発出されているが、感染拡大予防ガイドラインによればすでにチケット発売済みの公演については20時以後の終演が許容されている。出演者はともに14日間の隔離期間を経ての全国ツアー中。
●プログラムはプロコフィエフの「5つのメロディ」Op.35bis、フランクのヴァイオリン・ソナタ、休憩をはさんで武満徹「妖精の距離」、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」。それぞれ異なる国の音楽が4曲並んだプログラムだが、前後半がともに「20世紀の抒情的な作品+イ長調の大ソナタ」という相似形をなしている。武満作品は静謐というよりはむしろ官能的で、意外に身振りの大きな音楽。作曲は1951年。最初期の作品ということになる。フランクもベートーヴェンもホールの広大な空間に対抗するかのようなドラマティックな音楽。ベルリン・フィルのコンサートマスターで見せる姿とはまったく違った、ソリストとしての一歩踏み込んだ自在の表現で、ピアノとヴァイオリンの間でひりひりとした応酬がくりひろげられる。洗練された熱さというか。ピアノに譜面台がなかったが、タブレットを平置きにしていた模様。アンコールはルドルフ・フリムルの「ベルスーズ」(子守歌)op.50。ぜんぜん知らない曲。終演後は例によって分散退場。
●夜8時以降、不要不急の外出を自粛する要請が出ているが、帰りの電車はほどほど。普段に比べればずっと人が少ないのだろうが、がらがらというほどでもない。飲食店は閉まっているのか。もともと演奏会の後に外食することは皆無なので、緊急事態宣言の実感は薄い。ただ、コンサートに限らず、どんなイベントであってもそこに無症状感染者が1名以上いるという前提は意識している。というか、感染者がひとりもいないのなら、そもそもマスクもディスタンスもブラボー禁止も不要なわけで、この前提は昨年からずっと変わっていない。忘れがちだが、自分自身がその感染者である可能性も排除されない。
「ダ・ヴィンチ」2021年2月号(KADOKAWA)
●雑誌「ダ・ヴィンチ」2021年2月号の特集は「美少女戦士セーラームーン」。というのも、今、映画館では劇場版「美少女戦士セーラームーンEternal」二部作の前編が公開中なのだとか。「私たちのセーラームーンが25年の時を経て劇場に帰ってくる!」という惹句を目にして、「ああ、中学生だった月野うさぎもそろそろ40歳か、変身して美魔女戦士になるのかなあ」と思ったが、そうではなく登場人物たちは加齢しないのであった。
●……という話をしたかったのではなく、今号の「ダ・ヴィンチなんでもランキング」にワタシが登場しているという宣伝をしようと思ったのだった。毎月、テーマを決めて本を10冊選ぶというコーナーで、今回は「クラシック音楽を楽しめるようになる本」ということで取材を受けた(取材はZOOMを使用)。どの本を選ぼうか悩んだが、本についての雑誌なのだから、現役本でなければならない。今回気がついたのだが、書籍にもCDとまったく同じ現象が起きていて、挙げようと思った過去の名著はどれもこれも品切で入手困難。なかにはつい数年前に出たばっかりでしょ?みたいな本まで品切になっている。なので、最近刊行された本が大半になった。それと、「ダ・ヴィンチ」の読者層はもちろんクラシック音楽通ではなく、読書好き。だから、普通の本好きが「読書の楽しみ」を得られる本でなければ紹介する意味がない。そうやって選んだら、10冊中4冊は小説になった。ほとんどは過去にこのブログでも紹介した本。機会があったら、ご覧ください。
緊急事態宣言、2度目の発出
●予定通り(?)、1都3県に「緊急事態宣言」が出た。で、その内容なんだけど、もともと自粛ベースで強制力がほとんどないようなものなので、どう受け止めればいいのか、なかなか難しい。柱となるのは「午後8時以降の不要不急の外出自粛」「飲食店の営業時間の短縮(午後8時まで、酒類の提供は午後7時まで)」「出勤者の7割削減を目指す」「イベントの人数上限を収容人数の半分か5000人の少ないほうにして、開催時間を午後8時までに短縮する」。前回と違い学校や保育施設は閉じないが、部活動には制限がある。
●問題は演奏会。一般社団法人日本クラシック音楽事業協会からの規制概要の第一報(1月7日付)によれば、文化庁および全国公立文化施設協会との意見共有による暫定版として、すでに販売しているチケットについては20時以降の終演も可、収容率もすでに販売した分については50%以上でも可、ただし以後の販売は50%までとなっている。また2月10日以降の公演は現時点では規制対象外になる。ということは、20時までに終演しなければならない公演は少なそうだが、実際にそれで済むのか、それ以上の自粛ムードが広がるのかは気になるところ。なお、暫定版なので、今後変更が生じる可能性もある。
●自粛とは「自分から進んで、行いや態度を慎むこと」(大辞泉)だったが、この一年ですっかり「ルールや周囲の求めに応じて行動を慎むこと」に意味が変質した感がある。
Jリーグは移籍の季節
●そういえばJリーグはとうに閉幕しているのだが、シーズンを振り返っていなかった。マリノスは9位で完走。リーグ戦の最後の5試合は1勝4敗で、がっと順位を下げた。ACLに燃え尽きた感もある。前シーズンのリーグ戦優勝を経て、2チーム分の分厚い選手層を揃えて今季に臨んだわけだが、やはりリーグ戦とACLの両方を戦うのは難しい。今季は川崎がぶっちぎりの優勝を果たしたが、来季はどうなるのか。マリノスはリーグ戦に集中できるが、膨れ上がった選手層をどうするんだろう。すでに移籍のニュースが飛び交っている。大ブレイクしたジュニオール・サントス(→広島)をはじめ、朴一圭(→鳥栖へ完全移籍)、エジガル・ジュニオ(→長崎へ完全移籍)らがチームを去る。ゴールキーパー像を覆すような、朴のラディカルなプレイを見られなくなるのは寂しい。
●ところで、マリノスは新戦力として新潟医療福祉大学サッカー部よりンダウ・ターラを獲得し、即座に町田ゼルビアへローン移籍させると発表している。ンダウ・ターラは北海道出身、21歳のフォワード。今まで「ン」で始まる名前の選手がJリーグにいただろうか……と思ったが、もういた。水戸から東京ヴェルディに移籍が決まったンドカ・ボニフェイス(埼玉県出身)。
●7日午前の時点、緊急事態宣言の内容はまだ明らかになっていない。夕方に発出の見込みだとか。落ち着かない。
まもなく2度目の緊急事態宣言へ
●報道によれば、明日7日にもふたたび首都圏で緊急事態宣言が発出されるそう。春のときもそうだったが、緊急という割には事前に報道で「出るぞ、出るぞ……」と予告があってから出る。といっても、その内容は春のときに比べると対象を絞ったものになるらしく、特に「飲み会」の抑制に重点が置かれるらしい。演奏会などはどうなるのか、気になって仕方がないが、もう本日にでも自粛要請の内容がはっきりするだろうから待つしかない。
●いずれにしても、今回の緊急事態宣言は思っていたより長引きそう。新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長の会見によれば、一段階ステージを下げるだけでも「1カ月未満では至難の業」。また、西浦博氏のシミュレーションでは、現時点で示されている限定的な制限では減るどころか横ばい、あるいは緩やかな上昇になり、広範囲に厳しい対策を打った場合でも都の一日あたり新規感染者数が100人を切るのは2月25日くらいだという(ええっ……)。長引くのも大変だが、もし緊急事態宣言をしても実効再生産数が下がらなかったら次はどうなるんだろう。
●昨年の刊行だが、雑誌「数学セミナー」2020年9月号の特集が「新型コロナウイルスと闘うために数学にできること」で、ここに西浦博氏が寄稿していた。読者対象が違う分、一般向けの語り口とはまた違った雰囲気。「感染症数理モデル入門」といった記事も。微分方程式が並んでいて容易に理解はできないとしても、どんなことをしているのかというイメージは伝わる……かもしれない。
●宣伝。ONTOMOの1月特集「宇宙」に「2021年宇宙名曲の旅」を書いた。旅行に出られないのなら空想の旅へ。
「ピアニストを生きる――清水和音の思想」(清水和音、青澤隆明/音楽之友社)
●音楽家ひとりのインタビューで一冊の本が成立することはまれ。本一冊分、他人の興味を引くこと語るのは至難の業だと思うが、それをできる数少ないピアニストが清水和音なんだと思う。ずっと前からそうだけど、こんなに率直に語る音楽家もいないと「ピアニストを生きる――清水和音の思想」(清水和音著、青澤隆明編著/音楽之友社)を読んで改めて思った。
●次々と目をひく言葉が飛び込んでくる。「他人の言うことはなにも聞きたくない」「(高校生の頃)ピアノを弾くのは一か月に一時間くらい」「コンクールに1位になったからって、べつにうまいわけじゃない」「自分が才能あるということに疑いはなかった」「(本番で弾くたびに)自分はほんとうにたいしたことないなと思う」。ロン・ティボー国際コンクールで優勝して一大センセーションを巻き起こすが、あまりに練習してなくて弾ける曲がないのに、自惚れだけは強くてなんでも仕事を引き受けたら年間80公演以上弾くことになって「仕事ぎらいになった」。コンクールで弾いたショパンの2番以外、協奏曲はなにも弾いたことがないまま、一年目で十数曲の協奏曲を弾いたというからすごい話。かつてアイドル的な人気を呼んだ清水和音も今や還暦。語り口としては一貫して逆説の人でありながら、音楽への向き合い方がまっすぐなところが、この本のおもしろさなんだと思う。作品に対して我を出すことを嫌う一方で、作曲家の自作自演はみんなつまらないという話も目からウロコ。
ムーティ指揮ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート2021
●元日はテレビでウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート。リッカルド・ムーティ指揮のもと、無観客で開催された。オーストリアの新規感染者数は一時の爆発的な勢いに比べればだいぶ減ってきたが、そうはいっても100万人あたり200人台で独仏伊と同水準(ourworldindata参照。ちなみに日本は上昇中で30人弱。8月下旬のオーストリアの水準にある)。ウィーン・フィルのメンバーは全員毎朝リハーサル前にPCR検査を受けているそう。たしかに検査を一度受けても、翌日には感染しているかもしれないわけで、受けるのなら受け続けないとしょうがないのだろう。秋の「隔離来日公演」と同じで、普通の楽団にはまねできないこと。事前の記者会見で、フロシャウアー楽団長は「ニューイヤー・コンサートを中止にすれば後ろ向きのメッセージを発してしまう。世界に向けて前向きのメッセージを届けたい」と言い、ムーティは「美しい音楽を届けるだけではなく、『希望』を届けたい」と語っている。ウィーン・フィルの姿勢は一貫している。
●プログラムはムーティにちなんでイタリアと縁のある曲が多かった。「半分はイタリア人」というスッペの「ファティニッツァ行進曲」「詩人と農夫」序曲、ヨハン・シュトラウス1世の「ヴェネツィア人のギャロップ」、ヴェルディらのイタリア・オペラからテーマを借りたヨハン・シュトラウス2世の「新メロディ・カドリーユ」op254など。珍しい曲と超名曲がバランスよくそろっていた。ムーティは今年80歳だが、身体表現が雄弁かつダイナミックで、とてもそんな年齢には思えない。音楽は一言でいえばゴージャス。タメも多く、重くて粘るのだが、華やかさ、爽快感がある。白眉は「皇帝円舞曲」。もともとシュトラウスのワルツでは随一のシンフォニックな作品だと思うが、皇帝の名にふさわしいスケールの大きな音楽で、ウィンナワルツの枠を超えた重厚な味わいを楽しめた。
●注目はアンコール。「美しく青きドナウ」が始まっても、お約束の拍手で妨げる観客はいないので、そのまま演奏が続いた(そりゃそうだ)。これでいいのでは。「ラデツキー行進曲」に手拍子を打つ観客もいない。観客がいないことは残念だけど、このリセットされた感じは悪くない。来年の指揮はバレンボイムだそう。うーん……。
謹賀新年2021
●静かな年末年始がやってきた。だれかに会いに行くこともないし、外食もしない。先日、凧が売れているというニュースを目にしたが、やっぱり。実はワタシも凧揚げする気満々で、緊急事態宣言の際に購入した凧がスタンバイしてるのだっ!
●昨年、特に緊急事態宣言で音楽界がストップしていた頃、自分は仕事を通じていろいろな方々の厚意に預かったという自覚がある。それぞれさりげない形で差し出されたものであるが、大きな励みになった。感謝するほかない。2020年はウイルス禍で大変な年だったけれど、振り返っていちばん心に残っているのは、そのこと。
●昨日、都の新規陽性者数がいきなり1300人を突破。まだウイルス禍は続くが、当初に比べるといくらか先のイメージがわいてきた。半年前の時点では、この生活様式は今年で終わるかもしれないし、一生続くかもしれないと思っていた。今だってなにも確実なものはないが、ありそうな近い将来はたとえばこんなシナリオだろうか。まずこの冬、感染拡大が止まらずに緊急事態宣言に類するなんらかの強い措置が打ち出される。その後、ワクチンの接種が優先順位に沿って段階的に始まる。自分が打てるのは今年の秋か冬くらいか。ワクチン接種が始まってもユニバーサルマスクなどは続くだろうが、会食や旅行などは戻ってくる。おそらくワクチンは定期的に接種を続けるものになる。そして、2022年か23年頃、ウイルス禍の反動として、大旅行ブーム、大会食ブームがやってくる。人々の気分は開放的になり、消費活動が活発化し、投資が拡大し、80年代後半から90年代前半までを思わせるような21世紀版バブル経済がやってくる。現在、感染拡大に反して日本の株価が著しく上昇しているのは、そこまでの期待を先取りしたものだと理解できる。地上げが横行し、高級車が飛ぶように売れ、ディスコブームが再来し、首都圏に屋内スキー場が誕生し、国立競技場で「アイーダ」が上演され、人手不足が深刻になり、就職内定者は豪華クルーズ船に乗せられる。そんな浮かれた雰囲気のなかで、社会全体で引きこもっていた2020年を懐かしく思い出す者もいる……かもしれない。