●NASAの火星探査車パーサヴィアランスが18日、着陸に成功。その映像が公開されている。NASA's Mars Exploration Programにいろんな映像や画像が公開されていて楽しい感じ。すべてがすごすぎる。人間、そんなことができるのか。大統領選やウイルス禍の報道を見ていると、アメリカは無茶苦茶な国だと思うけど、こういうのを見ると素直に尊敬の念を抱かずにはいられない。
●だれかが火星の画像を見て、「スター・ウォーズ」に出てくるタトゥイーンみたいだと言ってて、納得。あの火星の大地にタコ型宇宙人がいそうな感じはまったくないが、ジャワとかパンサとかタスケン・レイダーならいそうな気がする。
●偉業を記念して「火星プレイリスト」を作ってみよう……と言っても、「火星」となったらホルスト「惑星」の一曲しか思いつかない。そこで「火星」2台ピアノ版、オルガン版、吹奏楽版、冨田勲シンセサイザー版、原曲の5種類を並べてみた。2021年火星の旅。冨田勲シンセサイザー版って、まず有名な「木星」のメロディで始まって、ロケットの発射音があって、そこから「火星」に移るんすよね。創意にあふれていて、今聴いてもすこぶるカッコいい。
2021年2月アーカイブ
2021年火星の旅
松木さや 東京オペラシティ B→C バッハからコンテンポラリーへ 220
●24日は東京オペラシティのリサイタルホールでB→C、フルートの松木さや。2015年の入団以来、オーケストラ・アンサンブル金沢での演奏はたびたび耳にしてきたが、こういった形でソロを聴くのは初めて。昨年3月に予定されていた公演がウイルス禍で延期になって、ようやく実現。
●B→C(バッハからコンテンポラリーへ)なのでバッハも一曲入るが、全体としては無伴奏を中心としたフランス音楽プログラム。前半はドビュッシー「シランクス」、マレ「スペインのフォリア」、ドヴィエンヌのフルートとヴィオラのための協奏的二重奏ハ短調、オネゲル「牝山羊の踊り」、イベール「小品」、ヴァレーズ「密度21.5」、後半はミュライユ「答えのない問い」(1995)、デュフール「棍棒での決闘」(2008)、バッハの無伴奏フルート・パルティータ イ短調、ドビュッシーのフルート、ヴィオラとハープのためのソナタ。ヴィオラに對馬佳祐、ハープに高野麗音。「シランクス」ではじまり「密度21.5」で終わる背筋の伸びるような前半もよかったが、さらに楽しかったのはモダン成分多めの後半。ミュライユの「答えのない問い」は故人となった若い教え子を偲ぶ音楽ということなのだが、原題もUnanswered Questionsで英語だし、アイヴズの「答えのない問い」を連想せずにはいられない。白眉はデュフールの「棍棒での決闘」。楽器を鳴らし切った渾身の一撃、疾走するようなスピード感、急激なダイナミクスの変化など、アスリート的爽快感もありながら、ユーモアも漂う。無伴奏曲が続いた後に聴くドビュッシーはぜいたくなデザートのよう。アンサンブルの愉悦。時節柄、奏者あいさつもアンコールもなく、21時頃に終演。
●一応、東京は現在緊急事態宣言中なのだが、街に緊張感ははなはだ希薄。20時以降の外出自粛という話もあったが、21時過ぎでも人出はそこそこ。新規陽性者数は1月上旬のピークから見れば5分の1以下に減っているのだが、実はそれでも夏のピークとほぼ同程度。ほとんど下げ止まってしまったようにも見える。ここからさらに強い措置を打ち出すのか、それとも現状のまま進んでどこかでいったん宣言を解除するのか?
映画「くるみ割り人形と秘密の王国」(ラッセ・ハルストレム、ジョー・ジョンストン監督)
●2018年に公開されたディズニーの実写映画「くるみ割り人形と秘密の王国」を今頃になって配信で観たのだが、なんすかこれは! ずばり、偉大な傑作。鳥肌が立つ瞬間が何度もやってくる。実は映画公開時の各所レビューを読んで、どうもチャイコフスキーの名作バレエとの関連性が不明瞭だし、評価もパッとしないなあと思い込んでしまったのだが、大まちがい。この映画は「くるみ割り人形」に親しんでいるワタシたちのために作られた映画であって、そうでない人がピンと来なくてもしょうがない。
●で、もう3年前の映画だから、基本的な物語の枠組みを説明してもネタバレにはあたらないと思うので書くと、この映画はE.T.A.ホフマンの原作およびチャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」から一世代後の物語であり、映画の主人公の少女はバレエ「くるみ割り人形」の主人公の娘だと示唆されている。最初、映画の主人公の名前がクララだから、当然あのクララだと思って見始めるのだが、「ん、なんだか話の前提が妙だぞ」と訝しんでいると、主人公のお母さんの名前がマリーとなっていて「あっ!」と思った。E.T.A.ホフマンの原作では、主人公の名前はマリーなのだ。バレエ化にあたって名前がクララに変わった。それを知らずとも、映画の前日譚として主人公の母マリーが「秘密の王国」の主だと説明されているので、これが「二代目」の話だとわかる。つまり、こういうことだ。ワタシたちのよく知る名作「くるみ割り人形」で、マリー(バレエではクララ)はクリスマスプレゼントにもらったくるみ割り人形と一緒に、夢の国に旅立ち、イマジネーションの王国を創造した。その後、現実の世界で大人になり、結婚して、この映画の主人公クララを産んだ。だが、母マリーは家族を残して世を去ってしまう。映画の主人公クララは、クリスマスプレゼントとして母の形見である卵型の箱をもらう。その箱はかつてドロッセルマイヤーさんが母マリーに与えたものだった。ところが箱を開けるカギが見つからない。クララはカギを求めて、かつて母が女王として治めた秘密の王国へと旅する……。というのが、このお話の入り口。ほら、すごくいいアイディアじゃないっすか。E.T.A.ホフマンの原作が親子二代にわたる物語に拡張されているんすよ!
●で、音楽もバレエも十分にリスペクトされている。チャイコフスキーの音楽もたっぷり使われている(あのオルゴールが鳴らす第2幕パ・ド・ドゥの音楽と来たら……泣ける!)。もちろん、映画向けに曲はアレンジされているし、映画のために書かれたオリジナル曲もたくさん出てくるのだが、ここぞという場面でチャイコフスキーが登場する(サントラで指揮をしたドゥダメルもちらっとシルエットが映る。「ファンタジア」のストコフスキーかよっ!)。映画用のオリジナル曲は永遠の鮮度を誇るチャイコフスキーを前に分が悪いのだが(それはしょうがない)、エンタテインメントを成立させるためのプロフェッショナルな手際の良さを感じさせる。そして、映像美は圧倒的。これは映画ならではの楽しみ。
●もともと原作の「くるみ割り人形」の時点で、主人公はスリッパを投げつけて自ら戦う少女であって、プリンス・チャーミングを待つばかりの無力なプリンセスではない。自分の運命は自分で切り開く。だから今のディズニーが「くるみ割り人形」を再創造するのは理にかなっている。この美しい少女が(ドロッセルマイヤーの発明家精神を受けついで)機械いじり好きであるという設定も冴えている。
サーリアホのオペラ「オンリー・ザ・サウンド・リメインズ」DVD
●DVDでサーリアホのオペラ「オンリー・ザ・サウンド・リメインズ」を観る。このオペラ、日本の能の「経政」(経正)と「羽衣」が題材となっている。今年6月に東京文化会館で新演出による日本初演が予定されているのだが、このDVD(ERATO)は2016年3月、オランダ国立オペラで世界初演された際のライブ。演出はピーター・セラーズ、独唱者はフィリップ・ジャルスキーとダヴォン・タインズの2名のみ。ダンサーにノラ・キンバル=メントス。アンドレ・デ・リッダー指揮オランダ国立オペラ・オーケストラのメンバーによる少人数のアンサンブルにエレクトロニクスが加わる。
●第1部が「経政」、第2部が「羽衣」という二部構成になっていて、第1部ではジャルスキーが経政(の霊)、タインズが行慶を、第2部ではジャルスキーが天女、タインズが漁師の白龍を歌う。第2部ではジャルスキーのほかに、天女の舞を表現するダンサーがいるという趣向。音楽から受ける印象は、以前に東京オペラシティのコンポージアムやMETオペラビューイングで観た同じサーリアホの「遥かなる愛」にかなり近い。一部を除いて身振りの控えめな音楽で、途切れることなく抒情的な楽想が連綿と続く。カンテレが琵琶を、フルートが尺八を思わせる響きを生み出すが、舞台そのものに日本的要素は希薄なこともあり、いつともどことも知れないアルカイックでエキゾチックな世界といった趣。繊細ではあっても、雄弁な音楽とは言えないので、DVDだと正直なところ長さを感じるのだが、舞台であればダンサーや演出面のインパクトでまた違ってくるのかも。
●「経政」は、僧の行慶が生前の経政が愛用した琵琶「青山」を仏前に据えて弔っていると、経政の幽霊が現れて、琵琶を奏で、舞に興じる……という話だと思うのだが、これはピーター・セラーズの解釈なのかなあ、なんと、行慶と経政はエロティックな関係になるのである! キスシーンあり。そ、そうだね……たしかに「経政」、能のあらすじを読めば(そうは一言も書いてないけど)そういう解釈は成立する。夜中に男ふたりが音楽と舞を楽しんでいて、しかもひとりは幽霊なんだし(本来の能にそういった含意があるのかどうかは、門外漢なので知らない)。
●「羽衣」は漁師の白龍が天女の羽衣を見つけて、家宝にしようと思うんだけど、天女から返してほしいと嘆願されるというお話。白龍は天女の舞を見せてもらうことと引き換えに、羽衣を返す(オペラ的文脈からすると「サロメ」を思い出すところ)。これは本来、穏やかな春の日のほっこりするような話だと思うんだけど、演出上は「経政」のおどろおどろしい雰囲気をそのまま受け継いでいて、やたらと悲壮感や緊迫感が漂っている。
●6月の東京でのプロダクションはオペラ「Only the Sound Remains -余韻-」と銘打たれていて、アレクシ・バリエールの演出、森山開次の振付・ダンス、ミハウ・スワヴェツキのカウンターテナー、ブライアン・マリーのバス・バリトン他。ピーター・セラーズとはぜんぜん違った舞台になるものと期待。
スター・ウォーズ「マンダロリアン」の音楽
●「スター・ウォーズ」に連なるドラマ・シリーズ「マンダロリアン」をエピソード2の最終話まで見た。ワタシは打ち震えながら、最終話の終盤の展開を見守った。ネタバレは避けるけど、自分が「スター・ウォーズ」に期待していたものはこれだっ!と全力で膝を打つ。すばらしすぎて、この終盤だけもう一回、見てしまった。カッコよすぎ。
●で、この「マンダロリアン」、音楽もよい。作曲はルドウィグ・ゴランソンという人。なにしろ「スター・ウォーズ」といえばジョン・ウィリアムズというあまりに偉大な先人がいるわけだが、本家とは違ったテイストの音楽で、巧みに孤独なマンダロリアンの世界が表現されている。テーマ曲に「ブォオオオ~」っていう尺八みたいな音が鳴っていて、どうやらあれはリコーダーの模様。「スター・ウォーズ」が時代劇+西部劇から生まれてきたことを思えば納得。ゴージャスなオーケストラ・サウンドを期待すると肩透かしを食らうかもしれないが、「マンダロリアン」は全銀河の歴史を描いた大河ドラマではなく、辺境で生きる賞金稼ぎの物語なのでこれでいい。とはいえ、最後のクライマックスでは、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第1楽章風の曲調が緊張感を煽るなど、荘厳さも醸し出している。
●「スター・ウォーズ」を踏まえているなと思うのは、これが広い意味での「父子の物語」として成立しているところ。テーマは通底していて、トーンは違う。これが正解だったんだな、と感じる。
光の速さで確定申告を完了 ~ e-Taxで青色申告篇
●な、なんと! 今年はもう確定申告を済ませたのである(ええーーっ!)。年に一度、個人事業者が避けて通ることのでない税務であるが、例年であれば3月15日の〆切目前に眉間にしわを寄せながらヨレヨレになって帳簿と格闘するところを、今年はもう完了。しかもe-Taxで青色申告だ。実は今回からe-Taxにしないと青色申告の特別控除額が減ってしまう。それを知って昨年からe-Taxにチャレンジしたのだが、前回は手順がよくわかっておらず一部書類を郵送するはめになってしまった。だが、今回はすべてをPCで送信できた。プリントアウトも郵送も糊付けもなくてヘルシー。
●なぜ早々と完了できたかといえば、それには理由がある。確定申告といっても国税庁のサイトを使えば申告書の作成は簡単にできるわけで、大変なのはその前段階の青色申告決算書の作成。これまでは帳簿仕事があまりにも嫌いすぎるがゆえに、一年分書類をためまくって、3月上旬のどこかで2日間程度スケジュールをとって、心を無にして取り組んでいた。オレはマシーンだ。帳簿を付けるだけの感情のないマシーンだ。帳簿付けを命じられた銀河帝国軍のストームトルーパーなのだ。必死にそう自分に言い聞かせながら。だが、もうダメなんである。年々そんな苦行に耐えられなくなってきた。好きな音楽を爆音で流しながらやっても、オヤツをバカ食いしながらやっても、もうムリ。そこで、考え方を変えて、毎日その都度、帳簿を付けることにした。請求書を起こしたり、領収書を受け取ったりするたびに、その日のうちに必ず記帳する。えっ、なんだ、そんな当たり前のことかって? そうなのだが、それを可能にするためにやったことがある。それは市販の会計ソフトを捨てること。
●従来は市販の会計ソフトを使っていたのだが、かねてより帳簿付けのストレスの源泉はここにあるのではないかと怪しんでいた。よくあるタイプの会計ソフトで、「経理の知識がなくてもメニューにしたがって入力していけば簡単にできますよ」という体裁のもので、事実その通りなのだが、使っていて楽しくない。なんというか、スマートさに欠けるというか、全般に昭和感のあるアプリケーションだった。そこで(以前に一度紹介したが)、思い切って一年前から「エクセル簿記/ExcelB」というシンプルな会計ソフトを使い始めたら、ウソのように入力のストレスがなくなった。会計ソフトといっても、中身はExcelのシートにすぎない。マクロすら使われていない。だからセルのコピーもペーストも普通にExcelと同じようにできる。仕訳帳シートに数字や勘定科目を入れれば、決算書シートに自動的に数字が反映されるようになっていて、とても洗練されている。精神衛生上すばらしいのは、これがExcelのシートにすぎないことで、仮になにか想定外の集計をしたくなったとしても、仕訳帳シートを適当にExcelの別シートにコピペして並び替えでも集計でも自分の好きなようにすればどうとでもできるという安心感がある。Excelに抵抗のない人なら、これは本当に楽(一部機能が制限されるが、LibreOfficeでも使える)。この「データを先方に握られている」感のなさが、すがすがしい。
●やはり使う道具は大事。「ラクダは重い荷物には耐えられるが、縛り方の悪いロープには耐えられない」(アフリカのことわざ)。
ギリシャの香川、移りゆく放映権
●香川真司がギリシャ1部のPAOKと契約したら、さっそくDAZNのメニューにギリシャ・リーグができていた。といっても、メニューに載っているのはPAOKの試合のみ。香川用に放映権を獲得した模様。見逃し配信で、第21節のPAOKvsアポロン・スミルニと第22節のヤニナvsPAOKのハイライトを観てみたが、あいにく香川はどちらも途中出場で、いずれもゴール前にパスを供給したワンプレイしか映っていない。これを見た限りではギリシャ・リーグは屈強な大男たちが体をぶつけあうリーグといった雰囲気で、香川のような敏捷性のあるテクニシャンは見当たらず。十分活躍できるはずだと思うのだが、まずは先発メンバーの座を奪い取るところから。
●びっくりしたのだが、UEFAチャンピオンズリーグがいつの間にかWOWOWで中継されている。今季、当初はDAZNで配信されるということだったのに、シーズン途中で放映権を放棄、日本国内では中継なしという事態になっていたのだが、WOWOWで独占生中継&ライブ配信されることに。よもやシーズン途中で放映権が移るとは。これもウイルス禍による混乱ゆえか。
●Jリーグがある限りDAZNは外せないとは思っているが、日本人選手が多数活躍しているドイツのブンデスリーガが「スカパー!」に移り、チャンピオンズリーグがWOWOWに移りと、競争は激しい。今季の欧州は無観客試合が大半で、なんとなく自分の心のなかでは「仮営業中」みたいに思っているが、これから客席にファンが戻ってくれば、だんだん迷うことも多くなりそう。
「あらすじで読むシェイクスピア全作品」(河合祥一郎著/祥伝社新書)
●シェイクスピアにはもっぱら音楽作品(たまに映画)を通してしか触れていない者にとって、心強い「あんちょこ」がこの一冊。「あらすじで読むシェイクスピア全作品」(河合祥一郎著/祥伝社新書)。音楽作品には頻出するシェイクスピアだが、どんなストーリーかを説明しようと思ったら、けっこう難しい。「オセロー」「マクベス」「ロミオとジュリエット」あたりはまだ容易なほうで、たとえば「夏の夜の夢」はブリテンのオペラやメンデルスゾーンの劇音楽があってもやっぱり難しい。「ウィンザーの陽気な女房たち」なんて、ヴェルディの「ファルスタッフ」がなかったら相当厄介なのでは。「オテロ」といい「マクベス」といい、この分野でのヴェルディの功績は大。
●関連作品の多さにもかかわらず、なじみづらいのが「テンペスト」だと思う。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、チャイコフスキーの幻想序曲、シベリウスの劇音楽があって、特にベートーヴェンについては作曲者が「この曲を理解するにはシェイクスピアの『テンペスト』を読め」と言ったとするシントラーの逸話が残っているが、仮にこの話が真実だったとしても、「テンペスト」を読んでもさっぱり曲と結びつかないじゃないかという気がする。その点、ありがたかったのがMETライブビューイングで、以前にトーマス・アデスの「テンペスト」と、バロック名曲を集めたパスティーシュ「エンチャンテッド・アイランド 魔法の島」で、ともに「テンペスト」が原作になっていた。やっぱり舞台上演があると、イメージがわきやすい。もちろん、シェイクスピア劇そのものを舞台で観てもいいわけだが……。
●ところで、この「あらすじで読むシェイクスピア全作品」を読んでいたら、「なにしろ、エリザベス朝時代の舞台には舞台装置というものがなかったため、役者の気持ちひとつで、どんな場所にも変化することができた」とあるんだけど、これって知ってた? そう思うと、演奏会形式のオペラって、舞台上演を簡略化したものではなく、より根源的なドラマの形態に立ち返ったものと解せるのかも。
熊倉優指揮NHK交響楽団、イザベル・ファウスト
●12日は東京芸術劇場で熊倉優指揮NHK交響楽団。スメタナのオペラ「売られた花嫁」から3つの舞曲、シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番(イザベル・ファウスト)、ドヴォルザークの交響曲第6番という渋めの曲が並ぶが、これはもともとパーヴォ・ヤルヴィ指揮の定期公演で予定されていたプログラム。この曲目で変更なしはすごい。しかも、当初予定のソリストがリサ・バティアシヴィリだったのが、なんと、代わってイザベル・ファウスト。1月のリサイタルから引き続いてずっと日本に滞在している模様。今、来日組の稀少感と来たらもう。
●シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番は、作曲者自身による2管編成版を使用。そんなのがあったとは。編成が大きすぎる協奏曲は客席側にとっても嬉しくないので、これは現実的。しかし、以前に聴いたときも感じたけど、まったく風変わりな曲。後期ロマン派の濃密さと透明感が同居。アンコールは知らない曲だったが、ニコラ・マタイス(マッテイス)作曲のヴァイオリンのためのエアー集から前奏曲/パッサージオ・ロット/アンダメント・ヴェローチェ。もっとたくさん聴きたくなる。
●後半のドヴォルザークの交響曲第6番は快演。1992年生まれの若い指揮者をオーケストラが全面的に盛り立てるかのような一丸となった演奏。エネルギッシュだが、音楽の流れが自然で伸びやか。前回の同コンビより格段に好印象。この第6番、自分は以前から好きな曲なんだけど、なにがいいのかといえばブラームスっぽいところ。特に第1楽章はブラームスの第2番にかなり似ている。土の香りが意外と上品だった、みたいな。もしジャネット・サーバーがドヴォルザークをアメリカに招こうと思いつかなかったら、交響曲第9番「新世界より」は誕生しなかっただろうし、ひょっとするとドヴォルザークの第6番、第7番、第8番が彼の「三大交響曲」になっていたかもしれないと、ふと思う。
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●13日の23時過ぎ、大きな地震があった。なかなか揺れが収まらず、建物が軋むようにグラグラする様子に一瞬にして10年前の記憶がよみがえる。震源は福島県沖で最大震度6強、東京は地域によって震度4から3。これも東日本大震災の余震とみなされるそう。10年前、専門家が余震は数十年続くと言っていた記憶があるが、その通りになっている。疫病と地震を退散させるにはどうしたらいいのやら。アマビエの強化版が必要。
チョコレート・プレイリスト
●2月といえばバレンタインデー。この時期、クラシック音楽系のあれこれの企画で「チョコレートにちなんだ名曲を集められないかなあ」と考えることがよくあったのだが、実はチョコレート名曲はあまりない。いちばん有名なのはチャイコフスキー「くるみ割り人形」に登場する「チョコレート スペインの踊り」。チョコレート名曲界のエースといってもいい。やや惜しいのは、音楽そのものに「スペイン感」はたっぷりあるが、「チョコレート感」は微妙。スイートでもなければビターでもなく、ミルキーでもない。
●で、すでに2番手からネタに困るくらいなのだが、チョコレートをチョコレートたらしめているのはなにかといえば、それはカカオ。リヒャルト・シュトラウスのバレエ音楽「ホイップ・クリーム」第1幕には「カカオの踊り」が登場する……。が、この曲、めったに演奏されない。「ホイップ・クリーム」自体、知名度が低いうえに、組曲版には「カカオの踊り」が含まれないので、全曲録音でなければ聴けない。そして、Spotifyを検索してもDENONの若杉弘指揮都響の録音しかヒットしない。貴重。手作りチョコに向けてカカオを育てている人は必聴。
●3番手を無理やり挙げるとすれば、アンドレ・プレヴィンの「チョコレート・アプリコット」という曲がある。パールマンのヴァイオリン、プレヴィンのピアノによる録音がある。ただ、これはジャズじゃないのといわれれば、まあそうなのだが。この曲、どうして「チョコレート・アプリコット」と名付けられているんでしょ。
●というわけで、上記3曲を集めた「チョコレート・プレイリスト」を以下に。この週末にご活用ください。
新国立劇場 モーツァルト「フィガロの結婚」(アンドレアス・ホモキ演出)
●9日は新国立劇場でモーツァルト「フィガロの結婚」。演出はアンドレアス・ホモキで2003年の初演以来、くりかえし上演されているプロダクション。モノトーン基調で、狭い箱型空間に段ボール箱がいくつも積まれている簡素な舞台で、かろうじて衣装箪笥がひとつ出てくる以外は、ほぼ抽象化されている。今、積み上げられた白い段ボール箱から連想するのはヨドバシカメラの通販(生鮮食品以外なんでも買ってる)。歌手陣はフィガロにダリオ・ソラーリ(「トスカ」でスカルピア役を歌った後、そのまま続投)、スザンナに臼木あい、アルマヴィーヴァ伯爵にヴィート・プリアンテ、伯爵夫人に大隅智佳子、ケルビーノに脇園彩。14日間の隔離期間を乗り越えた来日勢には頭が下がる。気品のある伯爵、軽快なスザンナ、華のあるケルビーノら、役柄にふさわしい歌手陣。ピットは沼尻竜典指揮東京交響楽団。ウイルス禍ゆえの制約も多々あったはずと感じるが、昨今の状況でこのようにオペラ上演が可能になっていることに感謝するほかない。客席は50%制限(まだら模様)、開演時間は16:30に前倒しされた。
●もし古今の三大オペラを挙げよと言われたら、自分は迷わず「フィガロの結婚」「カルメン」「ばらの騎士」を選ぶと思う。ほかに強烈なインパクトをもたらす作品はいくつもあるけど(ワーグナーとか)、普遍的な価値があり、万人に勧められて、人類代表として全銀河系歌合戦に送り出せる作品となったらこの3作。ただ、「カルメン」と「ばらの騎士」にはすばらしい台本があるんだけど、「フィガロの結婚」にはないんすよね。階級とか性差とか引きのあるテーマがあって、初夜権(今回の字幕では「領主権」)どうなるの?というつかみもばっちりなんだけど、話がどんどんグダグダになって、途中からどうでもよくなる。特に後半はフィガロの行動にもスザンナの行動にもまるで合理性が感じられず、休憩の間にこの惑星には人々が理性を失う毒ガスが蔓延したのかと思うくらい意味不明なのだが、モーツァルトの音楽の天才性がすべてを超越してしまう。
●このオペラ、最後はハッピーエンドなんだけど、それはもちろんフィガロやスザンナにとっての勝利であって、伯爵と伯爵夫人は敗北している(階級闘争だし)。伯爵は謝罪し、夫人は許すが、ふたりの間に最後に残るのはやっぱり不信だろう。伯爵のいちばんカッコ悪いところは嫉妬心。スザンナとフィガロだけじゃなく、ケルビーノの若さや美しさにも嫉妬しているんだな、と今回改めて感じた。彼が持っているのは権力だけ。スザンナへの欲望が満たされないとわかると、バルバリーナを手込めにする(と明確に表現するタイプの演出だった)。伯爵夫人の側にも悲哀が漂っている。過去の美しき日々を懐かしむが、計略で伯爵を罰したところでなにを得られるのか。ダ・ポンテ三部作はみんな結末に苦味がある。
マンダロリアン / スター・ウォーズ
●ルーカスフィルム製作の評判の実写ドラマシリーズ「マンダロリアン」をようやく見ている。これが抜群におもしろい。舞台設定は「スター・ウォーズ」エピソード6「ジェダイの帰還」の5年後。主役はアーマーを身にまとった賞金稼ぎ、マンダロリアン。ダース・ベイダーが倒れ、帝国崩壊後に訪れた混乱の時代を、孤独な戦士マンダロリアンが民族の掟を背負って生き抜く。
●基本的に「連ドラ」なので、本編の「スター・ウォーズ」のような壮大なスケールの話ではないのだが、近年の映画版「スター・ウォーズ」よりも、こちらのほうがよほど「スター・ウォーズ」らしいと思ってしまった。もうエピソード7から9までの最新三部作は、自分の心のなかではなかったことにする。あれは偽史。代わって「マンダロリアン」こそ、本来の「スター・ウォーズ」正史と認めたい。
●なんでそうなったんだろ。もともと「スター・ウォーズ」って、神話を時代劇/西部劇の文法で描いた話だと思うんすよ。だから、主人公はどんなに大勢の敵に囲まれても不死身だし、大けがもしない。宇宙船はダメージをくらっても墜落しない。本物の宇宙船なんて部品ひとつにまちがいがあっただけでも落ちかねないのに、「スター・ウォーズ」の世界ではパイロットが「これは修理が大変だ~」とかぼやきながら、バーナーで溶接して宇宙船を直しちゃう。ご都合主義が大手を振るって歩いている。だって時代劇だから。もともと「ジェダイ」の語源は「時代劇」。当初ジョージ・ルーカスはオビ=ワン・ケノビ役を三船敏郎にオファーしたが断られたというのは第1作公開時から言われている有名な話。その分、痛快なストーリー展開や奇抜なアイディアなど、思い切り羽を伸ばす余地があるのが「スター・ウォーズ」だったはず。なのに最新三部作ではファンの期待が手枷足枷となったのか、いかにも不自由でセルフパロディ的で、そのくせ広げた風呂敷を場当たり的な解決でしか畳めなかった。でも「マンダロリアン」はのびのびしている。レトロテイストなメカもクリーチャーも「スター・ウォーズ」らしい。起承転結もきちんとしている。ユーモアも上質。ああ、このテイストで本編も作れていたら。そう思わずにはいられない。
東京オペラシティアートギャラリー 千葉正也個展
●5日、東京オペラシティアートギャラリーの千葉正也個展へ。もう圧倒的に楽しい。ひとつひとつの作品にあふれる饒舌さ、ユーモア、ノスタルジー、心地よさ、物騒さ、奇抜さなど、隅から隅まで見ごたえのある要素がぎっしりと詰まっている上に、展示方法自体にアイディアがあって、ミニテーマパーク的なホスピタリティを感じる。亀とか写真とかナイフとか、横断的な共通モチーフがあるのもおもしろい。
●謎めいたインスタレーションもある。たとえば、椅子の上に文庫本が2冊置いてある。あっ、これは「ペリー・ローダン」シリーズではないの(半世紀以上続くドイツの長寿スペースオペラシリーズ。あまりの巻数の多さゆえによくネタにされる)。
●なんでこんなところ「ペリー・ローダン」があるのかな……と思ったら、そばの壁にズラッーーー!とシリーズが並んでいて、これは第1巻から全部そろっているのか!? なんかドキドキする。
●下は壁にかけられた鏡に向かってキャンバスが設置されている作品。鏡に映った絵のなかに、口紅を塗る人がいるという趣向で、クスリと笑ってしまう。
●ほかにもいくつかワクワクさせられる作品があった。もう一回行くかも。
鬼は外
●ウェブマガジンONTOMOの2月特集「鬼」に、「鬼名曲を探せ!」を寄稿。西洋には日本の鬼そのものはいないが、鬼に相当するのが、ゴブリン、コボルト、オーガ、トロール、ノームといった種族だろう。慣習的にこれらは小鬼、犬鬼、土鬼などの言葉で表現されてきた。西洋版の鬼を扱った名曲をいくつかご紹介(実はたくさんある)。豆まきは終わったけど、ご笑覧ください。あと、同じ特集の広瀬大介さんによる「リヒャルト・シュトラウスの鬼嫁?! パウリーネ」も必読。鬼特集で、よもやの鬼嫁。
●鬼はなぜ豆で撃退できるのか。「魔滅(まめ)にかけているんです」みたいなのじゃなくて、もう少し即物的な説明がほしいのだが、答えがわからない。鬼には大豆アレルギーがあるとか、そういう話? 「鬼滅の刃」の鬼は日光に弱いのだとか(未見)。これは正統派のゾンビ・バリエーションだと感じる。たびたび言っているが、ゾンビの直接的な始祖はリチャード・マシスンの小説「地球最後の男」(「アイ・アム・レジェンド」に改題)にあり、ここで描かれる吸血鬼(事実上のゾンビ)も日光が弱点だった。
東京武蔵野シティFCから東京武蔵野ユナイテッドFCへ、その後
●先日もちらりと書いた、JFL(日本サッカーの4部リーグ相当)の東京武蔵野シティFC(旧・横河武蔵野FC)が東京武蔵野ユナイテッドFCに名前を変更するという件だが、新しい公式サイトが公開され、所属選手等の新体制も発表された。どうやらこれは、武蔵野市の東京武蔵野シティFCと文京区の東京ユナイテッドFC(関東1部リーグ)が合併したと考えるのがよさそうだ。現状、選手数は32人もいて、その内、11人は元東京ユナイテッドの選手。彼らは関東リーグ1部からJFLに「自然昇格」(?)したことになる。監督は東京武蔵野シティの池上監督だが、その上に東京ユナイテッド出身の「総監督」というポジションの人がいて、じゃあチームの指揮を執るのはどっちなのかよくわからない。ふたりで相談して決めるの?
●カテゴリーとしてはJFLの東京武蔵野のほうが上だったはずだけど、経営面のイニシアチブは東京ユナイテッドの側にあるのかな、という印象も受ける。新しいチームエンブレムがユナイテッド寄りだし。このエンブレムの由来で苦笑したのが、4つの模様のうちの2つについて「東京ユナイテッドFCのルーツである、東京大学運動会ア式蹴球部の『銀杏』(上)、慶應義塾体育会ソッカー部の『荒鷲』(下)……」を組みわせたという説明。地域密着を目指すJFLのクラブとしては違和感大ありで、妙に「社風」がにじみ出ている。このノリで地元市民の共感と支援を得られるかどうか。
●なんだか合併して「三菱東京UFJ銀行」みたいなクラブになってしまったが、まあ、こんな違和感も時が経てばすっかりなくなるのかもしれない。マリノスみたいな先例もある。ただし、サッカークラブにとっての「ホームタウン」とは、必ずホームスタジアムのある場所になると理解している。開幕戦は3月14日、武蔵野陸上競技場で対ラインメール青森戦。
ナントのラ・フォル・ジュルネは?
●例年であればちょうどこの時期にナントの音楽祭、ラ・フォル・ジュルネが開催されている頃。が、今年は延期になった。新たな日程は4月9日から11日まで。意外と近い日程が出ている。テーマは当初の「ロシア音楽」から「バッハとモーツァルト」に変更。これはより小編成で実現できるようにという考えなのだろう。例年ナントでは5日間くらいの開催なので、期間も短くなっている。Diapasonによれば、ルネ・マルタンは「車で移動できるフランスとヨーロッパのアーティストを招く」という(フランス語は読めないので機械翻訳頼み)。
●チケットは3月20日からの発売。もともとナントの音楽祭は日本の感覚からすると直前になってチケットが販売されて、それでも瞬時に蒸発するというイメージで、ほとんど売り切れるのだが、過去に何度か取材して感じたのは日本の音楽祭よりはるかに客層が高齢だということ。写真のように「密」そのものの音楽祭は、さすがに現状に即さない。フランスはすでにワクチンの接種が始まっているようなんだけど、それがよい影響をもたらすのか、それともあまり影響しないのか、先行例として気になるところ。
見たい映画、見たくない映画
●ぜんっぜん知らなかったのだが、1991年公開のイタリア映画に「パガニーニ・ホラー 呪いの旋律」という作品があるそう。「伝説の天才ヴァイオリニスト、パガニーニの旋律が呼び起こす惨劇を描く異色のホラー」というのだが、いったいなんだそれは。気になってググってみたら、スランプのロック・シンガーがパガニーニの呪われた遺作をレコーディングして再起を図るが、プロモーションビデオの撮影の最中に次々とバンドメンバーが謎の死を遂げる。そしてパガニーニの曲を逆から弾くと、悪魔が現れる……という話なのだとか。パガニーニが「悪魔に魂を売ったヴァイオリニスト」と噂されたというエピソードを知らないと、この話はピンと来ないのでは。いや、知っててもピンと来ないか。さすがダリオ・アルジェントを生んだイタリア・ホラー。なにかのネタになるかもと思ったが、やっぱり見なくていい気がする。怖そうだし。
●で、これから観たい映画といえば、「シン・ウルトラマン」だ。庵野秀明脚本、樋口真嗣監督の「シン・ゴジラ」コンビで初夏に公開予定。このウルトラマンにはカラータイマーがない。ボクシングの1ラウンドと同じ「3分間」という活動時間の設定は、M78星雲人にしてはやたらと人間的だったが、ここではそのような制限がないようだ。キャッチコピーは「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」。なんだかノリが「ドラえもん」っぽい。
原田慶太楼指揮読響のチャイコフスキー他
●30日はめぐろパーシモンホールで原田慶太楼指揮読響。プログラムはロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲、グリーグのピアノ協奏曲(小井土文哉)、チャイコフスキーの交響曲第5番。弦楽器は対向配置(コントラバスは上手側)。超有名曲が「序曲+協奏曲+交響曲」の順で並ぶありがちな名曲コンサートのような装いに反して、公演内容はきわめてエキサイティング。指揮者のアイディアとパッション、それを形にするオーケストラの献身性がぴたりとかみ合った。最初のロッシーニからして細部まで意匠が凝らされていて、ひとつひとつのフレーズが生気溌溂としている。グリーグのピアノ協奏曲では、2018年日本音楽コンクール第1位、2019年ヘイスティングス国際ピアノ協奏曲コンクール第1位の小井土文哉が好演。95年生まれの若さ。抒情的な表現が聴きもの。アンコールはグリーグの抒情小曲集より「アリエッタ」。ふっと余白を残して終わる様がなんとも味わい深い。
●圧巻は後半のチャイコフスキー。この曲はとことんエモーショナルにするかアンチロマンに傾けるかの両極がおもしろいと思っているのだが、原田慶太楼の指揮は前者。冒頭、遅いテンポによる悠然たる開始で、どうなることかと思ったが、スリリングで白熱したチャイコフスキーに。歌わせるところでたっぷりと歌わせるのも吉。設計は緻密、表現は大胆。まれに見るスケールの大きなチャイコフスキーを堪能できた。これだけの熱演、終われば大ブラボーが飛び出すのが普通だが、もちろん、時節柄そうはいかない。客席が静かで申しわけないと思ったくらい。
●前のエントリーで、チャイコフスキーが交響曲第5番に後からシンバルを付け加えようとしていた話に触れたが、この作品について作曲者の自信はぶれまくっている。自分で指揮をしてあまりうまくいかなったことも原因のひとつなのだろう。他人の指揮で好評を得て、ようやく作品価値への疑念を払拭している。なんとなくだけど、直感的にはわからなくもない。作った本人はあまりに作為的であざといと思ってしまうけど、他人から見るとひたすら力強くて立派、みたいな二面性はままあることかも。