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March 11, 2021

10年後の3月11日

●本日は3月11日。東日本大震災の発生からちょうど10年が経ったことになる。もう10年も経った……それとも、まだ10年しか経っていない? 感じ方は複雑だが、その日の記憶は鮮明に残っている。直接の被災地ではなかったにもかかわらず、東京でも大きな混乱が続いた。コンビニの棚から商品がなくなるとか、電力不足による輪番停電だとか(結局23区はほぼ免除されたのだが)、そういったこともさることながら、人々の恐怖心や相互不信がさまざまな形で可視化されたり、現実認識の違いがもたらす社会の分断のほうが強く印象に残っている。特に首都圏では地震そのものよりも原発事故が激しい反応を引き起こした。人と人は分かり合えない。あのときほどそう思ったことはない。理路整然とした合理的な説明は必ずしも受け入れられない。先に結論があって、それを裏付ける事柄だけが取捨選択されて受け入れられる。目下のウイルス禍で、同種のテーマが変奏されているとよく感じる。
●あの日の前日、すみだトリフォニーホールでハーディングと新日フィルの記者会見があった。ハーディングは新日本フィルのMusic Partner of NJPに就任し、その就任披露公演として3月11日にマーラーの交響曲第5番を指揮するということで会見が開かれたのだった。当日の公演は、もちろんワタシは行っていない。
当時の自分のブログを読み返す。異様に周期の長い強烈な揺れで、てっきりすぐ近くが震源だと思ったら、東北だと知って驚いた。しかもしばらくすると今度は茨城県沖を震源とする強い揺れが来て、パニックになる。余震は延々と続いた。なにが起きているのかわからず、テレビをつけると、ヘリからの映像が生中継されていた。炎を上げながら濁流が流れてきて、家や車や田畑を次々と飲み込んでいく。あの凄惨な映像をもう一度見返す気にはなれない。深夜になってもまるで余震が収まらなかったが、とにかく原稿の〆切があったので、夜になってから書いた。「ぴあクラシック」の原稿だったと思う。日本がどうなるかわからない異常事態なのに、原稿を書いて意味があるのかと疑問を感じつつ。
●何日も経ったある日、仕事で出かけたら、余震で高層ビルがぐらんぐらんと左右に大きく揺れているのを見た。まるで生き物みたいに。異常な光景が目の前にあるはずなのに、すっかり慣れてしまったのか、だれも驚いていなかった。