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March 12, 2021

「クララとお日さま」(カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳/早川書房)

●さっそく読んだ、カズオ・イシグロの新作「クララとお日さま」(早川書房)。驚嘆すべき傑作。こんな小説がほかのだれに書けるだろう。事前に一切のレビューを目にせずに読むのがオススメ。と言いつつ、今から紹介するのだがっ!
●前作「忘れられた巨人」は、老夫婦の物語がファンタジー的世界観に基づいて描かれていた。今回の「クララとお日さま」は近未来が舞台で、主人公はAI。AIの鋭い観察眼を借りて、人間たちを描く。このAIはAF(人工親友)と呼ばれる商品で、常に子供に寄り添う友達になるべく設計されている。物語のテーマを一言でいうなら、愛のかたち。この世界で発達している技術はAIだけではない。選択的に子供に人工的な処置を施すことで(ゲノム編集のようなイメージ)、子供の知的能力が向上し、未来への扉が開かれる一方、処置には大きなリスクも伴う。社会が人間のあり方を変質させる技術とどう対峙するのか、という直接的な問いかけがあると同時に、この人工的な処置を早期教育や受験に置き換えてみれば、そのまま今日の物語になる。親たちが子に対してどのような決断をするのか。なんの決断もしないという選択肢はない。しないのならしないという決断をしている。
●付随的なテーマながら圧倒されたのは、AI側に一種の「信仰」を獲得させている点。その純粋さは尊く、同時にうっすらとした不安を抱かせる(AIはHAL以来暴走するものという先入観ゆえか)。あとは、行き過ぎた能力主義社会、階級社会への警鐘も含まれる。SF小説の枠組みを借りているという点は「わたしを離さないで」と共通するのだが、今作のほうがずっと洗練されているし、後味がよい。具体的に書かないけど、話の着地点になんともいえない切なさがあって(クララよりも少女側に)、これはまさにカズオ・イシグロのテイスト。
●前作「忘れられた巨人」は作者が一種の後期様式に入ったような感があって、ベートーヴェンのピアノ・ソナタにたとえると(なんでだよっ!)、第30番だったんすよ。だから、次は第31番が来ると思うじゃないすか。ノーベル賞も獲ったし。ところがふたを開けてみると「テンペスト」とか「ワルトシュタイン」みたいな力強い中期の傑作が出てきた。そんな驚きあり。
●ずっと前に大野和士さんがカズオ・イシグロにオペラの台本を書いてほしいと手紙を書いたら丁重なお断りの返事が返ってきたという話があって、ホントに惜しいなー。仮に既存作品を日本の劇場でオペラ化するなら「わたしたちが孤児だったころ」でどうだろう。

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