●美しくておいしそうな写真を眺めてよだれを垂らしつつ、名曲に耳を傾けながら読むエッセイ集。「スイート・スイート・クラシック 洋菓子でめぐる音楽史」(三浦裕子著/アルテスパブリッシング)。全17章で、それぞれの章でお菓子と作曲家の組合せがとりあげられている。たとえば、「テレマンとバウムクーヘン」とか「エルガーとヴィクトリア・サンドウィッチ・ケーキ」「ラヴェルとガトー・バスク」といったように。お菓子と音楽の関わり合いというと、漠然とウィーン古典派時代あたりに力点が置かれるのかなと想像したけど、そうでもなくて、話題はとても幅広い時代と地域にまたがっている。必ずしもそれぞれのお菓子と音楽史が密接にリンクしているわけではないのだが、食が喚起する時代性はどこか深いところで音楽ともつながるはず、と実感。レシピあり。
●たとえば第1章が「中世の香り『教皇マルチェルスのミサ』とカスタニャッチョ」なんすよ。このおいしそうな本が、まさかいきなりパレストリーナから始まるとは。そしてカスタニャッチョというお菓子をワタシは知らない。読んでみるととても素朴な焼き菓子で、もしかして作れるかなと一瞬思うのだがレシピを読むと、やっぱり作らない。というのも、このお菓子は栗の粉を焼いて作るんすよ。16世紀には栗の粉はありふれたものだったかもしれないが、21世紀日本では近所のスーパーに置いてなさそう。でも、読むとわかるんだけど、カスタニャッチョには砂糖を使わない。なぜなら、当時のヨーロッパで砂糖はまだ薬ないし保存料であり、お菓子のために気軽に使われるものではなかったから。なので、栗の粉そのものの甘味を味わう、と。なるほど、パレストリーナはそんな時代の音楽なのね……と感じながら、「教皇マルチェルスのミサ」を聴いている。
●この本に即したプレイリストがあったらいいんじゃないかな。Spotifyあたりに。以下は「教皇マルチェルスのミサ」。
2021年4月アーカイブ
「スイート・スイート・クラシック 洋菓子でめぐる音楽史」(三浦裕子著/アルテスパブリッシング)
スピルバーグの「ウェスト・サイド・ストーリー」
●あの「ウェスト・サイド・ストーリー」がスティーヴン・スピルバーグの監督によりふたたび映画化される。公開は12月とまだ先なのだが、予告編が公開された。いやー、これは予感に満ちていて、カッコいい。もちろん、音楽はレナード・バーンスタインだ。アレンジャーはデヴィッド・ニューマン、指揮はドゥダメルが務める。クラシック音楽に囲まれた家庭に育ったスピルバーグにとって、「ウェスト・サイド・ストーリー」は初めて聴くことが許されたポピュラー音楽だったそう。最初、「ウェスト・サイド・ストーリー」がリメイクされると聞いたときは、大胆な読み替え演出(?)が施された「シン・ウェスト・サイド・ストーリー」になるのかなと思ったのだが、予告編を見た感じではそういうことではなさそう。
●宣伝。ONTOMOの連載「耳たぶで冷やせ」第26回は「ストラヴィンスキー『火の鳥』とロシア民話──魔王カスチェイって何者?」。ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」に登場する魔王カスチェイを、自分は曲のイメージから凶暴で巨大な魔物のイメージでとらえていたのだが、もともとのロシア民話を読んでみるとカスチェイは老人で、だいぶイメージが違っていたという話などを。
BRUTUS特別編集 増補改訂版 クラシック音楽をはじめよう。 (マガジンハウスムック)
●以前、BRUTUS 2020年6/1号に掲載された特集記事がパワーアップして、BRUTUS特別編集増補改訂版「クラシック音楽をはじめよう」(マガジンハウスムック) として発売されている。BRUTUSでは創刊以来初めてのクラシック音楽特集だったが、好評だった模様。表紙は若き日のグレン・グールドと愛犬のニッキー。ワタシは「みんなのMYクラシックピースガイド」に寄稿したほか、挟間美帆さんへのクラシックとジャズの違いについてのインタビュー、原摩利彦さんへのグレン・グールドについてのインタビューで協力させていただいた。
●BRUTUSが作っただけあって、音楽誌とはまったく違う視点から記事が組み立てられているのがおもしろい。実は執筆者の多くは音楽誌とそう変わらないのだが、本は編集者が作るもの。どういうものを作りたいか、完成形のイメージを練りあげるのは編集者。
●昨年の3月、このクラシック音楽特集の打合せのために銀座のマガジンハウスに出向いたのだが、そのときすでに街は人通りが少なく、ガランとしていたのを思い出す。ちょうど対面とオンラインが切り替わる時期で、演奏会はほとんどが中止になっていた。せっかくBRUTUSでクラシック音楽特集をしてくれるというのに、そんなタイミングで感染症が流行するなんて……と思ったものだが、まさかそれから一年経って、事態が解決していないどころか、またも緊急事態宣言が出され演奏会が中止になるとは。
●区のお知らせには一般の人のワクチン接種は8月以降の見通しと書いてあった。といっても全員に順番が回ってくるのに何か月かかることやら。予約方式が熾烈な「チケ取り」みたいにならないことを願う。えっ、望むところだって? やめてーーー。
マリノスvs横浜FC J1リーグ第11節
●東京、大阪、兵庫、京都の4都府県で緊急事態宣言が出た。3度目となる緊急事態宣言は、前回の緩さを反省してか(前後で生活上の変化がほとんどなかった)、より強い措置が打ち出されている。イベント類は無観客開催か中止が原則だという。その宣言発出の前日に開催されたのがマリノスvs横浜FC戦。一日ずれたら無観客だったのか……と一瞬思ったが、よく考えたら横浜は神奈川県だから緊急事態宣言の対象外なのだった。東京ディズニーランドも開いたまま。なぜなら所在地は東京ではなく千葉県だから。真実の千葉ディズニーランド。
●はっ、ちがう、Jリーグの話をするのだった。マリノスは横浜FCとの横浜ダービー。横浜FCは中村俊輔がベンチ外だが、GKに六反勇治、FWに伊藤翔、途中出場で渡邉千真がいて元マリノス度が高め。マリノスはGKに高丘、ディフェンスラインに小池、チアゴ・マルチンス、畠中、ティーラトン、セントラルミッドフィルダーに扇原と喜田、トップ下にマルコス・ジュニオール、前線にエウベル、オナイウ、前田大然という布陣。仲川はケガで不在。序盤こそ拮抗した戦いになったものの、前半29分にPKをマルコス・ジュニオールが決めてからは一方的なマリノス・ペースに。続いてオナイウ2、前田、レオ・セアラのゴールラッシュで、5対0のワンサイドゲームになった。今シーズンのマリノスは失点が減った分、爆発力も低下したように感じていたが、久々の大勝。リードしたらさらにゴールを奪うというのがポステコグルー監督のフィロソフィー。ただ、マリノスがよかったという以上に、横浜FCが本調子に程遠いという感触も。失点してからのプレイぶりが予想外に淡白だった。
●マリノスの新戦力でいまひとつ力を測りかねているエウベルだが、この日は活躍していた。特に2点目の場面。コーナーキックからのこぼれ球で、どう考えても思い切りシュートを打つだろうというところで、落ち着いて中でフリーのオナイウにパスを出して、ゴールをアシスト。味がある。この場面でゴールを狙わずアシストを選ぶブラジル人フォワードはかなり新鮮。ただ、全般にプレイに簡潔さを欠くのが気になる。技術があるのはわかるのだが、プレイスタイルが饒舌というか……。もうひとり、この試合からブラジル人フォワードのレオ・セアラが合流、ベンチスタートだったが、後半32分から出場して、なんと、投入直後の最初のプレイでラッキーなシュートチャンスが転がってきて、これをものにした。背番号9の通り、ストライカー・タイプなのか? 前田大然、オナイウとポジションを争うことになる。駒が多すぎるような気もするのだが、どうなんでしょ。
東京・春・音楽祭 リッカルド・ムーティ指揮東京春祭オーケストラ
●22日はミューザ川崎でリッカルド・ムーティ指揮東京春祭オーケストラ。曲はモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」と同第41番「ジュピター」。先日「マクベス」で東京・春・音楽祭の歴史に残るような記念碑的名演があったが、その余韻を一段と深めるためのボーナスステージといった感。短いプログラムだが休憩あり。会場に向かう途中で山手線と京浜東北線が止まって焦ったものの、地下鉄と東海道線を使って問題なく川崎へ。今はスマホが大都会の交通パズルを瞬時に解いてくれる。
●東京春祭オーケストラは各オーケストラの若手奏者たちが中心。精鋭ぞろいだけあって、とてもうまい。響きがきれい。コンサートマスターは長原幸太。弦は12型で通常配置。ムーティなのでぜんぜんHIPではなく、20世紀ウィーン流モーツァルトの延長にある豊麗でしなやかなモーツァルト。これまでムーティはウィーン・フィルとのコンビで生気にあふれたモーツァルトを聴かせくれているが、そこからもう一歩も二歩も角が取れたような柔和な表現が印象的。年輪を重ねても音楽が重くなったり枯れたりせずに、みずみずしさを保っているのがムーティ。アンコールなし、早めにカーテンコールを切り上げたが、場内の拍手は止まず、スタンディングオベーションとムーティのソロ・カーテンコールに。来日してくれた巨匠への感謝の念も大いに込めつつ。
●それにしてもムーティは背筋がまっすぐ伸びていて、まもなく80歳を迎える今もなおカッコいい。あのオーラはなんなのか。
●報道によれば東京、大阪、京都、兵庫の4都府県に緊急事態宣言が発出されるそう。期間は25日から5月11日までだという。演奏会はどうなるのだろう。
●不思議なことに、現時点でオリンピックを中止/延期しようという話は出ていない。いま気になるのは、J.S.バッハやC.P.E.バッハよりもI.O.C.バッハ。
東京国立近代美術館「あやしい絵」展
●21日は東京国立近代美術館で「あやしい絵」展(~5/16)。ウイルス禍のため海外勢に頼れない事情はお隣の美術の分野でも似たようなものらしく、こういった企画展でも国内所蔵作品ばかりが集められている様子。それでもこうして趣向を凝らした企画展が成立しているのだからすごい。幕末から昭和初期の作品を中心に、一部西洋美術も含みつつ「あやしい」作品がずらりと並ぶ。妖しい、あるいは怪しい、もしかすると、ぁゃιぃ。
●特に気になった作品を一点挙げるとすると、上掲の橘小夢「水魔」(1932/個人蔵)。水魔の類は音楽ファンにもわりとおなじみで、ドビュッシーの(あるいはシェーンベルク、シベリウスの)「ペレアスとメリザンド」や、ドヴォルザークの「ルサルカ」などのイメージがあると思うが、これはなんなんだ。美しい女性が水魔なのか、それとも背中にへばりついている小さいオッサン(河童?)が水魔なのか。水へ潜っていくのか、それとも浮き上がってきているのか。思わず見入ってしまうあやしさ。
●商業デザインから生まれた作品もかなり目立っていて、いいなと思ったのは杉浦非水「三越呉服店 春の新柄陳列会ポスター」(1914/東京国立近代美術館所蔵)。なんだか今っぽい。花や植物をモチーフにした装飾的なディテールが過剰なほどつめこまれている一方、人物の表情は妙にこざっぱりしている。瞳がいい。なにか企んでいそうな目。
ハナノナ
●最近、ワタシの周囲で話題沸騰中のアプリといえば「ハナノナ」。スマホをかざすと花の名前を教えてくれる。これはよくできている。以前から同種のアプリもなくはなかったのだが、インターフェイスが簡明で、なおかつ日本でよく見かける花をちゃんと認識してくれるのが吉。千葉工業大学人工知能・ソフトウェア技術研究センターによるアプリ。花の既存画像を集めたデータセットを深層学習させている。判定結果がパーセンテージで出てくるのもいい感じで、自信ありげに100%と断言したり、35%みたいな当てずっぽう気味の答えを返してくることもある。
●たとえば、これ。「あ、ネモフィラだ」と思ってアプリで撮影してみたら、「ルリカラクサ」と出た。そうか、ネモフィラの別名がルリカラクサなのか。
●こちらの派手な花はアネモネ。ナイジェリア代表サッカーチームにいそうな、少し覚えづらい名前だ。別名がたくさんある。
●このおもしろい形状の花はツキヌキニンドウと呼ぶのだとか。どんな名前だと思って調べてみたら、漢字で「突抜忍冬」。初夏から秋まで長期間開花するそう。ラッパ的。先っぽから音が出そう。
●いま盛んに咲いているツツジ系の花をいくつか試したが、どれも「ツツジ属」という大きな分類名を出してきた。ツツジを細かく分類するのは煩雑すぎるということなのか。この花はたしかセイヨウシャクナゲ。
東京・春・音楽祭 リッカルド・ムーティ指揮「マクベス」 イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 vol.2
●久々に超弩級の名演を聴いた。19日、東京文化会館で東京・春・音楽祭のヴェルディ「マクベス」演奏会形式。今年80歳を迎えるリッカルド・ムーティが来日、イタリア・オペラ・アカデミー in 東京の第2回として「マクベス」をとりあげた。東京春祭オーケストラはアカデミーのための特別編成のオーケストラで、コンサートマスター長原幸太のもと、若手精鋭たちが集まった。マクベスにルカ・ミケレッティ、マクベス夫人にアナスタシア・バルトリ、バンコ(バンコー)にリッカルド・ザネッラート、マクダフに芹澤佳通、マルコムに城宏憲。オーケストラは精緻かつ雄弁で、極上。通常の劇場ではまず望めないような彫琢された表現と豪快な鳴りっぷり。歌手陣もそれぞれ見事なのだが、なによりマクベス夫人のアナスタシア・バルトリが強烈。ピストルで撃ち合ってる中でひとりバズーカー砲で参戦してるくらいの強靭さで、役柄の禍々しさを完璧に伝えてくれた。マクベスは精悍で、権力欲と内面の弱さのジレンマを抱えた人物像にぴったり。演技なし、譜面ありの純然たる演奏会形式での公演だったが、ここまで音楽に生命力がみなぎっていると、説明的な舞台や演技は一切不要と思えてしまう。熱くて、妖しくて、清らかで、みずみずしい。ヴェルディって、こんな音楽だったんだと今さら知った思い。というか、これほど音のドラマに一貫性を持ったヴェルディを自分は聴いたことがあっただろうか。
●ブラボーの発声はできないので、客席は盛大な拍手とスタンディングオベーション。カーテンコールの後も拍手がいつまでも止まず、最後はムーティのソロカーテンコールがあった。袖から小走りに登場するムーティに驚愕。80歳でヨーロッパと日本を往復して仕事をしているだけでもすごいのだが、こんなに軽快に動けるなんて。他の来日公演が次々と中止になっている現状で、ムーティが本当に来日できるのかどうか、直前までわからなかったのだが、音楽祭事務局による「ふじみダイアリー」にあるように、14日間の隔離措置を経ずに、サッカーの代表戦などでも行われているバブル方式での来日が実現した。これはこれで来日後の制限が多く、主催者側の負担は大変なもの。無事に公演が実現したことに感謝するほかない。なお、21日にもう一公演ある。
●作品について。やっぱり「マクベス」っておもしろいオペラだと思った。音楽的にすぐれたオペラはいくらでもあるけど、物語的にも真に味わい深いオペラは貴重。自分はオペラの世界の「お約束」を受け入れずに、あるがままに観ようと心掛ける派なので、オペラで都合のよすぎる偶然が重なったり、単純なコミュニケーション不足から大きな悲劇が発生したり、後出しで重要な血縁関係が判明したり、致命傷を負った人間が朗々と歌っていたりするたびに、いくぶんストレスを感じてしまうのだが、「マクベス」にはそういう頭を抱える場面がない。話の中身は血なまぐさいが、ドラマとして健全。シェイクスピアも草葉の陰で喜んでいるはず。
●この話で真に権力を渇望しているのはマクベス夫人だけ。夫を唆して王位につかせて、勝ち誇る。でも王位についたのはマクベスであって、実際にはマクベス夫人は女に生まれた以上、王になることはない。最後は精神を病み、いくら手を洗っても血が落ちないと訴える。一方、マクベスは「女から生まれた者」には無敵だが、女の腹を破って生まれたマクダフに倒される。時代を考えれば、帝王切開で生まれたということはおそらく母親は出血多量で亡くなっており、マクダフは母を知らずに育った男なのだろう。マクベス夫人とマクダフを巡る血のイメージの対照性が興味深い。
●音楽的には力強いエンディングが用意されているものの、「マクベス」の物語は開いたまま終わる。最初の魔女の予言、「バンコーの子孫が王になる」という伏線が回収されないのだ。マクベスを倒して王位につくのは前王の遺児マルコムなのだから、バンコーの子(フリーアンス、しかしヴェルディのオペラには出番がない)はどうなるのか。この後、マルコムとフリーアンスの間に惨劇が続くとも解せるし、フリーアンスではなくその子孫が王位に就くとも解せる。魔女の予言はよく当たるが、「バーナムの森が動かない限り」といったように、しばしば含みがあって油断できない。
鈴木雅明指揮NHK交響楽団のハイドン、モーツァルト、シューマン
●16日は東京芸術劇場で鈴木雅明指揮NHK交響楽団。前半にハイドンの交響曲第95番ハ短調とモーツァルトのオーボエ協奏曲ハ長調(吉井瑞穂)、後半にシューマンの交響曲第1番変ロ長調「春」。ハイドンは序奏なしの冒頭主題がいきなり「ズン!」と気迫を込めた音で始まったのが印象的。モーツァルトでは吉井瑞穂のオーボエ独奏が甘美。陰影に富み表情豊かで、深い味わいのモーツァルト。アンコールはトマー「神ともにいまして」。後半の「春」はこれまでに聴いた同曲の演奏のなかでももっとも熱量の高い演奏で、前へ前へと猛進するシューマン。特に第4楽章は速かった。この勢いなら曲が終わるや否やの大喝采でもよかったと思うのだが、客席はそう感じた人と行儀よくワンテンポ置きたい人の間で意見が分かれたようで、中途半端な感じになってしまった。ともあれ、心から音楽の喜びに浸れた公演。
●この日は18時開演だったので、終演が20時前。芸劇前の池袋西口公園では大勢の人が腰かけていて、屋外飲み会の人も多い様子。自分も開演前にパンとコーヒーの軽食をここで食べた。演奏会がある晩は屋外で軽食をとるのが基本パターンになっている。東京の新規感染者数は着々と増え続け、変異株の脅威も盛んに伝えられており、いつ3度目の緊急事態宣言が出てもおかしくない。都に蔓延防止等重点措置が適用されたのは4月12日なので、2週間のタイムラグがあるとすると、その効果があらわれるのは26日頃。宣言をそこまで待つのかどうか?
今ごろ「エヴァQ」
●うーむ、どうしよう、「シン・エヴァンゲリオン」。社会現象にもなった「エヴァ」の最初のテレビシリーズ(の再放送)が1997年くらい? それから時が経ち、まさか2021年になって「エヴァ」の新作が公開されているという驚き。しかし「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」と「:破」までは映画館で見たが、「:Q」を観ていない。すでに「:破」で話に付いていけなくなっているような実感もあるのだが、「:Q」を観ないで「シン」を観るという選択肢はないだろう……。
●というわけで、Amazonの配信で「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を観てみた! スゴい! 絵がスゴい! スゴすぎてなにが起きてるかわからない! 話もさっぱりわからない! シンジ置き去り! 自分も置き去り! みんなで勝手に盛り上がってる! 昔はチェロを弾いていたシンジがいきなりピアノを弾けるようになってる! カヲルはどうして首のチョーカーを簡単に外せるの? 使徒だから? この荒廃した地上でネルフもヴンダーもどうやってあれほどの重工業を実現しているの? 驚きと疑問が尽きないまま見終えてしまった。碇シンジに対して感じる「イラッ!」とした思いが、なんだか懐かしい。で、どうするのか、「シン」(まだ迷ってる)。
●一時期、よくわからない形態の生物はみんな使徒に見えた。そういえば、今、襲来している放射状の突起を持ったアレも使徒かもしれない。
●というわけで都の新規感染者数だが、緊急事態宣言が解除されて着々と感染が拡大しており、すでに昨年夏のピークは越えている。久しぶりに各国の人口あたり新規感染者数の7日移動平均を見てみると、ワクチン接種で先行するイギリスの新規感染者が日本より減っていて驚く。一方、フランスなどはまったく収まっておらず、欧米の間でも国により状況がずいぶん違っている。
サントリーホール開館35周年記念事業発表会見
●14日はサントリーホール開館35周年記念事業発表会見。会場はブルーローズ。リアルとリモートの両方で参加可能なハイブリッド方式だったので躊躇なくリモート参加に。使用ツールはBluejeans。オンライン参加者だけで170名を超える大盛況。冒頭、堤剛館長から挨拶。「互いに距離をとることが求められる昨今だからこそ、お客様が感動を共有する場が求められる。コロナ禍でオンライン配信が急速に広まることで、人々の距離が縮まった。今後はリアルとオンラインのデジタルサントリーホールの両輪で、サントリーホールを身近に感じてもらいたい」。
●続いて折井雅子総支配人より、35周年のキーメッセージ「夢を奏でる場所」が掲げられ、6つの公演概要が発表された。東京交響楽団との共催で20周年を迎える「こども定期演奏会」、10周年を迎える室内楽の祭典「チェンバーミュージック・ガーデン2021」、マティアス・ピンチャーとアンサンブル・アンテルコンタンポランを招く「サマーフェスティバル2021」、35周年記念の正装コンサート「ガラ・コンサート2021」、ニコラ・ルイゾッティ指揮によるホール・オペラ「ラ・トラヴィアータ」(椿姫)、リッカルド・ムーティ指揮によるウィーン・フィルハーモニー・ウィーン・イン・ジャパン2021。
●やはり目をひくのはウィーン・フィルだろう。奇しくも現在「東京・春・音楽祭」で来日中のムーティの指揮で、プログラムは2種類。ひとつはモーツァルトの「ハフナー」とシューベルトの「グレイト」、もうひとつはシューベルト「悲劇的」、ストラヴィンスキー「妖精の接吻」、メンデルスゾーン「イタリア」。ウィーンとイタリア由来の曲が並び、コンパクトな編成の曲が中心。ホール・オペラはルイゾッティ指揮東響で、ルイゾッティのビデオメッセージあり。しばらく見ないうちに銀髪の落ち着いた紳士になっていた。「チェンバーミュージック・ガーデン」では、エルサレム弦楽四重奏団がベートーヴェン・サイクルに挑む。
●今回もっとも目をひいたのはデジタルサントリーホール。昨日よりオープンしており、現在は毎春恒例の「オープンハウス」がオンライン版で開催されている。また今後の配信公演ラインナップもあがっており、かなり期待できそうな感触。
東京・春・音楽祭 ミュージアム・コンサート 美術と音楽~木管五重奏
●13日、前日に続いて東京・春・音楽祭へ。会場は東京都美術館講堂で、平日午後開催の「ミュージアム・コンサート 美術と音楽~木管五重奏」。フルートに梶川真歩、オーボエに本多啓佑、クラリネットに近藤千花子、ファゴットに大内秀介、ホルンに嵯峨郁恵。N響、シティフィル、東響、日フィル、横浜シンフォニエッタとそれぞれ所属の異なるメンバーが集まっての木管五重奏。プログラムはストラヴィンスキーの「プルチネルラ」序曲、ビゼー(B.ホルコンブ編)のカルメン幻想曲、ドビュッシー(H.ビュッセル編)の小組曲、タファネルの木管五重奏曲ト短調で、休憩なしの約1時間プロ。作品、演奏ともに後半の2曲がいい。タファネルはもっぱらフルート奏者のためのレパートリーを書いたスペシャリストのイメージだが、この木管五重奏曲に関しては楽器の名技性に依存しない音楽のおもしろさを感じる。急─緩─急の3楽章構成で定型に従いつつも、微妙にメランコリーとユーモアが入り混じったテイストが一貫していて、あまりツルンとしていないのが魅力か。アンコールはオッフェンバックのフレンチカンカン。いきなり景気がよくて、本編とのギャップが激しい。
●春の上野は昼の楽しみが多いので、東京・春・音楽祭のミュージアム・コンサートは毎回最低一公演は足を運ぶようにしている。本来なら公演に合わせて美術展に寄るなり公園を散策するなりしたいところだが、この日は当てが外れて雨模様。しかも西洋美術館は長期休館中。動物園も休園中。選択肢が少なく、まっすぐ帰宅することに。
●上野駅の公園口が移動して、改札からまっすぐに公園に行けるようになった。駅から出たときの開放感がすごい一方、公演口改札がやたらと駅の端に位置していて、表玄関が勝手口に変わったみたいな感もあり。
東京・春・音楽祭 川口成彦~協奏曲の夕べ
●12日は東京文化会館小ホールで東京・春・音楽祭「川口成彦~協奏曲の夕べ ピリオド楽器で聴くモーツァルト&ベートーヴェン」。フォルテピアノの川口成彦に「ラ・ムジカ・コッラーナ」(ヴァイオリン:丸山韶、廣海史帆、ヴィオラ:佐々木梨花、チェロ:島根朋史、ヴィオローネ:諸岡典経)が加わる室内楽編成の協奏曲集。プログラムが魅力的。モーツァルトのJ.C.バッハのソナタによる協奏曲第2番ト⻑調K.107-2、ピアノ協奏曲第12番イ⻑調K.414、C.P.E.バッハの幻想曲へ⻑調Wq.59-5、ベートーヴェン(V.ラハナー編)のピアノ協奏曲第2番変ロ⻑調。
●モーツァルトによるクリスティアン・バッハの編曲作品であるK.107-2を聴いたのは初めて。ピアノ協奏曲第1番から第4番までの4曲以外にも、こういった他人の編曲による協奏曲があったとは。アレグロとアレグレットのみの2楽章構成。最後にもう1楽章、欲しくなる。クリスティアン・バッハとモーツァルトの親和性の高さを感じる一方、モーツァルト固有の魅力は薄い。続くピアノ協奏曲第12番ではうってかわってモーツァルトのインスピレーションが大爆発していて、対比が鮮やか。C.P.E.バッハの気まぐれな独奏曲が全体のなかでアクセントとして効いていた。白眉はベートーヴェンで、親密なアンサンブルがもたらす愉悦を満喫。ききおぼえのないカデンツァはやはりご本人の作だったそうで、ベートーヴェン本人のカデンツァは後から書いたものであるため今回使用したヴァルターのレプリカでは音域が足りないのだとか。
●フォルテピアノの音色はニュアンスに富み、弦楽器とも無理なく美しく調和する。柔らかい音色を出す弱音装置の効果は絶大。一方で、モダンピアノに比べれば音量ははるかに小さく、文化会館の小ホールですら巨大空間に感じる。経済合理性を超越してはじめて聴ける贅沢品という思いを新たにする。
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●東京・春・音楽祭のために、すでにリッカルド・ムーティが来日している。現在「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」が開講中で、4人の指揮受講生、歌手たちがムーティの指導を受けており、その模様がインターネットで無料ライブ配信されている。本日13日は中休みなのだが、明日から16日まで毎日10:30から17:00までの開催。配信は日本語の同時通訳付き。
Windows 10 バージョン20H2のMicrosoft IME問題
●Windows 10のバージョンが20H2に上がって以来、困ったことになったのが日本語入力システムMicrosoft IME。今回、大きく刷新されたようなのだが、いろいろなアプリで不具合が起きている。たとえばワタシが原稿書きに使っている秀丸エディタの場合、かな漢字変換してEnterキーを押しても変換が確定しない等の不具合があり、まるで使い物にならない。そこで、多くのアプリでは旧バージョンのMicrosoft IMEに戻すことで問題を回避するようにアナウンスされている。旧バージョンに戻すこと自体は簡単なので、ワタシもそうした。これでひとまず解決ではある、が。
●実は問題はそれだけではない。今後、不具合はWindows Updateを通して解消されたとしても、それでも困るのは新バージョンでキー設定のカスタマイズがほとんどできなくなってしまったこと。これには参った。まさかバージョンアップで機能が減ってしまうとは。ワタシは太古のMS-DOS時代にVZ-Editorのキーアサインを体に叩き込んだので、自由にキー設定を変更できないと困る。同様の嘆きが@ITでも記事になっていて、今後もMS-IMEがこの仕様のままなら(そして、いつまでも旧バージョンが使えるとは思えないので)、Google日本語入力に乗り換える手があると記されている。まあ、それは奥の手ではあるけれど……。
●ワタシは昔からWindows大好き人間なのだが(←変態)、今回のMicrosoft IME刷新はいただけない。PCの日本語関連の仕様はローカルな課題であるがゆえか、なにかと問題が起きがち。
●あと余談なんだけど、Windowsがメジャーアップデートすると、フォントサイズが標準に戻ってしまうので、老眼ユーザーは毎回「Meiryo UIも大っきらい!!」で設定を直すことになる。Windowsの「設定」から文字を大きくすることもできるが、あれは求めるものと違うんである。文字を一律に大きくしてほしいのではない。エクスプローラーのファイル一覧とかタイトルバーとか、限られた文字だけがやたらと小さすぎて読めないので、「Meiryo UIも大っきらい!!」が必要になるのだ。Microsoftの日本法人に老眼の人はいないのだろうか?
新国立劇場 ストラヴィンスキー「夜鳴きうぐいす」&チャイコフスキー「イオランタ」
●8日は新国立劇場でストラヴィンスキー「夜鳴きうぐいす」&チャイコフスキー「イオランタ」。新制作。ロシア・オペラの2本立てを観る貴重な機会で、本当にありがたい。前者の原作はアンデルセンの童話、後者はヘンリク・ヘルツの「ルネ王の娘」で、ともにデンマークの同時代の作家が書いた作品なので、裏デンマーク・プロでもある。ヤニス・コッコスの演出、高関健指揮東京フィル。「夜鳴きうぐいす」の題名役、三宅理恵がこの日の一番人気か。まさしくうぐいすのさえずりを思わせる声の清らかさと輝かしさ。「イオランタ」は題名役が大隅智佳子、ルネ王に妻屋秀和、ヴォデモンに内山信吾。
●演出面でも音楽面でもストラヴィンスキー「夜鳴きうぐいす」のほうがおもしろいのだが(上記映像のカラフルでポップでキッチュな舞台を見ればワクワクするはず)、作品としてより語りたくなる要素が多いのは断然チャイコフスキー「イオランタ」。物語の入り口が並外れて力強い。ルネ王の娘イオランタは盲目に生まれたが、王は本人がそう悟らないように、外界から隔絶された環境で娘を育て、従者たちにイオランタが決して「視覚」について知ることがないように配慮させる。イオランタは目とは涙を流すための器官だと理解しており、世界を匂いや音や手触りで認識している。王は娘を愛するあまり、娘が不幸な境遇に生まれたことを察知させたくないのだ。この胸が苦しくなるような設定。なんという物語だろう。観る人は、王の愛の形は大きな過ちであり、その先に悲劇を予感するはず。
●しかし、この物語はハッピーエンドに着地するのだ。名医が「イオランタは自ら見ることを切望しない限り、治癒しない」と診断する。イオランタに求愛する騎士があらわれ、騎士はイオランタに光について教えてしまう。騎士は王から死刑を宣告されるが、イオランタは騎士を救いたい一心で治療を受けて、目が見えるようになる。物語のはじまりは予感に満ちているのに、その後はかなり平坦かつ直線的な話で、現代的価値観からすると結末に形だけでも医学的説明を付けてほしくなる。しかしそこを音楽の力で問答無用で解決してしまうのがチャイコフスキー。幕切れの音楽はほとんど交響曲第5番終楽章のコーダ並みの潔さで、高らかな賛歌で終わる。思い切ったな、チャイコフスキー。そんなパワフルさ。
●で、イオランタが光を取り戻すというストーリーは、大きく解釈すれば啓蒙の精神ということになるが、小さく見れば、娘が親もとから巣立つという話でもある。鳥籠で保護されているような娘が、他者に出会ったことから、大きな世界へと羽ばたいてゆく。つまり「くるみ割り人形」と同じようなテーマを扱っている。実際、「イオランタ」は「くるみ割り人形」とオペラ&バレエの2本立てで上演されるために書かれた作品なので、もともと「巣立ち」という共通性のあるテーマが選ばれていたわけだ。ただ、音楽の作り方はまったく違っていて、「くるみ割り人形」が場面場面ごとに完結したキャッチーな名曲の宝庫であるのに対して、「イオランタ」はドラマがなるべく途切れず一貫した流れを生み出すように書かれていて、なんというか、「高尚」だ。
●新国立劇場のサイトにある「アンデルセンとヘルツ、『即興詩人』と『イオランタ』について」に書かれているように(必読)、「夜鳴きうぐいす」の原作者アンデルセンと「イオランタ」の原作者ヘルツは旅先のナポリで出会って、一緒にイタリアを旅行している。そして旅先で盲目のロマの少女に会う。で、ふたりとも盲目の少女が光を取り戻すというストーリーを自作に取り入れていて、アンデルセンは1835年に「即興詩人」、ヘルツは1845年に「ルネ王の娘」を書いた。「即興詩人」には森鷗外以来いくつか日本語訳があるが、「ルネ王の娘」にはない。しばしばチャイコフスキーの「イオランタ」が誤ってアンデルセン原作と記述されるのは、そういった背景があってのことなのだろう。
マリノスvsセレッソ大阪 J1リーグ第8節
●バスケットボールの佐賀バルーナーズの試合でクラスターが発生したというニュースあり。スポーツ選手間での感染はこれまでもあったが、今回は選手やスタッフだけではなく、互いに面識のない観客4人に感染が広がったことから、試合中に感染が拡大したと見られている。座席の間隔も少なくとも1席以上空いていたそう。気になるニュースではある。
●で、Jリーグはウィークデイにも試合があって、マリノスは6日にセレッソ大阪と対戦。DAZNで観る。観客は約8千人。というとすごく多いようだが、7万人収容のスタジアムだ。試合は前節を思わせる展開で、マリノスが多くの時間帯でボールをキープするも、相手のディフェンスを崩した決定機はほとんど訪れない。むしろセレッソにビッグチャンスがあった。前線は中央に前田、右に仲川、左にエウベル、トップ下に天野が先発復帰、ボランチは喜田と扇原。ディフェンスラインは松原、畠中、チアゴ・マルチンス、高野、キーパーは高丘という布陣。やはりマルコス・ジュニオールの不在は大きく、ボールは前線に運べても、アイディアが乏しく、結局は左右からクロスを入れるという場面が目立つ。そこでクロスボールに頼るのなら、こんなにたくさんのパスもスプリントも必要ない気が。エウベルもまだまだ昨季のエリキを穴を埋めるには程遠い。後半に天野→オナイウ、仲川→水沼、喜田→岩田と選手を入れ替えるが流れは変わらない。このままスコアレスドローとなるかと思った後半42分、コーナーキックのこぼれ球をオナイウが蹴り込んでゴール。これが決勝点となって1対0で勝った。なぜかセレッソは苦手な相手で、なんとこれが10年ぶりの勝利。どうしてこんなにセレッソに分が悪いのか、よくわからないのだが。
●実は先制点を決めた後、とても試合内容がよくなった。終盤にゴールを決めたら後は守ればよさそうなものだが、今のマリノスは攻勢を強めて2点目を獲りに行く。選手の動きがぐっと軽快になって、いい雰囲気で試合を閉じた。これで4勝1敗2分。本日の順位表を見ると……あれ、8位か。いま、試合数にばらつきがあって、多いところは9試合、少ないところは3試合(ガンバ大阪)しかやってない。マリノスはこれで7試合。微妙。そして、こんなに試合数にばらつきがあって、最後はきちんとリーグ戦を終えることができるのだろうか。
カーチュン・ウォン指揮読響のマーラー他
●6日はサントリーホールでカーチュン・ウォン指揮読響。ウイルス禍のなか、シンガポール出身の気鋭が大活躍中。プログラムはかなり意欲的。前半は細川俊夫の「冥想 -3月11日の津波の犠牲者に捧げる-」、デュティユーのヴァイオリン協奏曲「夢の樹」(諏訪内晶子)、後半はマーラーの交響詩「葬礼」と交響曲第10番より「アダージョ」をつなげて。細川作品に限らず、全体として震災10年の節目を意識させるプログラムになっていた。
●一曲目の「冥想」は精緻な祈りの音楽。繊細な響きが生み出す美の世界は、現実の震災の凄惨さとは打って変わって、ほとんど神話的なほど。デュティユーの「夢の樹」は音色がおもしろい。一曲目が波、二曲目が夢の音楽だが、むしろ一曲目が夢、二曲目が波のイメージを想起させたかも。後半はマーラーのスタートとゴールだけを抽出したような選曲で、「葬礼」で切れ味鋭く始まり、彼岸の世界へと淡く消える。大河ドラマにたとえるなら(なんでだ)、子供時代を演ずる子役から、いきなり大人の役者の老けメイクに変貌するようなワープ感。指揮ぶりは明快でダイナミック。これはこれで貴重な体験だったが、かなりもりだくさんのプログラムだったので、いずれがっつりマーラーの大曲も聴いてみたくなる。
●客席はまずまずの盛況。今回もカーチュンは聴衆の気持ちをつかんだようで、なんとこのプログラムでソロ・カーテンコールあり。すごい。
第63回グラミー賞のクラシック音楽部門
●3月14日、第63回グラミー賞が発表された。昨年、「グラミー賞のクラシック音楽部門」でもご紹介したように、この賞のラインナップは日本や欧州とはずいぶん違っていて、なかなか興味深い。よく知らない作曲家の名前がこういったメジャーな賞に並ぶのを見ると、「クラシック音楽」の範疇はわれわれが思っているほど万国共通でもないのかも、という気になる。
●まず、BEST ORCHESTRAL PERFORMANCE は、ドゥダメル指揮LAフィルによる「アイヴズ 交響曲全集」。これは納得で、自国を代表する作曲家とオーケストラのアルバム。王道すぎて、グラミー賞ではむしろ保守的なチョイスにすら映る。ちなみに昨年の同部門も同じくドゥダメル指揮LAフィルによるアンドリュー・ノーマンの「サステイン」だった。
●BEST CLASSICAL INSTRUMENTAL SOLOは、クリストファー・セオファニーディス(Theofanidis)作曲「ヴィオラと室内オーケストラのための協奏曲」で、リチャード・オニールのヴィオラ、デイヴィッド・アラン・ミラー指揮オルバニー交響楽団の演奏。BEST CHAMBER MUSIC/SMALL ENSEMBLE PERFORMANCEは、パシフィカ・クァルテットによる「コンテンポラリー・ヴォイス」で、シュラミト・ラン、ジェニファー・ヒグドン、エレン・ターフィ・ツウリッヒの作品が収められている。ほら、「その作曲家、だれ?」ってならないっすか。
●BEST CLASSICAL SOLO VOCAL ALBUMは、ソプラノのサラ・ブレイリー、バリトンのデション・バートン、ジェイムズ・ブラッチュリー指揮エクスペリエンシャル管弦楽団&合唱団によるエセル・スマイス作曲の交響曲「刑務所(ザ・プリズン)」。ちなみにスマイスは19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したイギリスの作曲家で、女性参政権運動家としても知られるそう。BEST OPERA RECORDINGは、デイヴィッド・ロバートソン指揮メトロポリタン・オペラによるガーシュウィンの「ポーギーとベス」、BEST CHORAL PERFORMANCEは、リチャード・ダニエルプール作曲のオラトリオ「イェシュアの受難曲」で、ジョアン・ファレッタ指揮バッファロー・フィル&合唱団他。
●BEST CONTEMPORARY CLASSICAL COMPOSITIONは、クリストファー・ラウズ作曲の交響曲第5番で、ジャンカルロ・ゲレーロ指揮ナッシュヴィル交響楽団。クリストファー・ラウズは2019年に世を去った作曲家。通常部門に存命中の作曲家がどんどん登場するのに、現代部門が故人というのが珍しい感じ。たしかこの部門は最近25年以内に作曲された作品が対象だった。25年より前はもうコンテンポラリーとは言えないというのはもっともな話。ほかにもいくつかクラシック関連部門があるが、主だったところはこんなところ。グラミー賞は日本のクラシック音楽業界ではさっぱり話題にならないが(日本人が受賞しない限り)、ラインナップは刺激的だ。
マリノスvs湘南ベルマーレ J1リーグ第7節
●気のせいだろうか、今季のJリーグ、なんとなくシーズンオフの切れ目に実感がない。山もなく谷もなく、臨時営業中がずっと昨季から続いているような錯覚を覚えている。なぜなのか、いろいろ理由は思いつくが、いろんな制限があったり、昨季は降格がなかったりで、リーグ戦そのものが薄味になっているからなのかもしれない。あるいはこれはポステコグルー監督の美しい冒険はすでに幕を閉じたと感じるマリノス・ファンの思い違いなのか。
●で、第7節、マリノスはホームで湘南ベルマーレ戦。メンバーはどんどん変わってゆく。この日はマルコス・ジュニオール不在で、4トップのような布陣に。本来なら天野がトップ下に入ってもよさそうだが、そこにオナイウ阿道がいて、前線に前田大然、右に仲川、左にエウベルという4トップ。GK:高丘-DF:岩田智輝、チアゴ・マルチンス、畠中、小池-MF:扇原(→喜田)、渡辺皓太(→天野)-オナイウ(→和田拓也)-FW:仲川、前田大然、エウベル(→高野遼)。
●予想通り、マリノスはボール保持して主導権を握ったものの、決定機を欠く。湘南は3バックだが、守備時には5バックのブロックを敷き、たびたび鋭いカウンターを放つ。一方的に攻めている割には、試合の行方は五分五分かと思われたのがスコアレスの前半。後半20分、途中出場の天野の浮き球のパスを、走り込んだ前田がエウベルに落とし、これをエウベルが技巧的なボレーで蹴り込んで先制。勢いに乗って2点目、3点目と続くかと思いきや、後半30分、湘南は右サイドからクロスにフリーの山田が豪快に頭で合わせて同点ゴール。その後もマリノスは攻めてはいたのだが、堅い守りをこじ開けられず1対1のドロー。マリノスは勝点を落とした試合、湘南は勝点を拾った試合だと思う。
●マリノスはシュートがバーやポストを叩いた場面が少なくとも3回はあった。以前、加茂周元日本代表監督が「バーとポストをぜんぶ合わせればベニヤ板一枚くらいになるんだから、ボールが当たるのは当たり前」と言っていたのを思い出す。ポステコグルー監督の戦術は、本質的に個の突出した能力で問題を解決する「お金を溶かす戦術」だと思っているので(その分、見栄えがよくて、楽しくて、刺激的)、わずかにタレントを欠いた分が結果にあらわれたとも解せる。パス本数とスプリント回数はとても多かったが、ゴールを決めきれずに勝点を失う。これまでになんどもなんども目にしてきたパターンのリプレイのよう。
珈琲館とカフェ・ベローチェのシャノアールが合併
●ふと目にしたニュース。珈琲館とカフェ・ベローチェ等を展開するシャノアールが合併して、新たにC-United株式会社になるそう。珈琲館はときどき打合せで使うお店で、こういったお店では例外的にコーヒーがおいしいという印象。カフェ・ベローチェは味はさておき安価で、原稿書きなどの仕事に重宝するお店。互いの強みが違うから合併が有効、ということなのかな。
●しかし、ウイルス禍以降、こういったお店に入る機会が激減してしまった。以前は夜の演奏会の開演一時間前くらいに付近のお店に入って、そこでモバイルPCを開いて仕事をするのが常だった。これは一石二鳥で、早めに移動を済ませることで遅刻の心配がなくなるし(電車が止まることもあるわけで……)、開演直前までなにかしていられる。しかも、普段と違う環境で原稿を書くと気分転換になる。これが案外大きい。いろいろと試した結果、「あのホールの近くのスターバックスだと仕事が進まないが、ドトールコーヒーだとガンガン進む」みたいな謎の経験則が蓄積している。おおむねシャレた雰囲気より会議室っぽい場所のほうがよいので、ときどきコワーキングスペースみたいな場所もドロップインで使っていた(主に渋谷、池袋、上野あたり)。それが今やすっかりモバイルPCを持ち運ぶ機会がなくなり、軽さとバッテリー性能のバランスを熟慮して選んだお気に入りのVAIOはオンライン・ミーティング専用機になってしまっている。めったに家から出ないモバイルPC。トホホ。天気のよい日に、近所の公園でPCを広げている人をよく見かけるのだが、ああいう人たちは虫対策をどうしているのだろうか。大いなる謎。
●そうだ、宣伝をしようと思って忘れていた。大阪の住友生命いずみホールの音楽情報誌 Jupiter 187号から、新連載「ネットで遊ぶ、クラシック!令和版」を始めたのだった。以前、2013年から14年にかけても同様のテーマで連載していたが、それから時が経ち、昨今のウイルス禍でインターネット配信の世界が格段に広がったことで、再登板となった次第。同誌は隔月刊(奇数月中旬発行)、各所で無料配布中。
久々の遠出
●本日は4月1日。すでに東京の桜は散りつつあるが、いまだウイルス禍は続いており、ワクチン接種の具体的なスケジュールも見えてこない。一頃は4月1日になると各社いっせいに凝ったエイプリルフール企画をリリースしたものだが、すっかりそういうノリは見かけなくなった。時代の空気を反映してるってこともあるのかな……と思って、2011年に自分がなにを書いていたか確かめてみたら、電力不足解消のため「輪番発電の実施が決まった」とあった……。しょうがない。
●昨日、3月31日は「オーケストラの日」。オーケストラ・アンサンブル金沢の生配信企画「オーケストラの日2021」にトークで出演するために久しぶりに金沢を訪れた。最後に遠出したのは昨年2月末、琉球交響楽団を取材するための沖縄出張だったので、1年以上首都圏から出ていなかったことになる。石川県の新規感染者数はゼロとか一桁の日が続いていて東京とは別世界。こちらも念には念を入れて、金沢に行く10日前から外出を自粛して臨んだ。配信中もずっと全員マスク着用。生配信は3時間を超える長丁場だったが、いっしょに出演した潮博恵さん、OEKのみなさん、配信を担ったHAB北陸朝日放送の方々のおかげで、スムーズに完走できた。
●今回改めて思ったが、自分はマイクの前ではまったく緊張しない。リラックスして話せる。だが、人前だと緊張してうまく話せないので、近年、講師とか司会のようなタイプの仕事はしていない。マイクの前だと(=スタジオだと)快適に話せるのに、人前では話せない。この基本原則はずっと前から変わらない。
●スペシャルゲストにひゃくまんさんが出演した。直接の絡みはなかったが、地元では絶大な人気を誇るゆるキャラのひゃくまんさんと共演(?)できたのがうれしい。舞台裏でワタシは見た、「中の人」を……。