April 20, 2021

東京・春・音楽祭 リッカルド・ムーティ指揮「マクベス」 イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 vol.2

東京・春・音楽祭 東京文化会館
●久々に超弩級の名演を聴いた。19日、東京文化会館で東京・春・音楽祭のヴェルディ「マクベス」演奏会形式。今年80歳を迎えるリッカルド・ムーティが来日、イタリア・オペラ・アカデミー in 東京の第2回として「マクベス」をとりあげた。東京春祭オーケストラはアカデミーのための特別編成のオーケストラで、コンサートマスター長原幸太のもと、若手精鋭たちが集まった。マクベスにルカ・ミケレッティ、マクベス夫人にアナスタシア・バルトリ、バンコ(バンコー)にリッカルド・ザネッラート、マクダフに芹澤佳通、マルコムに城宏憲。オーケストラは精緻かつ雄弁で、極上。通常の劇場ではまず望めないような彫琢された表現と豪快な鳴りっぷり。歌手陣もそれぞれ見事なのだが、なによりマクベス夫人のアナスタシア・バルトリが強烈。ピストルで撃ち合ってる中でひとりバズーカー砲で参戦してるくらいの強靭さで、役柄の禍々しさを完璧に伝えてくれた。マクベスは精悍で、権力欲と内面の弱さのジレンマを抱えた人物像にぴったり。演技なし、譜面ありの純然たる演奏会形式での公演だったが、ここまで音楽に生命力がみなぎっていると、説明的な舞台や演技は一切不要と思えてしまう。熱くて、妖しくて、清らかで、みずみずしい。ヴェルディって、こんな音楽だったんだと今さら知った思い。というか、これほど音のドラマに一貫性を持ったヴェルディを自分は聴いたことがあっただろうか。
●ブラボーの発声はできないので、客席は盛大な拍手とスタンディングオベーション。カーテンコールの後も拍手がいつまでも止まず、最後はムーティのソロカーテンコールがあった。袖から小走りに登場するムーティに驚愕。80歳でヨーロッパと日本を往復して仕事をしているだけでもすごいのだが、こんなに軽快に動けるなんて。他の来日公演が次々と中止になっている現状で、ムーティが本当に来日できるのかどうか、直前までわからなかったのだが、音楽祭事務局による「ふじみダイアリー」にあるように、14日間の隔離措置を経ずに、サッカーの代表戦などでも行われているバブル方式での来日が実現した。これはこれで来日後の制限が多く、主催者側の負担は大変なもの。無事に公演が実現したことに感謝するほかない。なお、21日にもう一公演ある。
●作品について。やっぱり「マクベス」っておもしろいオペラだと思った。音楽的にすぐれたオペラはいくらでもあるけど、物語的にも真に味わい深いオペラは貴重。自分はオペラの世界の「お約束」を受け入れずに、あるがままに観ようと心掛ける派なので、オペラで都合のよすぎる偶然が重なったり、単純なコミュニケーション不足から大きな悲劇が発生したり、後出しで重要な血縁関係が判明したり、致命傷を負った人間が朗々と歌っていたりするたびに、いくぶんストレスを感じてしまうのだが、「マクベス」にはそういう頭を抱える場面がない。話の中身は血なまぐさいが、ドラマとして健全。シェイクスピアも草葉の陰で喜んでいるはず。
●この話で真に権力を渇望しているのはマクベス夫人だけ。夫を唆して王位につかせて、勝ち誇る。でも王位についたのはマクベスであって、実際にはマクベス夫人は女に生まれた以上、王になることはない。最後は精神を病み、いくら手を洗っても血が落ちないと訴える。一方、マクベスは「女から生まれた者」には無敵だが、女の腹を破って生まれたマクダフに倒される。時代を考えれば、帝王切開で生まれたということはおそらく母親は出血多量で亡くなっており、マクダフは母を知らずに育った男なのだろう。マクベス夫人とマクダフを巡る血のイメージの対照性が興味深い。
●音楽的には力強いエンディングが用意されているものの、「マクベス」の物語は開いたまま終わる。最初の魔女の予言、「バンコーの子孫が王になる」という伏線が回収されないのだ。マクベスを倒して王位につくのは前王の遺児マルコムなのだから、バンコーの子(フリーアンス、しかしヴェルディのオペラには出番がない)はどうなるのか。この後、マルコムとフリーアンスの間に惨劇が続くとも解せるし、フリーアンスではなくその子孫が王位に就くとも解せる。魔女の予言はよく当たるが、「バーナムの森が動かない限り」といったように、しばしば含みがあって油断できない。

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