●3月に刊行された本だが、灼熱の夏の到来を待ってから読んだ、J.G.バラードの「旱魃世界」。長期にわたる旱魃により文明が崩壊の危機に瀕した世界を描く破滅小説。川も湖も干上がり、水が貴重品となり、人々は残された水を求めて海岸へと向かう。1965年に書かれた古い小説だが、実は新訳。かつて「燃える世界」の題で訳されていた名作を、作者が改稿したバージョンであり、これが初訳となる。「燃える世界」は大昔に読んでいるはずだが、記憶はすっかり薄れ、この改稿版との違いは自分にはわからないのだが、改めて新鮮な感動を味わいながら読んだ。
●世界の破滅を描くといっても、バラードは「人類が危機にどう立ち向かうか」という点に一切関心を向けない。パニック小説的な混乱の描写もほぼない。あるのは激変する世界に対峙したときの個人の内面の変容であり、運命の袋小路を緩慢に歩む姿の微細な描写。だれもが災禍を淡々と受け入れ、やがて隠されていた内なる衝動を顕わにして、暗黒の自分探しの旅へと向かう。後に書かれる高層マンションを舞台にした「ハイライズ」とほとんど同じテーマを、異なる舞台設定で書いているのだなと感じる。朽ち果てる都市の描写などはまさに退廃美。そして硬質な文体による訳文が圧倒的にすばらしい。たとえば、川で生きる読み書きもできない野生児のような少年フィリップの描写。主人公の医師ランサムは少年を発見して警察に通報しようかどうか悩むが、それを思いとどまる。なぜなら、
川の流儀に従って生きているこの瘦せこけた少年が、二十世紀のスクラップとゴミとで彼独自の世界を作り出していく、そのスペクタクルに魅せられていたからだった。少年は次第に、釘と釣り針をひとつ余さず拾い集める屑拾いから、ウォーターフロントのしたたかな若きユリシーズへと変容していった。
これぞバラード節。もうひとつ、主人公の隣人である建築家ローマックスを描いた部分も引用しておきたい。
ローマックスは、〝目の前の現在〟に強烈にフォーカスすることで――カミソリのようにとぎすまされた瞬時のインパルスを結晶化させることで――自身を形作ってきたのだ。ある意味で、彼の自我は過飽和状態にあり、バロック様式のパビリオンの装飾のように波打つポマードで固めた髪とエレガントな楕円枠のような鼻孔の奥には、物理空間に規定されている以上に大きな環境時間が納められている。しかるべき刺激を与えれば、ローマックスは潮解を始め、内にある光がキラキラときらめきながら泡となって噴き出してくるに違いない。
スゴくないすか、これ。建築家のひりひりとした雰囲気が伝わってくる。そして、かつてオッサンの鼻の穴がこんなにカッコよく描写された小説があっただろうか。
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●明日からオリンピックの影響で変則的な4連休。当欄も暦通りに休む予定。東京の新規陽性者数は猛烈な勢いで増えている。4度目の緊急事態宣言から13日経つので、効果が出るとするならそろそろだが、これで減らない場合はどうなるのだろう。J.G.バラード的な世界が現実に侵食しているような感覚がある。