●1日は杉並公会堂小ホールで松平敬バリトン・リサイタル~声×打楽器×エレクトロニクス。プログラムは前半が山本和智「アンダンテ・オッセシーヴォ」(2020)初演、池田拓実「ボロウド・シーナリー」(2021)委嘱初演、ジョン・ケージ「龍安寺」(1983)、後半が松平頼暁「時の声」(2013)のバリトンとエレクトロニクスのための新版(2021)新版初演、ヤニス・クセナキス「カッサンドラ」(1987)。 共演は神田佳子(打楽器)、有馬純寿(エレクトロニクス)。
●会場に入ってみると開演前からスピーカーから電子音が流れている。配布プログラムを見て、これが松平敬「電脳詩篇」(2021 初演)と題されていることに気づく。一定のアルゴリズムで自動生成されているということだが、モールス信号風の電子音によるおしゃべりといった趣で、会場内でおしゃべりしている人間たちと同期しているような奇妙な錯覚をおぼえる。前半で印象的だったのは山本和智「アンダンテ・オッセシーヴォ」。題材となったのは「鉄筋コンクリート」という言葉の響き。この「テツ、キン、コン/クリート」という音声そのものの韻律に憑りつかれたのは萩原朔太郎だが、同じおもしろさを音響化したのがこの作品。いわばオブセッションの実体化みたいな感じなんだけれど、なんともいえないおかしみがある。
●後半、松平頼暁「時の声」はもともとソプラノとエレキギターのために書かれた作品を、バリトンとエレキギター・パートをエレクトロニクスで再解釈した新版。詩は松井茂「時の声」から。といってもこれがオノマトペの連続で、まったく意味は把握できない。なにかの擬音であったとしても、なんの擬音なのかもわからず、ただバリトンとエレキギターが互いを模倣するようなオノマトペの応酬をくりひろげる。そして、だんだん未知の非人間的な言語による対話としか思えなくなる。映画「未知の遭遇」を連想する(古い)。
●最後のクセナキス「カッサンドラ」は圧巻。悲劇の予言者カッサンドラを題材に、歌手がファルセットとバリトンを使い分けて、一人二役でカッサンドラとコロスの長を歌う。聴く前はファルセットによるカッサンドラに戯画的な要素があるのかなとなんとなく思っていたが、実演を目の前にするとそんな要素は一切なく、あるのは白熱するドラマだと気づく。迫真の歌唱、尋常ではないキレッキレのパーカッションに鳥肌。歌唱とパーカッションが相乗効果で作りあげる格調高い悲劇を堪能した充足感。
October 4, 2021