January 11, 2022

東京芸術劇場コンサート・オペラ vol.8 プーランク「人間の声」&ビゼー「アルルの女」

東京芸術劇場 プーランク「人間の声」 ビゼー「アルルの女」
●8日は今年最初の演奏会で、東京芸術劇場のコンサート・オペラvol.8としてプーランクのオペラ「人間の声」とビゼーの劇音楽「アルルの女」の組合せ。指揮と構成台本は佐藤正浩、管弦楽はザ・オペラ・バンド。新年早々、いきなり自死モノのダブルビルはどうかとも思うが、なにしろ「アルルの女」が語り入りで全曲上演される機会は貴重。それにこの2作の組合せは完璧だと思う。女の物語と男の物語でどちらも相手の姿は見えない。前者は電話、後者は手紙が重要な役割を果たす。そこそこ尺があるので「アルルの女」だけでも公演としては成立したとは思うけど。
●前半のプーランクのモノオペラ「人間の声」では森谷真理が出演。原作はジャン・コクトー。開演前に指揮の佐藤が登場して、当時の電話は交換手がいて混線することがあったこと、有線だったので電話線を通して相手との物理的なつながりを感じることもできる道具だったと説明があった。イエデンがない世帯も多い現在、なるほどこの説明は必要か。舞台上の一角にソファとテーブル、電話機などが置かれて、歌手はここで歌う。数日前に別れを告げられた女が、その男と電話で話しているうちに最後に絶望して電話のコードを自分の首に巻き付ける。やっぱり新年向きの話ではないが、ともあれ有線電話じゃないと成り立たないのはたしか。森谷真理の歌唱は決して激情的ではなく、むしろ淡々としたリアリズムが感じられた。オーケストラは続くビゼーでもそうだったが、とても整えられており、雄弁。名手ぞろいで、なおかつみんなが同じ方向を向いている感。コンサート・オペラらしく、よく鳴る。
●後半のビゼー劇音楽「アルルの女」は圧倒的な名演。朗読を務めた役者陣が文句なしのすばらしさ。バルタザール他を松重豊、フレデリを木山廉彬、白痴を的場祐太、ヴィヴェットとフレデリの母を藤井咲有里が務める。特に藤井咲有里の少女役とフレデリの母親役の声の使い分けは見事で(一瞬にして切り替わる)、とても同一人物には聞こえない。武蔵野音楽大学合唱団の力強い声も印象的。朗読と音楽面に関しては望みうる限り最上のもの。
●で、多少難しいのが「アルルの女」という物語の受け止め方だろうか。ドーデの原作については以前、ONTOMOの「アルルの女ってだれ?」と当ブログ「アルルの女」補遺ホイにも書いたことがあるけど、現代的価値観からは共感の難しい作品ではある。富農の息子が都会のふしだらな女に出会って破滅するという話は、大枠では家柄や家名を重んじる旧来の価値観と個人の自由を前提とする都会の価値観との対立を描いている。この息子は長男。で、次男は白痴である。富農一家には白痴が家を護っているという認識があり、その白痴が知恵をつけるにしたがって一家に不幸が訪れるという筋立てになっている。これを今の時代に即した表現にするにはどうしたらいいのか、というのは小さくない問題(ちなみにWindowsの日本語変換では「白痴」は候補に出ない)。一方、原作を読んだとき以上に強烈な印象を残したのは母親とフレデリの関係性。ここには母親の盲目的な愛情による「毒親」問題という現代性がある。
●富農と白痴の息子で思い出すのはフォークナーの「怒りと響き」。ドーデの「アルルの女」のほうが先だけど、つながりは……ないか?

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