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January 21, 2022

「ペール・ギュント」と「銀河鉄道999」

昨日の続きで、イプセン著「ペール・ギュント」について。主人公ペールは無茶苦茶な男で、他人の花嫁を奪ったり、トロールの王の娘と結婚しそうになったり、奴隷貿易で大金持ちになったり、砂漠で首長の娘にだまされたり、エジプトの精神病院でクレイジーな会話をしたり、奇想天外な冒険の旅をする。そして終幕で老いて故郷に帰る。で、最後にペールはどうなるのか、結末をご存じだろうか。人生の終着点でペールは、ボタン作り職人に会う。で、溶かされてボタンにされそうになるんである。ボタン作り職人はペールに向かって、お前は天国には行けないし、かといって地獄に行くほどの悪党にもなりきれなかった、お前はお前自身であることなど一度もなかったのだから、その他大勢といっしょに溶かされてボタンになるがよい、と断ずる。好き放題に生きたペールが「自分自身であることなど一度もなかった」というのは一見奇異に感じるかもしれないが、これは昨日の記事で書いた、指を切り落とした男が羞恥とともに生きながらも自分自身を貫いたことと対照をなしている。
●この「溶かされてボタンにされる」というくだりを読んで、即座に思い出したのが松本零士の「銀河鉄道999」。「銀河鉄道999」の最終話で(といってもいろんなバージョンがあるが、とりあえずビッグコミックス第14巻)、主人公の鉄郎は念願の「機械の体をただでもらえる星」に到着するのだが、それは肉体を機械の部品のネジにされるという意味だと知る。主人公が冒険の旅の終着点で、「銀河鉄道999」ではネジにされ、「ペール・ギュント」ではボタンにされる。これは完全に相似形をなしていると思った。そしてメーテルの母性的なイメージは、そのまま絶対的な母性ソルヴェイグと重なる。ペールは最後にソルヴェイグに人生の意義を認めてもらうことで、ボタンにされずに済んだのだ。
●松本零士のクラシック音楽好きはよく知られているが、映画版「銀河鉄道999」の音楽に当初グリーグの「ペール・ギュント」をイメージしていたという話もあるので、「ペール・ギュント」が「銀河鉄道999」の着想源のひとつ(最大の源は宮沢賢治だとしても)になっていた可能性は十分にあると思う。