●ラ・フォル・ジュルネTOKYOが2022年以降の開催を暫時見合わせるとSNSの公式アカウントで発表された。ウイルス禍により2020年、2021年と開催が見送られており、今年も再開は容易ではないとは予想していたが、こうして発表されるとやはり寂しい。「2022年以降の開催を暫時見合わせる」という一方、「ふたたび開催することができるよう、あらゆる可能性を検討してまいります」とも述べられており、先々に再開したい意欲もにじませる。
●日本で「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」として初開催されたのが2005年。自分は第2回から公式ブログ隊のメンバーに招かれ、ネットを通じた情報発信や、各種媒体での事前のプロモーション記事、放送やレクチャーなどの関連イベント、ガイドブック原稿執筆など、当初の予想よりずっと幅広い形で音楽祭に携わることになったので(特に「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」と名乗っていた時代)、この音楽祭から教わったことはとても多い。本家ナントのラ・フォル・ジュルネもたしか4回、取材させてもらったと思う。最初の頃は大変だった。走りながら考える、みたいなカオスな感じで。
●挙げればきりがないのだが、この音楽祭から得た大きな収穫は、「コンサートホールではない場所で音楽を聴く」という体験。東京には理想的な音響を誇るコンサートホールがいくつもあるけど、東京国際フォーラムで開かれるLFJでは、ホールC以外はどれも会議室や展示場等で音響効果はぜんぜんよくない。これはナントでも事情はまったく同じ(ちょうど今、ナントでは今年の音楽祭が開催されている)。どんな場所でも音楽は演奏されうる。そして、なぜか悪条件と思われる場所で聴いた公演のほうが記憶に残っている。会議室の距離感だから得られる感動もたくさんあったし、逆に5000人のホールAのような大きすぎる場所でも、たとえばポゴレリッチの怪演はあの場だったから生まれたような気もする。尋常ではない遅いテンポのショパンの協奏曲に5000人がじりじりして、だんだん次の演奏会に間に合わないから途中退出しようかどうかと焦りだす人がいて、巨大空間が異様な空気でパツパツに満たされていた。それがステージに伝わらないはずがない。客席の一種の「挑発」が掟破りの第2楽章アンコールを誘発したのかも……と思い出す。
●2011年、震災の年はチケットの発売までしていながら、いったんプログラムを白紙にして、会場数を減らして開催するということもあったっけ。大地震と原発事故があり、ウイルス禍がやってくる。そういう時代の音楽祭。
●一枚だけ写真を。2008年、鱒の絵を背景に座るシューベルト人形。なぜか青いスニーカーを履いていた。
January 26, 2022