●ウイルス禍に読む本としてカミュの「ペスト」あるいはトーマス・マンの「ベニスに死す」は正統派だと思うのだが、たまたま「ガルシア・マルケスひとつ話」(書肆マコンド)をぱらぱらと眺めていたら、そうだ、ガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」があったじゃないの!と思いついた。未読だったが、今読まずしていつ読むのか。
●で、「コレラの時代の愛」(ガルシア・マルケス著/新潮社)を、ゆっくり少しずつ読み進めた。実のところコレラとはあまり関係のない話であって、残念ながら「コロナの時代の愛」という読み替えは無効なのだが、なにせガルシア・マルケスなのでめっぽうおもしろい。「百年の孤独」のような魔術的リアリズムではなく、古典的なリアリズムの書法による奇妙な愛の物語。19世紀末から20世紀初頭にかけてのコレラと内戦の時代、若き日の主人公は裕福な家の娘にひとめぼれをする。ふたりは恋に落ち、想いを手紙に綴るが、娘の父はふたりの仲を引き裂き、娘を欧州帰りのエリート医師ウルビーノ博士と結婚させる。で、(ここからが尋常ではないのだが)主人公はいつまでも彼女を待ち続けると誓う一方、ドン・ジョヴァンニも真っ青なくらいの猟色家として人生を謳歌する。そして51年後、彼女の80代の夫が亡くなってから、改めて愛を告白する。初恋の人ももう70代。これは老人小説でもあるのだ。
●と、あらすじを紹介するとなんだかパッとしない話に見えてしまうのだが、幹の部分以上に枝葉のほうに魅力がびっしり詰まっている。序盤は老境に入ったウルビーノ博士と妻の暮らしが事細かに描写されていて、たとえばバスルームに石鹸が置いてなかったことから長年にわたる夫婦関係が危機を迎えるエピソードとか、挨拶された若者がだれだったか思い出せなくて激しく狼狽するも、奇跡的に記憶がよみがえって老いに打ち勝ったと気を良くするエピソードとか、ものすごくよく出来ている。で、ウルビーノ博士は地元の名士として、劇場の復興にも尽力する。フランスからオペラ座を招くと、市民たちは期待以上にオペラに夢中になる。
オペラ熱が市民の中の、通常では考えられないような層にまで広がり、ある世代の子供たちにイソルダやオテロー、アイーダ、ジークフリードといった名前がつけられたのだ。ウルビーノ博士はひそかにイタリアびいきとワグナー派が幕間にステッキを振り回してにらみ合うところまで行けば面白いと考えていたが、そこまでは行かなかった。
オペラにまつわる対立の構図(?)は時も地域も超えて変わらないのか。
●ハードカバー500ページにわたる長い物語のなかで、最大のハイライトは序盤に訪れる若き日のヒロインが主人公に失望する場面。ひとめ惚れが手紙の往復を通して命がけの恋にまで発展するが、旅の経験を通して一段階成長したヒロインは、ばったりと会った主人公に対して一瞬で「底知れない失望」を感じる。
その瞬間、自分がとんでもない思い違いをしていたことに気づき、どうしてこんなにも長い間激しい思いを込めて心の中で恋という怪物を養い育ててきたのだろうと考えて、ぞっとした。
このくだりは秀逸。そこから51年後、ふたりはようやく静かに再会するというクレイジーな展開になるのだが、最後まで読んだ後でこの場面をもう一度読んで、少しいじわるな気持ちに浸りたくなる。