●29日は東京オペラシティでアレクサンダー・ガジェヴのピアノリサイタル。昨秋のショパン・コンクールで第2位(反田恭平と同位)を獲得したガジェヴとあって会場は満席。熱気と期待感が渦巻いていた。プログラムは前半がショパンの前奏曲嬰ハ短調op.45、ポロネーズ第5番嬰ヘ短調、ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調、後半がシューマンの幻想曲ハ長調。まずは会場を真っ暗にして、ガジェヴからのメッセージが流され、2分間の沈黙の後に演奏を始めたいと述べられた。オペラシティの天窓から明かりがわずかに漏れるなか、完璧な静寂が続き、それからピアニストの靴音が聞こえて、照明がつくとともに音楽が始まるというドラマティックな幕開け。
●磨き上げられた演奏を再現する予定調和的な音楽ではなく、一期一会のインスピレーションを大切にしたような、詩的で思索的なショパンとシューマンを堪能。パッションにもあふれている。本人談によれば、シューマンの幻想曲はショパンのソナタの「悲劇性に対する解毒剤」のようなもの。両曲のコントラストは際立っていた。ショパンの厳粛な葬送行進曲とシューマンの中間楽章のシンフォニックな祝祭性が対照的なクライマックスを作り出す。ダークサイドとライトサイドのようでいて、真のダークサイドはシューマンに潜んでいるのかも。終楽章もショパンが急峻な峰を全力疾走で駆け上がるエクストリーム登山だとすれば、シューマンはなだらかに広がる裾野から山頂へと一歩一歩踏みしめながら登り切る音楽。どちらにも最後は壮観が待っている。きわめて濃密な一夜。
●アンコールは2曲。ショパン「24の前奏曲」より第4番ホ短調、ドビュッシー「12の練習曲」より第11曲「組み合わされたアルペジオのために」。スタンディングオベーションも多数。いまだにブラボーの声は出ないわけだが、若い女性が多いせいか、拍手が高密度。なんというか、想いを乗せた拍手。
2022年6月アーカイブ
アレクサンダー・ガジェヴ ピアノ・リサイタル
ユーザーレビューの点数
●たまにamazonとかで心ないレビューを見かけることがあるじゃないすか。どんな商品でもレビューに晒されることは避けられない。本を書いたり、CDを出したりすれば、必ず点数を付けられるのが今の世。それだけじゃない。Googleマップを見れば、近所のあらゆるレストランや個人商店にも容赦なく点が付けられている。こういうのを見ていると、いずれはごく普通のサラリーマンにも点が付くようになるんじゃないかと思う。レビューサイトに名刺が晒されて、〇〇社の営業3課の××さん、星3つ、みたいに。
●でもamazonで納得いかないレビューを付けられたすべての人々を勇気づけるような発見をしたんすよ! 聞いてほしい。なんとなんと、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」は星4つなのだ!(本日時点)。世界文学の最高峰に位置する名著であっても、4点しか取れない! 20世紀の人類の最高到達点みたいな傑作が、レビューで「忙しい人向きではない」「頭に入ってこない」「この小説を解説した評論を読めば十分」と一蹴されてしまうのだ。ならば、凡人がなにを気にしろと?
国立新美術館「ワニがまわる タムラサトル」
●開館直後に行って以来、なんとなく心理的に遠くて敬遠していた国立新美術館だが、現在開催中の企画展「ワニがまわる タムラサトル」(~7/18)をどうしても見たくなって足を運んだ。コンセプトはシンプルで力強い。とにかくワニが回っている。それだけ。でも抜群に楽しい。大小さまざまなワニが設置され、これらがすべて回転している。一匹、「ん、こいつは静止しているのか?」と思うワニがいるが、実は回る。
●これが最大のワニ。巨体にふさわしく、重々しくゆっくりと回転する。口が大きく開かれているが、凶暴さは感じられない。むしろ親しみを感じる。
●こちらは群生するワニ。仲よく一列に並んで回転している。なぜワニはみな回転しているのか。作者は言う。「ワニが回る理由は、聞かないでほしい」。
●展示室全体で1000匹ものワニが回っているらしい。数の上で多いのはこの小型のワニ。すべてのワニは電源につながっており、したがって至るところに口数の多い電源タップが転がっている。電気を喰らうワニとも言える。
「巨大なラジオ / 泳ぐ人」(ジョン・チーヴァー著/村上春樹訳/新潮社)
●(承前)たまたま読んでいた2冊の本でともにジョン・チーヴァーの短篇集が言及されていた偶然から「これは今読めということでは?」と思い、「巨大なラジオ / 泳ぐ人」(ジョン・チーヴァー著/村上春樹訳/新潮社)を読んでみた。全20篇に訳者である村上春樹の前書き付という親切仕様。ナボコフ絶賛の「カントリー・ハズバンド」をはじめ、どれもおもしろい。多くの作品は「ザ・ニューヨーカー」誌に掲載されており、ニューヨーク近郊の高級住宅地を舞台としている(家にプールがあって、使用人がいて、近隣住民同士がパーティに招きあうような土地)。だけど、焦点が当たっているのはそんな恵まれた階層からこぼれ落ちていく人々。ステキな生活にしっくりとなじんでいるようでいて、その内実は案外と危うく、脆いもの。どれもそこそこ苦味があって、少し手厳しすぎるんじゃないかなと思わなくもない。それでも気に入った作品はくりかえし読みたくなるのだが。
●表題作となっているのは「巨大なラジオ」と「泳ぐ人」で、この2作はほかと少し作風が違って、リアリズムから逸脱している。「巨大なラジオ」では、高級アパートメントに住む一家が旧式のラジオを最新式の巨大なラジオに買い替える。最初、ラジオからは大音量でピアノ五重奏曲が聞こえてくるが、やがて人の話し声が混入するようになる。どうやらそれはアパートメントの他の住人たちの会話のようなのだ。表には見えないそれぞれの一家の事情がラジオから聞こえてくる……といった少しP.K.ディック的な設定。
●小説としてよりおもしろいのは「泳ぐ人」で、こちらは主人公が高級住宅地の各家庭にあるプールの連なりをひとつの水脈と見立てて、これを泳いで自宅まで帰ろうとする。招かれた他人の家のプールを出発点として、頭に地図を描き、まずは〇〇家のプール、次に××家のプールというようにプールを泳いでいけば、水着でそのまま家に帰れるともくろむ。自分の奇抜な発想に満足して、意気揚々と知人たちのプールを泳ぐ主人公。どこの家でも似たようなパーティが開かれており、水着で現れた突然の来訪者を歓迎してくれる……。しかしプール水脈を進むにつれて、様子が変わり、異なる現実が見えてくる。この短篇集から一本を選ぶならこれ。
●忘れがたい味わいを残すのは初期に書かれた「ぼくの弟」。成人した四人兄妹が、夏の休暇で母親のもとにそれぞれの家族を連れて帰省する。久しぶりに兄妹が勢ぞろいすることを主人公は喜んでいるのだが、気になるのは弁護士の末弟。この弟はファミリーの中で異質なキャラクターを持っており、旧交を温めているうちに、主人公のみならず母親もみんな彼のことを「好きじゃない」ことを思い出す。みんなが打ち解けて休暇を楽しもうとしているのに、この弟はいちいち棘のある言い方をし、酒も飲まず、ボードゲームにも参加せず、他愛のないことに興じるファミリーを冷ややかな目で見つめる。楽しい仮装パーティにも普段着にやってきて陰気な顔をしている。腕のいい料理人に向かって安月給で働きすぎだと憐れんで相手を怒らせる。貴重な休暇を過ごしているのに、だんだんみんなこの弟に対する悪意を抑えられなくなってくる。主人公は思う。夏の野原に建つ農家を自分は美しい光景だと思って眺めているが、弟はそこに土地の衰退を見て取っているだろう。そんなふうに弟のネガティブな物の見方を自分の内面にありありと再現する。読み進めるうちに、その弟とは主人公自身の内なるもうひとつのエゴなのではないかと思い当たる。傑作。
6月24日はUFO記念日
●今日はなんの日か。6月24日はUFO記念日なんである。1947年6月24日、アメリカのワシントン州で高速で急降下や急上昇をする空飛ぶ円盤が目撃され、これがUFOと呼ばれることになった。あの円盤が高速だねと君が言ったから6月24日はUFO記念日。そんなわけで、今日はUFOを題材にした曲を聴きたくなる。
●おそらく史上最多の交響曲作曲家、フィンランドのレイフ・セーゲルスタムにUFOの題がついた交響曲があったはず。現在、交響曲第348番まで作曲しているセーゲルスタムだが、えーと、どれだったかな……あ、これだこれだ。交響曲第190番 UFO, Under F & Over...。まあ、このタイトルを見ただけで、どちらかといえば興味が湧くというよりも若干萎える気もするのだが、UFO交響曲と呼べる作品であるにはちがいない。ただ、セーゲルスタムは多作家なのはいいのだが、一度も演奏されていない曲もあるようだし、音源も望み薄。軽く調べてみると初演はされているようだが、聴くのは困難。
●が、UFO交響曲はダメでも、UFO協奏曲ならあった! 吹奏楽ではおなじみの作曲家、オランダのヨハン・デ・メイにUFO協奏曲がある。ちゃんと録音もある。この曲、ユーフォニアムと吹奏楽のための協奏曲なのだ。だからUFO協奏曲。第5楽章がご機嫌である、宇宙まで連れて行ってくれそうなくらいに。
鈴木優人指揮NHK交響楽団の「パッサカリアとフーガ」プロ
●22日はサントリーホールで鈴木優人指揮N響。プログラムが凝っていて、前半がバッハ~鈴木優人編「パッサカリアとフーガ」ハ短調BWV582、ブリテンのヴァイオリン協奏曲(郷古廉)、後半にモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。最初に置かれた「パッサカリアとフーガ」が基調となって、ブリテンの協奏曲でパッサカリア、モーツァルトの交響曲でフーガが登場して、全体に統一感がもたらされるという趣向。オーケストラのコンサートではしばしば協奏曲はソリスト都合で無関係な曲になりがちだけど、こんなにピタッとハマるとは。しかも演奏機会の少ないブリテンで。弦は対向配置、後半はバロック・ティンパニ使用、指揮は前半のみ指揮棒使用。
●一曲目、「パッサカリアとフーガ」の管弦楽版といえばストコフスキーの編曲があるわけだが、あちらはスペクタクル志向でどうしても編曲者の顔がバッハよりも先に浮かぶ。それはそれで独自の価値があるとしても、現代だったら今のバッハ観に即した編曲がありうるはず。そんな期待を満たす編曲で、21世紀のオーケストラ版バッハとして、今後広く演奏されてよいのでは。最後はほとんどオルガン的な響き。
●ブリテンでは郷古廉のソロが圧巻。現在、N響ゲスト・アシスタント・コンサートマスターを務める。切れ味鋭く鮮烈、オーケストラを背負って主役として聴く人をぐっと引き付ける力がある。曲は1940年の初演。冒頭がティンパニで始まるというパーカッションによる導入が一瞬ガーシュウィンのピアノ協奏曲を連想させるが、曲調は戦時を反映してはなはだシリアス、時節柄も手伝ってペシミスティックな思いにとらわれるほかない。第2楽章のスケルツォはプロコフィエフ風だが、パッサカリアや、長大なカデンツァからアタッカで終楽章につながるあたりはショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を思わせる(ブリテンのほうが先)。ときにDSCHの幻聴が聞こえてきそうなくらいショスタコーヴィチ。ブリテンとショスタコーヴィチがたちまち意気投合したのも納得か。ソリスト・アンコールにイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番より第2楽章「サラバンド」。これも全体のプログラムに応じた選曲。休憩後のモーツァルトの「ジュピター」、ふだんであれば堂々たる壮麗な音楽として聴くところだが、ブリテンの悲劇的な空気がまだ客席に立ち込めていたせいもあってか、いくぶん渋めの色調と、早世した天才の最後の交響曲という意味合いを強く感じる。
オペラ対訳×分析ハンドブック リヒャルト・シュトラウス 楽劇 サロメ(広瀬大介訳・著/アルテスパブリッシング)
●なるほど、こういう手があったのかと腑に落ちたのが「オペラ対訳×分析ハンドブック リヒャルト・シュトラウス 楽劇 サロメ」(広瀬大介訳・著/アルテスパブリッシング)。オペラの対訳と分析が一体となったハンドブック。見開きの左のページが対訳、右のページが該当箇所についての音楽面の解説(譜例もたくさん入る)になっている。オペラの質の高い対訳ってファンにとってマストアイテムだと思うんだけど、やっぱり対訳だけだと本としての商品性がもうひとつ(紙だと検索できないし)。かといって対訳に解説がたくさん付いて厚い研究書になってしまうと実用面での軽快さに欠けてしまう。そのあたりのバランスが考え抜かれていて、ハンドブックとしての扱いやすさと専門性を両立しているのが大吉。訳者・著者はおなじみ広瀬大介さん。言うことなし。
●いかにもシリーズっぽい雰囲気なんだけど、「第1巻」みたいな表示はどこにもない。続きはあるんだろうか。ひとつ要望があるとすれば、このままの判型で文字の大きさをもう1ポイント大きくできたら最高なのだが!(←老眼)
「本当の翻訳の話をしよう 増補版」(村上春樹、柴田元幸著/新潮文庫)
●積読状態になっていた「本当の翻訳の話をしよう 増補版」(村上春樹、柴田元幸著/新潮文庫)を読む。実はこの本の内容をワタシは勘違いしていて、以前にここでご紹介した「翻訳教室」(柴田元幸著)みたいな翻訳技術についての本だと思い込んで買ってしまったんである。が、中身は主に翻訳小説についての対談だった。それでもとてもおもしろく、ためになったのでなんの問題もない。ここで取り上げられている小説を読みたくなってくる。
●なるほどと思った村上春樹の言葉。「翻訳のコツは2回読ませないことで、わからなくて遡って読ませるようじゃ駄目だと僕は思っていて、2回読ませないということを一番の目的にして訳しているところはある」。世の翻訳書には2回どころか、何回読んでも意味がつかめないものもあるわけで、読む側としてはありがたい話。
●あとカーヴァーに「アラスカに何があるというのか?」という小説があると知って、あ、村上春樹の「ラオスにいったい何があるというんですか?」はそこから来てたのか!と今頃気づいた。
●で、この本を読んで、いちばん気になったのはジョン・チーヴァー「巨大なラジオ/泳ぐ人」をめぐる章で、この短篇集はぜひ読んでおこうと思った。ところが思っただけで、しばらく放っておいたのだが、たまたま若島正著「乱視読者の英米短篇講義」のKindle版がセールになっていたのを見かけて、あわてて購入した。すると、この本でもジョン・チーヴァーについてかなり力の入った紹介がされていて、なかでも「郊外族の夫」をナボコフが傑作短篇ナンバーワンに選んでいるというのではないの。なんというシンクロニシティ。これはもうチーヴァーを読むしかない。短篇集「巨大なラジオ/泳ぐ人」では、「郊外族の夫」は「カントリー・ハズバンド」の訳題で収められていた。この話、飛行機の緊急着陸という大騒動で始まるのに、そんな事件があっさりと日常に回収されるという風変わりなエピソードが冒頭に置かれていて、どうやらそれが話の本筋と相似形をなしている。(つづく、かも)
サイモン・ラトルとロンドン交響楽団 日本ツアー2022オンライン記者会見
●13日夕方、9月末に来日するサイモン・ラトルとロンドン交響楽団(LSO)のオンライン記者会見が開かれた。会見にはロンドンから音楽監督のラトルとLSOマネージング・ディレクターのキャサリン・マクダウェルの両氏が参加。ラトルは22/23シーズンで音楽監督の任期を終了することが決まっているので、音楽監督として最後の来日。全国6都市8公演のツアー。ラトル「自分のキャリアでこれほど日本から離れていたことはない。どれだけ寂しい思いをすることになるのかと、つくづく感じている。日本での公演はひとつひとつが特別なもの。日本の聴衆は熱心に聴いてくれる世界でも最高の聴衆だ」。
●中心となるのは3つのプログラム。Aプロはシベリウスの「大洋の女神」と「タピオラ」、ブルックナーの交響曲第7番(B-G.コールス校訂版)。Bプロはベルリオーズの序曲「海賊」、武満徹「ファンタズマ/カントスII」(トロンボーン:ピーター・ムーア)、ラヴェルのラ・ヴァルス、シベリウスの交響曲第7番、バルトークの「中国の不思議な役人」組曲、Cプロはワーグナー「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、シュトラウスのオーボエ協奏曲(オーボエ:ユリアーナ・コッホ)、エルガーの交響曲第2番。ラトル「ツアーのプログラミングはパズルのようなもの。ブルックナーの交響曲第7番とシベリウスの2曲の交響詩はどちらも自然を感じさせてくれる作品。エルガーはもしウィーンに生まれていたらマーラーになっていたのではないか。マーラーもエルガーを指揮している。シベリウスの交響曲第7番とバルトークの『中国の不思議な役人』は同じ年に書かれているが、まったく違う音楽。長年の友人だった武満の音楽も演奏したいとずっと思っていた」
●今回、ブルックナーの交響曲第7番はB-G.コールス校訂版が使用される。ラトル「2週間くれればどう違うのか詳しく話せるのだけれど。校訂者は自分の考えではなく、ブルックナーに対して誠実に寄り添っている。ベートーヴェンのベーレンライター版のようなもの。私たちは正しい第7番を演奏できる」
セバスティアン・ヴァイグレ指揮読響のドヴォルザーク他
●16日はサントリーホールでセバスティアン・ヴァイグレ指揮読響。ソリストが当初の予定から変更してマルティン・ガルシア・ガルシアに。昨年のショパン・コンクールでは3位ながら異彩を放っていてインパクトは抜群、先に開かれたリサイタルとコンチェルトの公演でも大盛況だった模様。この日、若いお客さんが多かったのはガルガル効果だったんだろうか。
●プログラムはドヴォルザークの交響詩「真昼の魔女」、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(ガルシア・ガルシア)、ドヴォルザークの交響曲第8番。「真昼の魔女」は題材の物語が怖すぎる鬱名曲なのだが(シューベルト「魔王」と同種)、描写性豊かで、ストーリーテリングの巧みな演奏。ガルシア・ガルシアのモーツァルトはユニーク。歯切れよく、しかし歌心にもあふれ、表現のコントラストが鮮やか。キュート。ピアノはFAZIOLI。すこぶる澄明で華やかな音色。軽やかな弱音表現が見事だけど、大ホールなのでもう少し弾いてほしい気も。奏者のハミングが聞こえる。楽しそうに弾く姿が吉。ソリスト・アンコールにベートーヴェンの「6つのバガテル」op126の終曲。かなり荒っぽく入ったが、その後の内省的な表現にはぐっと引き付けられる。
●ドヴォルザークの交響曲第8番は土臭さとシンフォニックなスペクタクルが両立した快演。「真昼の魔女」の邪気を払うような、楽しく大らかな田舎礼賛。読響は爽快な鳴りっぷり。ヴァイグレ、ドヴォルザークが本当に似合っている。この曲、完璧さと気恥ずかしさの間で奇跡的にバランスがとれているという点で、チャイコフスキーの第5番と双璧だと思う。
ブリュッヘン指揮新日本フィルのベートーヴェン交響曲全集 CD
●2011年2月にすみだトリフォニーホールで開催されたフランス・ブリュッヘンと新日本フィルの「ベートーヴェン・プロジェクト」のライブ録音が「ベートーヴェン交響曲全集」としてCD化された。当時のプログラムノートに寄せた小さな拙稿が解説書に転載されている。このシリーズは記憶に残るコンサートだった。当時の新日フィルはブリュッヘンやハーディングやメッツマッハーらを呼んで、かなり尖がった活動をしていたっけ……。今とはずいぶん楽団のカラーが異なる。ブリュッヘンとの活動がこうして録音で残ることになったのはありがたいこと。
●ひとまず、気になるところだけをいくつかピックアップして聴いてみたが、なんとも生々しく、懐かしい。「英雄」冒頭、お客さんの拍手がまだ続いているなかで、いきなりブリュッヘンは意表を突いて振り始めたんだけど、その様子もそのまま収録されている。あれは、ゆっくりゆっくり指揮台に向かって歩いてきて、椅子に腰かけるのかなと思わせておいて、座らずにシュッ!って腕を振ったから、拍手と重なったんすよね。絶対に拍手に被せるっていう決意を感じた。そして、始まった「英雄」の巨大なこと。
●荒れ地のような寂しげな「田園」も思い出深い。律義なノンヴィブラート。ブリュッヘンの手のひらの大きさ。2011年2月、大地震の前月のことだった。
ニッポンvsチュニジア代表 キリンカップ2022 決勝
●吹田で開催されたキリンカップ2022の決勝戦は、ニッポン 0-3 チュニジア。チュニジアが完勝してしまった。セレモニーでキリンの「午後の紅茶」や「生茶」のパネルと並んで、キリンの偉い人とフラッシュを浴びるチュニジアの選手。勝負事だからなんの不思議もないのだが。
●3失点したが、チュニジアがニッポンのディフェンスを崩したのではなく、ニッポンがミスで失点を重ねただけ。1点目は吉田がペナルティエリア内で不必要なタックルをしてPK。2失点目はロングボールに対して吉田とキーパーのシュミット・ダニエルの息が合わず、相手にボールを奪われて失点。追いかける吉田が速度を落としたところで相手選手に入れ替わられたので、これも吉田のミスにも見えるが、多くのキーパーなら前に出てくる場面だろう。あれがふだんのシュミット・ダニエルのプレイスタイルなのかどうか知らないが、試合ごとにキーパーを入れ替えてテストしていると、こういうことも起きる。森保監督の気配り采配。3失点目は終盤に2点を追ってリスクを取って攻めた結果。
●やはり問題は攻撃。前半はこれまで同様、ホームのニッポンが快適にボールを回していて、予定調和的な展開を予感させていた。技術を生かして見映えのする攻撃を見せる。でも、枠内シュートはゼロだったんすよ。で、後半、失点した後は選手を入れ替えて、焦りを隠そうともしない猛攻を見せてくれたんだけど、でも、やっぱり枠内シュートはゼロだったと思う。あんなに三苫が切れ味鋭いドリブルを見せていても。チュニジアくらい堅い守備ができるチームを相手にすると、きれいな攻撃だけではなかなかゴールをこじ開けられない。チュニジアはニッポンの中盤の遠藤航を潰してショートカウンターの形を狙っていた。研究済みといった様子。
●ニッポンの布陣。GK:シュミット・ダニエル-DF:長友(→山根)、板倉、吉田、伊藤洋輝-MF:遠藤航、原口(→田中碧)、鎌田(→三笘)-FW:伊東(→堂安 )、南野(→久保)、浅野(→古橋)。伊藤洋輝を左サイドバックに使い、長友を右サイドバックに置いた。W杯本番では長友ではなく冨安がそこに入ると思いたい。パズルのようにテストが続くが、結論が見えないままテストがずっと続いている感じ。
ステファヌ・ドゥネーヴ指揮NHK交響楽団のデュカス、フロラン・シュミット他
●11日は東京芸術劇場でステファヌ・ドゥネーヴ指揮N響。オール・フランス音楽プログラムで、前半にデュカスのバレエ音楽「ペリ」(ファンファーレつき)、ラヴェルの歌曲集「シェエラザード」(ステファニー・ドゥストラックのメゾ・ソプラノ)、後半にドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」とフロラン・シュミットのバレエ組曲「サロメの悲劇」。新鮮味があって、すばらしいプログラム。どの曲も物語性があるわけだけど、不老不死に執着する王の話で始まって、預言者の首を切った王の話で終わる。
●デュカスの「ペリ」はおまけで作られたファンファーレのほうが本編より親しまれている感があるが、隅々まで磨き上げられた美麗な作品で、洗練度はラヴェルの主要管弦楽曲と変わらない。ラヴェルより一段と官能性が強く、いくぶん含羞を感じさせるか。N響は普段より開放的で華麗なサウンド。この曲、題材となったペルシャの伝説がもう少し知られていたら、もっと演奏されていたはず。
●ラヴェル「シェエラザード」を歌ったのはステファニー・ドゥストラック。声量十分で表現は雄弁。この名前、どこかで覚えがあるような……と思ったら、新国立劇場「カルメン」題名役ではないの! 納得。
●フロラン・シュミットのバレエ組曲「サロメの悲劇」、組曲版が編まれる以前の黙劇としての初演は1907年、パリにて。ということは、シュトラウスの「サロメ」の2年後。そしてシュトラウスの「サロメ」のパリ初演と同年。どうしたって比較したくなるが、そもそものストーリーが違っていて、シュトラウスの「サロメ」はオスカー・ワイルドだが、フロラン・シュミットの「サロメの悲劇」はそうではないのだとか。曲目解説によれば、ヨハネがサロメの裸体をマントで覆い隠したがために、ヘロデが怒ってヨハネの首を切らせたという展開になっていて、なんというか、ヘロデの役どころがショボい……。どう考えてもオスカー・ワイルドのほうがおもしろい。ともあれ、音楽は案外とエンタテイメント度が高く、派手。ドビュッシー、スクリャービンを連想させ、ストラヴィンスキーを予告する。後味爽快、サロメなのに。
●以前も紹介したけど、ティツィアーノ・ヴェチェッリオと工房による「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」。国立西洋美術館の常設展で見ることができる。生首以上に目をひくのはサロメの豊満さ。ヨハネは痩せ細っているが、サロメはたっぷり食べている。ライスは大盛りで。そんな声が聞こえてきそうなサロメ。
ニッポンvsガーナ代表 キリンカップ2022
●ニッポン代表の強化試合月間、第3戦は10日に神戸で対ガーナ代表。これは親善試合とはいえ、チリとチュニジアを含めた4国のトーナメントによるキリンカップとして開催されている。地上波民放で中継。先に同会場で弾かれたチリ対チュニジア戦はチュニジアが勝利。
●で、ガーナ戦だが、なんといったらいいのか、前のブラジル戦とはなにもかも別世界。前線からプレスをかけるとけっこう奪える。奪ってショートカウンターができたりする。ブラジル戦ではプレスに行ったばかりに背後を突かれて大ピンチみたいな屈辱シーンがあったのに、「あれ、意外と取れるじゃん」みたいな。三笘のドリブルもちゃんと通用する。パスも通るし、シュートも打てる。ボールも回せる。もちろんガーナは強豪だけど、ニッポンのホームで対戦するガーナはこんな感じだっけなと、やや拍子抜け。ニッポンは前半に山根と三笘、後半に久保と前田大然が決めて4対1の快勝。久保と前田は代表初ゴールらしい。意外。失点は前半に山根のパスミスから。
●森保監督が敷いた布陣はこう。みんなにチャンスを与える気配り采配。GK:川島-DF:山根視来(→中山雄太)、谷口彰悟、吉田(→板倉)、伊藤洋輝-MF:遠藤航(→田中碧)、柴崎、久保-FW:堂安(→伊東)、三笘(→南野)ー上田綺世(→前田大然)。久保を中で使い、右ウイングに堂安(伊東)を使う布陣を試している。右ウイングは第一選択肢が伊東として、それに次いで堂安がいる上に、ほかのフォワードの選手たちもウイング調の選手が多いので、久保に居場所がない。となればインサイドで使えばいい。でもそうすると守備の強度が気になるが、この試合では結果を出した。前線のタレントは選手の能力からいえば南野がエースだろうが、左ウィングでは特徴のはっきりした三笘が魅力。だったら南野がトップでいいような気もするのだが。しかし、ワールドカップ本大会で超強豪を相手にするときに、2列目に三笘、久保、伊東が並ぶのは攻撃的すぎてリアリティがないか。
●センターバックをどうするか。従来、吉田と冨安が鉄板だったが、ここを吉田と板倉にして、冨安をアーセナルでのポジションと同じく右サイドバックに置く可能性はけっこうあるんじゃないだろうか。左サイドバックはフィード力に長けて高さもある伊藤洋輝がいいのでは。今回不参加の大迫と酒井は新戦力の台頭ですっかり居場所を失ったようにも見えるんだけど、森保監督はどうするんだろう。
二酸化炭素濃度計 MATECH AirChecker
●最近使ってみて、なるほどと思ったのが、この二酸化炭素濃度計 MATECH AirChecker。京都のベンチャー企業が開発した商品で、空気中の二酸化炭素濃度を測定してくれる。本来は二酸化炭素濃度が高くなると作業効率が落ちたり眠くなったりするのでそれを防ごうというのが用途だと思うが、コロナ禍以降は換気がきちんと行われているかどうかを可視化するために需要が高まっているんじゃないだろうか。閉め切った部屋でこもって仕事をしていると数値はどんどん上がっていく。窓を開けたり、換気扇を動かすと、すーっと数値が落ち始める。かなり敏感に反応するので感心する。
●USBスティック型になっていて、取り回しが楽なのも吉。USB充電器につないでもいいし、PCに刺してもいいし、モバイルバッテリーにつなげても動作する。しかも同種製品に比べて安価。とてもよく出来ているのだが、ひとつ難点はアラーム音をオフにできないところ。1000ppmでアラームが鳴るのは少し神経質すぎるような気も。換気への意識が高まるのはたしかだけど。
葵トリオ ピアノ三重奏の世界 ~ サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン
●8日はサントリーホールのブルーローズ(小ホール)で、サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン2022「葵トリオ ピアノ三重奏の世界」。小川響子のヴァイオリン、伊東裕のチェロ、秋元孝介のピアノからなる葵トリオが、7年プロジェクトの第2回として登場。毎回、ベートーヴェンのトリオやメモリアル・イヤーの作曲家、葵トリオの「今」を聴く曲目を合わせたプログラムを組むという趣向で、今回はベートーヴェンのピアノ三重奏曲第2番ト長調作品1-2、細川俊夫のトリオ、フランクの協奏的三重奏曲第1番嬰ヘ短調作品1-1という選曲。有名曲は一曲もないけど、チケットは完売。
●後半のフランクが圧巻。協奏的三重奏曲第1番、ライブでは初めて聴いた曲だけど規格外の傑作で、フランク生誕200年にふさわしい強烈なインパクトがあった。三人のパッションからこんなにも巨大な威容が生み出されるのかという驚き。この曲、冒頭からして「ブルックナーかよ?」と思うような始まりで、これはオルガニスト的な発想ということなんだろうけど、重厚で執拗な楽想が展開される。これが「作品1-1」とは。フランクといえば晩成型の作曲のように思っていたが、名声が晩年に追いついてきただけであって、実のところ最初の一歩から際立った個性と輝きを持っていたのかも。
●フランクって粘着質なところが快感に直結していると思うんだけど、後の交響曲やヴァイオリン・ソナタにあるのが洗練された粘着質だとすれば、協奏的三重奏曲第1番にあるのは荒ぶる原型の粘着質。極北のダサカッコよさ。打ちのめされるような感動を味わったあと、アンコールにベートーヴェンのベートーヴェンのピアノ三重奏曲第3番より第3楽章メヌエット。
●CMGオンラインで有料リピート配信あり。
カーチュン・ウォン指揮日本フィルの伊福部&マーラー[配信]
●どうしても日程が合わず聴き逃してしまったカーチュン・ウォン指揮日本フィルの演奏会をテレビマンユニオンのネット配信で堪能。こうして後日にオンデマンドで聴けるのは本当にありがたい。5月28日、サントリーホールの公演で、プログラムは伊福部昭のピアノと管絃楽のための「リトミカ・オスティナータ」(ピアノ:務川慧悟)、マーラーの交響曲第4番(ソプラノ:三宅理恵)。カーチュンは日本フィル次期首席指揮者(記者会見参照)。
●伊福部昭「リトミカ・オスティナータ」はソロ、オーケストラともに熱量があって快演。務川慧悟のソロは切れ味鋭く、かつ強靭な打鍵。土臭さよりも一段階洗練された今っぽいカッコよさを感じる。ゴジラがシン・ゴジラ化する時代のシン伊福部かも。ソリストアンコールにフォーレの即興曲第2番。優美。直前の伊福部とは別世界でギャップがすごい。
●マーラーはかなり彫りの深い表現で、はっきりとカーチュン印が刻印されていたと思う。前回のマーラー5番でもそうだったが、濃厚な音楽ではあるけど、爛熟したロマンティシズムよりもむしろポジティブなエネルギーの発散を感じる。オーケストラも緻密で、彩度と透明度高めのサウンド。情感豊かな第3楽章が白眉か。第4楽章は三宅理恵の軽く清澄な声が、この曲の無垢なイメージにぴったり。カーチュンは大きな身振りの指揮だが、むやみに煽らずていねいなのがいい。曲が終わった後は完璧な沈黙。拍手が鳴りやまず、カーチュンのソロ・カーテンコールあり。
●このテレビマンユニオンの配信サービスは以前にも使ったことがあって、クオリティは大変すばらしい。PCからUSB-DACに出力してヘッドフォンで聴いているが、生々しくくっきりとしたサウンドで、ある意味、客席で聴くよりも臨場感があるというか(オーディオとはみんなそういうものだが)。カメラワークも自然で、音楽に集中できる。オンデマンドでしか使っていないが、ストリーミングもスムーズ。ただし不満もあって、自分の購入履歴が確認できないのはどうかと思う(メニューを探したが見当たらない。マイプレイリストはあるが、それは購入履歴ではない)。それと、サービス名称は「Member's TVU CHANNEL」でいいのだろうか。名前が長いので、呼びやすい略称がほしくなる。
ニッポンvsブラジル代表 キリンチャレンジカップ2022
●ニッポン代表の親善試合シリーズの第2弾は国立競技場でのブラジル代表戦。地上波民放でテレビ観戦。ブラジル代表はネイマールをはじめスター選手たちがずらりと並ぶ強力布陣。森保監督はやはり前のパラグアイ戦は主に控え組という扱いだったようで、ブラジル戦に長友や原口など実績豊富な選手を起用してきた。ただし、長友は右サイドバックで、左サイドバックは中山雄太。この辺りは不在の冨安を考えると含みも感じなくはないが、ともあれ、この監督の序列重視は変わらず。実際、長友は奮闘していたのだが。でも、でも……。
●というわけで、日本の布陣はGK:権田-DF:長友(→山根)、吉田、板倉、中山雄太-MF:遠藤、原口(→鎌田)、田中碧(→柴崎)-FW:伊東(→堂安)、南野(→三笘)-古橋(→前田大然)。この日の先発に不在の大迫、冨安を含めたメンバーが森保監督の現時点でのベストメンバーなのだろう。試合は序盤、ニッポンがブラジル相手であっても低い位置から勇気を持ってボールを回すという意思を見せて感心。これがブラジル相手にできるのは技術の高さに自信があるゆえ。
●ただ、そんな感動は前半半ばにはすっかり消え、その後はほとんどサンドバックのように攻められる展開に。個のレベルがあまりに違う。たまたま0対0の時間帯が長く続いただけで、4ゴールくらい奪われていてもおかしくない内容だった。ブラジル代表相手にはなんども経験しているパターンだけど、弄ばれているというか、やたらと股抜きパスを狙われたり、てめえら欧州の所属クラブじゃそんな遊び心は出さないだろうというプレイを見せつけられたり。いちばん悔しいのは、こちらが猛然と前線からプレスをかけようとすると、向こうはボールを回して軽々とプレスをはがし、プレスの背後に空いたスペースを突いてあっという間に決定機まで持ち込んでしまうところ。プレスに行ったらこっちが大ピンチって。赤面する。でも、いいんすよ、だって相手は別格のブラジル代表だから。
●ブラジル代表ってウィーン・フィルみたいな存在だと思うんすよ。その1、国の文化使節として世界中を回って興行をしている。その2、中のメンバーが変わっても全体のスタイルは守られる。その3、楽しそうにプレイする。ここにいるスター軍団も欧州の所属クラブでは強度マックスでバトルして、走って、守って、戦術的な規律にきちんと従っていると思うんすよ(ネイマール以外)。でも、ブラジル代表として集合すると、とたんにエンジョイ・フットボール・モードが発動して、選手間の距離は開き、エゴイスティックなドリブル突破やらおしゃれフェイントやら意外性のあるパスを楽しむ。あるところまではのらりくらりとパスを回しているのに、だれかが見えないスイッチを入れると急にプレイが早回しになって怒涛の攻撃を仕掛けてくる。まさにスペクタクル。こんな代表チーム、ほかにある? スコアはニッポン 0-1 ブラジルだったけど、そんな結果はどうでもいい。ひょっとしたらニッポンが引き分けたり勝ったりするする展開もあり得ただろうけど、そういう問題じゃないってことを見せつけられた。違うのはフィロソフィ。彼らは異次元にいる。
エンリコ・オノフリ&イマジナリウム・アンサンブルの「自然の中へ ヴィヴァルディ『四季』と母なる大地の様々な音色たち」 CD
●エンリコ・オノフリとイマジナリウム・アンサンブルの新譜「INTO NATURE 自然の中へ ヴィヴァルディ『四季』と母なる大地の様々な音色たち」を聴く。配信ではなくCDで。これはすばらしい。今までさんざんいろいろなスタイルの「四季」を聴いてきたつもりだったけど、まだこの曲をこんなにも新鮮な気持ちで聴けるとは。そして恐るべき完成度。ワクワクした。
●選曲がおもしろくて、ヴィヴァルディの「四季」に至るまでのストーリー性があって、ジャヌカン「鳥の歌」(編曲)、ウッチェリーニ「異種混淆 雄鶏とカッコウによる麗しき奏楽」、パジーノ「様々な野の動物の鳴き声を模倣して」など、鳥や動物たちの描写的な音楽から始まる。たっぷりと豊かな「四季」前史を味わった末に、ヴィヴァルディがやってくる。ここでふんわりと柔らかく「四季」が開始される瞬間が鳥肌もの。なんという暖かさ。オノフリ自身の解説によれば、楽器編成はル・セーヌ版に従っているということで、通奏低音にオルガン(「秋」のみチェンバロ)が用いられている。このオルガンが非常に効果的で、ときに幻想的で、ときに重厚。全体に柔らかさと鋭さがバランスした成熟した「四季」だと感じる。
●あと「春」第2楽章のヴィオラ犬がかつてないほど犬。
ニッポンvsパラグアイ代表 キリンチャレンジカップ2022
●今月はニッポン代表の親善試合が集中的に開催される。11月下旬に開幕するワールドカップ・カタール大会に向けての強化試合(まさか夏以外にW杯を開催できるなんて。各国リーグ戦のスケジュールをどう調整したんだろうか……)。その第1弾として、2日に札幌ドームでパラグアイ代表戦。親善試合なのでテレビ中継で観戦できた(逆にいうとDAZNで配信がない)。
●森保監督が選んだメンバーはベストメンバーとテストの中間的な位置づけか(月曜にブラジル代表戦がある)。GK:シュミット・ダニエル-DF:山根視来、谷口彰悟、吉田(→中山雄太)、伊藤洋輝-MF:遠藤(→板倉)、原口(→田中碧)、鎌田-FW:堂安(→久保)、三笘(→古橋)-浅野(→前田大然)。布陣は4-3-3。最大の発見は左サイドバックで先発したシュトゥットガルト所属の伊藤洋輝。守備のユーティリティ・プレーヤーで前半は左サイドバック、後半はセンターバックを務めた。所属チームでは3バックの左なんだとか。ドイツで大きく成長を遂げたらしく、代表デビューで堂々たるプレイぶり。ずばり、これで長友の後継者問題は解決したと思った。左サイドバックの第一選択肢は伊藤洋輝、控えが中山雄太で問題ないのでは? 後半、センターバックでは失点につながるミスがあったものの、日頃から高いレベルでプレイしており、フィード力に定評があるのもW杯本番を考えると心強い。
●鎌田、堂安も持ち味を発揮。鎌田なんてフランクフルトでヨーロッパリーグ優勝を果たしているわけで、本来なら絶対的レギュラーでもおかしくない。三笘は今回も相手を一瞬で置き去りにする得意のプレイが出た。初めての相手はたいていあの動きに付いて来れない。前線は大迫不在なので、いろんな選手を試せる。浅野、前田、古橋、この日出番のなかった上田、みんな当落線上なのかも。前田はいくつもあった決定機を外しまくっていたが、疲れ知らずのスプリンターとして独自の価値がある。
●パラグアイ代表はW杯出場権を獲得していないので、この試合に対するモチベーションが低く、本調子には程遠い感じで、試合は一方的なニッポンのペース。前半に浅野、鎌田、後半に三笘、田中碧が決めて4得点。パラグアイは後半にデルリス・ゴンサレスがゴール。ニッポン 4-1 パラグアイ。本大会でニッポンがこれだけボールを支配する展開は考えにくいので、追い風参考記録といったところだが、伊藤洋輝の抜擢は大収穫。ぜひブラジル戦でも左サイドバックで先発させてほしい。そこで「序列優先」とやらで長友を使ってしまったらテストの意味がない。
天皇杯2回戦 マリノスvs鈴鹿ポイントゲッターズ
●1日夜、ものすごく久しぶりにニッパツ三ツ沢球技場へ。天皇杯2回戦で、マリノス対鈴鹿ポイントゲッターズの試合があった。鈴鹿といえばキングカズがいるあの鈴鹿。JFL(実質4部リーグ)のクラブだ。そして「ポイントゲッターズ」の名称の由来はポイントサイトとかポイントカードとかの「ポイント」をゲットするという意味なんだとか(ポイント事業を営む企業がスポンサーになっている)。だが、カズは負傷で欠場だったんである。あー、カズさん出ないのならポイント付きませんねー。そんな意味レスな独り言を心に浮かべながら、球技場行きのバスに乗る。
●が、この試合内容にはびっくり。マリノスは何人か控えを起用しているが、週末に試合がないこともあって主力も多数。試合前の予想では、マリノスの超ハイテンポで強度の高いプレイに鈴鹿はとてもじゃないが付いていけないだろうと思っていた。が、なんとなんと、だいたい付いてきた!これには心底感心。特にトップの栗田マークアジェイ。この選手は何者ですか。到底JFLレベルとは思えない。ほかにもスピードのある選手が何人かいて、マリノス守備陣に脅威を与え続けた。これまでにJFLの試合をたくさん観戦してきた者として断言するが、これだけのスピードや出足の鋭さ、中距離パスの精度、メンタリティの強さがあってJFLにいるのはおかしい(そしてこのタレントがそろっているならカズの居場所はないはず)。鈴鹿、JFLではどれだけ強いのか。そう思って現在の順位表を確認したら……12位だ。いったいどうなってるのー?
●マリノスは前半9分に、こぼれ球を西村拓真が蹴り込んで先制したのはよかったが、その後、相手の精力的なプレスにも苦しんでビルドアップがうまくいかない。前半に宮市が負傷退場したのも誤算。あわや失点の場面もあり、追いつかれなかったのが不思議なほど。後半、レオ・セアラが入ってからは少し落ち着いたが、攻め手が乏しく、決定機が少ない。後半30分に小池裕太、後半48分にレオ・セアラが決めて、結果こそ3対0と順当だったが、2点目が入るまでは「延長戦になったら帰りが遅くなって困る」と心配になった。鈴鹿は収穫を得たのでは。ポイント3倍ゲット的な。
●マリノスの選手だけ書いておこう。GK:オビ・パウエル・オビンナ、DF:松原健、畠中槙之輔、角田涼太朗、小池裕太-MF:渡辺皓太、岩田智、吉尾海夏(→永戸勝也)、宮市亮(→水沼宏太)-FW:樺山諒乃介(→仲川輝人)、西村拓真(→レオ・セアラ)。ベンチにンダウ・ターラがいたが出番なし。渡辺皓太はパスの質が高品質。軌道が美しい。吉尾はインパクトを残せず。樺山はよくも悪くも目立つプレイスタイルで、得点に絡んではいたが積極果敢なプレイが裏目に出る場面も多い。同じ強引に前に行くのでも西村は頼もしいが、樺山は心もとない感じ。でも19歳だからこれからどんどん成長するのか。
●客席は市松模様で来場者数約4千人。ニッパツ三ツ沢球技場は1955年開場の古びたスタジアムだが、ピッチが近く観戦環境は申し分なし。試合開始前のウォーミングアップで客席前方にボールが飛び込んでくる。広大な無人の陸上トラックが目の前に広がる日産スタジアムとは雲泥の差。
アンドリュー・リットン指揮東京都交響楽団のアメリカ音楽プログラム
●31日はサントリーホールでアンドリュー・リットン指揮都響。シンディ・マクティーの「タイムピース」(2000)、バーンスタインのセレナード(プラトン「饗宴」による)(金川真弓のヴァイオリン)、コープランドの交響曲第3番というアメリカ音楽集。
●1曲目のシンディ・マクティー、以前にパートナーであるスラットキンの指揮で聴く機会があったような、なかったような……。この「タイムピース」はダラス交響楽団の委嘱作品で初演者がリットンだったそう。インパクトの強い作品とは言いづらいが、劇伴風で聴きやすい。バーンスタインのセレナードはこの日の白眉。金川真弓の独奏ヴァイオリンが圧倒的。鮮やかな技巧と雄弁さ、音色の輝かしさ。作品にふんだんに盛り込まれたウィットが伝わってきて楽しい。傑作。生前のバーンスタインを、自分はなぜスター指揮者としてばかり見ていて、(ミュージカル以外で)時代を代表する作曲家として認識できなかったのか……。5楽章構成、ユーモア、終楽章の開放感と壮麗さなど、少しバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を連想する。ソリスト・アンコールにバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調より第4楽章アレグロ・アッサイ。これがまた鮮やか。
●後半はコープランドの交響曲第3番で、たぶん、この曲を聴くのはスラットキン指揮デトロイト交響楽団の来日公演以来。有名な「市民のためのファンファーレ」が終楽章で引用された堂々たる交響曲。伝統にのっとった明快でドラマティックな作風。リットンは都響からパワフルなサウンドを引き出す。終楽章は山に次ぐ山でまれに聴く大音響のエンディング。あまりに息の長い壮絶なフィナーレに過剰さを感じなくもないんだけど、その突き抜け方がこの曲の魅力なのかも。拍手が鳴りやまず、リットンのソロ・カーテンコールあり。