●14日は紀尾井ホールで鈴木雅明のチェンバロによるバッハの「フーガの技法」全曲。2台チェンバロの曲では鈴木優人が共演。この曲を演奏会で聴く機会は貴重。おかげで今まで遠くから漠然としたイメージで眺めていたものが、ぐっとはっきりした像を結んだかのよう。そもそも「フーガの技法」全曲とはどこからどこまでなのかもよくわかっていなかったのだが、この日の演奏会は印刷譜に含まれる曲をなるべく多く聴いてもらうというコンセプト。なので、間に休憩をはさんで、前半にコントラプンクトゥス1~11、後半から2台チェンバロの曲も加わって、コントラプンクトゥス12の4声「鏡のフーガ」、コントラプンクトゥス13の3声「鏡のフーガ」のそれぞれ正置型、倒置型、さらに番外その1として3声「鏡のフーガ」2台チェンバロ用編曲の正置型、倒置型、番外その2に4つのカノン、それから未完のフーガ(コントラプンクトゥス14)、最後に本来は「フーガの技法」とは無関係だろうけど印刷譜に含まれているコラール「われら苦難の極みにあるとき」BWV668a。こうして文字で並べたところで煩雑で読めたものじゃないわけだけど、前半は単独行の孤独な登山、後半は下山後のいくぶんリラックスしたお楽しみ、みたいなつもりで聴いた。
●前半、おしまいのコントラプンクトゥス11は並々ならぬ気迫による峻厳な魂のバッハ。こうして聴くと、ここで大きなクライマックスが築かれており、これで曲はおしまいという気持ちになる。偉大な音の構築物が建造されて、ただただそれを仰ぎ見るばかり。フーガという技法が技法の陳列ではなく、凝縮された音のドラマに実体化してゆくプロセスを目にしたというか。それが後半に入って2台チェンバロになると、一気に親密な雰囲気が出てくる。チェンバロ2台で父子が向き合って「鏡のフーガ」を弾くという趣向はほかではできない。
●それで、未完のフーガ(コントラプンクトゥス14)なんだけど、雅明氏のお話によれば、これを「フーガの技法」に含めるのは大きな疑問なのだとか。この主題、「フーガの技法」の主要主題と似てるけど違っているし、ほかにもいろんな理由が挙げられるそう。録音を通して、尻切れトンボで終わるこれも含めて「フーガの技法」だと刷り込まれていたけど、そんなものなのか。未完のまま演奏。コラール「われら苦難の極みにあるとき」BWV668aが最初からプログラムに含まれているので、これがオートマティックにアンコールみたいになって、一種の中和剤に。
●今回の公演に先立って、レコーディングも行われたそう。
October 17, 2022